団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

何事もやった方は忘れても、やられた方はけして忘れはしない。

2024-12-31 02:18:46 | 日記
 中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「カバヤ文庫」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。

 遠い昔、おじさんが幼かった頃、カバヤ文庫というものがあった。

 カバヤキャラメルを買うと箱の中に券が入っていて、それを何枚か集めると1冊の文庫本と交換できる仕組みだった思う。

 キャラメルは1箱10円だったが、幼児には大金だった。

 だから文庫券をためるのには、大変な苦労を強いられた。

 が、ある日、駄菓子屋で買ったカバヤキャラメルの箱を開けると、めったに出ない「大当たり券」が1枚入っていた。

 それは1枚で1冊の文庫本がもらえるのだ。

 もう、うれしくてうれしくて、アスカ坊は躍るように家への道を急いだ。

 途中7歳年上の兄と出会った。

 兄は「おまえじゃ無理だから、俺が文庫本と取り換えてきてきてやる」と券を取り上げ、自転車でどこかに行った。

 兄が持って帰ったのは物語の文庫本だった。

 幼児のおじさんが欲しかったのはマンガの文庫だったのだ。

 大泣きして抗議したが、兄は取り合うこともしない。

 7歳の差は力ではどうにもならぬ。

 泣き寝入りするしかなかった。

 長じて、ある折に当時の悔しさを兄に言ってみたところ「記憶にない」だと。

 何事もやった方は忘れても、やられた方はけして忘れはしない。

 以上です。



 カバヤの文庫カード
 カバヤキャラメル

 私は↑のラクダキャラメルを買っていました。

 カバヤキャラメルと同じ、1箱10円だったと思います。

 キャラメルは美味しくなかったですが、券を集めると枚数によってもらえる商品が違っていたと思います。

 何枚集めたか覚えがありませんが、お手伝いの女性が「辞典をもらったら」と、言われたので国語辞典をもらいました。

 まだ小学生の低学年でしたので、使うことはほとんどなく何処かになくしてしまいました。😅

 
 皆様 今年もお世話になりました、来年もよろしくお願い致します。




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昔はお正月が来ることや、夏休み、冬休みなど来る事を指折り数えて待ってました。

2024-12-30 02:02:43 | 日記
 中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「数え日」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。

 「数え日」というのは美しい日本語の一つだ。

 あと数日で今年も終わってしまう。

 焦りや諦めも含めて、耐え抜いた月日をいとおしむ時間か。

 あるいは、心機一転の新年を待ち望む時間なのか。

 いずれにしても落ち着かない日々だ。

 考えてみれば、1年は地球が太陽を1公転するだけのことで、べつに何かが終わり、新たな何かが始まるわけでもない。

 時間は絶え間なく連続して流れている。

 それを1年として区切るのは人類の知恵だろう。

 区切ることで、年末や新年もできるし、年齢も季節も年中行事も生まれる。

 それぞれの人生が時間軸にきれいに沿うことができる。

 ともあれ「数え日」は良い言葉だ。

 ”指折り数えて”待つ日々なのだから、元旦の10日前あたりからいうのだろう。

 つまり12月22日過ぎか。

 数え日を歌った歌に「もういくつ寝るとお正月・・・」という童謡がある。

 今ではこの童謡を知らない人も多くなったが、調べたら作曲者が瀧廉太郎と知って、おじさんは驚いた。

 ただ、この童謡で歌われる正月の子どもの遊び(たこ揚げ、こま回し、まりつき、羽根突き)があまりにも古くなった。

 同様に古びたおじさんの命も数え日となったか。

 以上です。


 昔はお正月が来ることや、夏休み、冬休みなど来る事を指折り数えて待ってました。

 今は毎日が日曜日なので、あまり指折り数えて待つ事はないですね。

 あと2日でお正月です、その前に紅白歌合戦をお菓子をつまみながら見ると思います。

 昔は紅白歌合戦が、午後の9時ごろから始まって12時少し前に終わり、百八つの鐘を聞きながら眠りにつきました。

 小学校の低学年時代は、学校に行って校長先生の話を聞きそれから家に帰ってゆっくり雑煮を食ってました。

 うちは商売をしていましたので、父親は夜遅くまで商いをして終わると酒を飲んでいましたので正月の朝は寝てました。

 今は地元の神社にかみさんとお参りし、家に帰ってから年賀状を読むのが習慣です。

 年賀状をやめる方も多いですが、私は数少ない年賀状を読むのが楽しみです。

 そういえば昔はお正月が来ると1つ歳を取りましたね。

 数えで何歳、満で何歳と返答したものです。

 今は満年齢1本になって、良かったと思います。



おもいで
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別の医者が診てくれなかったら、もうこの世にいらっしゃらないのでは。

2024-12-29 01:40:24 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「心筋梗塞」というタイトルで、60歳の男性が投稿されていました。

 1年前の12月のある日突然、思いがけない病気、心筋梗塞となり、九死に一生を得ました。

 この病気の恐ろしいのは「関連痛」が招く迷走。

 心臓以外の箇所に症状が出て発見が遅れる場合があること。

 私の場合、胃や奥歯の痛みに始まり、息苦しさを感じるようになりました。

 近くの病院で診察を受けると「心の病」とされ、総合病院へ。

 血液検査や心電図で「異常なし」として様子見に。

 その後も体調はますます悪化。

 発症から10日後、あまりに苦しくて仕事を早退して再び診てもらいますが、またしても特に異常なし。

 そこで必死に訴えたところ、別の医師が対応し、精密検査を実施すると、心筋梗塞と判明して即入院。翌日、手術を行い、命を取り留めました。

 ただし、血管のつまりが解消したら元に戻るわけではなく、心臓の一部が壊死したということ。

 その弱くなった心臓で生きていかなければいけません。

 そうなったのは痛恨の極み。

 それでも、命だけは助かりました。

 見方を変えると、紙一重の状況に身を置き、命を削るのと引き換えに得た貴重な体験です。

 心筋梗塞は誰の身にも起こりうること。

 冬場は、危険が増す時期でもあります。

 関連痛の恐ろしさ、命の危険が迫った時の感覚など、多くの方に伝えられたらと思っています。

 以上です。

 冬場は、心筋梗塞に気をつけねば。

 お風呂やトイレは寒暖差が激しいので、特に気をつけねば。

 それにしても大病院で診てもらっても分からないとは。

 投稿者さんが粘らなかったら、亡くなっていた可能性が高いと思います。

 再度診てもらって「異常なし」と言われても体調がますます悪化するので、必死に訴えてようやく別の医者が対応し、精密検査を実施して心筋梗塞と判明。

 別の医者が診てくれなかったら、もうこの世にいらっしゃらないのでは。

 これって病院のミスになるでしょうか、助かったからいいものを。

 病院の診断もあてにならないですね。😅

 自分の身は、自分で守らなければいけないのかな。

>ただし、血管のつまりが解消したら元に戻るわけではなく、心臓の一部が壊死したということ。
 その弱くなった心臓で生きていかなければいけません。

 そうなんだ、これも初めて知りました。



愛は不死鳥
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自然体でいられる相手が、一番いいですね。

2024-12-28 01:24:27 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「結婚 自然体出せる人と」というタイトルで、67歳の女性が投稿されていました。

 私が20代だった1980年代、店頭で売れ残ったクリスマスケーキが12月25日になると安価になることから「女性は25歳になると結婚適齢期を過ぎて価値が下がるよ」と言われた。

 私は、親戚や知人の勧めもあって大学を卒業した翌日から見合いを始めた。

 7年ほどで二十数回、そんな場を設けたが、気の合う人は現れなかった。

 そのまま時間は過ぎた。

 私は29歳で結婚した。

 夫は6歳下で、私の勤務先にアルバイトとして働いていた。

 いつしか親しくなり、偶然にもSF,特殊撮影ものが私たちの共通の趣味だった。

 この先、一緒に暮らしても私は自然体でいられそうだと思った。

 「婚活」はその人のその後を左右するだけに、昔も今も人生の岐路と指摘される。

 私の経験からすれば、考え過ぎず、いるだけで楽しいと思えるのが結婚の決め手ではなかろうか。

 以上です。

 私たちの時代も「女性は25歳になると結婚適齢期を過ぎて価値が下がるよ」と言われましたね。

 同窓会に出ると、女の子が「短期大学に入るや否や見合いをさせられた」と、言ってました。

 何しろ私の年代は、ベビーブームでした。

 女性は多いが、対象になる男性が少なかった。

 今のように年下と結婚するという風潮はなかったです。

 親は焦りまくったのでは。

 遅くとも24歳までには結婚させなければ。

 大事に育てた娘さんを世間に対する見栄で、安売りしたのでは😅

 この投稿者さんは、凄いと思いました。

>私は、親戚や知人の勧めもあって大学を卒業した翌日から見合いを始めた。
 7年ほどで二十数回、そんな場を設けたが、気の合う人は現れなかった。
 そのまま時間は過ぎた。

 ご両親や親戚から、「いい加減にしなさい!誰でも良いから結婚しなさい」と言われたのでは?
 
>夫は6歳下で、私の勤務先にアルバイトとして働いていた。
 いつしか親しくなり、偶然にもSF,特殊撮影ものが私たちの共通の趣味だった。
 この先、一緒に暮らしても私は自然体でいられそうだと思った。

 自然体でいられる相手が、一番いいですね。

 結婚すれば終わりではなく、スタートです。

 長い間 一緒に生きるためには、自然体でいられる相手が一番ではないかと思います。

 かみさんと最初に話が盛り上がったのは、吉田拓郎の「旅の宿」でした。
🎶浴衣のきみは尾花の簪熱燗徳利の首つまんでもういっぱいいかがなんてみょうに色っぽいね 🎶
 この歌詞で盛り上がりましたね。😄

 今もかみさんとの共通の話題は、音楽の事が多いです。

 お互い小田和正さんのファンなので、いつも一緒に小田さんのコンサートに出かけます。




旅の宿 / 吉田 拓郎
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 最後の「クリスマスの約束」が、見えないとは・・・。

2024-12-27 01:14:46 | 日記
 12月24日 小田和正さん最後の「クリスマスの約束」が、行われます。

 私は事前に予約しておきました。

 ところが、小田和正さんの大ファンのブログに、1部、2部があると書かれていました。

 え〜、俺は予約する時、そんな事気づかなかった。うまく予約できているんだろうかと思い、予約していた番組を見て見ると1部しか入っていませんでした。

 1部は22分にわたる曲を毎回出られるゲストが、歌い継ぐ歌で過去に放送されていて私も以前見ています。

 ヤバイ、かみさんも予約していたので見てみますと、私と同じで1部しか録画されていませんでした。
 
 TVerで見えないか見てみましたが、24年の「クリスマスの約束」は、ありません。

 それ以外は、ありましたが。

 最後の「クリスマスの約束」が、見えないとは・・・。

 新聞のTV番組欄に1部のあと別番組が書いてありましたが、番組紹介で1部・2部の時間を書いてくれて両方とも予約するよう注意を払ってくれればいいのにと思いました。

 諦めて昨日の夜中、小田和正さんの大ファンのブログを見ますと、何と第二部を TVerで御覧になることができます(無料)こちらと、書かれていたのです。

 早速見ますと、2部が放映されていました。

 2時ごろから4時半ごろ、最後まで見ることが出来ました。

 以前小田さんが会いたい有名なアーティストに、自筆の手紙を何通も出されました。

 当年は誰も出られませんでしたが、翌年ミスチルの桜井くんが出て小田さんとふたりで、ミスチルの大ヒット曲「Tomorrow never knows」?を歌われました。
 桜井くんも小田さんのヒット曲を歌われました。「たしかなこと」か「ラブストーリーは、突然に」かは、忘れました。

 桜井くん以外、宇多田ヒカルさんとか、さだまさしさん、さださんとは秋桜を歌われました。

 あとは吉田拓郎さんとですかね、両巨塔がギターを奏でて歌う様は、素晴らしかったです。

 あとはいつもの出演者といろんな歌を歌われました。
 
 子供の頃歌った「オールド ブラック ジョー」を歌われたのは、懐かしかったです。






たしかなこと - 小田和正
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