団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

今の私の興味は、メジャー・リーグです。

2025-01-19 02:33:03 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「球春 盛り上がりに期待」というタイトルで、71歳の男性が投稿されていました。

 私と同じくプロ野球ファンの友人との年に数回の夕食会を楽しみにしています。

 友人は中日ドラゴンズ、私はセ・リーグの他球団とひいきは違えども、ともに相手が応援するチームをやみくもに批判することなく、それぞれのチームの長所や注目選手をたたえ合うのが常。

 それだけに私は気持ち良い時間を過ごすことができています。

 プロ野球は2月からキャンプが始まり、待ちに待った球春到来。

 友人が応援するドラゴンズは、初めて指揮を執る井上一樹監督の采配に注目が集まります。

 各球団の補強選手がどんな活躍を見せてくれるかも楽しみの一つ。 

 セ・パ両リーグとも、海の向こうの野球の本場、米大リーグに負けないぐらい盛り上がってくれることを期待しています。

 以上です。

>友人は中日ドラゴンズ、私はセ・リーグの他球団とひいきは違えども、ともに相手が応援するチームをやみくもに批判することなく、それぞれのチームの長所や注目選手をたたえ合うのが常。

 友人との夕食会で、こんな応援の仕方があるんだ。

 長嶋・王選手がいた頃、私は日本の野球が大好きでした。

 私の贔屓は地元の中日ドラゴンズ、会社の上司の贔屓は読売ジャイアンツ。

 夜 中日・巨人戦が終わった時、上司から電話がかかり「やっぱり巨人の方が強い!」と言われた時には、ちょっと頭に来ました。

 私は長嶋選手が大好きだったので、長嶋選手が打つのは容認していました。

 中日はなかなか優勝出来なかったですが、落合監督が来てから強くなりました。

 今では3シーズンビリという、ていたらくですが。

 今年は立浪監督から井上監督に変わり少しは良くなるでしょうが、まずはビリを脱却することだと思います。
 
 中日のドラフト1位・金丸夢斗投手は期待出来ると思いますが、何せ最強守護神のライデル・マルティネス投手が抜けてしまったのが大きいです。

 この痛手は、守りで勝つドラゴンズとしてはカバーしきれないように思います。

 先発の髙橋 宏斗投手は去年以上の成績を出してくれると思いますが、それ以外の先発投手は心許ない状況です。ひょとしたら小笠原投手もメジャー入りするかも知れません。
 これも痛いですね。

 名門巨人の大補強に比べて、貧乏なドラゴンズの補強はあまり大したことがない状況です。

 やっぱりAクラスは、無理なような気がします。

 今の私の興味は、メジャー・リーグです。

 まずは大谷選手が投手で復帰してくれるのか、山本由伸投手・新しくドジャースに入った佐々木朗希投手の活躍が気になります。

 5年日記に、いつも大谷選手の今日の結果を書いてます。

 書かなくなって3ヶ月過ぎようとしています、3月には日本で試合があります。
 大谷選手の今日の結果を日記に書けるのが楽しみです。



君に会いたい ザ・ジャガーズ 2009
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 肉と卵ばかり食べていても、早く成長する子もいるし、遅く成長する子もいます。

2025-01-18 02:05:30 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「嫌いな物もまずは一口」というタイトルで、72歳の女性が投稿されていました。

 昨年11月23日付本欄「好き嫌いない孫 丈夫に」を興味深く読みました。

 食べた物によって体はつくられていきます。

 好き嫌いなく何でも食べれば、丈夫になれますよね。

 かくいう私も子どものときは好き嫌いが多く、野菜はほとんど駄目で口にせず、肉と卵ばかりを食べてきました。

 それゆえ学校の給食もいつも最後まで残って食べていて、他の児童と比べ身長はなかなか伸びませんでした。

 誰しも成長期はごく限られた時だけなので、そのときだけは、たくさんの栄養を摂取するようにした方がいいです。

 うちの孫たちがわが家に来たとき、「食べたことないから要らない」とよく言うので、つい好きな物をこしらえてしまいます。

 特に若い皆さん、まず一口食べてみてください。

 おいしくなかったらやめればよく、食べず嫌いだけで、もしすごくおいしかったら、食べないことを絶対後悔しますよ。

 以上です。

 失礼ながら投稿者さんはご自分が出来なかった事を人に勧めている、これっておかしいと思います。

>特に若い皆さん、まず一口食べてみてください。
 おいしくなかったらやめればよく、食べず嫌いだけで、もしすごくおいしかったら、食べないことを絶対後悔しますよ。

 食べないのだから、後悔なんてしないと思います。😅

 私は一口も食べずに後悔した事はないです。

 一口食べて、「不味い!」と思った物を、食べないようにしています。

 例えばブロッコリーは栄養があるようですが、口がもぐもぐしますので食べません。

 魚は子どもの頃は好きでしたが、今は好きではないです。

 小骨を取らなくてはいけないのと、内臓を取ると中身は少ししかありません。

 子どもの頃は、肉なんか食べさせてもらえなかったので、魚が好物でしたが。

 やはり牛肉とか豚肉の方が好きですね。

 野菜も食べたほうがいいようですが、肉中心で食べています。

 肉は、長生きの秘訣なのでは?

>かくいう私も子どものときは好き嫌いが多く、野菜はほとんど駄目で口にせず、肉と卵ばかりを食べてきました。
 それゆえ学校の給食もいつも最後まで残って食べていて、他の児童と比べ身長はなかなか伸びませんでした。
 誰しも成長期はごく限られた時だけなので、そのときだけは、たくさんの栄養を摂取するようにした方がいいです。

 成長期は、バラバラです。
 肉と卵ばかり食べていても、早く成長する子もいるし、遅く成長する子もいます。

 概して遅く成長した子の方が、大きくなるように思います。

>うちの孫たちがわが家に来たとき、「食べたことないから要らない」とよく言うので、つい好きな物をこしらえてしまいます。

 投稿者さんのご意見、「好き嫌いない孫」を、ご自分で破っているのでは。😅
 お孫さんの好きな物を作られている。😄



今なら白血病は治ったと思うのですが、残念!
テンプターズ エメラルドの伝説 リメイク版 歌詞付き (夏目雅子)
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真っ先に逃げなくてはいけないことを悟りました。

2025-01-17 02:52:27 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「地震 経験から得た教訓」というタイトルで、90歳の男性が投稿されていました。

 戦時中の1944年12月7日午後の昭和東南海地震のとき、私は今でいう小学校4年生でした。

 現三重県いなべ市の学校にいて教室が突然揺れました。

 休み時間だったため級長の私は先生の指示をもらおうと思い1人で職員室に向かって教室を飛び出しました。

 廊下に出たら船が大波で揺れるかのように床が左右に傾いていました。

 歩くのがやっとで何とかたどり着いた職員室は無人。

 窓越しに先生らが校庭に避難しているのが見えました。

 そこで私が教室の皆に避難するように伝えようとして教室に戻ったら、既に避難した後でした。

 私は慌てて校舎の外に出ましたが、揺れはまだ続いていました。

 これが私の地震への恐怖を覚えた原体験。

 真っ先に逃げなくてはいけないことを悟りました。

 以上です。

 級長という責任感から先生に指示をもらおうと考えられたようですが、先生たちも避難されていて、教室に戻ったら教室の皆も避難していた。

 投稿者さんが、一番逃げ遅れたんですね。

 それでも無事で良かったですね。

 まずは先生の指示を受けようと思わずに、級友たちと一目散に校庭へ逃げるのが大事でしたね。

 投稿者さんもこの原体験で、真っ先に逃げなくてはいけないことを学ばれたようです。

 それからは地震が来れば、真っ先に安全な場所に逃げられたと思います。

 指示待ちは、手遅れになりますね。

 東北大震災で先生方がどこへ逃げようかと校庭で30分も話し合っているうちに、津波が襲い亡くなった生徒さんたちが大勢いらっしゃいました。

 その中でも先生の指示を待たず、山に登り助かった生徒さんたちもいらっしゃったようです。

 生徒でも緊急の場合は指示を待つのではなく、自分で判断し安全な場所に逃げるのが大切ですね。

 私がここの小学校の生徒だったら、恐らく逃げ遅れたでしょう。

 先生の指示を待っていたでしょうから。

 今でも頭が堅い傾向がありますが、小学校の時はより頭が堅く融通が利きませんでしたので。




ザ・スパイダース 風が泣いている LIVE演奏(1967?)
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PKは下手な選手だから失敗するわけではないと歴史が証明している。

2025-01-16 01:49:50 | 日記
 昨日の中日新聞の「中日春秋」に、下記の事が書かれていました。

 中日春秋
 2025年1月15日 分

 サッカー日本代表の元監督イビチャ・オシムさんは、試合をPK戦で決着させることが好きではなかった。

 「あんなものはクジ引きみたいなもの」と語ったという

 旧ユーゴスラビアを監督として率いた1990年ワールドカップ(W杯)イタリア大会準々決勝のアルゼンチン戦は延長でも決着がつかず、PK戦に。

 オシムさんはキッカーを決定すると「自分の仕事はやり終えた」とベンチから引き揚げ、敗北はロッカールームで知ったという(木村元彦著『オシムの言葉』)

 一昨日にあったサッカーの全国高校選手権決勝もPK戦にもつれこんだ。10人目で流通経済大柏が失敗し前橋育英が決め、それぞれ敗者、勝者に。

 決勝のPK戦が10人目まで続いたのは過去最長という。

 失敗者の有無や多寡で白黒をつけるかのようなPK戦はいつも残酷。

 オシムさんが嫌ったのも分かる。

 流通経済大柏の監督も「PK戦での決着は複雑。1人に勝敗を背負わせるのはどうかな」とこぼしたそう。失敗した選手が早く立ち直ることを祈る。

 W杯イタリア大会準々決勝では、試合に勝ったがPKに失敗したアルゼンチンの英雄マラドーナ選手が、やはりPKを外したユーゴスラビアの名手ストイコビッチ選手を抱き寄せ「泣かないでほしい。これが人生だ」と言ったという。

 PKは下手な選手だから失敗するわけではないと歴史が証明している。

 以上です。

 この試合、見ていませんでした。

 サッカーは、団体で勝負するスポーツだと思いますが、PK戦は一人に勝敗を任せます。

 ちょっと、サッカーの趣旨から外れているのでは?

 昔テレビで見たW杯の決勝で、イタリアの有名選手ロベルト・バッジョが最後の5人目でPKを行いました。

 ブラジルの選手がPKを入れた後、名手ロベルト・バッジョが、PKを外してしまいます。

 それで、ブラジルが勝利しました。
 

 下記の動画の14分1秒ぐらいに、ロベルト・バッジョがPKを外してしまいます。

 イタリアの名手の残念なシーンです。



【あなたにPKを蹴る勇気はありますか?】1994W杯 決勝 イタリア 対 ブラジル
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「今はハゲて、昔の面影がない」と言いました。

2025-01-15 03:39:16 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「年賀状が繋いでくれた友情」というタイトルで、57歳の女性が投稿されていました。

 なっちゃん、私たち49年ぶりにようやく再会できたね。

 なっちゃんは、小学校の同級生。

 小学2年生の途中で、浜松へ引っ越しました。

 小学生の頃は、1年に何度も手紙を書きましたが、だんだん回数が減り、ついに年賀状だけになってしまいました。

 それでも、なっちゃんの年賀状は、必ず元旦に届き、一筆添えられた温かい年賀状です。

 年賀状だけの繋がり。

 年齢を重ねるうちに、会いたい気持ちが増してきました。

 このまま会えずに終わってしまうのは、心残り。

 もし、なっちゃんも同じ気持ちなら、連絡くれるかもしれない。

 そんな想いをしたためて、数年前、私は年賀状に携帯番号を書きました。

 そして昨年の11月、携帯番号を使ったメールが届きました。

 「会いませんか?」と。

 嬉しくてすぐに会う約束をしました。

 再会の日。

 「なっちゃん?」

 「みきちゃん?」。

 まるで大切にしまっておいた宝箱を開けたような瞬間でした。

 なっちゃんの笑顔は小学2年生の時から変わっていません。

 遠い昔の思い出話をし、タイムスリップした私たち。

 帰るころには、随分若返っていました。

 これから小学生の時以上に仲良くなれそうです。

 私たちを繋いでくれた年賀状に感謝です。

 以上です。

 今年貰った年賀状の中に、会社時代いつも寄り添ってくれた親友から年賀状仕舞いが届きました。

 いつもなら綺麗な字で一言書かれているのに。

 3年前の年賀状には「1度会いたいね」と、書かれていたのに。

 何か身体を悪くしたかなと思い、彼の電話番号を調べ電話しました。

 最初娘さんらしい方が出たので、取り次いでもらいました。

 彼の元気な声が届きました。

 何も体調は悪くなく、今でも嘱託として4日働いていると言いました。

 74歳になっても働かせてもらえるなんて、会社から信頼されているんだなと思いました。

 「どうして、年賀状仕舞いをするんだ」と、言ったところ、去年N先輩から年賀状仕舞いが着た。

 「俺もそろそろと思い、年賀状仕舞いをした」と、言いました。

 私は今年も会社時代のN先輩に年賀状を出しています。

 電話の後で年賀状を探してみると、N先輩から去年も一昨年も着ていませんでした。

 年賀状仕舞いが着ていないので、今年もN先輩に年賀状を出しました。

 N先輩に電話したら「3年前心筋梗塞で死にそうになり、年賀状仕舞いを出した」と、言われました。

 「僕には届いていない」と、言いました。

 今は車椅子状態で、ディ・サービスに3日行かれているそうです。

 また日を改めて電話しようと思いました。

 話は元に戻して「一度会おうよ」と、言ったところ「いいよ、でも俺の事分からないよ」と、言いました。

 「今はハゲて、昔の面影がない」と言いました。

 彼の若い頃、長身で髪は長めのカッコいい男で、女の子にモテモテでした。

 本人もモテると自覚していたようです。😄

 私も顔は昔の面影がありますが、歩く姿は年寄りそのものです。

 まあ、私は分かるでしょう。

 彼の会社時代の友人も呼んで、春頃一度会いたいと思います。

 彼とは会わなくなって、30年近くになります。

 暇な私が音頭を取らねばと思っています。



ザ・スパイダース 『あの時君は若かった』 1968年
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