主催者発表700人、浜岡原発の再開を許さない全国集会はその存在をアピール。中電前では、デモ隊が中電に申し入れする団体の状況を見守り道路は解放状態。往年の「戦士達」は大きな満足ですたが主催者「始末書」の顛末。
ただ、今回のこの集会に参加を要請されていた「ふきのとう」若い世代メンバーは、パレードとデモ感覚の違いや左派主導の運動スタイルに違和感を表明し参加するものの状況「観察」の事態になっていました。
東京ではそうした違和感は余り問題とならず、ある意味世代間スタイルの違いはうまく相互に溶け込んだいるように見えます。静岡でのこうした政治文化スタイルの違いがどのように克服されていくのか大いなる注目です。
問題は持続して脱原発運動の活動を継続していくことが前提で「社会運動経験の少なさ」という中で「継続」することの困難さにばかり問題意識が集中し、継続していく方向性に関しての議論不足を感じます。
9月11日を全国の原子力発電所立地地域の若者とのネットワークを実現していく大きな交流空間として位置づけ準備を開始すると6月11日集会で宣言した「ふきのとう」グループ、その発言がどんな展開を見せてくれるのか。
集会では河合弁護士の標記発言はなかなかパワー。更に「原発でなく自然エネというのは当然正しいが、自然エネに時間がかかるとしてそれまでは原発動かそう」主張に「止める」ことが先ず最初であるとの批判も展開。
菅首相の「脱原発宣言」に現実性がないとの批判、確かに、閣僚に問題提起もしていないように報道されていることが事実とすれば大きな問題ですが、保守派も巻き込んでとの戦略で「止める」ことを曖昧にする姿勢も問題。
これまでの推進派、反対派、脱原発派、反原発派、縮原発派、世代のスタイルの違いを「対等の立場で対話する」政治文化スタイルを是非とも上手く作り出していかなければと思います。9月11日が正念場です。
ただ、今回のこの集会に参加を要請されていた「ふきのとう」若い世代メンバーは、パレードとデモ感覚の違いや左派主導の運動スタイルに違和感を表明し参加するものの状況「観察」の事態になっていました。
東京ではそうした違和感は余り問題とならず、ある意味世代間スタイルの違いはうまく相互に溶け込んだいるように見えます。静岡でのこうした政治文化スタイルの違いがどのように克服されていくのか大いなる注目です。
問題は持続して脱原発運動の活動を継続していくことが前提で「社会運動経験の少なさ」という中で「継続」することの困難さにばかり問題意識が集中し、継続していく方向性に関しての議論不足を感じます。
9月11日を全国の原子力発電所立地地域の若者とのネットワークを実現していく大きな交流空間として位置づけ準備を開始すると6月11日集会で宣言した「ふきのとう」グループ、その発言がどんな展開を見せてくれるのか。
集会では河合弁護士の標記発言はなかなかパワー。更に「原発でなく自然エネというのは当然正しいが、自然エネに時間がかかるとしてそれまでは原発動かそう」主張に「止める」ことが先ず最初であるとの批判も展開。
菅首相の「脱原発宣言」に現実性がないとの批判、確かに、閣僚に問題提起もしていないように報道されていることが事実とすれば大きな問題ですが、保守派も巻き込んでとの戦略で「止める」ことを曖昧にする姿勢も問題。
これまでの推進派、反対派、脱原発派、反原発派、縮原発派、世代のスタイルの違いを「対等の立場で対話する」政治文化スタイルを是非とも上手く作り出していかなければと思います。9月11日が正念場です。