劉慈欣/著 大森望、光吉さくら、ワン チャイ/訳 「三体0」読了
「三体」シリーズには“球電兵器”というものが出てくる。これについては何の説明も加えられておらず、どうも決戦兵器と言えるような位置づけだったのだがまったく戦果もあげることなく地球艦隊は消滅するのだが、その説明がまったくないので僕はどこかページを読み飛ばしてしまったかと思い、一所懸命にページをめくり直したことを覚えている。
この本はその“球電兵器”の誕生物語という位置付けの物語である。中国での出版順序はこの本が先なので、これを読んでいたらその意味がわかった上で読めたというところである。
この物語の発想元は量子の不思議な振る舞いである「状態の重ね合わせ」という確率論や最新の宇宙論である「多重宇宙論」、「高次元世界」などを使い、もし、量子が人間も見ることができるサイズだったとしたらとどんな世界を想像できるだろうかというものである。
この物語はそんな「マクロ量子」の発見ということで大きな展開を迎える。
主人公は、14歳の誕生日の夜、その日は稲妻が荒れ狂う嵐の夜であったのだが、両親はその時、部屋の中に突然現れた光の球に襲われ一瞬のうちに灰と化してしまった。
それ以来、主人公はその光る球は一体何であったのかという実態解明にとりつかれて生きることになる。
この光の球=球電は実際に2014年、中国で撮影に成功しているそうだ。そんな事実も著者の発想元になっているようだ。その球電の性質というものについてネットで調べてみるとこう書かれている。
『球電(ボール・ライトニング)は雷の一種で、雷雨の日に発生する球形の雷だ。科学界は球電という現象の信ぴょう性を疑っていたが、数十年前になり実際に存在するとされた。
数百人が球電を見たことがあるというが、球電は数百年間に渡り解けない謎であった。球電はドアや窓の隙間を通過し部屋に入り、時には爆発して建築物を破壊し、人や家畜を傷つけることもある。球電は移動の際に、どのような障害物に遭遇しても通過できるが、周囲の可燃物を燃やすことはない。一つの球電が爆発した際に放出されるエネルギーは、10キロ分のダイナマイトに相当し、焦げ跡や硫黄臭・オゾン臭を残すことが多い。』
その不思議な自然現象と不思議な量子の振る舞いを合体させたというわけだ。
物語の舞台は、おそらくは自由主義社会の連合国と思われる体制側との戦争に突入する直前である。そんな中、14歳の誕生日に両親の命を奪った光の球の正体を解明するため大気物理学の研究者となった主人公は中国軍で“新概念兵器”の開発に従事する女性と出会う。階級が少佐である女性は自然現象を使った兵器の開発をしていたが、球電の研究をしていた主人公を巻き込み新たな兵器を開発しようとする。
物語の中では、球電の正体というのはマクロ量子のひとつ、マクロ電子というものなのであるが、このマクロ電子に巨大なエネルギーを加えると励起状態となり、核兵器以上の破壊力をもたらすことができるということになっている。それも、有機物や電子回路など、選択的に攻撃できる性能を持つことができるのである。主人公の両親を襲った球電も励起状態になったマクロ電子であったのである。
主人公とその女性はこのマクロ電子を使って新たな兵器を開発しようとする。その過程で球電の実態解明に悩む主人公に手を貸し、その性質の解明や兵器化に取り組んだのは稀有の大天才である物理学者であった。その人物は「三体」の前半に登場し、奇想天外な方法で地球の危機を救った科学者である。
結局、兵器は完成したものの、ある弱点により実戦では成果を上げることができずに終わってしまう。主人公たちはさらに兵器の開発を続け、マクロ原子核の核融合による兵器の開発にまでこぎつけるが、これによって悲しい結末を迎える。というのが大雑把なあらすじである。
高次元の世界や多重宇宙論の世界というのは、今あるこの世界と同じ空間にたくさんの別の次元世界が存在しているらしいけれどもそれぞれはお互いに干渉することなく、当然見ることもできないという。
この物語ではマクロ電子はサッカーボールほどの大きさで、マクロ原子核とマクロ電子で構成されるマクロ原子は直径が600キロメートルから1200キロメートルの大きさになると設定されている。そんな巨大な原子が目の前に存在しているというのである。
この物語の結末はふたつある。それぞれが量子の不思議な性質に基づいたものである。
まず、戦争の結末であるが、結局、中国側が連合国軍を戦うことなく退けるということで終わる。マクロ原子を使った兵器は連合国側もその性質を研究しており、その弱点である強い磁場に対してははねつけられるという性質によって排除される。しかし、兵器の完成にはこぎつけられなかったものの、マクロ原子核の核融合の威力が停戦をもたらすのだ。
どんなものかというと、この核融合も影響を及ぼす対象を選択することができる。主人公たちが実験した対象は集積回路に対して威力を発揮するものであった。一度の核融合爆発で半径1000キロメートルの範囲のICチップを灰にしてしまった。この核融合は範囲に関係なくある一定量の半導体を灰にするまで広がってゆく。同じ場所で核融合爆発を起こすと、周辺には灰にする半導体がなくなってしまっているのでその範囲はどんどん広がり国外へも影響を広げてゆく。それを知った連合国側は、中国は自国の破滅と引き換えに他国も巻き添えにすることができてしまうと知り、撤退することになったというのである。
そして主人公たちの結末はというと、“新概念兵器”の開発に情熱を燃やしていた女性はマクロ原子核の核融合の実験を強行したことで死亡してしまう。
この核融合爆発のあまりの威力の大きさに危機感を抱いた上層部は実験の中止を命令する。しかし、女性はベトナムと中国の紛争時にベトナム軍がソ連から供与された生物兵器(これも新概念兵器のひとつであった。)によって母親がむごい殺され方をしたトラウマから兵器に対する異常ともいえる執着、その執着が新概念兵器の開発に駆らせることになったのであるが、それによって命令を無視して核融合を起こさせてしまう。
マクロ電子やマクロ原子核の爆発に触れた人や物質は不思議なことに「重ね合わせ」という状態になってしまう。「シュレーディンガーの猫」のように死んだ状態と生きた状態が確率の世界で混在しているというのである。
量子の不思議な性質のひとつは、観測者がいないかぎり、その状態が決定されないということだが、この女性もそんな状態の世界で生きているともいえる。物語の中では、量子状態となった女性が現実世界に現れ、父親との和解を果たす。また、亡くなった主人公の両親や主人公と同じくマクロ電子を夫婦で追い続けた大学教授も同じように量子状態で生きている可能性を示唆する描写があり、実際に現実世界に現れている証拠も表現されている。
大きさが違えど、光子もマクロ電子も同じ量子なのだからマクロ電子は光子を屈折させることができるはずはなく、人間がマクロ電子を見ることはできないだろうし、マクロ電子のエネルギーを浴びた人だけが量子状態になれるというのもなんだか都合がよすぎるのでなんだか矛盾たっぷりであるとは思いながらも、いやいやこんな世界もきっとあるのかもしれないと思えてくるのはよくできたストーリーであるということだろう。
なるほどという結末はまだあり、このマクロ電子兵器は量子の性質を応用した兵器なので観測者がいない状態で発射すると命中精度が著しく落ちる。それは、誰も見ていないと兵器自体が確率の雲の中にいて、すなわち、どこにいるのかわからないので命中もしにくいというのだが、実際はけっこう命中率が高いとなっている。それはきっと誰かが密かに観測しているということになるのだが、その観測者というのが地球外生命体であるというのである。
自分自身を破滅させることと引き換えに敵を封じ込めるストーリーや地球外生命体が人類を観察しているという設定はこのあとに続く「三体」のメインストーリーにつながっているのである。
また、最終兵器であるはずの兵器がその威力を発揮しないという設定は、強大な力を持ちつつある中国に対して、どんなに無敵の力を持ったとしても勝者にはなれないのだと警告を発しているようにも見える。
まあ、こういう小説というのはそういった暗喩的なものを考えずに、その巧妙なストーリー仕立てを楽しむのが本当の読み方なのであると思う。
そういう意味でも面白い本であった。
「三体」シリーズには“球電兵器”というものが出てくる。これについては何の説明も加えられておらず、どうも決戦兵器と言えるような位置づけだったのだがまったく戦果もあげることなく地球艦隊は消滅するのだが、その説明がまったくないので僕はどこかページを読み飛ばしてしまったかと思い、一所懸命にページをめくり直したことを覚えている。
この本はその“球電兵器”の誕生物語という位置付けの物語である。中国での出版順序はこの本が先なので、これを読んでいたらその意味がわかった上で読めたというところである。
この物語の発想元は量子の不思議な振る舞いである「状態の重ね合わせ」という確率論や最新の宇宙論である「多重宇宙論」、「高次元世界」などを使い、もし、量子が人間も見ることができるサイズだったとしたらとどんな世界を想像できるだろうかというものである。
この物語はそんな「マクロ量子」の発見ということで大きな展開を迎える。
主人公は、14歳の誕生日の夜、その日は稲妻が荒れ狂う嵐の夜であったのだが、両親はその時、部屋の中に突然現れた光の球に襲われ一瞬のうちに灰と化してしまった。
それ以来、主人公はその光る球は一体何であったのかという実態解明にとりつかれて生きることになる。
この光の球=球電は実際に2014年、中国で撮影に成功しているそうだ。そんな事実も著者の発想元になっているようだ。その球電の性質というものについてネットで調べてみるとこう書かれている。
『球電(ボール・ライトニング)は雷の一種で、雷雨の日に発生する球形の雷だ。科学界は球電という現象の信ぴょう性を疑っていたが、数十年前になり実際に存在するとされた。
数百人が球電を見たことがあるというが、球電は数百年間に渡り解けない謎であった。球電はドアや窓の隙間を通過し部屋に入り、時には爆発して建築物を破壊し、人や家畜を傷つけることもある。球電は移動の際に、どのような障害物に遭遇しても通過できるが、周囲の可燃物を燃やすことはない。一つの球電が爆発した際に放出されるエネルギーは、10キロ分のダイナマイトに相当し、焦げ跡や硫黄臭・オゾン臭を残すことが多い。』
その不思議な自然現象と不思議な量子の振る舞いを合体させたというわけだ。
物語の舞台は、おそらくは自由主義社会の連合国と思われる体制側との戦争に突入する直前である。そんな中、14歳の誕生日に両親の命を奪った光の球の正体を解明するため大気物理学の研究者となった主人公は中国軍で“新概念兵器”の開発に従事する女性と出会う。階級が少佐である女性は自然現象を使った兵器の開発をしていたが、球電の研究をしていた主人公を巻き込み新たな兵器を開発しようとする。
物語の中では、球電の正体というのはマクロ量子のひとつ、マクロ電子というものなのであるが、このマクロ電子に巨大なエネルギーを加えると励起状態となり、核兵器以上の破壊力をもたらすことができるということになっている。それも、有機物や電子回路など、選択的に攻撃できる性能を持つことができるのである。主人公の両親を襲った球電も励起状態になったマクロ電子であったのである。
主人公とその女性はこのマクロ電子を使って新たな兵器を開発しようとする。その過程で球電の実態解明に悩む主人公に手を貸し、その性質の解明や兵器化に取り組んだのは稀有の大天才である物理学者であった。その人物は「三体」の前半に登場し、奇想天外な方法で地球の危機を救った科学者である。
結局、兵器は完成したものの、ある弱点により実戦では成果を上げることができずに終わってしまう。主人公たちはさらに兵器の開発を続け、マクロ原子核の核融合による兵器の開発にまでこぎつけるが、これによって悲しい結末を迎える。というのが大雑把なあらすじである。
高次元の世界や多重宇宙論の世界というのは、今あるこの世界と同じ空間にたくさんの別の次元世界が存在しているらしいけれどもそれぞれはお互いに干渉することなく、当然見ることもできないという。
この物語ではマクロ電子はサッカーボールほどの大きさで、マクロ原子核とマクロ電子で構成されるマクロ原子は直径が600キロメートルから1200キロメートルの大きさになると設定されている。そんな巨大な原子が目の前に存在しているというのである。
この物語の結末はふたつある。それぞれが量子の不思議な性質に基づいたものである。
まず、戦争の結末であるが、結局、中国側が連合国軍を戦うことなく退けるということで終わる。マクロ原子を使った兵器は連合国側もその性質を研究しており、その弱点である強い磁場に対してははねつけられるという性質によって排除される。しかし、兵器の完成にはこぎつけられなかったものの、マクロ原子核の核融合の威力が停戦をもたらすのだ。
どんなものかというと、この核融合も影響を及ぼす対象を選択することができる。主人公たちが実験した対象は集積回路に対して威力を発揮するものであった。一度の核融合爆発で半径1000キロメートルの範囲のICチップを灰にしてしまった。この核融合は範囲に関係なくある一定量の半導体を灰にするまで広がってゆく。同じ場所で核融合爆発を起こすと、周辺には灰にする半導体がなくなってしまっているのでその範囲はどんどん広がり国外へも影響を広げてゆく。それを知った連合国側は、中国は自国の破滅と引き換えに他国も巻き添えにすることができてしまうと知り、撤退することになったというのである。
そして主人公たちの結末はというと、“新概念兵器”の開発に情熱を燃やしていた女性はマクロ原子核の核融合の実験を強行したことで死亡してしまう。
この核融合爆発のあまりの威力の大きさに危機感を抱いた上層部は実験の中止を命令する。しかし、女性はベトナムと中国の紛争時にベトナム軍がソ連から供与された生物兵器(これも新概念兵器のひとつであった。)によって母親がむごい殺され方をしたトラウマから兵器に対する異常ともいえる執着、その執着が新概念兵器の開発に駆らせることになったのであるが、それによって命令を無視して核融合を起こさせてしまう。
マクロ電子やマクロ原子核の爆発に触れた人や物質は不思議なことに「重ね合わせ」という状態になってしまう。「シュレーディンガーの猫」のように死んだ状態と生きた状態が確率の世界で混在しているというのである。
量子の不思議な性質のひとつは、観測者がいないかぎり、その状態が決定されないということだが、この女性もそんな状態の世界で生きているともいえる。物語の中では、量子状態となった女性が現実世界に現れ、父親との和解を果たす。また、亡くなった主人公の両親や主人公と同じくマクロ電子を夫婦で追い続けた大学教授も同じように量子状態で生きている可能性を示唆する描写があり、実際に現実世界に現れている証拠も表現されている。
大きさが違えど、光子もマクロ電子も同じ量子なのだからマクロ電子は光子を屈折させることができるはずはなく、人間がマクロ電子を見ることはできないだろうし、マクロ電子のエネルギーを浴びた人だけが量子状態になれるというのもなんだか都合がよすぎるのでなんだか矛盾たっぷりであるとは思いながらも、いやいやこんな世界もきっとあるのかもしれないと思えてくるのはよくできたストーリーであるということだろう。
なるほどという結末はまだあり、このマクロ電子兵器は量子の性質を応用した兵器なので観測者がいない状態で発射すると命中精度が著しく落ちる。それは、誰も見ていないと兵器自体が確率の雲の中にいて、すなわち、どこにいるのかわからないので命中もしにくいというのだが、実際はけっこう命中率が高いとなっている。それはきっと誰かが密かに観測しているということになるのだが、その観測者というのが地球外生命体であるというのである。
自分自身を破滅させることと引き換えに敵を封じ込めるストーリーや地球外生命体が人類を観察しているという設定はこのあとに続く「三体」のメインストーリーにつながっているのである。
また、最終兵器であるはずの兵器がその威力を発揮しないという設定は、強大な力を持ちつつある中国に対して、どんなに無敵の力を持ったとしても勝者にはなれないのだと警告を発しているようにも見える。
まあ、こういう小説というのはそういった暗喩的なものを考えずに、その巧妙なストーリー仕立てを楽しむのが本当の読み方なのであると思う。
そういう意味でも面白い本であった。