場所:水軒沖
条件:中潮 5:21満潮
釣:ボウズ
昨日の休日、雨が上がるのを待ってタラノメの具合を調査しに出かけてみた。昨日行ったのは第2ポイントと去年見つけたタラノメロードだ。
一番心配だったのはそれぞれのポイントで木がなくなってしまってはいないかということだったが、なんとか残っていてくれた。
タラノメの木なんて普通は雑木でしかないものだから、ちょっとした環境整備で切り倒されてしまう。図書館に向かうルートにあるタラノメの木は残念ながら切り倒されてしまったのだ。だから残っていてくれるだけでもありがたい。
しかし、タラノメロードは去年見たままだったけれども、第2ポイントはどんどん規模が小さくなってきている。3年ほど前に周りの雑木が一気に切り倒されてから端のほうの木から枯れていっている。この分だとおそらく10年ほどですべて枯れてしまうのではないだろうか。まあ、10年持ってくれたら僕も絶えてしまっているだろうから御の字だ。
一応、毎年この日がタラノメの基準日だと思っていて、今年は去年に比べるとかなり温かったのでかなり期待はしていたが芽を出している枝はわずかだった。
ここ何日かの気温が低かったことでタラノメも足踏みしたのだろうか。
2ヶ所でやっと夕食のおかず分くらいしか採れなかった。本格的に採れるのは次の休み以降のようだ。
そして今日、船のローテーションどおり小船で出てみた。紀ノ川でスズキが釣れないかというのと、渡船屋の釣果ではヤナギが釣れているのであわよくばという思いがあったけれども、そんなに甘くはない。
それに加えて、ちょっとやってみてアタリがなければすぐに飽きてしまう性格はこういう釣りには向いていない。
今日も渡船屋の釣果ではハマチやヤナギが釣れていたようなのでもう少し頑張ればひょっとして何らかの答えがあったのかもしれない。
まあ、今日は元から早く切り上げて佃煮用のワカメを採って帰ろうと思っていたのでこんなものだろう。
今年のワカメ採りはこれで終了。また来年を楽しみに待ちたいと思う。
干したワカメのいくらかを会社の人たちに配ったのだが、その時に言われたのが、「ワカメって年中採れるんじゃないんですか?」という言葉であった。
僕も人のことは言えないし、夏さんは確かに、アキちゃんとちょっとした喧嘩をするたびにワカメらしき海藻を季節関係なしに干していたのでそんなに思うのも無理はないのかもしれないが、都会の人の季節感覚というのはこんなものなんだと思うと、なんだか悲しくなるのである・・。
条件:中潮 5:21満潮
釣:ボウズ
昨日の休日、雨が上がるのを待ってタラノメの具合を調査しに出かけてみた。昨日行ったのは第2ポイントと去年見つけたタラノメロードだ。
一番心配だったのはそれぞれのポイントで木がなくなってしまってはいないかということだったが、なんとか残っていてくれた。
タラノメの木なんて普通は雑木でしかないものだから、ちょっとした環境整備で切り倒されてしまう。図書館に向かうルートにあるタラノメの木は残念ながら切り倒されてしまったのだ。だから残っていてくれるだけでもありがたい。
しかし、タラノメロードは去年見たままだったけれども、第2ポイントはどんどん規模が小さくなってきている。3年ほど前に周りの雑木が一気に切り倒されてから端のほうの木から枯れていっている。この分だとおそらく10年ほどですべて枯れてしまうのではないだろうか。まあ、10年持ってくれたら僕も絶えてしまっているだろうから御の字だ。
一応、毎年この日がタラノメの基準日だと思っていて、今年は去年に比べるとかなり温かったのでかなり期待はしていたが芽を出している枝はわずかだった。
ここ何日かの気温が低かったことでタラノメも足踏みしたのだろうか。
2ヶ所でやっと夕食のおかず分くらいしか採れなかった。本格的に採れるのは次の休み以降のようだ。
そして今日、船のローテーションどおり小船で出てみた。紀ノ川でスズキが釣れないかというのと、渡船屋の釣果ではヤナギが釣れているのであわよくばという思いがあったけれども、そんなに甘くはない。
それに加えて、ちょっとやってみてアタリがなければすぐに飽きてしまう性格はこういう釣りには向いていない。
今日も渡船屋の釣果ではハマチやヤナギが釣れていたようなのでもう少し頑張ればひょっとして何らかの答えがあったのかもしれない。
まあ、今日は元から早く切り上げて佃煮用のワカメを採って帰ろうと思っていたのでこんなものだろう。
今年のワカメ採りはこれで終了。また来年を楽しみに待ちたいと思う。
干したワカメのいくらかを会社の人たちに配ったのだが、その時に言われたのが、「ワカメって年中採れるんじゃないんですか?」という言葉であった。
僕も人のことは言えないし、夏さんは確かに、アキちゃんとちょっとした喧嘩をするたびにワカメらしき海藻を季節関係なしに干していたのでそんなに思うのも無理はないのかもしれないが、都会の人の季節感覚というのはこんなものなんだと思うと、なんだか悲しくなるのである・・。