ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

秋のよもやま話

2023年11月20日 | 日本とわたし
秋もたけなわ、気温はぐんぐん下がり、空気はどんどん乾燥し、部屋の中では暖房と加湿のための機器が働き続けている。
通りを歩くとカサカサと、いかにも渇ききっているにふさわしい音が、どこからともなく聞こえてくる。
地面に積もって踏まれる落ち葉はともかく、枯葉は空から舞い降りてくるときにも音を立てるのだ。 

昭和のど真ん中に生まれたわたしの小学校時代は、秋は読書の秋だの食欲の秋だのと言われていたが、今時の秋はなんの秋なのだろう。
小さい頃から暇さえあれば本ばかり読んで、ろくに愛想もしないし手伝いもしない。
3歳下の弟の方がよほど気が利いて役に立つと、親戚から小言を言われ続けていたわたしだが、いまだに本を読むのは大好きだ。
ただし、紙の本は字が小さすぎて読みづらくなったので、今はもっぱら電子本ばかり読んでいる。
あのぺーじをめくる時の微かな空気の揺れや、指先をくすぐる紙の端っこの感触が懐かしくてたまらないけれど、背に腹はかえられない。
音符の本を読むのも好きだけど、こちらは拡大することはほぼ不可能で、だから最近は初見読みの能力低下にイライラさせられる。
今も新しい曲を練習しているのだけど、音符はともかく指番号が小さすぎて読めないので、その上にでっかい字で番号を書き込むのが日常になった。
こんなことをしなければならなくなるなんて、若かった頃は考えもしなかったなあ…。

今年の2月末に行われたオーケストラのコンサートで指揮をして、それまでの練習過程で無理を重ね続けた結果、1ヶ月もの間絶不調の毎日を送り、その後も以前の健康を取り戻せないまま毎日のレッスンに追われていた。
生徒の数がなぜだかどんどん増えて40人を超えてしまい、ありがたいことではあるけれど、毎日5時間以上もぶっ通しでレッスンをしていると、週末に少しぐらい休んだだけでは回復しない。
週末に何が用事があったり遠出したりすると、疲れ切ったまま月曜に突入する。
こんなことでいいのだろうかと思いながら時間はどんどん過ぎて、またコンサートの開催日が近づいてきた。
色々と悩み、考え、迷い続けたが、思い切って根幹になる物事以外を自分から外すことにした。
長年に渡り担ってきたACMAの役員を辞退し、オーケストラのアシスタントコンダクターも辞退した。
それまで自分にとってものすごく意義があり、少々のことでは手放せないと思っていた(というより執着していたと言う方が正しいのかもしれない)物事が、いざ自分の健康と天秤にかけてみると、潔すぎるくらいに切り離せてしまった。
もうやりたい気持ちだけではできないのだなあと、しみじみ思う。
これからは生徒の数も、積極的に減らしていくつもり。
ピアノは、練習をしない、あるいは物理的な理由でできない人には向かない習い事なので、そういう状況にいる生徒と親御さんにきちんと話をして、継続か否かを決めてもらうことにした。
引越しで来られなくなった人が2人、練習をしたくてもできない人が2人、まだピアノを習う環境ではない人が1人、練習が嫌な人が1人、合計6人の生徒が辞めた。
と思ったら、練習はちゃんとしますからと、2人の生徒が新しく入ってきたので、状況的にはあまり進展は見られないけれど、これからは誰も彼もというふうには考えないでいこうと思っている。

わたしの周りでそんな小さな変化風が吹いている間に、仲間たちの演奏会がすみやかに行われた。
昨日の土曜日は、そのコンサートを聴きにカーネギーホールまで出かけて行った。


一部がオーケストラで、モーツァルトのクラリネットコンチェルトと指揮者のクリストファー氏自身の作品が演奏された。


二部はACMAのメンバーのソロとアンサンブル演奏だったのだけど、メンバーのほとんどが知らない人たちで、しかもアマチュアとは思えない演奏揃いで驚いた。
もちろんオーディションで出会っているはずなのだけど、ここにも転換期が来ているのだなあと強く感じた。
中には2017年のショパン国際ピアノコンクールと、同年のラン・ラン深圳福田国際ピアノフェスティバルのコンクールで第1位を、さらに2018年の若いピアニストのためのラフマニノフ国際コンクールで第2位を受賞した、という人もいた。
そんな強者がゾロゾロの会員数3500人という大所帯になったACMAは、これからどんなふうに変化していくのだろう。



おまけ写真
マンハッタンの風物詩、マンホールの煙


コンサートは3時間近くにも及んだが、ちっとも長く感じなかった。
おめでとう演奏者のみなさん!
素敵な演奏をありがとう!
わたしも次のオーディション目指して頑張ります!
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#CEASEFIRENOW! MAIL STORM ACTION イスラエルへ停戦を求めるよう、直接首相官邸にメールを送ろう!メールデモのお知らせです!

2023年11月09日 | 日本とわたし
これはニューヨーク在住の友人Wさんが立ち上げたメールデモのお誘いです。
首相官邸のホームページに、日本時間の金曜日午前11時から午後1時までの2時間に、皆さんがいらっしゃる場所から一斉にメールを送るメールデモです。

彼女からのメッセージを紹介します。
『一向に止むことないイスラエルによるガザへの空爆。
日々、無辜の赤ちゃんから老人まで殺されています。
これを止めるには「ceasefire停戦」しかありません。
しかし、我が国日本を含む数か国は「停戦」とは言いません。
「pause一時休止」を言うばかりです。
イスラエルに至っては、それさえ必要ないと言っています。
日本政府が「停戦」と言わない限り、日本も虐殺に加担していると同じ事、他国の事ではありません。
大それたことは出来ないけれど、家からでも出来るプロテストがあります。
首相官邸に意見のメールを送ることです。
首相官邸HPから誰でも送れます。
それを同時刻に皆で一斉に送って、「国民感情を知らせよう」という趣旨のイベントです。
どうかウェブリンクからご意見ページを開いてご記入、送信をお願いします。
皆様のご参加をお待ちしています』

*英語人の方々へ
リンク(https://www.kantei.go.jp/jp/news/index.html)を開き、画面の左上の🌐のマークをクリックすると英語訳を選択できます。
その後、右上の『Contact us』をクリックすると、メールを書いて送ることができます。

1日も早く、こんな愚かで惨たらしい虐殺が停止するよう、大勢の皆さんの参加を願っています。


というわけで、こちらの友人たちや親族にも送りました。
Dear my friends and sister-in-law,

I am aware that you are fiercely busy people. I am also in a situation where that is not the case, but I emailed you because I want to introduce something to you.

This is an invitation to an email demonstration started by a friend who lives in New York City. This email demonstration will be sent simultaneously to the Prime Minister's Office website from where you are located during the two-hour period from 9:00 p.m. to 11:00 p.m. tomorrow on Thursday evening, U.S. East Coast time.

Here is her message.
The Israeli bombing of Gaza has never stopped. Every day, innocent babies and old people are being killed. The only way to stop this is a "ceasefire." However, several countries, including Japan, do not say "ceasefire. They only say "pause." Israel says even that is not necessary.
Unless the Japanese government says "ceasefire," Japan is just as much a part of the genocide as any other country.
We can't do anything significant, but there are protests we can do from home. You can send an e-mail to the Prime Minister's Office. Anyone can send an email from the Prime Minister's official website.
This event aims to "let the public know how the people feel" by sending them all together at the same time. Please open the opinion page from the web link, fill in the form, and send it to us.
We look forward to your participation.


You can send your opinion directly to Japan's Prime Minister's Office.
Open the link(https://www.kantei.go.jp/jp/news/index.html), and click on the globe symbol 🌐 in the upper left corner of the screen to select an English translation.
After that, click on "Contact Us" in the upper right corner to write and send an email.

I hope you will join me in calling a halt to such a foolish and disastrous slaughter as soon as possible!
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大腸検査準備&本番日記

2023年10月15日 | 日本とわたし
検査前日の金曜日をどう無事に過ごすか、そのことばかりを考えていた。
英文で書かれた準備予定表を日本語に変換し、それこそ何回も何回も読んでいたのに、なぜわたしは金曜日のレッスンをキャンセルせずにやれると考えていたのか。
土壇場になって検査時間が1時間半繰り上がったとはいえ、2種類の下剤を飲み、そのうちの一つは1リットルの水に溶かしたものを15分おきに4回に分けて飲むというものだったのに、一体どうやってレッスンをやりながらできると思っていたのか。
確かに、今は来月の11日に行われる生徒の発表会の準備に追われている。
特に金曜日の生徒たちの中に、ぎりぎり間に合うかどうかの状態の人が数人いる。
それでも2時から7時までの間に、休み無しで9人の生徒を教えながら、下剤で腸を空っぽにするなんてことが並行して行えると思っていたなんて、本当にどうかしていたのだ。

後悔先に立たず。
レッスンは2時開始。
とりあえずいきなりお腹の調子が悪くならないだろうと、変更に伴い時間が繰り上がった下剤の錠剤を、1時半に恐々飲む。
午後2時、レッスンが始まる。
予定では4時半から15分ごとに、4回に分けて飲まなければならなかった1リットルの下剤水は、よくよく考えてみたら(もっと前によくよく考えろよという話)、寝しなに飲んでいたものより2倍の濃さになっている。
これはきっと、飲んだらすぐにトイレに走りたくなる部類のものだと思い出し、これをレッスン中に飲むことは絶対に不可能だと悟り、仕方なく時間をずらした。
最後の2人になった6時に、まず1杯目の下剤水を飲む。
本当は15分おきに飲まなければならないと書かれてあったが、従うわけにはいかない。
朝にスクランブルエッグを食べたきり、全く何も口に入れていなかったので、最後の生徒を見送るまではなんとか持ち堪えた。
それから3回、下剤水を15分おきに飲んだ。
さすが、2倍の濃さになった下剤水はわたしの腸にガンガン攻撃をかけてきた。
ウォシュレットは2階のトイレだけで、いちいち階段を上っていては間に合わなくなってきたので、2階の寝室に下剤水と小説を持ち込んだ。
4時間後に飲むことになっていた錠剤の下剤を、わずか1時間後に飲む。
そして、夜明け前の午前4時から始まる仕上げの下剤水1リットル攻撃に備えて、寝られたら寝ろ、というわけなのだが、わたしの腸は悲鳴を上げ続けていて、続けて眠ることなどできない。
それはそれは苦しい夜になったのだけど、海がゴロゴロと喉を鳴らしながら、わたしと一緒に寝室とトイレを行き来して、時にはスリスリ、時にはフミフミ、時にはペロペロしてずっと付き合ってくれたのは嬉しかった。


午前4時、最後の仕上げに入る。
これで6時までに排泄物が透明な水だけにならなければ、また下剤を追加しなければならない。
出しては点検、まだ出しては点検して、頼むから澄んでくれと祈る。
結局完全に澄んだのは午前8時、心身ともに疲弊した。

病院には夫が送ってくれて、十ヶ所近くサインをしなければならない書類を読んでくれた。
患者の治療に向かう夫を見送り、わたしは検査のためのガウン(後ろがぱっくり開くタイプ)に着替え、準備室のベッドに寝転んで、血圧や血中酸素を測りながら麻酔用の点滴をつけてもらった。
最近はまずまず成功していた点滴の針が、なぜか血管にヒットしないらしく、刺しては抜き、また刺しては抜き、そしてまた刺しては抜き、いや、ちょっと、誰かに代わって欲しいと言おうとしたら、目に余ったのか向かえ側で作業していた看護師が代わりにやってくれてやっと成功した。
麻酔医の女性が最終確認の質問をしにやってきて、ベッドごと手術室に運ばれる。
今回は胃と腸の検査を同時に行うので、眠る前にマウスオープナーを装着し、麻酔医が「じゃあ少し眠りましょうね」と言うのを聞いてすぐに頭全体がぼうっとして何もわからなくなった。

気がついたら先ほどの準備室に戻っていて、真っ白な口髭をたくわえたおじさん看護師が、ヌウっと顔を近づけてきた。
「お、目が覚めたね。どうだい気分は?」
「いい感じです」
「そりゃよかった、じゃあドクターを呼んでこよう」

胃はなかなかきれいだったし、腸も小さなポリープがあっただけで多分心配はないと思う。
とりあえず念のために両方ともに生検に出しておくので、また結果は後で知らせます。
じゃあまた5年後に。

うううっ…5年後は71歳。
その頃のわたしはどんなふうに仕事を続けているかはわからないが、今度こそ発表会前にはやらないし、検査前日は仕事をキャンセルするぞと、固く心に誓った次第。
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またまた歯のお話と、ちょこっとホタル

2023年08月20日 | 日本とわたし
多分、日本で暮らし続けていたら、ここまで深く後悔しなかったかもしれない。
日本なら国民健康保険があるし、国民健康保険ならほとんどの治療の支払いを補ってくれる。
ここみたいに歯と目は含まれてません、などと無情なことも言わない。
しかも全国津々浦々、どこの病院でも医者でもオッケーで、救急車に15万円の請求が送られてきたりもしない。
アメリカは歯科治療技術の最先進国と言われているらしいけれど、治療のために年に50万から80万円もの大金を払わねばならないことが、どう考えても納得できない。
そもそも、一体なぜ、耳と鼻は保険適応で、歯と目は適応外なのか。
こんな馬鹿げたことを、いつ、どこの誰が決めたのか?

50歳を過ぎたあたりから、わたしの歯は悪化し始めた。
エナメル質の部分は屈強なのに、象牙質の部分は脆弱。
だからなのか外見だけだと全く問題がなさそうに見えるので、よほどこちらから訴えないと医者が相手にしてくれない。
しかもレントゲンにも引っかからないステルス虫歯がわたしの歯にはあるらしい。
経済的に厳しい時期は、めまいがするほどの痛みも、正露丸を潰したのを詰めて誤魔化しながら耐えた。
耐える期間が1ヶ月近く続くこともあった。
息子たちが自立してからぼちぼちと治療を受け始めたのだけど、誤魔化していた間にしっかりと悪化してしまっていた虫歯の治療は、どれもこれもが大掛かりなものになった。

後悔先に立たず。
そもそもどうしてこんな不健康な歯になったのか。
高校時代に、コーラの1リットルボトル全部とマクビティの胚芽ビスケットの一袋全部を、毎日のように食べていたからか?
長男くんがお腹の中で育っていた時、産む直前まで、常時のど飴を口の中に入れていた(そうしないと吐きそうになるからだった)からか。
物語を熱心に書いていた時、Trader Joe'sの特大板チョコ(500g)を、制限なく食べていたからか。
手指の関節炎に悩まされてからは、チョコレート(白砂糖)とカフェインとアルコールを断ち、食の事情はすっかり変わったけれど、ここ10年はオーガニック専門の韓国食品店のゆず茶にハマり、季節に関係なくしょっちゅう飲んでいたからか。
それでも毎日の歯磨きは欠かしたことがないし、フロスもウォーターフロスを含めしっかりやってきたのに…。
わたしの母は88歳で虫歯はゼロ、32本とも全部自分の歯である。
それとは逆に父の歯はしっかりしていなかったような覚えがあるが、はっきりしたことはわからない。
もうすぐわたしは父が亡くなった年と同い年になる。

とにかくわたしは今後もずっと、モグラ叩きのように、ひょこひょこと顔を覗かせてくる虫歯を、大金を払ってやっつけていかなくてはならないのだろう。

というわけで、先週の木曜日はインプラントの中間治療に出かけて行った。
3月のはじめに古いインプラントの歯と支柱を撤去し、膿んでいた部分を徹底的に掃除し、骨移植をした。
その手術の翌日に、アホなわたしは友人たちとダイナーに行って、熱々のスパイシーなスープを飲み、熱々のフライドポテトを食べてしまったので、術後で弱っていた上顎を火傷して、治癒を大幅に遅らせてしまった。
目の前で美味しそうな料理を食べる友人たちに嫉妬して、柔らかな食べものならオッケーだからと、スープとポテトを頼んだのだけど、スープにはびっくりするほど唐辛子が入っていた。
そんなこんなで、6月だったはずの人工歯根の挿入日が延びに延びて一昨日になったわけだけど、またまた問題が発生した。
治療は朝の10時半から始まった。
やたらと痛い麻酔の注射針が5回、いつもだったら3回目あたりから痛みが軽減していくのに、今回のは5回ともぎゃ〜っと心の中で叫ぶほどの痛みだったが、これさえ我慢したらあとは痛みから解放されるのだからと言い聞かせた。
40分ぐらい口を開けていたが、今回は顔全体が細かく揺れるような削り作業もなく、傷口を縫う時の不快感も前回よりはマシだった。
治療後にいつもの禁止事項の説明を受け、いざ帰らんという時に、「次は2週間後に来院してください」と言われ、「え?それは無理です、今夏の最初で最後の旅行に行くので」と答えると、助手の人がぽかんとした顔になった。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、ドクターに聞いてきますから」と言って、パタパタと治療室から出ていく後ろ姿を見ていると、どんどん嫌な予感が湧き上がってきた。
「本当は9月に入ってから予後の確認をしたいのだけど、仕方がないので26日に来てくださいとのことです」
「すみません、予後のことまで全く考えていなくて」
「あ、それと、今日から2週間以内は飛行機に乗らないでくださいね」
「え?12日後に飛行機に乗る予定なんですが…」
「ドクターに聞いてきます」と、2度目の退室。
「まあ、多分大丈夫でしょうということです」

そんなこんなの、不安な雲がモクモクと立ち込めてくる会話だったが、今更旅行の変更はできないのだから仕方がない。
帰る途中にあるTrader Joe'sやWhole Foods Marketに寄ろうと思っていたのだけど、出血がけっこう多くて、傷口に詰めたガーゼがすぐにボタボタになってしまい、さらに麻酔が切れるにつれて顔全体がガンガンと痛み始めたのでやめた。
家に戻り、レッスンが始まるまでに3時間近くあったので、ゆっくりと休めばなんとかなるだろうと思っていたら、2時過ぎに歯科医から電話がかかってきた。
「今日の6時にもう一度来院して欲しい」と言う。
なんで?
「6時はレッスンが入っているので無理です」と言うと、「じゃあ今からでもいいから来られるか」と言う。
「どうしてですか」と聞くと、「あなたが帰ってから考えていたんだけど、旅行でいろいろと予定が押されてしまうので、もう少し徹底的にしておきたいことがある」と言う。
「どうしても今日でないとダメなんですか?」「はい」
なんのこっちゃと思ったけれど、ついさっき治療をした本人が頼んでいるのだから、それを聞かないわけにはいかないではないか。
でも、レッスンまであと1時間半しかない。
病院までの往復に1時間強かかるので、なにをするつもりなのかはわからないが、30分弱で終わってくれないと困る。
その日は夫の休みの日だったので(休みといっても漢方薬の調合を何人分もしなくてはならないのだけど)、気分転換にもなるからと運転を買って出てくれた。
2度目もまたまた激しく痛い麻酔の注射をブスブスと打たれ、閉じた部分を開き、人工歯根を抜き、素人の想像ではあるけれど、さらに深く何かを削り、また人工歯根を挿入して傷口を縫った。
なんだかなあ…という気分で、しかもようやく治りかけていた痛みが戻ってきて、けれども今回は夫がくれた止血の漢方薬を飲んでいたからか出血はほとんど無く、帰りの車の中ではずっと目を閉じて休んでいた。
結局最初の生徒だけ翌日に移動してもらい、残りのレッスンをなんとかこなし、熱くもなく辛くもない卵粥を食べ、抗生物質のカプセルを飲んでその夜は寝た。

そして今日は2日目。
禁止されていた激しい運動とやらも解禁になり、痺れや痛みもほとんどなくなった。
また当分、好物のおかきもナッツも熱々のスープも豆腐チゲも食べられないけど、とにかく飛行機に無事乗りたいので我慢する。
今回が初めてでもないのに、こういう大掛かりな治療の2週間後は経過観察を徹底しないといけない、という常識がスポンと抜けていたことがなかなかに情けない。
けれども過ぎたことをクヨクヨ考えても何も変わらないし仕方がない。
なのでとにかく自己免疫力を高められるよう、よく寝てよく食べる(柔らかなもの限定だけど)、これを自分に言い聞かせて実行しようと思う。

時々紛れ込んでくるホタルさん。
今回もそおっと外に逃がした。
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小さな蝉の抜け殻を見つけた夏のある日のひとりごと

2023年08月11日 | 日本とわたし
酷暑続きに喘いでいるみなさんには申し訳ないのだけど、こちらはエアコン無しで過ごせる日が続いている。
こちらに移り住んだ頃の夏は、そこそこに気温は上がるのだけど、避暑地かと思うような爽やかな風が吹き、朝晩は冷んやりと心地良い毎日で、エアコンをつけなければと思ったのはほんの数日だけだった。
23年が経った今、こちらの夏もだんだんと日本化(?)してきて、エアコンをつけない日が少ない年もあったけど、今年の夏はなかなかに涼しい。
そんなふうな夏だからか、蝉を見ることは滅多に無い。
何年かに一回の割りで今年は蝉がたくさん出てくるぞ〜と新聞などが騒いでも、鳴き声はか細くて少ない。
だから大抵の年はゼロに近い。
今年は一回だけ、玄関前の掃き掃除をしている時にジィ〜ッという声が聞こえて、あ、蝉?と思って辺りを見回したのだけど、当然見つかるわけもなく、声もすぐに聞こえなくなった。
この子だったのかな。


YMCA通いを再開して今日で丸1週間。


とりあえず水中エクササイズのクラスを一通り体験した。
インストラクターの指示通り体を動かそうとするのだが、なにせ首から下は水の中なので、その動きを的確に把握するのは難しい。
あたふたバタバタしていると、必ず教えに来てくれる人がいる。
そんな感じでどうにか各クラスの初日をこなしていったのだけど、水深3メートルのプールで行うエクササイズだけはどうにもこうにもうまくいかずに落ち込んだ。
エクササイズ以前の問題なのだが、なぜか同じ場所に留まっていられないのである。
一体なぜ自分が流されていくのか訳がわからないまま、まるでクラゲみたいにあちこちに行ってしまうのだ。
大勢が運動しているのだから波立ってはいるが、他のメンバーはみんな同じ場所で運動している。
ヌードル(浮き棒)を股に挟んでいるので水底に沈むことはないのだけど、その浮き加減に慣れていないからか、思うように動けない。
このクラスはまあ、もう少し経験を積んでから再挑戦することにした。

というわけで、15年間、一度も足を踏み入れることが無かったプール界隈に入り浸った。
クラスの内容はもちろん、それに参加するためには何が必要不可欠な物なのかを学習する毎日だった。
まずは水着。
わたしが持っていたのは都合の悪い部分を隠せるタイプのもので、腹や股の部分に余分な布がヒラヒラと付いている。
クラスではどんな水着を着てもいいのだが、水から上がった途端にそのヒラヒラからポタポタと水が落ちてうざいったらない。
プールの水はそこそこに温かいのだけど、プールからロッカールームに至る通路が結構長くて寒いので、そのヒラヒラを絞りながら歩かないと体が冷えてしまう。
そこで、シンプルな布一枚で作られた水着と移動時に羽織るワッフル織のガウン、それから小ぶりのバスタオルを買った(合計60ドルなり)。
シャワーで必要なソープ各種を小分けできる容器も買った。
けれども塩素消毒されたプールの水の匂いが、石鹸で洗ってもなかなか落ちない。
そんな水に毎日1時間以上浸かっていたら、肌や髪は当然荒れてくるだろう。
プールは1日おき(月・水・金)にして、その他の日は3階のジムでシニア用のクラスを受ける、という方法もある。
この1週間、体のあちこちがどんよりと痛いし、家に戻るやいなや水着やタオルを洗って干さなければならないのが面倒だけど、これまでの万年ダルさや不眠や肥満から、ほんの少しだけ抜けだせてきたような気がする。
というわけで、最初っから張り切りすぎると長続きしないのは目に見えているので、気をつけてスケジュールを組もうと思っている。
わたしもなかなか大人になったな(シニアになって言うことか😅)。


今年の夏は生徒の数が半分に減ったので、火曜日も休みにしている。
夫もその日は仕事をできるだけ入れないで、二人で外食を楽しむか、作り置きができる料理をしたりして過ごす。
先日の火曜日は、最近夫が見つけた超〜美味しいミドルイースタン料理のレストランに行った。

まずは前菜サンプラーから。
グルテンフリーな我々は、家にあるクラッカーを持参していただく。


メニューを読んでいると、時価と書かれた料理があった。
夫は一度、メイン州の海沿いのレストランで、時価と書かれたロブスターのサンドイッチを注文して痛い目に遭った。
ロブスターの小さい身が数切れ挟まれているだけのサンドイッチが42ドル、しかも彼はそのうちの一切れを床に落としてしまっている。
普段ならしつこく値段を聞いてから注文するか否かを決める(まあ大抵は即刻あきらめる)のに、その時はなぜか何も聞かず、わたしはヒヤヒヤしながら事の成り行きを見守っていたのだが、さすがに42ドルはないだろうと、血の気がさーっと引いたのを今でも覚えている。
それ以降、時価というのをメニューで見つけるたびにニヤッとしてしまうのだけど、そのレストランの焼き魚の時価は25ドル…いい感じだ。

身がしっとりとして柔らかく、皮はパリッとして香ばしく、それはそれは美味しい焼き魚だった。


ここの肉の美味しさったら…どの肉もモチモチと柔らかくてコクがある。

半分食べたところで満腹になり、ミントティを注文したら、なんともユニークなカップに入れられてきた。



夏の小確幸なひととき。
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「オマール君、君は君のことを忘れない日本人あることを記憶していただきたい」by 武者小路実篤

2023年08月07日 | 日本とわたし
オマール君
君はマレーからはるばる日本の広島に勉強しに来てくれた。
それなのに君を迎えたのは原爆だった。
嗚呼、実に実に残念である。
君は君のことを忘れない日本人あることを記憶していただきたい。
武者小路実篤

今朝、桃子さんがFacebookに掲載した記事を読んで深く胸を打たれた。
毎年この時期になると、どこからともなく辿り着かれた方々が、もう今から10年以上も前に書いた記事「あなたはこの、『焼き場に立つ少年』の写真を見てもまだ、戦争はしょうがないと思いますか?」を読んでくださっている。
今日ここで紹介させていただくのは、今まで全く知らなかった人たちの死である。

桃子さんのコメント:
今日の広島の原爆記念日、マレーシア人で当時広島大学の留学生だったサイード オマールさんの葬られた一乗寺 臨済宗の圓光寺にお墓参りに行った。
オマールさんは18歳の優秀な留学生で広島でこの原爆という悲劇に遭遇した。
投下直後は自分の体の痛みも厭わず、被爆者の救出に奔走したと言う。
京都にたどり着いた時には瀕死状態で京大でもどう治療してよいやら、まだ原爆の実態すらわからない中、彼は若き命を終えたのだという。
当初、京都の公の墓所は南禅寺だそうでそこに葬られたが、その後、山端の平八茶屋の当主や家族、地元の方々の協力で今の圓光寺にイスラーム式の墓を建造し手厚く埋葬されたそうだ。
武者小路実篤のオマールさんに寄せた一文の石碑もあった。

同じく桃子さんが紹介してくれた記事、『被爆南方特別留学生・サイド・オマールさんを訪ねる旅』を読んでさらに当時の詳しい事情を知り、原子力爆弾の非人道さに怒りが込み上げてきた。
絶対に、2度と繰り返されてはいけないことの代表格、原爆。
核兵器撲滅への道はどんなに遠くても、必ず実現させなければならない。人として、大人として。

『被爆南方特別留学生・サイド・オマールさんを訪ねる旅』

引用(順不同):
・オマール青年が南方特別留学生として日本に来たきっかけ
戦争中に日本軍がジャワを占領したとか、フィリピンのマニラを占領した時に、その土地に、それぞれの土地でそこの王族とか、大臣とか大統領とかのそこの偉い人の子どもさんを、日本に連れてきたのです。
そして「日本で勉強させて偉い人にしてやる」、そして大東亜共栄圏を守ろうということで、連れてきたのです。
自分の子弟が日本にいることで、日本にはむかえない。
日本軍の言いなりになるというふうなことが、作戦的に考えられたわけです。
だから留学生としては、非常に、お気の毒だったわけです。

・どのような旅だったか
戦争中オマールさんたちは、日本海軍の駆逐艦に乗って何日もかかって、魚雷をくぐりぬけながら来られた。

・オマール青年の被爆とその後
原爆が投下された時、オマール君は寮の中におりました。
そしてこの辺りの川の中は、死人やけが人でいっぱいで、埋め尽くされているような状態でした。
オマールさんは寮生の被爆後の状況を大学へ連絡しに行き、大学の指示を受けて寮に帰り、寮の消火活動をはじめ、日本人の救助活動をいろいろしたわけです。

特に感心したのは、老人や女性、小さな子どもたちや弱い立場の人には、とてもやさしかったことです。
そんなオマールさんを見て、留学生はみんな親切でした。
被爆後の広大での野宿では、行方不明のわたしたち肉親捜しを一緒にしてくれたり、疲れてかえったら、「千重子どうだった。明日またさがそう」と声掛けしてくれました。
5人の留学生は率先して係を作り、私や母たちの食 べ物もどこかから(配給や炊き出し、学校の畑等)持ってきてくれました。本当に感謝でした。

オマールさんは胸にヤケドをしながら、そのような様子は全く見られなくてドラムかんを探してきて、お風呂をわかして入ったりしている姿が忘れられません。
オマールさんは自分の考えをはっきり持った人で、お別れの時「日本はこの様になったけれど、きっと立ち直るでしょう。(私はそれを信じることはできませんでしたが)わたしもマレーシアに帰って国のために働きます。きっとまた広島にみんなに会いに来ます」と約束されました。

サイド・オマールさんのお墓/京都市左京区 圓光寺 


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猫とYMCAと野菜とけん玉と

2023年08月06日 | 日本とわたし
猫はどうしてヨガマットと洗いたての洗濯物の上に鎮座ましますのであろう。
ただの嫌がらせなのか?
それとも愛なのか?

体重がじわじわと増え始めて早や3年、今年に入ってから最高値を更新し続けている。
それでなくても小太りだったのに、今や本格的な太りっぷりである。
若い頃から、とんでもなく辛い別れがあっても、余命を宣告されても、借金取りのヤクザに追われてても、仕事場でたっぷり嫌がらせを受けても、田舎の婦人会の新人イジメに遭っても、とてつもなく暑い日が続いても、食欲が失せたという経験がない。
難産で死にかけて点滴を7本打たれてベッドに横たわっていた時と、急性の肝炎にかかって立ち上がれなくなった時と、激しい下痢に見舞われた時以外は、どんな状況においても腹が減り、普通の食事を摂ることができるので、今までの長い人生の中で何かが原因で痩せたという経験がない。
まあこんなものかと放っておいたら、裸で鏡の前に立つと、思わず目を逸らしてしまうほどにだらしない姿に成り果てていた。
わたしの足は全身の3分の1の長さしかなく、その上ここまで太ったらブサイク極まりない。
さすがにこれはあかんやろと思い、コロナ禍以降、ずっと休んだままにしていたYMCA通いを再開することにした。


このビルディングの前を通り過ぎるたび、いつかは戻らなきゃなあと思いつつ、なかなか決心がつかなかったのだけど、いざ建物の中に入ってみると、びっくりするほど様変わりしていた。
まず、メインの出入り口だった(写真の)向かって右側のドアが閉鎖されていて、中を覗くと受付カウンターが撤去され、運動器具が設置されていた。
その空間はYMCAのスタッフとメンバーの交流の場だったので、それが無くなっていることはショックだった。
出入り口は地下の小さなドアだけに限られていて、メンバーは小振りのカウンターで受付を済ませ、そこからそれぞれの目的場所に移動する。
2020年の冬、コロナ禍で社会が閉鎖されてしまった時から少なくとも2年間、ここは無人化してしまったのだから、いろんなものを縮小しなければならなかったのだろう。
そしてエクササイズの内容も、それに関わる講師たちも、この3年半の間に生き残るための試行錯誤をしながら、変えられていったのだろう。
わたしが以前、15年近く受けていたクラスは全て姿を消していて、その代わりにシニアの人たちのためのクラスが増えていた。
休んでいる間にシニアになっていたわたしは、月々のメンバー会費が68ドルから44ドルに下がっていて、そのことに興奮して手続きを取ったのだけど、それらは全てインターネット作業で、クラスのスケジュール表もやはり各々が1週間ごとにインターネットで調べて把握するようになっていた。
人の手から手に渡される紙のスケジュール表はもう廃止されたのだそうな。

興奮するとやり過ぎて痛い目に遭うというのが通常パターンなので、今回こそは賢くやろうと思い、まずはシニア用の水中エクササイズのクラスに通うことにした。
15年も通っていたのにプールには全く行かなかったので、何もかもが初体験。
ロッカールームに入り、着替え部屋とシャワー室とサウナを覗きに行き、プールサイドからクラスの様子を見学した。
なんだかすごく楽しそうである。
みんなニコニコしながらインストラクターの指示に従っている。
これぐらいなら楽勝かも。
泳ぐわけではないので、ゴーグルもキャップも要らない。
ということで、水着とタオルとプールサイド用のサンダルをカバンに詰めて、朝8時からのクラスに参加した。
そのクラスは小さい方のプールで行われていて、男性は2人、ほとんどがわたしと同世代の女性だ。
水中運動用のダンベルやチューブを使って、ずっと体を動かし続けるのだけど、ものの15分も経った頃には、わたしの息は完全に上がってしまっていた。
ニコニコどころの話ではない。
水の揺れにつられて体がヨロヨロする。水の抵抗に負けて足が前に進まない。
そんなわたしを置いてきぼりにしてさっさと進んでいくみんなの背中を見ながら、小学校時代の徒競走の自分を思い出していた。
なかなかに情けなく、なかなかに悔しく、なかなかに可笑しい時間であったのだけど、そんなわたしに手を差し伸べてくれる人が少なからず居て、それはそれでなかなかに嬉しい気持ちにもなった。
水から出ると、途端に重力が戻ってきて、うわっ、こんなに重かったのかと自覚させられた。
いきなりいっぱいやってしまうと長続きしないので、ぼちぼちと通うことにする。
でもやっぱりプールに入ると泳ぎたくなったので、耳全体にすっぽり被せることができるキャップを買って、ちょびちょびと泳いでみようかとも思っている。
泳ぎをやめたのは耳の中がよろしくない状態だからで、耳に水が入らないようにさえできたら少しずつ体を慣らしていきたい。

さて、うちの野菜さんたちは、ランタンフライに毎日襲われている気の毒な胡瓜を除いて、順調に育ってくれている。
今年の茗荷は小ぶりなので、酢漬けにしていただくことにした。
千切りにして冷凍した茗荷は一昨年の分がまだ残っていて、昨年のをまだ食べていない。


ランタンフライの襲撃にも負けず、毎日1本から2本の胡瓜を収穫しているのだけど、さすがにポリポリにも飽きてきたので、こちらもピクルスに。

切ると真ん中の部分がほんのりと緑色で美しい。

いつも収穫が遅れて美味しくいただけなかったオクラも、今年はずいぶんと楽しませてもらっている。

枝豆は採るのが随分遅れて色が悪くなったのもあるけれど、毎年の如く甘くてコクがあってとても美味しかった。

おまけ写真
近所の大型ドラッグストアの棚にこんなものが?!

その名もKENDAMA、けん玉そのものである。
夫と二人でこのけん玉くんを、首を傾げてしばらく見ていた。
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ちちとらん

2023年03月10日 | 日本とわたし
ここ最近、夫がうるさかった。
「ちちとらん、これ、絶対読むべきやって」と、しつこく言ってくるのだ。
なんやそれ、ちちとらんって、とウザがりながら考えているわたしの頭の中では、ちちとらんは父と乱という漢字変換がされていて、なんのこっちゃ、意味不明やし、と無視し続けていた。
コンサートのバタバタも終わり、自分がピアノを学ぶ生徒になった緊張感もやや薄れ、口内手術の腫れや痛みも徐々に治ってくると、「絶対ええって、日本語で読むべきやって」、という夫の勧めをこれ以上聞きたくなかったので購入した。
ちちとらんは『父と乱』ではなく『乳と卵』だった。
なんでたまごではなくランなんやろうと思いながら、最初の一行を読み始めた途端にえ?っとなった。
なんやこれ?

それからは一気読み。
そして今、あの独特の語り口調が脳内に棲みついてしまったばかりか、ああいう書き方でわたしも書いてみたいというよこしまな欲求がムラムラと沸いてきて、前に書いた物語を書き換えてみようかとか、いや、そうじゃなくて自分がこれまで気持ちが合う人に出会っては話してきた話をあれ風にまとめてみようかとか、いやもうこれはただの興奮状態だから、落ち着くまで一旦保留にしとくべきだとか、もうすでにプチ『乳と卵』口調になってしまってる。

わたしがこれまで書いてきた物語は、もちろん好きだし大事に思ってるけど、そして読んでくれた友人や知人は話を好いてくれたり自己出版を勧めてくれたりしたけど、なんかホンモノではないっていう気がしていた。
そして今、かれこれ14年も前に出版されていた川上氏の物語を読んで、そのホンモノではない感がどこからきているのかがほんのりとわかったような気がする。

さて、どうしたものか…もう少し落ち着くまで待ってみようか、それともここで始めてしまおうか。
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痛い思いをして大金を払わされることについて

2023年03月07日 | 日本とわたし
先週の金曜日の歯の治療は、これまでで一番きつかった。

以前にも何回も話したことがあることだけど、今から30年以上も前の離婚間近だった頃に、かなり貧乏になることが確定していたので、事前に虫歯治療を済ませておこうと思ったわたしは、巷で好評だった歯科医院に行った。
虫歯はまだ始まったばかりだったけれども前歯のど真ん中だったので、早期治療で簡単に終えられると思っていた。
すると歯科医は、
「これから先、ずっと心配しなくてもいいようにしておいた方がいいですよ」と言って、気がついたら上の前歯4本を、全て差し歯にされてしまった。
気がついたら、なんて信じてもらえないだろうけど本当のことで、治療が始まってからずっと頭の中は真っ白で、目の前にいる歯科医のマスクに自分の血肉が飛び散っていくのをぼんやりと見つめていた。
時間にして4時間以上もかかり、頭が朦朧としていた時に、健康だった歯も含む4本の前歯が全て消えてしまった口を手鏡で見せられて気を失いそうになった。
その費用、当時にして一本7万円、合計28万円にもなってしまい、離婚の話を進めている際に何度も夫から「ギリギリのギリギリまで僕の金を使う魂胆だったのだな」と責められた。
そんなつもりなど毛頭無かったのに。

今回の治療は、その前歯の差し歯の根っこにずっとつきまとっていた膿の除去と、その差し歯の抜歯。


抜いてみたら、案の定、骨にも随分と悪さをしていたので、ガリガリと削り取る作業が延々と続いた。
途中で麻酔が切れてきて痛んだので、追加で麻酔を打ってもらったのだけど、体が辛かったんだろう、泣こうと思っていなかったのに涙が耳の中に入ってきてびっくりした。
ああ、こんなことならケチらずに、笑気麻酔か全身麻酔を頼むんだったと、かなり時間が経ってからだったけど後悔した。
今回の治療は合計3000ドル(日本円で41万円)、現金で支払うと10%引いてくれるので現金払いにした。
わたしの口の中には、大掛かりな治療が必要そうな歯が、まだまだ何本も控えている。
なんてこったと思うしかないのだけど、今回の術後の痛みと腫れは、3日目の今日でもまだけっこう辛いので、なかなか気が晴れない。
でもまあ、夫の鍼と漢方薬で、これでも随分と助けてもらっているのでありがたい。

ただ、ほうれい線がすっかり消えた右頬を見るのは楽しい。
なるほど、こんなに簡単にシワは姿を消すのだ。
なんだ、膨れればいいのか。
この子みたいに。

と、右側だけリス顔のわたしは、ひひひと左頬だけでニヤついている。
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戦争と原発をやめたら電気料金は安くなります

2023年02月19日 | 日本とわたし
『戦争』と『原発』をやめたら電気料金は安くなります。
この方の言うとおりだと思います。

『戦争』と『原発』にいつまでも固執する自民党が廃れたら日本の社会は良くなります。
これはわたしの個人的な意見です。
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