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ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

守田敏夫さん「中村哲さん、そして同行していたみなさんの死を悼み、ビジルを行います!12月7日午後5時半三条大橋にて」

2019年12月07日 | 世界とわたし
今日のニューヨークタイムズに、中村哲さんの死を悼む記事が載っていました。

守田敏夫さんから、中村哲さんと同行しておられた方々の死を悼むキャンドル追悼集会のお知らせです。

守田さんのブログ『明日に向けて』https://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011より
一部引用させていただきます。

● 中村哲さんとみなさんの死を悼んで
みなさま。4日のアフガン時間の午前中にペシャワール会の中村哲医師が何者かによって銃撃され、その後にお亡くなりになられました。
同行していた運転手、護衛の方々5名も同時に命を奪われました。
中村医師とお仲間のみなさんの死を悼み、京都市三条大橋にてビジルを行いたいと思います。

● 平和の心を繰り返し教えてくれた中村哲さん
中村さんとの思い出はたくさんあります。
僕が参加しているピースウォーク京都との出会いは、2001年の「911事件」のあと。
アメリカが、証拠も何もなしにアフガニスタンへの「報復」戦争を始めたことに対し、ペシャワール会と中村哲医師は、緊急援助を呼びかけました。
「2000円あれば一家10人が冬を越せる!」
それで、油と小麦を買って手渡せる、と言うのです。
このため中村さんはチャリティを呼びかけて全国を飛び歩かれました

● 平和を築くために最も困難な水の事業に携われた中村さん
たくさんのエピソードがあるのですが、みなさんにご紹介したいのは、講演会の際に京都の蓮華寺にお連れした時のこと。
ほっこりしていただきたくて、庭に清流の流れる場を選んだのでした。
ところが中村さんは、水の流れをじっと眺めた末に、対応してくださった住職のお連れ合いに、
「これは手掘りですな」と問われました。
「あら、良くお分かりですね。この付近に水を通した後ですの」。
それを聞いて、中村さんはさらに、
「ということは、この辺りには水争いがありましたな」と問われました。
住職のお連れ合いは、この問いに驚きながらも、この付近にあった深刻な水争いのこと、それを治めるために手掘りの水路が作られ、水が流されたことを語って下さいました。
哲さんは、腕組みしながらうんうんとうなずかれ、その後に、
アフガンのクナール川に用水路を作るために、九州の多くの川を歩かれ、古文書も調べたことを教えてくださいました。

「古の川の歴史を紐解くと悲しい話がたくさん出てきます。
例えば、ある堰を開発した人々は、その後に、藩に暗殺されておる。
石高が上がることを、藩が幕府に知られたくなかったからです」

中村さんは、古の川の改修を行った方たちの多くが、実は非業の死を遂げていることに、深く心を寄せられました。
水は命の源です。
だから、人類にとって、最も古くから繰り返されてきたのが、水争いでもあるのです。
どこかが潤うと、どこかの水が減ることになる。
あるいは、どこかが洪水対策を進めると、他のところが洪水にあいやすくなる
上流と下流、右岸と左岸の対立が絶えないのが、川と人々の歴史でもあるのです。
そのために、
中村さんは古文書をくまなく読まれ、どうすれば人々が争わずにすむのか、いやどうすれば争いの目を摘めるのか。
そこまで研究を重ねて、用水路へのチャレンジを続けられたのでした。
******* ******* ******* *******

12月7日午後5時半。
京都市三条大橋にぜひ!
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世界の首脳と呼ばれる人たちよ聞け!「Water, Not Weapons」

2017年05月18日 | 世界とわたし
武器や戦車を使い、人や町や文化を殺すことで、問題は何も解決しない。
 農業の復活、そのための用水路の建設こそが、アフガン復興の礎である。


Water, Not Weapons

戦乱と干ばつが続くアフガニスタン。
この地で、干ばつと闘い続けてきた医師・中村哲(69)。
始めたのは、用水路の建設。
渇いた大地に、再び緑を取り戻すまでの、15年の記録です。

アメリカ同時多発テロから15年。
今も戦乱の続くアフガニスタンで、干ばつと闘う日本人がいる。
医師・中村哲(69)。

「武器や戦車では解決しない。農業復活こそがアフガン復興の礎だ」

中村は白衣を脱ぎ、用水路の建設に乗り出した。
15年たったいま、干ばつの大地には緑がよみがえり、人々の平穏な営みが、再び始まろうとしている。
戦乱の地アフガニスタンに、必要な支援とは何か。
 15年にわたる、中村の不屈の歩みを通して考える。


↓以下の青文字の部分をクリックすると、きれいな画像で観ることができます。

はじめの部分だけをキャプチャしました。
ぜひこの、50分のビデオを、多くの方々に観ていただきたいと思います。


2011年9月11日の朝、私は、アメリカがテロ攻撃を受けたというニュースを、ジャララバードからの緊急電話で聞いた。


テレビのニュースは、いつもはすっかり無視している国の名前、アフガニスタンを連呼し始め、

ブッシュ大統領は、アメリカの国民に向けて、最強の国アメリカは、テロリストを倒すべく、直ちに反撃に出ると宣言した。


そして激しい攻撃が始まり、アフガンの人々の命や町が、激しく破壊されていった。
とてつもなく悲しい出来事だった。

日本人医師の中村氏は、アフガニスタンでずっと、人々の治療に当たってきた。

2001年の歴史的な干ばつで、アフガニスタンの農業は、膨大なダメージを受けた。

それに伴う飢餓によって、大勢の人たちが亡くなっていった。

中村医師:
医者を100人連れてくるより、水路一本造った方がいいんですよね。

中村氏は白衣を捨て、乾いた大地に水を運ぶ、水路建設の実行に乗り出した。


アメリカのヘリコプターが、彼らが働いている区域の空を、何度も飛び交っていた。

重機も機材も無く、砂埃にまみれ、重い砂袋を担いでいかなければならなかった。

何もかも人力での、とてつもなく大変な作業だった。


そして16年が経ち、この乾いた大地は、

緑が豊かに茂る草原に生まれ変わった。

これは、今も続く戦火の中で焼かれるアフガニスタンで、水路建設一筋に励む、医師中村哲の物語である。

水、武器ではなくて
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「彼の気を散らせておくんだ。その間は北朝鮮と戦争しなくて済むんだから」

2017年05月03日 | 世界とわたし
米大統領が異例の欠席 ホワイトハウス記者会夕食会
【NEWS JAPAN】2017年5月1日
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-39768271

米大統領とホワイトハウスの記者団が、お互いを痛烈にからかい合うのが慣例となっている、毎年恒例のホワイトハウス記者団夕食会が、30日に開かれたが、ドナルド・トランプ氏は欠席した。
大統領の欠席は、銃撃されて負傷したロナルド・レーガン大統領が欠席した、1981年以来の異例な事態となった。

前年の夕食会では、バラク・オバマ大統領(当時)が、トランプ氏を徹底的にこき下ろした。
このため民主党は、大統領となったトランプ氏が欠席するのは、まだ前回の傷が治っていないからではないか、と皮肉った。

トランプ氏はこの日、代わりに、ペンシルベニア州で支援者集会を開き、「すごく退屈な」夕食会から遠く離れて、「これほど嬉しいことはない」と述べた。

大統領が欠席した(そしてBBCも欠席した)正装の会場では、何があったのか――。

1. コメディアンの最難関
ホワイトハウス記者会夕食会では、大統領が、まず軽い調子で、自分と記者団をからかってから、次に、コメディアンが大統領をネタにして、からかうのが慣例だ。
しかし、その展開は、今年はあり得なかった。
コメディーニュース番組「デイリー・ショー」の「特派員」、ハサン・ミナジ氏が、
「お集まりの皆さん、ホワイトハウス記者会夕食会の、シリーズ最終回にようこそ!」とあいさつしたように。

トランプ氏とマスコミをネタにしたジョークに、集まった報道関係者は、何度か「うーん……」と頭を抱えていたものの、クスクス笑いが聞こえるジョークもあった。
比較的、受けが良かったミナジ氏のジョークは、たとえば――、

「この国の指導者は、この場にいません。
だってモスクワに住んでるから。
すごい長いフライトだし。
それで、もう片方の奴はというと、ペンシルベニアにいるらしい。
冗談が通じないので」

「どうしてドナルド・トランプが、今日、ロースト(からかわれるの意味)されたくなかったのか、分かりますよ。
見た目からして、70年間ずっと、ノンストップでロースト(焼く、の意味)されてきたみたいだから」

(報道陣に)
「このトランプ時代に、皆さんは、今まで以上に完璧じゃないとダメなんですよね。
大統領は、皆さんを通じてニュースを知るので、(中略)だからミスはできない。
誰か1人のミスを、大統領は、会社全体のせいにするから。
おかげで、マイノリティー(少数者)が、日ごろどういう気持ちでいるか、わかったでしょ」

「あと4時間もすれば、ドナルド・トランプは、ニッキー・ミナジ(女性ラッパー)が、この夕食会ですべりまくったってツイートしますよ」


******* ******* ******* *******

ロイターの記事には書かれていませんが、彼はとても素晴らしいメッセージを話してくれました。

大統領の替わりに登壇した、イスラム教徒のコメディアン、ハッサン・ミナージュ氏。
そのメッセージの一部を、ここに紹介させていただきます。

呼んでいただいて光栄です、と言ってもいいけど、
それは”オルタナティブ(二者択一)な事実”になるね。
嫌だよ!
誰もこんな仕事やりたくないよ!
だからこそ、(僕みたいな)移民がやることになるんだ。
いつだってそうでしょ?
誰だってやりたくないよ!
誰だって!

多くのメディアが、ドナルド・トランプはゴルフに行きまくってるって報じてる。
でも、一つ聞いていい?
それって悪いことかな?
彼がゴルフしていない時、何してるか知ってる?
大統領やってるんだよ!
彼にゴルフでもさせておこうよ。
気を散らせておくんだ。
バドミントンでも教えたらいい。
彼の体格はボブスレーにぴったりだって、言ってやればいい。
マルバツゲームをやらせてもいい。

彼が気が散っている間は、北朝鮮と戦争しなくて済むんだから!

ドナルド・トランプが、酒を飲まないって知ってるでしょ?
それ自体は立派なことだよ。
でもね、ということはつまり…、
どの声明も、どのインタビューも、どのツィートも、
完全にしらふってことだ。
ありえないでしょ!


このトランプ時代、メディアの皆さんは、かつてないほど完璧じゃないといけないよ。
だって、トランプ大統領は、皆さんからニュースを得てるんだから。
補佐官からでもなく、専門家からでもなく、情報機関からでもなく、皆さんから?!
だから皆さんは、最善を尽くさなきゃいけない。
人の倍できなきゃいけない。
一つも間違いを犯しちゃいけない。
皆さんの誰か一人でもしくじったら、大統領は皆さん全員を非難するんだから。
さあ
これで皆さんも、マイノリティの気持ちがわかったでしょ

皆さんも、今やマイノリティだから、今この瞬間はね、僕の置かれた立場もわかってくれるでしょう。
それは、この国の、たくさんのマイノリティの子どもたちが、感じてることでもあるんだ。
こういう場では空気を読んで、ことを荒立てないでおこうか、それとも本心を言おうか…。

だって、この場は、合衆国憲法修正第一条にある、言論の自由を祝福する場でしょ?
言論の自由は、開かれた、自由な、民主主義の基礎なんだ。
大学のキャンパスからホワイトハウスまで。
アメリカだけだよ。
インド移民一世のイスラム教徒のガキが、こんな舞台に立って、大統領をからかうなんてことができるのは。


この会は、素晴らしい伝統だよ。
世界に向けて、大統領でさえ、(言論の自由を保障した)修正第一条を超える存在ではないんだ、って示してるんだ。
でも、大統領は来なかった。
なぜなら、ドナルド・トランプは、言論の自由なんて気にしていないからだ。
頭に浮かんだものすべてをツィートしちゃう男が、その自由を与えてくれる修正第一条を、認めようとしないんだ。
今何時?11時?
4時間もすれば、ドナルド・トランプは、「ニッキー・ミナージュ(*似た名前の女性ラッパー)が、この会でどんだけ悲惨なパフォーマンスをしたかを、ツィートするでしょうよ。
それも、完全にしらふで。
でも、それは彼の権利なんだ。
その権利(言論の自由)を守るために、僕ら全員が、今晩ここに集まったことを、誇らしく思います
たとえ、ホワイトハウスにいる男が、決して守ろうとしなくても。


******* ******* ******* *******

アメリカは大国です。
その大国を牛耳っている、軍産複合体を始めとする権力を持つ者たちが、たくさんの過ちを犯しています。
その最たるものが戦争です。
アメリカが大国になったのは、戦争をし続けてきたからと言っても過言ではないと思います。

そんなふうに上の者に愚か者が多いけれども、この国の社会には、特に市民レベルでは、言論の自由、個人の尊重が、力強く生きているように感じます。
大統領の言動を非難しても、誰一人、「無礼者」などとトンチンカンなことを言いません。
大統領が間違ったことを言ったりしたりしたら、激しく抗議するし、マスコミも無視しません。

日本の今の総理は、漢字もろくに読めないし、自分が口癖のように使っている「そもそも」の意味すら知らなかった…。
こちらでそんなことがバレた日にはもう、夜中の番組までずっと、徹底的にとことんバカにされますし、国の長としての資質を問われます。
まあ、質問を先に知らせてもらってるばかりか、フリガナ付きの、誰かがきちっと書いた回答原稿を読むだけの、小学生にも劣る言論能力しかない閣僚なんて、
そもそも、まともな国会を実施する国には、絶対にいませんしね。

ほんと、日本の政治家、大掃除が必要ですよ。
特に、わたしたち国民に与えられている言論の自由に足枷をつけ、生き辛い社会に変えてってしまおうと企んでいる連中は。
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水を守り、土を守る。それがわたしたちの使命であることを、そろそろ本気で考えませんか?

2017年03月18日 | 世界とわたし
3月11日。
東北大震災が起こった日。
それがこのWater Walk for Lifeの最終日。
地球上にある国は全て、人の心でつながっていく。
命のもとである水を汚され、苦しめられている人たちの所に足を運び、非暴力の祈りを実践しながら歩き続ける純さんの、渾身の祈りに引き寄せられた人たちの、90マイルにも及ぶ行進が、この日終わりました。

インディアンポイント原発に向かいます。






歩いているわたしたちに向かって、手を振ってくれるドライバーさんや、クラクションを鳴らして共感の気持ちを伝えてくれるドライバーさんがいました。


ガソリンスタンドでトイレ休憩。


わんちゃんも参加。




インディアンポイント原発の入り口に近づいて来ました。


警官が10名ほどいます。


お祈りの前に、セージの煙で清めてくれるジャネットさん。


祈りが始まりました。




まずは純さんが、折り鶴を手に、ゲート前で祈ります。




警官たちにお祈りを捧げる純さん。


鴨下上人の祈り。




ゲートに向かう人を見守る祈り隊。




折り鶴が増えてきました。


池田上人も。




ものすごく寒い。


盲目の根ディアさんも、祈りに加わります。


みきちゃんがお世話役。


南無妙法蓮華経。














駆けつけてきてくださったシェリル・エンジェルさんの祈り。




南無妙法蓮華経を唱えることが苦手だったわたしが、気がついたら一緒に唱えていました。
そして、東北に、ノースダコタに、沖縄に、ラマポに、目の前で対峙している警官の人たちに思いを馳せていると、胸がジンジンと熱くなり、涙が湧き出てくるのでした。



祈りを終え、皆で警官の方々にお祈りを捧げ、そのあと円になって、タイラーさんの話、そしてシェリルさんとジャネットさんの歌を聴きながらダンスをしました。
























とにかく寒い!
けれども、これから行くところはもっと寒い!
のんちゃんとわたしは勝手がわからず、右往左往しながらも、とりあえず無事に、Water Ceremonyに間に合いました。



































波を立てるハドソン河に、握りしめたタバコを巻くはずが、あまりの寒さに凍っていて、近くまで行けません。




こんなに近いんだ、インディアンポイント原発…。


ああもう、本当に寒いったらありません!










マジで古いんだと、改めて実感。


やっとのやっとで、2020年に廃炉が決まったインディアンポイント原発。
でも、汚染はこれまでにずっと続いており、その被害は常に有耶無耶にされてきました。
どこの国の原発ムラも、同じような悪行をしてきているのですね。



祈りを軽く考えている人、祈るということがイマイチ理解できない人、祈りなんか何の役にも立たないと思っている人は多分、
自分の中に神さまがいることに、気づいていないのかもしれません。
自分の中の神さまはいつも、自分を生かしてくれる世界に感謝し、手を合わせています。
そうして、大きな力がもたらず暴力や理不尽な扱いを前にして、無力感を感じている自分に、こう伝えようとしています。

相手の言動に対する憎しみや怒りをまず横に置き、その相手のために祈りなさい。
相手のことを知り、相手のために祈り、どうぞよろしくお願いしますという柔らかな心根を生やし、実際に手のひらを合わせて心から祈りなさい。

そこに、少数派であってもいつの日か、大きな力を削ぐことができる時がやってくる。
良い水と良い土を守っていくことが、わたしたち大人の使命なのだからと。
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非暴力の祈り→「敵のためにこそ祈りなさい。そのようなことをする人たちこそ、祈りが必要なのだから」

2017年03月17日 | 世界とわたし
3月4日から11日までの1週間、計90マイル(145キロメートル)を祈りながら歩き、行く先々の町で出会った人たちに、水を守ることの大切さを訴えたPeace Walkerたち。
日本山妙法寺ニューヨーク・グラフトン道場を守る安田純法尼が企画されたこのWater Walk for Lifeは、無事に終わり、関わった人たち全てに、大きな達成感とたくさんの出会いをもたらしてくれました。

純さんのことも、日本山妙法寺のことも、アメリカンインディアンのことも、ほとんど知らずにいたわたしに、情報だけがどどっと押し寄せてきたので、かなり戸惑った1週間でもありました。

人と出会うことによって生まれる、つながりの妙。
そして新たに知ることによって生まれる、怒りや悲しみ。

とても混乱し、考え、悩み、自分を見つめ直したり、思いを馳せたりする毎日でした。

結局、行進に参加できたのは、最終日だけ。
開始日のウォーターセレモニーと最終日のウォーターセレモニーは、強風が吹き荒れる極寒の中で行われ、骨まで冷えるような寒さでしたが、
スタンディングロックで抗議行動をしていた人々に比べたら、という思いがふつふつとわいてきて、祈りがより深くなったような気がしました。

純さんは、平和運動という場に欠かすことのできない人です。
水や大地という、生き物にとって欠かすことのできない、そして汚してはならないものを守ろうと、祈り続けている法尼さんです。
その祈りの深さ、真さは、アメリカインディアンとの連帯を生み、アメリカ国内のみならず、世界中を巡り歩いては、平和の太鼓を打ち鳴らしています。

純さんのことは、少し前から、歩美ちゃんから何度も聞いていて知っていました。
純さんが地べたに座り、太鼓を叩きながら「南無妙法蓮華経」と祈る姿を、映像で何度も見ていました。
そんな純さんから「5人泊めていただけますか」とお願いの電話がかかってきた時、とうとうわたしもお手伝いの真似事ができると、心がワクワクしました。

******* ******* ******* *******

二日目の5日の夜は、9年間暮らした町モントクレアの教会に、宿泊していただくことになりました。
わたしの生徒のクラウディアが会員である教会に打診してもらったところ、オッケーの返事をもらったので、宿泊する部屋と夕食の確保をお願いすることにしました。

この部屋は、わたしの生徒の発表会の、1部と2部の間の休憩時間(スナックタイム)のために、いつも使わせてもらっている部屋です。


予定より1時間も早く到着して、くつろいでいるWalkerさんたち。


円座を組んで話し合う、純さんと沖縄からの参加者さんたち。


焦りまくっているキッチンのみなさんを捕まえて。
右端の女性がクラウディア。今回はすごく頑張ってくれました。感謝!


若手Walkerのジムが、飛び入りで参加。


さあ、夕飯の時間です!


夕食後、大きな円になって、自己紹介をすることになりました。












ホワイトセージの煙で、わたしたちを清めてくれるジャネットさん。




そして、太鼓を叩きながら、祈りの歌を唄ってくれるジャネットさん。


さあ、それでは大切な話を聞きましょう、と太鼓を叩いて知らせる純さん。



まずはジャネットさんからのお話。通訳は歩美ちゃん。


ピルグリムパイプラインのことについて話します。
このパイプラインは、コークブラザーズ(オイル富豪・日本でいうと日本会議のようなもの)が関連している会社のもので、ニューヨーク州アルバニーからニュージャージー州リンデンまでの170マイルもの距離に、設置される予定です。
パイプラインはほぼ平行に2本。
1本は原油のために、そしてもう1本は精製されたオイルのために、ということで、予定地の中には、高速道路の87号線を挟み込むような形で設置されるところもあり、多くの非難が上がっています。

さらに、スタンディングロックと同じように、アメリカインディアンのラマポー族の聖地の辺りも通ることになっていて、
そこにはハイランドラマポー水脈と呼ばれる、とても美しい水脈があることがわかっています。
ちなみに、広大なハドソン河は、もともと氷河が削られてできたもので、その堆積物が積まれて造られたのがロングアイランドなんだそうです。
ハイランドラマポー水脈は、ラマポー川の下の深い深い所を流れています。
ラマポーという名前はスイートウォーターという意味で、だからラマポー族はずっと、水を守ってきた種族なのです。
そのラマポー族は、ニュージャージー州からは認定されているのですが、連邦政府からは認められていません。
なぜかというと、ラマポー族として認定し、居住地を与えると、そこにカジノができる可能性があるということで、
アトランティックシティのカジノ街で大儲けをしている、トランプ(現大統領)氏を始めとするカジノ所有者が、こぞって反対したからです。
そしてまた、コネチカット州からペンシルバニア州に渡る山奥で、長い間狩猟をしながら暮らしていた彼らのもとには、様々な事情で逃げてきた黒人やヨーロッパ人たちの血が混じりました。
連邦政府が認めるのは純粋な一族であることもあって、ラマポー族は今も、アメリカンインディアンとして正式に認定されていません。

けれども彼らは誇り高く、そして大地と水を守るために闘い続けているインディアンに変わりはありません。
ラマポー族のチーフペリーが、スタンディングロックに9ヶ月ほど行き、そこで起こっている運動を目の当たりにして、
自分たちにも、運動の拠点となるようなものーー「キャンプ」が必要だと確信し、自分たちが所有している土地にティーピーを建てました。
その土地のすぐ近く(道路を挟んだ向かい側)に、高級住宅地があり、景観を壊すだの、不動産の価値が下がるだのと、住民からの苦情が出ているのだそうです。
でも、そのティーピーが建てられている場所は、少し多めに雨が降るとすぐ洪水になるような土地で、暮らすには不適切なのです。
元々は、彼らインディアンが暮らしていた場所に、白人がどんどん入り込んできて、お前たちは出て行けと言ったのです。
「この土地は私たちの土地だ」と抵抗するインディアンに、「じゃあ税金を払え」と言う白人。
そんな社会で暮らしたことがないインディアンに、税金というシステムがちゃんと理解できるはずもなく、「払えないなら土地を売れ」と言われて、二束三文で売ってしまいました。
もちろん、銃などの武器による殺戮も頻繁に行われ、90%以上ものインディアンが、何らかの方法で殺されたといいます。

さて、反対運動によって、今はまだ認可されていないこのパイプライン。
いくつかの自治体は、反対の決議を出しています。

ということで、パイプが設置できないうちは、貨物列車で運ぶことになるのですが、その列車が通る橋の老朽化が激しくて、いつ崩れるかわかりません。
なので、オイル会社は、パイプラインが通るとこの列車(バム<爆弾>トレインがあだ名)を使わなくて良くなると言って、賛成の人々を取り込もうとしています。
パイプラインが設置され、そこをオイルが通ってしまうと、必ずどこかから漏れて、土と水が汚されてしまいます。
土と水を守る闘いが、アメリカ全土のあちこちで起こっています。


タイラーさんのお話。


スタンディングロックで暮らした話をします。
僕は、ミズーリー州のアシュラム(エコビレッジのような感じ)から来た、ガンディアン(ガンジーの教えに沿った生き方をしている人)です。
なので、スタンディングロックで、ノンバイオレント(非暴力)のトレーニングや祈りを教えている、シェリル・エンジェルさんと仲良くなりました。
ラコタ・サティアグラハ(ラコタではナヒと呼ばれている丹田の辺り)のところからくるエネルギーが、命と繋がっていると教えてもらいました。
命の力の源です。
(純さんの師である)日本山妙法寺の開創者、藤井日達山主は、アメリカインディアンとの繋がりが深く、彼は一貫して「人を殺すな」という教えを説き、インディアンに非暴力の運動を教えました。
彼らインディアンの精神には、怒りの感情が根強く残っているから、それが行動に出てしまう。
だけども、だからこそ、彼らのために祈りなさいと教えました。
なぜなら、彼らの方が、祈りが必要な人たちなのだからと。
でも、実際には、キャンプは全て撤去されてしまいました。
そしてオイルは通ることになっています。
その現実を受け止めてなお、祈りなさい、祈り通しなさい。
そうシェリルさんは教えてくれました。
とにかく祈りの時間が多かった。
ノンバイオレントの教育の時間にも、祈りの時間がありました。

さて、今、ワシントンでは、抗議する人たちを逮捕できる、抗議すること自体を犯罪にできる法律が、作られようとしています。
そのような動きに対し、徹底的に反対しなければなりません。
米憲法修正第1条(言論・集会の自由)に反します。
そして、戦争に関係するようなことに、税金を払うのをやめましょう。
自由裁量予算と言って、動かせない予算以外の、議会がいじることができる予算のうちの54%が、軍事予算に当てられています。
だから本来は、議会が変えられるはずなのに、これまでじわじわと増え続けています。
その54%の税金を、せめて25%に減らすこと。
そしてその分を、社会福祉や教育に回すこと。

タイラーさんが歌ってくれた歌の詞。


People gonna rise like the water.
All colors(肌の色) and all creeds(信仰).
Hear the voices of my great grand daughters.
Saying Mni Wiconi (Water Is Life).


マデリンさんのお話。


ニュージャージーでのピースアクションとして、核廃絶運動を訴えるための、千羽鶴を折るプロジェクトをしています。
5月までに、1万羽の鶴を折り、それをワシントンに届ける予定です。
協力お願いします。


お名前がわかりませんが、彼女はいつも、TDバンクという、このパイプライン計画に最も多額の資金を調達している銀行から、預金を引き出す運動を呼びかけている人です。


TDバンクはもちろんですが、日本のみずほ銀行と三菱東京UFJ銀行は、巨額の融資をしています。
三井住友銀行も融資をしていますが、みずほと三菱東京UFJに比べると、少ない方だということです。


純さんの閉会宣言。


純さんはこの後、さっさと電気を消して回り、「早く寝なさい」とウォーカーの人たちに声かけしていました。

******* ******* ******* *******

わたしたちの歩みを阻もうとする人たちのために、非暴力を暴力で制圧しようとする人たちのために祈る。
そのようなことをする人たちにこそ、祈りが必要なのだから。


この言葉がわたしの中で、渦巻いています。

そんなことができるのだろうか。
不可能なのではないのだろうか。
そのようなことをする人たちにこそ祈りが必要であると、思うことはできても、それを信じて行動できるようになるのだろうか。

そんなことを考えながら帰りの支度をしていたら、一人でないと眠れないと純さんが言っていたことを思い出し、うちに連れ帰ることにしました。
ついでに、体調が悪そうに見えたジャネットさんのことを尋ねると、なんと彼女が、週に2日の透析を受けていることを知り、彼女もうちで泊まってもらうことにしました。

純さんは、翌朝3時には起きて頭を剃らなければならないのでと、さっさと二階の寝室へ。
そしてわたしは、前々から知りたかった、なぜジャネットさんがインディアンの祈りの歌を歌えるのか、なぜそれほどに繋がりが深いのかについて、尋ねることにしました。
ジャネットさんから聞いた話は、まるで一冊の本を読み切ったかのような、小説よりも奇なりの見本のような、数奇な出会いが散りばめられた、小さな宇宙の物語でした。
この話は、またいつか日をあらためて、紹介したいと思います。

翌朝、6時前に純さんを、そして8時前にジャネットさんを、それぞれ教会まで送り、そこから次の集合場所であるダンキンドーナッツまで、ウォーカーの人たちを送りして、わたしのお手伝いは終わりました。

******* ******* ******* *******

3月8日木曜日。雨が降りました。
ラマポー族の居住区に到着するWater Walk for Lifeのウォーカーさんたちをお出迎えしようと、マワまでやって来ました。




話には聞いていましたが、まるで湿地帯のような場所で、地面はジュクジュクとぬかるんでいます。


奥に見えるのは、ティーピーと呼ばれるテント。


待っている人たちにも、祈りがささげられます。




予定より随分遅れて到着した、ウォーカーの人たち。


出迎える子どもたち(左側の女の子は、わかちゃんの娘ちゃん)。


二人とも、待っている間に、大きな水たまりの中に入り、ワイルドな水遊びをしていました。


近づいて来ました。




出迎えの笛を吹きながら、ウォーカーさんたちを出迎えるラマポー族の人たち。
















聖地の入り口で、歓迎の太鼓を叩くラマポ族の人たち。




祈りの場に集まります。




儀式が始まりました。












沖縄から来たたくま君が、土を守り、水を守り、森を守ろうと闘っている沖縄の人たちとの連携を、インディアンの人たちに訴え、
祈りの人純さんが、命と水の繋がり、祈りの連帯を呼びかけました。

話でしか知らなかった、アメリカインディアンの人々に対する迫害や強要の歴史、そして今現在もなお続いている理不尽な差別を、初めて自分の五感で感じた日でした。
けれどもその辛さ、悲しみ、怒りをはるかに超える、祈りの強さと深さに、圧倒された日でもありました。

本当に、一本の道を挟んで、全く違う世界が存在しています。






パイプラインはお断り。


洪水の度合いを測る看板。



たとえ、どんなにマイノリティ(少数派)であっても、そしてやっていることといえば、世界には良い部分があると信じて、そこに向かって一心に祈るということなのだけども、
その祈りは、世界の良くない部分にもきっと届いていて、いつか変わり始める日がやってくる。
自身よりも、自我よりも、まず世界の弱い人たちのために、苦しんでいる人たちのために、そこに飛んで行って地べたに座り、太鼓を叩きながら一心に祈る。
その行為はとてもシンプルだけども、同じようにやるには、相当の勇気と謙虚さが必要になる。

純さんは祈りの人。歩くお坊さま。
ウォークはまだまだ続きます。
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『いのちのためのWater Walk』その1

2017年03月09日 | 世界とわたし
水は命。
Water Walk for Life.

日本山妙法寺の尼僧、安田純さんは、1970年代からずっと、アメリカンインディアンによるムーブメントをサポートしてこられた、とてもパワフルな女性です。
その純さんが企画された、Water Walk for Life。
ニュージャージー州の南から北上して川を渡り、インディアンポイント原発までの90マイルを歩くという、祈りの行進です。
期間は3月4日から11日まで。
東北大震災がきっかけとなって、水や大地が汚され、そのために今も大変な思いを抱えながら暮らしておられる方々への祈りも、純さんにはとても大切なものなのです。

今年の1月に沖縄でも祈られた純さん。
大阪で行われたイベントにも出席されたのですが、そこで話された内容を、書き起こしてくださったものがありますので、ここに紹介させていただきます。

Standing Rock について 
~日本山妙法寺 安田純 法尼のお話から~

【7Generations Walk blog】2017年1月24日
http://blog.7gwalk.org/?eid=1262633

昨年2016年の11月19日に、中崎町ホールで行われた、デニス師のイベントのフォローイベント「Dennis Banks Gathering のメッセージを深め繋ていく会」が開かれました。
この会に、偶然に、アメリカから来日中のデニス師と、アメリカンインディアンムーブメントを1970年代から強力にサポートされている、日本山妙法寺の尼僧、安田純さんにご参加いただきまして、スタンディングロックについてのお話などをしていただきました。



そのシーンは動画として公開されています。

https://www.facebook.com/hamachan.peace/videos/1193613857412118/

このお話の内容がとても重要に感じられましたので、内容を書き出しまして、シェアさせていただきたいと思います。

★ ★ ☆ ★ ★ ★ ☆ ★ ★ ★ ☆ ★ ★ ★ ☆ ★

以下 安田純法尼のお話から書き出しです。



スタンディングロックに続く歴史の紹介

Standing Rock の運動が盛り上がっていますが、そこにいたるまでの歴史の一部をご紹介します。

1978年に、アメリカのサンフランシスコからワシントンDCまでの、ロンゲスト(Longest 一番長い距離の)ウォークがありました。
これは、アメリカ政府が提出した、『インディアン撲滅法案』とも呼ばれる11の法律に反対し、
『水の権利』『森の権利』『信仰の権利』、などなどの権利を守る為に、デニス・バンクス師をはじめ、多くのインディアン達が「歩く」という行為で立ち上がる、「祈りのウォーク」でした。

私の師匠の藤井日達上人に、「インディアンがアメリカの大地を歩いているので、そのお手伝いをして下さい」と言われ、私はそのウォークに参加したのです。

師はまた、こう言いました。

アメリカが平和に変わっていくとしたら、それはインディアンの人達の祈りが中心になるでしょう。
インディアンの祈りの中で、変わっていくでしょう。

しかし、この約500年間、インディアンは弾圧され、虐殺され続けてきました。
ある時は、約1000万人いたといわれるネイティブが、70万人にまで減ってしまった、と言われています。
ですからある意味、力を失っている部分がありますから、太鼓を打って後ろからついていって下さい」


インディアンの精神性の高さに感動した

そして、ウォークに参加した時に、インディアンの祈りの精神性の高さに、感動しました。

「大地をうやまい、大地に帰る。
大地を母として祈り、大地の上に全て繋がっている」


ここに力があると確信し、それ以来ずっと、インディアンの後ろを歩いてきました。

インディアンの人達は、大地を大切にしてきました。
40年前、まだそんなに環境問題が悪化していない時も、ずっと大切にしてきました。
欲望が、私達を滅ぼそうとしています。
インディアンの人達の声を、今こそ聞くべきです。


Stnding Rock について



(スタンディングロックの基本情報はこちらをご覧下さい。http://blog.7gwalk.org/?eid=1262635

ダコタパイプラインの計画では、約1800キロのパイプラインを、2016年の11月15日までに作る予定でした。
その時までに、スタンディングロック周辺の約3kmを除いて、完成している状態でした。
その反対運動を、警察や機動隊、軍隊までも出動してきて、鎮圧しようとしました。
インディアンは、軍や警察の暴力に対して、手を上げたり反撃したりしません。
その姿に、多くのアメリカ人は感動し、多くの若者がこの運動に参加しました。
普段はあまりこのような運動に興味のないような若者も、この運動に興味を持ち、協力したり参加するようになりました。
アメリカでは、このスタンディングロックの運動は、広く有名になっています。

現在、スタンディングロックには、約4000人が滞在していますが、キャンプ地は三つのブロックに分かれています。
そのキャンプを2016年の4月に始め、最初に立ち上がったのは、部族の一人のお母さんでした。
そのお母さんには6人の子供がいますが、一人の息子さんは亡くなっていて、その息子さんのお墓が、パイプラインの建設で破壊されてしまう予定でした。
ですので、そのお母さんが部族の人達と話し合い、お母さんの土地がパイプラインの直ぐ側でしたので、その土地を解放して、反対運動に参加してくれるように呼びかけたのが、このキャンプの始まりとなったのでした。

このキャンプを、「Sacred stone Camp~聖なる石キャンプ~」と名づけています。
しかし、大勢の参加者が現れまして、そのキャンプ地は満員になってしまい、部族の公共の土地を解放してキャンプ地にし、その土地も満員になったので、川の向こう側の部族の公共の土地も開放し、今は三つのキャンプ場がスタンディングロックにあります。
(まうみ注・先月2月1日に、スタンディングロックでの抗議キャンプは撤去されました)


祈りと非暴力で問題を解決しよう



キャンプに新しい参加者が来ると、キャンプの主旨を説明してくれるレクチャーがあります。

「ここは、精神的な祈りのキャンプです。
問題を解決するのは祈り、『祈り』が解決をします。
暴力で解決しようと思う人は、このキャンプから出て行くようにお願いします。
インディアンは朝晩、サンライズセレモニーとサンセットセレモニーをします。
それを理解出来ない方も、このキャンプから出て行くようにお願いします。
軍や警察と向き合う時、彼らは武器を持っています。
怒りを持つ人は、前列には立たないようにお願いします。
全てが繋がっていると思う人、向こう側に立つ人とも繋がっていることを理解し、その人達のことも思える人だけが、前線に立って欲しいと思います」



ウォールストリートのオキュパイ運動との繋がり

スタンディングロックが起こる前、ウォールストリートのオキュパイ運動が起こりました。
1%の富を独占し、世界を支配しようとする人達に対して、99%の民が、自由と平等を求めて運動を起こしたもので、そこでも、何ヶ月も、若者たちがキャンプしました。
その若者達も、スタンディングロックの祈りに触れて、感動しています。


軍と警察の暴力



警察や軍隊は、銃を使って、運動を鎮圧しようとしてきました。
しかし、反対運動をする市民を殺すことはできないので、ゴム製の弾丸を使いました。
また、からしのスプレーを目にかけたりして、目をつぶそうとしたりして、殺しはしないけれども、拷問のような仕打ちを運動者にしてきました。
しかし彼らは、非暴力で、その運動を続けてきました。

11月頃はすでに、気温は-10度~-15度でした。
風が来ると、さらに寒さが増します。
そんな中、祈りの行進をスタンディングロックでしていますと、その人達に対して、警察や軍は放水をしました。
5分もその水をかぶっていたら、凍ってしまいます。
それが原因で、200人近くが病気になりました。
戦争で、市民に使ってはいけないとされている武器も使用され、女の子が大怪我をし、病院で手術して治療しなければならなくなり、大問題になりました。
軍は、その武器の使用を否定しましたが、彼女の傷口の中から、その武器を使用した証拠が見つかっています。
しかし、そのような時にでも、彼らは、祈りでその残虐な行為に応えました。
そのような姿に共感し、中米や南米、カナダ、そしてオキュパイ運動に参加していた若者達も、このムーブメントに参加しています。


退役軍人2000人も、スタンディングロックの運動に参加し、12月5日に、軍部の意志が変化



アメリカ軍部から、2016年の12月5日までに、キャンプの撤去するように勧告されていて、緊張感が高まっていました。
そこで、ナバホ族の退役軍人が、アメリカ中の退役軍人に、スタンディングロックの支援を呼びかけたところ、約2000人の退役軍人が、12月5日に集まりました。
そして彼らは、反対運動をしている側に立ちました。
現役の軍人と退役軍人が、対峙することになってしまいました。
その事実を目にした軍部は、急に態度を急変させて、ダコタパイプラインの建設許可を却下して、今は一度、一応、工事は止まった状態になっています。

しかし、まだ工事関係の機材も、軍の人達も撤収したわけではなく、工事中止と言いながらも、新しい溝を掘る工事をしていたりするそうです。
新しい大統領のトランプ氏は、オイル政策を推進する意志が強いので、また状況が変わる可能性が高く、まだ約4000人の人がキャンプに残っています。(まうみ注・大統領令によって工事は再開されました)
今の季節、ノースダコタの大平原は、気温が-40度から-50度になります。
皆、薪を燃やして暖をとっていますが、ノースダコタは平原なので、薪があまりありません。
そこで、全米の人が協力して、スタンディングロックに薪を運んでいます。


様々な宗教者も、スタンディングロックに協力しています

アメリカには、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの、多くの宗教が混在しています。
その様々な宗教の聖職者の中で、「大地を守ろう」という思いある人達が、約500人集まり、スタンディングロックで活動し、そのうちの約200人が逮捕されました。
そして、その裁判の中で、人権をアピールする、という活動もしている人達もいます。

そのような活動を、真剣に受けとめている人達も、全米に多くいて、そのうねりの中にスタンディングロックがあります。


沖縄の人達との共感



私たちは、一昨日まで沖縄に行き、辺野古や高江を訪問し、現地の人と交流してきました。
沖縄の人達は、スタンディングロックのことを良く知っていました。
沖縄の人達も、アメリカのインディアンも、政府に虐げられてきたからです。
私たちのアメリカからの訪問団30人の内に、黒人やネイティブや平和活動している退役軍人もいて、沖縄の皆さんも、私たちの訪問を喜んでくれました。
スタンディングロックの問題は、スタンディングロックだけの問題ではありません。


それぞれの場所で、スタンディングロックを作っていこう

それぞれの場所で、スタンディングロックのような、精神的な祈りの運動の場をを作っていこう、という運動がひろがってきています。
ニューヨークのマンハッタンから北に約80キロ、ハドソン川沿いのインディアンポイントというところに、原発があります。
その原発のすぐ側にも、オイルのパイプラインを通す計画があるのです。
この計画も、あまりにも危険ということで、地元のインディアンの「ラマポラマぺ族」の人達が、そこでキャンプを始めました。

私たちも、3月11日に、このインディアンポイントに到着する予定で、祈りのウォークをする予定です。
「水が私たちの命」というメッセージを、発信していきたいと願っています。
ニューヨーク州には、シックスネーション(イロコイ連邦)のネイティブの人達がいますので、彼らに、ウォーターセレモニーを、ウォークの最初と最後にしていただく予定で、色々な人達と協力して、このウォークもしていく予定です。

ニューヨーク州、ニュージャージー州でも、地元のスタンディングロックができています。

スタンディングロックはこれから精神的改革の中心になると感じています。

スタンディングロックと共に立ち上がりましょう。



以上 安田純法尼のお話からでした。


******* ******* ******* *******

ということで、バタバタとみなさんの寝床と夕飯を用意し、純さんと4人のワーカーさんたちをうちにお迎えしたのが、先週の金曜日、行進開始の前日でした。
いよいよ始まるんだな、という興奮がわたしを厚かましくさせたのか、いつの間にか気がつくと、メモ用紙を手に、純さんにインタビューをしていました。
彼女は世界中どこにでも出かけて行って、祈りの行進を実践する、歩く尼僧です。

1978年に、アメリカ政府が提出した『インディアン撲滅法案』に反対するために行われた、アメリカのサンフランシスコからワシントンD.C.までの約4000キロの行進にも参加された純さん。
『水の権利』『森の権利』『信仰の権利』などの権利を守るため、多くのインディアンたちが『歩く』という行為で立ち上がった、『祈りの行進』でした。



純さんに、その行進に参加するよう勧められた、純さんの師である藤井日達上人は、

アメリカが平和に変わっていくとしたら、それはインディアンの人達の祈りが中心になるでしょう。
インディアンの祈りの中で、変わっていくでしょう。

しかし、この約500年間、インディアンは弾圧され、虐殺され続けてきました。
ある時は、約1000万人いたといわれるネイティブが、70万人にまで減ってしまった、と言われています。
ですからある意味、力を失っている部分がありますから、太鼓を打って後ろからついていって下さい」

とおっしゃったそうです。

アメリカンインディアンの祈りはまず、敵対している、あるいは憎んでも憎みきれないような相手に心を馳せ、その人の和平と健康を祈ることから始まると聞いたことがあります。
経済発展に重きを置き、快適便利な暮らしを電波に乗せて煽り、それこそが人生で必要なことだと疑わない人たちに支持された政府からの、
執拗で過剰な迫害を受け続けながら、それでもなお、その精神性の高さ、広さを保ち続けることは、どれだけ難しかったか。

「大地をうやまい、大地に帰る。大地を母として祈り、大地の上に全て繋がっている」
として、彼らたちは、大地と水を大切にしてきたのです。

その、大地や水を大切にしたいという切なる思いと、非暴力を貫く決然とした態度が、スタンディングロックの祈りとして、徐々に世の中に知れ渡りました。
大きな権力や企業の欲望に、じわじわと時間をかけて滅ぼされようとしているのは、他の誰でもない、わたしたち自身であり、わたしたちの未来であると、気がついた人が増えてきました。

純さんはわたしに、やんちゃだった若い頃のこと、そして、これまで歩いてきた国々で接した市井の人々とのエピソードを、いろいろと話してくださいました。
またいつか、純さんのことを詳しく紹介する機会を作りたいと思っています。お楽しみに。

純さんは、
「祈りを学びたかったら、まず相手のことを学びなさい」
「生きとし生ける、あなたにつながる全ての命に対して祈りなさい」
「自分たちのミッションは、母なる地球をお世話し、守っていくことである」
という、アメリカインディアンの教えを教えてくださいました。

2枚目のメモのあちらこちらには、純さんの思いが短い言葉で書き記されています。
「どうやって人を変えられるか…変えられるのは人ではなく、自分自身」
「お祈りして歩く」
「南無妙法蓮華経を唱える」
「それぞれの人の心の中に仏様があって、すべての命は尊ばれる」
「仏様というのは、聖なる美しい思い。輝く朝日」
その一つ一つが純さんの声に溶け込んで、わたしの心の奥深いところに、流れていきます。
これらの言葉を書き留めている間、わたしの魂が少しずつ、清められていくような気がしました。

******* ******* ******* ******

土曜日の早朝、もう純さんのお祈りが始まっていました。


あわわっ!!空と海の爪とぎ台にっ?!






みんなも集まってきて、







ここでちょっと私的なことを少し。
実は、この『南無妙法蓮華経』という題目、これを耳にするたび、わたしの心はざわざわするのです。
もうかれこれ45年ほどの年月が経っているというのに、やれやれ…と思わないこともないのですが。

ティーン時代に突入した頃のことです。
『波乱万丈』が服を着て歩いている、と言われたほどに悲惨だった時期の始まりに、新しく家族として加わってきた人たちが、創価学会の熱心な会員だったのです。
なので、一緒に暮らすようになってから一家離散までの6年間、毎朝毎晩、約40分ほどの間、「なんみょーほーれんげきょー」の連呼を聞かされました。
その人たちと関わりを持ってからはさらに、波乱万丈に磨きがかかり、命からがらという場面を数回経験させられたこともあって、
どうもこの『南無妙法蓮華経』という題目を聞くと、その頃の、思い出したくもないことだらけだった、それこそギリギリで生きていた自分の気持ちとリンクしてしまうのです。
だから、唱えようとすると喉が詰まり、ずっとできないままでいたのでした。
「なんみょー」じゃなくて「なむみょう」なのだからいいじゃないか…なんてヘンテコな言い訳を考えたりしましたが、なかなか声にすることができません。
それがここ最近になって、わたしの周りに、『南無妙法蓮華経』と唱える人がわらわらと現れてきて、そしてその人たちがまたみんな素晴らしい人たちで、
おかげで、わたしの心に深く刺さっていたトゲが、少しずつ溶かされてきているような気がします。


さあ、いよいよ出発!


到着した波止場は、覚悟していた以上に寒かった!




奥に見えるのは、巨大なオイル工場です。


いやもう、ほんっとに寒いったらありません!
昨夜、強風のために運行が遅れ、シカゴ空港で乗り継ぎができなくて、しばらく行方不明になられていた池田上人(左端)も無事到着。(あっこちゃん、何度もの空港通い、お疲れ様でした)


行進の参加者が続々と集まってきました。






沖縄からやって来た若者たち、ゆりかさん、しおんさん、たくま君。この寒さはこたえるだろうなあ…。


右端の青いジャケットを着た女性は、全盲のネリアさん。彼女は心の目で世界をしっかり捉えている、それはそれはパワフルでおおらかな人です。






突然、右方向から、巨大なタンカーがやってきました。


オイル工場にオイルを運ぶタンカーなのですが、これが汚染の源になっているのですから、とても皮肉な感じがしました。




水のセレモニーを行ってくださる人が、予定の時間を30分過ぎても現れません。
風がびゅうびゅう吹き荒れる極寒の気温の中、手分けして車の中で待つ、というのはどうですか?と尋ねると、
「スタンディングロックで闘っている人たちのことを思えば、これぐらいなんてことはない。彼らの犠牲に心を添わせるためにも、外で待ちましょう」と純さん。





セレモニーを行う台場に集合しました。
















沖縄から、ハワイから、遠く離れた州から、たくさんの人が集まりました。

ニュージャージー州はもちろん、全国のパイプラインに反対すると表明する、緑の党で知事候補のデイル氏が、メッセージを伝えました。






それにしても寒い!寒すぎる!しかも、1時間半経ってもまだ到着しない、水の使者さん!
ということで、寒さ凌ぎに歩くことにしました。








おぉ〜!!やっと到着!!


彼女が運んできてくださった聖水を、汚されて弱っている川に注ぎ、よみがえる力を与えようという儀式。
















こういう儀式には、子どもの参加がとても意義があるのだそうです。




川に注ぎます。






さあ行進が始まりました!










ウォーカーズ全員の無事と健康を祈ります。
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命の水を汚す事業にせっせと投資している巨大銀行さん、解約します!目を覚ましてください!

2016年12月09日 | 世界とわたし
今、スタンディング・ロックは極寒です。
寒さと風に弱いわたしなど、10分も持たないような厳しい天候の中で、抗議はまだ続いています。
いろいろな情報を耳にしますが、どれもやはり、まだまだこれは序の口で、戦いはこれからが本番なのだと伝えています。

わたしは、このような現象が、日本の高江や辺野古でなぜ起こらないのか、そのことを今考えています。
同じ戦いなのに。
誰彼となく、駆けつけていかなければならない場所なのに。


以下は、フェイスブックで見つけた、渡辺日出男さんからのメッセージなのです。
現地に行けないわたしたちにもできる抗議、銀行の解約について書かれていますので、紹介させていただきたいと思います。

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ダコタパイプラインの建設に抗議する『Standing Rock』は、アメリカの話ですが、アメリカだけのことじゃないです。
高江にも辺野古にも通じる、世界中あらゆるところで繰り広げられている、「金と生命」の話です。

今、当然と考えられている認識や思想、社会全体の価値観などが、劇的に変化することを、パラダイムシフト(paradigm shift)と云いますが、私たちはその真っただ中にいます。
その最たるものは、アメリカの一極支配が崩れたことです。
既得権者は、劇的変化を望みません。
変化を認めようとしません。
安倍政権の政策はむちゃくちゃです。
止めらられない変化に抗って、既得権をより確かにしようとするので、誰の目にも明らかな、矛盾だらけの政策になっているのです。

『Standing Rock』に世界の先住民の目が集まり、インディアンに対する加害者であった白人の中にも、目覚め、共に戦う人たちが世界中に拡大しているのも、パラダイムシフトを象徴するものです。

『Standing Rock』
一回戦は、辛うじて勝ちました。
しかし、金の側は、直ちに反撃を開始しました。
抗議拠点のキャンプ地は、酷寒。
ネイティブの長老から、退避命令が出ました。
しかし、屈強な男たちは残っています。
1月になれば、プロジェクトの財政的見直しが行われ、今の状態が続けば、お釈迦になる可能性が大です。
そこで、投融資している世界の17銀行に対して、口座解約などでプレッシャーを掛ける活動の、呼びかけがこれです。

(写真をクリックすると原文が出てきます)



We ask you to join us in an unprecedented divestment campaign to kill the black snake financially. We will also ask you to engage in the development of the Environmental Impact Statement to the extent that the public is invited to participate, and guide you through that process. But let us use this time to cut off funding for the project. December is an international month of action focused on the 17 banks that are profiting off investments in the Dakota Access pipeline. Shut these banks down with direct action. Close your accounts and tell the world you’re doing it. Pressure your local jurisdictions and philanthropists to divest. Every day is a day of action.

This fight is not over, not even close. In fact, this fight is escalating. The incoming Trump administration promises to be a friend to the oil industry and an enemy to Indigenous people. It is unclear what will happen with the river crossing. Now more than ever, we ask that you stand with us as we continue to demand justice.

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以下は、ダコタのパイプラインだけではなく、同じような事業を行う企業に投資している銀行の一覧表です。
日本でいうと、住友三井銀行、東京銀行・三菱UFJ・みずほ銀行が、ひときわ太い線でつながっていて、全ての事業への融資を行なっているように見えます。
さらに言えば、この三つの巨大銀行は、原発事業への投資でも、堂々の上位3位です。
↓↓↓


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トランプも投資していた「ダコタ・アクセス・パイプライン」
【alterna×s】2016.12.9
http://alternas.jp/study/global/67274

一部写真と、現地に滞在する、弁護士であり、自身もネイティヴ アメリカンである、パトック・キンケイド氏の言葉を、少し校正して引用させていただきます。

キンケイド氏:
このオセティーキャンプは、トゥリーティーランドであり、土地の権利がとても複雑になっている。
ネイティヴ アメリカンには、ミネラルの権利(この土地で掘り出される鉱物などの権利)、ミズーリ川の周りの場所の権利、そして土地の上空の権利がある。
その他は、米国陸軍工兵隊の私有地になる。

今、一番の重罪を負わされているのは、ドローンを飛ばしているアクティビストだ。
彼らには、空の権利があるにも関わらず、一番大きな罪を着させられた。
なぜならば、彼らの写真や動画のおかげで、米国陸軍工兵隊が、法廷で不利になる証拠が出てきたからである。
米国陸軍工兵隊と警察は組み、武装していない人々に、不法に武器を使った。
これらは必ず、法廷に持ち込んで、裁きを受けなければならない。

なぜこの問題がこれほど重要なのか。
それは大企業が、環境破壊の懸念がされている場所でのパイプラインの建設を、人権を無視して押し通そうとし
平和的に非暴力を貫いて抗議している人たちに怪我を負わせ、さらには嘘の声明をメディアに送っていたからだ。
大企業には、社会的責任が全く見えない

利益のみを追求し続けてひた走っている大企業たちに、都合の良いようにできている法律が、この件で浮き彫りになった。
民間人を守る立場である警察をも、石油会社は買収していた
デモクラシーの上に立っているはずのアメリカという国は、消費主義(コンスーマリズム)が先立ち、周りが見えなくなっているのではないか。

そういった中での、ネイティヴ アメリカンの勝利は、これからの環境問題に関わるアクティビズムに、大きな影響を与えることになるのではないか。
又、これまでの歴史の上で、ネイティヴ アメリカンの部族たちが一度に同じ場所に集まることは、非常に稀である。
アメリカではまだまだ、人種差別の問題が続いているが、人種やを超え、環境問題に立ち向かい、
歴史的にも大規模な反対運動が勝利を得られたことは、これからの環境問題に立ち向かう際の、戦略に役立つ
と思う。
迫害され続けてきたネイティヴ アメリカンの勝利は、本当に大きな勝利だと、私は思う。
来年、共和党のトランプ氏が大統領になるが、トランプ氏もこのパイプラインに投資している
すでに、ノースダコタパイプラインの代表は、副大統領のペンス氏に、今後の相談を持ちかけている。
建設再開されないように、願うばかりだ。



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(ロイターよりお借りしました)
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WATER IS LIFE!!(水は命だ!!)

2016年12月05日 | 世界とわたし
WATER IS LIFE!! (水は命!!)

そう叫びながら、マンハッタンのグランドセントラル駅のメイン・コンコースのインフォメーション・ブースの周りで、マネキン・フラッシュ・モブに参加しました。







ワカコちゃん発案のこのモブ、わたしが呑気に旅行している間に、ミナセン・ニューヨークのみんなが寄り集まって、たくさんのサインを書いてくれたのですが、
当日が近づいてくるにつれ、参加者がどんどん増えてきて、しかも集団行動があまり得意ではない(これは偏見ではありませぬ)アメリカンが多いというので、ワカコちゃん、そしてディレクターのあっこちゃん、かなり心配していたんじゃないでしょか?
ともあれ、現場の警察や警備の人たちに対する交渉は、場慣れしているユカちゃんがバッチリ済ませてくれて、通行の邪魔にならないように気をつけてくれたらいいから、という許可をもらっていよいよ開始。
ユカちゃんのコールに呼応して、わたしたちの気持ちがメイン・コンコースの、プラネタリウムのような青空天井に響きます。

WATER IS LIFE!!を合図に、10秒間でポーズと立ち位置を決め、それから5分間静止。
手には、『WATER IS LIFE』や、パイプライン建設に莫大なお金を投資している銀行の名前が書かれたサインを持って。















そして同じ時間に合わせて、カナダに出張中の歩美ちゃんも。


ドレスコードは黒。そしてサングラス。
一旦マネキンになったら、誰から話しかけられても応えてはならず、もちろん自分から話しかけたりせず、ツンツンと突かれても知らぬふりをして、ひたすら静止の5分間。
というのが、マネキンモブのお約束なのですが、やっぱり30人以上もの多国籍の大人に、これを徹底するのは難しかったようです。

たくさんの通行人の人たちが立ち止まり、興味を示してくれたり、写真を撮ってくれたりしたのですが、
わたしたちがいったい何のために抗議しているのかを知らない人が、思ったよりたくさん居て、ああ、沖縄の基地問題と同じ構造なんだと痛感しました。
ひとり、ブツブツと話しながら、わたしたちの様子をビデオに収めている女性がいたので、どんなメッセージを伝えようとしているのですか?と尋ねると、こう話してくれました。
「わたしの友人が、先月20日の警察による攻撃で、腕にとてもひどい傷を負ったの。
もしかしたら彼女は、腕を失うかもしれないの。
親御さんもとても心配していて、悲しんでる。
でも、彼女はとてもしっかりした人で、大丈夫って言ってる。
こうやって、いろんな場所で、いろんな人が声を上げてくれていることを彼女が知ったら、きっと勇気が出るし励みになると思う。
本当にみなさん、ありがとう!」


その攻撃は、凍てつく夜空の下で行われました。

「まぎれもない戦争行為」感謝祭の最中、アメリカ先住民のデモ隊と警察が衝突
【THE HUFFINGTON POST】2016.11.24
http://www.huffingtonpost.jp/2016/11/24/dakota-pipeline-protest_n_13197362.html?utm_hp_ref=japan

感謝祭まっただなかのアメリカで、アメリカ先住民を含むノースダコタ州の住民と警察の間に衝突が起き、約300人が負傷した。

毎年11月第4木曜日は、「サンクスギビングデー」や「七面鳥の日」とも呼ばれる、アメリカ・カナダの代表的な祝日だ。
感謝祭には、約400年もの歴史がある。
1621年秋、アメリカ先住民とイギリスからやってきた入植者が、共に収穫を祝い、お互いを暴力から守る目的で、感謝祭は始まった。

そんな感謝祭の最中、ノースダコタ州では、先住民が主導するデモ隊と警察との間に、大きな衝突が起きた。
現地では、石油パイプライン「ダコタ・アクセス・パイプライン」の建設をめぐって、先住民が、数カ月に渡って、デモ活動を続けていた。

スタンディングロック・スー族が率いるデモ隊は、パイプラインの建設によって水源が汚染され、彼らの聖地が破壊される、と主張を続けていた。

現地時間11月20日夜、デモ隊と警察の衝突が激化した。
ワシントンポスト紙によると、デモは10時間にもおよび、約300人のデモ隊参加者が負傷したという。
スタンディングロック・スー族の人々は、警察による催涙ガスやゴム弾、放水銃の攻撃を受けた
26人が、頭部や四肢に重症を負い、マイナス5度の気温の中で放水を受けたことによる、低体温症で病院に運ばれた





「これは、まぎれもなく戦争行為です」

スタンディングロック・スー族の代表フランク・サンチェス氏は、ハフィントンポストUS版のインタビューに対して答えた。

石油パイプラインは、ノースダコタ州からイリノイ州へ、原油を輸送するために、37億ドル(約4150億円)の予算をかけて建設される。
パイプラインは、スタンディングロック・スー族の居留地近くにある、ミズーリ川を横切って建設される予定だ。
この開発によって、水源が汚染される可能性があるとして、先住民たちは抗議デモを開始した。

アメリカ政府は、このパイプラインは、最も安全かつ効率的に原油を輸送できる方法だ、と説明しているが、
デモ隊は、
「スタンディングロック・スー族ら、先住民の居留地を侵害しない」と約束した条約(フォート・ララミー条約)に反している、と主張。

自らを、「水の保護者(water protectors)」と表現するデモ隊と、ノースダコタの警察当局の衝突は、20日に沸点に達した。
デモ隊は、パイプライン建設地付近で封鎖されていた、橋の突破を試みた。
押し迫るデモ隊を止めるため、武器が使用された。
武器の使用について、モートン郡保安局は、デモ隊が暴力的になったためだ、と説明している。

長い間、経済的に困窮してきたスタンディングロック・スー族のサンチェス氏は、建設工事のため封鎖されている橋は、居留地に向かうための主要な移動経路である、と話す。
また、抗議者たちは、何世紀にもわたって維持してきた、土地と水を守ろうとしているだけだ、と語った。

「私は、自分の土地で、戦争捕虜になった気分だ」

サンチェス氏はそう語った。

「そうとしか言いようがない。
私たちには狩りをし、魚を釣り、植物を採る権利がある。
今までずっと、そうやって生活してきた。
私たちの暮らしをこれからも続けていくには、有刺鉄線のフェンスや、"立入禁止"と書かれた看板を、取り除く必要がある」


サンチェス氏は今週、スタンディングロック・スー族の代表として、ワシントンD.C.に赴き、アメリカ政府に対して、ロビー活動を行った。
彼は、1851年に、フォート・ララミー条約に調印した人物の、直系の子孫だ。
この条約で、アメリカ政府は、5州の一部をスー族に譲渡し、外部の人間がスー族の領地に侵入することを、厳しく制限する規制に同意した

しかし、サウスダコタ州で、金が発見された1877年、アメリカ合衆国議会は、すぐさまその協定を破った
金の鉱脈が見つかったブラックヒルズ山地を、政府のものにし、その後も、政府による土地の収奪は続いた

「この問題は、何年も前に決着しようと思えばできた。だが、私たちには弁護士を雇うお金もない」

サンチェス氏は嘆く。

アメリカ政府は、この問題をふまえ、パイプラインの建設作業を、一時的に中断している。
アメリカ陸軍工兵隊は、スタンディングロック・スー族の土地で、建設を進めるかどうかの決定には、もう少し時間が必要だと述べた。
By Laura Bassett

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そして、陸軍が、スー族に対して定めた、退去期限の12月5日の前後を通して、デモ隊を守る『人間の盾』になる、と宣言した退役軍人の人たち。
この宣言と行動は、大きな力となったようです。


「ダコタ・アクセス・パイプラインのデモ参加者たちを守れ」退役軍人2000人が「人間の盾」に
【THE HUFFINGTON POST】2016.12.04
http://www.huffingtonpost.jp/2016/12/04/dakota-access-pipeline_n_13407758.html

ノースダコタ州のスタンディングロック・スー族居留地で、「ダコタ・アクセス・パイプライン」建設に抗議している人々は、退役軍人たちの大きな支援を受けることになる。

ダコタ・アクセス・パイプラインは、石油パイプライン会社「エナジー・トランスファー・パートナーズ」が、ノースダコタ州からイリノイ州までをつなぐ、1172マイル(約1886キロ)のパイプラインを建設するプロジェクトだ。
建設ルート近くの居留地に住む、アメリカ先住民スタンディングロック・スー族は、水源のミズーリ川が汚染されることを懸念し、抗議デモを続けている。

Facebookページによると、2000人以上の退役軍人が、デモ参加者たちを守るために、12月4日から7日にかけて、「人間の盾」として行動することに同意している。
11月29日、彼らは、「スタンディングロックを支援する退役軍人たち」という運動を開始した。
ダコタ・アクセス・パイプラインの建設をめぐり、数カ月にわたって、デモ参加者たちと警察が衝突を繰り返してきたことを受けて、退役軍人たちが立ち上げた運動だ。

このグループが計画を発表したのと同日、当局は、デモ参加者に罰金を課したり、拠点にしているキャンプへの物資の供給を妨害する、と警告した。
その後、当局は、この警告を取り下げたが、ノースダコタ州のジャック・ダーリンプル知事は28日、「悪天候が予想される」ため、即時退去命令を発した。
この命令は、依然として、有効となっている。

しかしデモ参加者たちは、CBSに対し、自分たちは動かない、と述べた。
地域コミュニティの人々は、4つの州にまたがって、1日に47万バレルの石油を輸送する、この37億8000万ドル(約4290億円)のパイプラインが、
主要な水源を汚染し、先祖の墓地や聖なる祈りの土地を、破壊するのではないかと懸念している。
ガーディアン紙は、建設業者は、すでに一部の文化遺産を破壊してしまった、と報告している。
抗議を行うエイモス・クック氏は、取材に対し、
「自分たちがここに来た目的を達成するまでは、どこにも行くつもりはない」と述べた。

退役軍人たちは、陸軍が、スー族に対して定めた、退去期限の12月5日の前後を通して、抗議を行う。
彼らのFacebookのイベントページでは、同グループの目的は、「我々の国を支援」し、「国内で行われているこの野蛮な不正を止める」ことだと述べられている。
抗議は非暴力的に行われるが、デモ参加者たちが、警察の攻撃によって負傷していることから、参加者には防護服、ガスマスク、耳栓、射撃用防音機などを持ち寄るよう、呼びかけられている。
麻薬、アルコール、武器の持ち込みは認められない。

また、「スタンディングロックを支援する退役軍人たち」は、11月上旬に、クラウドファンディングサイト「GoFundMe」に募金ページを立ち上げており、
デモ参加者に、食料や移動手段、必要物資を提供するための、寄付を募っている。

彼らの寄付についての詳細は、こちらから。

******* ******* ******* *******

そして昨日、わたしたちが抗議活動をしている最中に、
認可権限を持つ米国陸軍工兵隊(U.S. Army Corps of Engineers)が、スタンディングロック・スー族の居留地に近い、湖底でのパイプライン建設を許可しないと発表したのでした。


ダコタ・パイプライン、陸軍が見直しを検討:抗議デモ参加者に歓喜の渦
【RollongStone】2016/12/05
http://rollingstonejapan.com/articles/detail/27207

米陸軍工兵隊が12月4日、ダコタ・アクセス・パイプラインの建設予定地の、地役権の承認を行わず、"代替ルートを検討する"と発表したことを受け、
スタンディングロック・スー族の居留地に集まった、何千人もの抗議デモ参加者は、歓喜に沸いた。

米陸軍土木工事部門のジョーエレン・ダーシー次官補は同日、
「これまでに、スタンディングロック・スー族とパイプライン建設側で、幾多の協議と情報交換を重ねてきました。
しかし、すべきことが未だたくさん残されていることは明らかです。
この計画を迅速に完了し、責任を全うするためには、パイプラインの設置ルート見直しを検討するのが、最善の策です」
と語っている。

12月2日には、2,000人の退役軍人が、抗議デモ参加者を守るために抗議活動に参加するなど、抗議デモ参加者と警察機関の間の緊張が高まっていたが、
今回の発表を受け、抗議デモに集まった人々は、喜びに包まれている。


2016年12月4日、ノースダコタ州のキャノンボール郊外で、スタンディングロック・スー族の居留地の端のオセチ・サコウィン・キャンプを見下ろす丘の上に、支援者の退役軍人たちが「唯一の水」と書いた旗を立てている。/ SCOTT OLSON VIA GETTY IMAGES

12月4日の発表前、米司法省は、パイプラインが水の供給を脅かし、先住民の聖域を傷つけると繰り返し主張する抗議デモ参加者に対し、12月5日までに退去するよう通告していた。

米内務長官サリー・ジュエルは、12月4日の発表は、
「パイプラインの代替ルートと、その潜在的な影響に関する綿密な調査、ならびに評価が確実に行われるようにするもの」であり、
「条約、連邦法、ならびに先住民族のリーダーとの協議によって、保障されている先住民の権利が、環境影響評価書の作成における調査に、必要不可欠な要素であることを強調するもの」であると、声明を通してコメントしたと、ワシントンポスト紙は報じている。

予算37億円のパイプライン工事の、地役権認可申請を却下するという陸軍の発表を受け、スタンディングロック・スー族のチェアマンであるデーブ・アーチャンボルト2世は声明を発表し、
「我々は、政府の決断を全面的に歓迎し、オバマ大統領、陸軍司令部、司法省、内務省がとった、歴史の行く先を修正し、正義を行うという一歩に、最大限の感謝を持って賛辞を送ります。
スタンディングロック・スー族、ならびに全インディアン部族は、このオバマ大統領が下した歴史的な決断への感謝を、永遠に忘れることはありません」
と、政府の決断についてコメントした。

また、声明の中で、アーチャンボルト2世は、抗議活動に参加した人々について、
「このことのために声を上げてくださった、すべての方々に感謝します。
また、この運動を率いてくれた、我々の部族の若者に感謝します。
我々を応援してくれた、世界中の方々に感謝します。
我々の水を守るために、我々の戦いのために、野営地へと出向いてくださり、我々を応援してくださった何千人もの方々、
また、様々な方法で、時間、力、お金を、我々のために費やしてくださった、何万人もの方々に感謝します。
そして特に、我々とともに立ち上がってくれた、他地域に居留する、他民族の方々に感謝します。
あなたがたの困難の時には、我々が必ず、あなたがたのために立ち上がります」
と続けた。

さらにアーチャンボルト2世は、来るトランプ政権や、その他の先住民族の権利を脅かす人々について、
「今回の決断を尊重と、ここに至るまでの複雑な過程の理解」を望んでいる、と述べている。
(By Daniel Krepsーtranslation by Yu Sekine)

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「我々の国を支援」し、「国内で行われている、この野蛮な不正を止める」

このような目的がなぜ、日本の高江や辺野古の現場には存在しないのでしょうか?
電車に乗って、バスに乗って、飛行機に乗って、違う県や町から、異国から、大勢の人々が集まらないのでしょうか?
水は命。
海も命。
森も命。

「私たちには狩りをし、魚を釣り、植物を採る権利がある。
今までずっと、そうやって生活してきた。
私たちの暮らしをこれからも続けていくには、有刺鉄線のフェンスや、"立入禁止"と書かれた看板を、取り除く必要がある」

沖縄を蝕む米軍基地の増設と戦う人たちにとって、このダコタでの戦いと小さな勝利が、少しでも励みになることを願いつつ、
いや、まだまだ油断してはならない。
相手は狡猾で、力も金もある。
これはあくまでも中断であり、見直しであり、だからまた、どこかの地域の人たちが、戦わなければならないことになる。
という現実を思うと、いつの間にか、我々市井の市民という立場の人間に課されてしまっていた権力との戦いが、まだまだ続いて行くことが見えてきて、深いため息が出ないわけでもありませんが、
ここで諦めたり、くじけたり、どうでもいいやと投げてしまったり、知らない方が楽だと責任放棄をしたりするわけにはいきません。
どこの国にも子どもがいます。
自然があります。
動物もいます。
それらの未来を、わたしたちが汚したり、傷つけたり、命を奪ったりすることは、絶対に許されないのです。

さて、このダコタアクセスパイプラインに、た〜んまり投資している銀行の中でも、堂々のトップクラスに位置する日本の銀行の名前を、ここに示しておきます。
みずほ銀行、東京三菱UFJ、日興証券、SMBC、三井住友銀行です。
まだ他にもあるかもしれません。
でも、これらの銀行は巨額です。

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外に出ると、クリスマスツリー屋さんがオープンしていました。


モブデモをやっている時も、きれいに飾られた駅の構内を、買い物袋を両手にいっぱい持ちながら、通り過ぎて行く人たちがたくさんいました。
そんな人たちを、サングラスを通して見ているうちに、
凍えるような気温の中で、体を突き刺すような冷たい放水を受け、催涙ガスやゴム弾を撃たれ、傷つけられているダコタの人たちの姿が、
紐でグルグル巻きにされ、車の屋根から引きずり降ろされ、ボートから落とされた挙句に沈められている高江や辺野古の人たちの姿が、
わたしの脳裏に浮かんでは消え、また浮かんでは消えして、とても複雑な気持ちになりました。


12月6日・高江オスプレイパッド建設差し止め請求訴訟
地裁前集会と裁判傍聴の呼びかけ

http://takae.ti-da.net/e9184126.html

今、高江では、オスプレイパッド建設が、国家権力の名のもと、機動隊による市民弾圧のうえ、違法に強行されています。
連日、大量の資材が運び込まれ、急ピッチで工事は進められています。
施工ミスなどの指摘がある中、年内完成とうたわれています。

国は、返還を急ぎ、実績を明らかなものにしようと、
11月18日、地権者に「財産引渡通知書」を送付。
12月20日、返還記念式典、
12月22日、北部訓練場の過半の返還実施へと、矢継ぎ早に手続きを予定しています。
 
高江の住民31名は、国を相手に、工事の中止を求める「高江オスプレイパッド建設差し止め訴訟」を起こしています。
同時に、その判決がなされるまで工事中止を求める、仮処分の訴えも行いました。
(仮処分の決定は、12月6日以降に出る見込みです)
 
SACO合意が負担軽減など、全くのまやかしです。
危険なオスプレイの基地を、次の世代に残してはいけません。
県民の命を繋ぐ水源地を守るため、やんばるの自然と暮らしを守るため、この裁判で工事を差し止めにし、建設中止を訴えていきたいと思います。


下記の日程で、裁判訴訟があります。
事前集会・裁判傍聴もあります。
是非、ご参集よろしくお願いします。

2016年12月6日(火)
13:30~那覇地裁前・城岳公園前にて事前集会
14:30~傍聴券配布(時間の変更があるかもしれません)
15:00~第2回本案訴訟(高江オスプレイパッド建設差し止め請求)公開


主催:「ヘリパッドいらない」住民の会  
連絡先:090-9789-6396
 
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地球の蘇生に、ゲイに、福島に、想いを馳せた一日

2016年06月27日 | 世界とわたし
歩美ちゃんとわたしとで始めた家庭菜園は、今年で3年目を迎えた。
3年目にして、水をやり過ぎていることを、日本人とアメリカ人のお百姓さんから注意されたほどの素人っぷりながら、
今年は葉ものシリーズと決めて、小松菜、菊菜、水菜、ケールを後ろの庭で、ピーマン、トマト、大根、ゴーヤ、ブラックベリー、ハーブ類を前の庭で育てている。
もちろん、何度も念を押されたように、お水は三日にいっぺんぐらい。(平坦な土地で、少々粘土質な土の場合)
お水やりの時間は早朝。
お昼間は以ての外で、夕方もだめ。
やるときゃゴキッとやって、からっからに乾いた喉を潤してあげなさい。
ピーマンやトマトは、実がなり始めたら、実に水がかからないように注意しなさい。
ほどほどに厳しい環境を与えると、根がしっかりと伸びていく。
ジャアジャア水やって甘やかすのは、植物にもよくないし、環境破壊にもなるし、だいいちあんた、水代が大変だったでしょ。
はは〜、その通りだったでございます。

とまあ、かなりトホホな菜園人なのだが、歩美ちゃんが時々撒いてくれるEM菌の助けを借りて、そこそこの収穫を得ていた。
そのEM菌溶液。
いつも目にしながら、いったい何モノなのか、しっかりわかっていなかったわたしに、白鳥監督の映画『蘇生』の鑑賞チャンスがやってきた。
千子さんが企画し、それを実現させてくれた鑑賞会だ。

行く気満々でいたのだが、木曜日の晩に、ドライマンゴーの一切れを食べていたら、いきなり左下の一番奥の歯の詰め物がポロっと外れてしまった。
舌の先で恐る恐る調べてみると、かなり深〜い穴ができている。
そりゃそうだ。
もう数年前のことになるけれど、これ以上掘れないというくらい深く掘りましたからね、もう次は無いと思ってねと、歯医者から忠告されてた歯だもんな。
慌てて白湯でうがいして、痛みがやって来ないよう祈りながらその晩は寝て、翌日の金曜日の朝、歯医者探しが始まった。
ここで何度も話しているように、わたしのような極小自営業の人間は、月々10万円強の支払いを強いられる健康保険を持っていても、歯と目の治療のための保険が無い。
だから実費で払わなければならない。
せめて少しでも安くなればと、ディスカウントの保険もどきがたくさんあるけれど、それがその歯科医院が取り扱っているのかどうか、それをいちいち確認しなければならない。
なので、評判が良い歯科医を見つけても、じゃあお願いしますと簡単には決められないし、評判が良い歯科医の予約は、ほとんど1ヶ月か2ヶ月先でしか取れない。
というわけで、何件かの歯科医院に電話をしては断られ、を繰り返し、結局は前回治療をしてもらった所に行くことにした。
緊急に入れてもらったのだから、治療に時間はかけられない。
麻酔がまだ効いているかどうかわからないうちに、ウィ〜ンという恐ろしい音がする器具が、歯の穴に当てられた。
削り始めてすぐに、イテテッと顔をしかめたわたし。
それを見て、ちょっとだけ待ってくれたけど、結局治療は再開された。
わたしが保険を持っていないことを知っている医者は、
「ここまで深いと、削るんじゃなくて、クラウンか、状態によってはインプラントが必要になる可能性もあるけれども、とりあえず粘ってみましょう」と言う。
そして、詰め物も、
「金属なら安いけどどうする?」と。
医者はかかる費用を説明しながら治療し、患者は支払いを心配しながら選択する。
それがここアメリカの医療の現実…。
ともあれ、痛みはかなりひどかった。
その痛みと、場所が奥だったことから、口をこれ以上開けられないというところまで開け続けていたのとで、かなり無理をしていたのだろう。
治療後にしつこく効いてきた麻酔が切れた頃から、なぜか右側の首と肩が突っ張って、ひどい痛みを生じるようになった。

長い前置きになってしまったが、そんなこんなの体調不良を抱えての、映画鑑賞だった。

上映の前に、EM菌についての説明があった。


インディアンポイント原発についての話をしてくれる歩美ちゃん。




微生物が地球を救う。
放射能汚染された地球環境を、蘇生させる微生物の、奇跡の力と方法。
白鳥哲監督ドキュメンタリー映画第5弾

実はこの、放射能汚染された環境を蘇生させる、ということを、わたしは納得できずにいた。
微生物の力がどれほど驚異的なのかについては、少しずつ学んでいくうちに、そして自分でも体験していくうちに、確信に近い思いを持っている。
だけど、放射能汚染にまで…と疑っていたわたしに、一つずつ、実際に出されたデータや、各国の取り組みなどを紹介してくれたこの映画は、大きな希望と安心をもたらしてくれた。
おまけに、とても小さなことだけど、手作りの味噌を食べていることを、誇らしく思えることが嬉しかった。


白鳥哲監督のことばより
http://officetetsushiratori.jp/sosei/message.php

それは福島から始まった。
2011年5月、短編映画「フクシマ」の撮影で、福島県へ。
ガイガーカウンターの数値は、美しい景色とは裏腹に、現実の厳しさを物語っていました。
私達人類は、地球に対して、大変なことをしてしまっている。
そう実感しました。
どうすれば良いのか?
何をすれば良いのか?

その答えを探し求めていたときに、「微生物による蘇生」を知ったのです。
そこから、希望の道筋への探求が始まりました。
調べれば調べるほど、実際に、微生物によって放射能問題が克服されているだけでなく、
他の様々な環境問題の、解決の糸口となる知恵と技術が、日本にあることがわかってきました。

今、人類は、想像を絶するスピードで、大気や海、山、川を汚染し続けています。
そして、この地球に生きる多くの生命を、奪い続けているのです。
種を根こそぎ絶滅させる勢いで、破壊を繰り返しています。

「自分さえよければいい」
「人間さえ良ければいい」

どこへ行っても、お金・・・紙切れ(紙幣)と金属(コイン)のために、
72億を超える人間たちが、暴走を続けています。

私たち人間は、人間だけでは生きていかれません。
動物や植物、空気、水・・・。
全ては、命の「恩送り」で繋がっているのです。

その事を無視して突き進むことは、自滅を意味します。
なぜなら、「いのち」のバトンは、受け取るだけでなく、与えることで成り立っているからです。
捧げあうことで成り立っているのです。

そんなことを思い出していただきたい・・・。
そして、後から続く子孫たちのためにも、全ての生命が共存出来る、地球にしていきたい・・・。

ひとりひとりが、それぞれの立場や考えに固執して、お互いを攻撃しあって対立する前に、
この地球に育んで頂いている、家族の一員として、尊重し合って、助け合って生きる喜びを分かち合いたい・・・。

そんな想いから、この作品が生まれました。

この地球に生を受けた、一地球生命体として、共に、地球蘇生へ向けて、行動していきましょう。



まず、わたしたちが、地球の蘇生のために最初にできることは、EM活性液を希釈したものをスプレーすること。
▪️トイレに
トイレの便器の汚れがつきにくくなる。
不快な臭いが消える。
排水管の中がきれいになる。

▪️部屋に
清々しい空気になり、イヤな臭いが消える。
ダニ予防にも効果的である。
ガラス拭き掃除は二度拭きいらずで簡単。
床のフローリングの汚れもきれいになる。

▪️風呂場に
入浴時に入れると湯あたりがやわらかくなる。
体の芯まで温まる。
浴槽の湯アカが落ちやすく、臭いやカビの発生を抑える。

▪️キッチンに
食器棚や冷蔵庫、流し台下の収納庫にスプレーすると、中のイヤな臭いがスッキリ取れる。
まな板や食器、レンジの汚れもスッキリ落ちる。

▪️ベットに
小屋周りやシート、ペットに直接シュッ。
シャンプー時にリンスとして使うと、毛並みが良くなり動物臭が消え、元気になる。

▪️洗濯に
洗剤の量を半分にして、原液を入れる。
ワイシャツの襟などの、しつこい汚れをしっかり落としたい時は、一晩浸け置きするとさらに効果的。

▪️家庭菜園に
花の色が鮮やかになり、元気に育つ。
野菜も美味しくなる。

ということで、手に入れたEM活性液を横目に、超〜楽しみなわたしなのである。

こちらで、EM活性液の広報活動に励んでいるテリーさん。


インディアンポイント原発の散々たる現状と、原発が廃炉になってもやっていけるという状況になっていることを説明してくれた歩美ちゃん。


第一部の鑑賞会に参加したみんなと。(帰ってしまった人もいる)



鑑賞会には、のりこ&ジャン夫妻もいて、この後一緒に時間を過ごすのが、この日の楽しみのひとつだった。
かなり遅いお昼ご飯(というか夕飯)を、近くのお蕎麦屋さんで食べ、ぶらぶら通りを歩いていると、なんだか賑やかな声が聞こえてきた。
翌日の日曜に行われる『Gay Pride Parede』の予行かな?と、近づいていくと…。







みんなノリノリ♪


レインボーの旗がひらひらと。


あちこちで、レインボーが見られる。






街がきっぱりと支持するという表明。


指揮の真似をするちびっこたち、可愛い!


場所は五番街。


明日はここを、ビレッジの方からセントラルパークまで、大勢の人たちが行進する。


練習はまだまだ続く。




そろそろ帰ろうかと歩き始めたら…え?あの人の群れは何?


じわじわと近づいてくる。




DYKE…レズビアンの人たちをからかったり、蔑視したりする時に使う言葉だ。


わぁ〜!


おっぱいをあげながら行進!すばらしい!


トップレスの女性も大勢いた。


腹に響く音がする。


すごい!






みんなてんでバラバラ、そして楽しそう!


最後尾から、ぞろぞろとついていく警察官のみなさん。


マンハッタンは、いろんな文化、いろんな思想、いろんな人種、いろんな願いを受け入れる。



それにしても、のりちゃんは、たった数週間前によく知るようになった人とは思えないほど、近しい感じがする人だ。
のりちゃんもまた、わたしに対して、同じような感じを持っていると言ってくれた。
のりちゃんとジャンは、一緒にいると楽しくて、心地よくて、時間があっという間に過ぎていく。
そんなのりちゃんと、しみじみ話した。
アメリカの政府や軍、そして巨大企業などの、一部の高みにいる人間たちは大っ嫌いだけど、市民はいいよね〜ほんとに。

そういうことは、どこの国でも同じなんだろう。
一部の人間たちによって歪められた印象を、子分になり果てた報道が伝え、わたしたちを騙していく。

地球の再生、生き物の再生のために、わたしたちはしっかりと学び、考え、行動しなければならない。
そういう時に来ているのだと、つくづく感じた1日だった。
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オバマ大統領の『広島スピーチ』への怒りと失望について考えた1週間

2016年06月02日 | 世界とわたし
昨日の朝、このビデオを見つけました。
それでようやく、昨日までの1週間、もやもやもやもやし続けていたのはなぜかということに、気づくことができました。

そのビデオとは、ノルマンディ上陸勝利記念集会での、各国の首長たちの様子を撮ったものです。



式典では、巨大なスクリーンに、第二次世界大戦の様々なシーンが映し出されていました。
そして、原爆が投下され、キノコ雲が立ち上がったそのシーンを観たオバマ氏が、無表情で拍手をしていたのです。
他にも拍手をしている人たちがいましたが、ドイツのメルケル首相は微動だにせず、ロシアのプーチン大統領は胸で十字を切りました。

もし仮にあの時、アメリカと抜きつ抜かれつの研究開発競争をしていたロシア(ソ連)チームが勝っていたら、
プーチン氏が拍手をし、オバマ氏は十字を切っていたかもしれません。
原爆を落とした国の首長は、あの悪魔的なキノコ雲の下に、どれほどの地獄が存在していたのか、想像をしたり、同情をしたりすることが許されていないのかもしれません。

ここアメリカでの、原爆投下から以降、多分今から20年前ぐらいまでの、原爆を正当化する教育は凄まじいものでした。
でも今は、教えている生徒たちの口から、原爆についての正しい認識が語られるようになっています。
だからこれはあくまで想像ですが、夫の世代ぐらいまでの大人はまだ、原爆投下は正しかった、という認識を持っている人が多いのではないかと思います。
だからオバマ氏も、そのような教育を受けて大人になり、政治の世界に入り、大統領まで登りつめました。
大統領という立場だからこそ、本心を伴わない言動をしなければならないことも多いのかもしれません。
特に、軍部の人間が周りにいる際には、その言動には注意しなければならないのかもしれません。
でも、でも、いくら良いように考えても、あのキノコ雲を観て拍手をするという彼の行動に、わたしはとても失望しました。

オバマ氏が、現職の米国大統領としては初めて、広島を訪問する。
そのニュースを聞いた時から、そのことを政治利用し、選挙を有利に運ばせようと躍起になる、政府のことを考えていました。
そのことをにぎやかに報じて、本当に報じなければならないことを報じなくなった己の恥を誤魔化せるとほくそ笑む、マスコミのことを考えていました。

せめて、彼のスピーチの中に救いがあったら…。
そう願いながら、彼のスピーチを聞きました。


71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。
閃光と炎の壁が、この街を破壊し、人類が、自らを破滅に導く手段を手にしたことが、はっきりと示されたのです。

なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?

私たちは、それほど遠くないある過去に、恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、ここにやって来ました。

私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、12人のアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。

彼らの魂が、私たちに語りかけています。
彼らは、自分たちが一体何者なのか、そして、自分たちがどうなったのかを振り返るため、内省するよう求めています。

広島だけが、際立って、戦争を象徴するものではありません。
遺物を見れば、暴力的な衝突は、人類の歴史が始まった頃からあったことがわかります。
フリント(編注・岩石の一種)から刃を、木から槍を作るようになった、私たちの初期の祖先は、それらの道具を狩りのためだけでなく、自分たち人類に対しても使ったのです。

どの大陸でも、文明の歴史は、戦争で満ちています。
戦争は、食糧不足、あるいは富への渇望から引き起こされ、民族主義者の熱狂や宗教的な熱意で、やむなく起きてしまいます。

多くの帝国が、勃興と衰退を繰り返しました。
多くの人間が、隷属と解放を繰り返しました。
そして、それぞれの歴史の節目で、罪のない多くの人たちが、数えきれないほどの犠牲者を生んだこと、
そして、時が経つに連れて、自分たちの名前が忘れ去られたことに、苦しめられました。

広島と長崎で、残酷な終焉へと行き着いた第二次世界大戦は、最も裕福で、もっとも強大な国家たちの間で戦われました。
そうした国の文明は、世界に、大都市と優れた芸術をもたらしました。
そうした国の頭脳たちは、正義、調和、真実に関する、先進的な思想を持っていました。
にもかかわらず、支配欲、あるいは征服欲といった、衝動と同じ衝動から、戦争が生まれたのです。
そのような衝動が、極めて単純な部族間同士の衝突を引き起こし、新たな能力によって増幅され、新たな制限のない、お決まりのパターンを生んでしまったのです。

数年の間に、およそ6000万人もの人たちが、亡くなりました。
男性、女性、子供、私たちと何ら違いのない人たちが、です。
射殺され、撲殺され、行進させられて殺され、爆撃で殺され、獄中で殺され、餓死させられ、毒ガスで殺されました。
世界中に、この戦争を記録する場所が、数多くあります。
それは、勇気や、勇敢な行動を綴った記念碑、言葉では言い表せないような、卑劣な行為の名残でもある、墓地や空っぽの収容所といったものです。

しかし、この空に立ち上ったキノコ雲の映像を見た時、私たちは、人間の中核に矛盾があることを、非常にくっきりとした形で思い起こすのです。

思考、想像力、言語、道具を作る能力、
そして、人間の本質と切り離して自分たちを定めたり、自分たちの意志に応じてそうした本質を曲げたりする能力、
そのような、際立つ能力を持つ私たち人類に、類を見ない破滅をもたらすような能力を与えられることが、
どれだけの悲劇をもたらす誘発剤となってしまうか。

物質的な進歩、あるいは、社会的な革新によって、こうした真実がどれだけ見えなくなってしまうのか。

より高い信念という名の下、どれだけ安易に、暴力を正当化してしまうようになるのか。

どの偉大な宗教も、愛や平和、正義への道を約束します。
にもかかわらず、信仰こそ殺人許可証である、と主張する信者たちから免れられないのです。

国家は、犠牲と協力で、人々が団結するストーリーをこしらえ、優れた功績を認めるようになります。
しかし、自分たちとは違う人々を抑圧し、人間性を奪うため、こうしたものと同様のストーリーが、頻繁に利用されたのです。

科学によって、私たちは、海を越えて交信したり、雲の上を飛行したりできるようになり、
あるいは、病気を治したり、宇宙を理解したりすることができるようになりました。
しかし一方で、そうした発見は、より効率的な殺人マシンへと、変貌しうるのです。

現代の戦争が、こうした現実を教えてくれます。
広島が、こうした現実を教えてくれます。

技術の進歩が、人間社会に、同等の進歩をもたらさないのなら、私たち人間に、破滅をもたらすこともあります。
原子の分裂へとつながった科学的な変革には、道徳的な変革も求められます。

だからこそ、私たちはこの場所に来るのです。

私たちは、この街の中心に立ち、勇気を奮い起こして、爆弾が投下された瞬間を想像します。

私たちは、目の当たりにしたものに混乱した、子どもたちの恐怖に思いを馳せようとします。

私たちは、声なき叫び声に耳を傾けます。

私たちは、あの悲惨な戦争が、それ以前に起きた戦争が、それ以後に起きた戦争が、進展していく中で殺された、すべての罪なき人々を追悼します。

こうした苦しみを、言葉に表すことはできません。
しかし、私たちは、歴史を直視するために、共同責任を負います。
そして、こうした苦しみを二度と繰り返さないためにはどうすればいいのかを、自らに問わなければなりません。

いつの日か、証言する被爆者の声が、私たちのもとに届かなくなるでしょう。
しかし、1945年8月6日の朝の記憶を、決して薄れさせてはなりません。
その記憶があれば、私たちは、現状肯定と戦えるのです。
その記憶があれば、私たちの、道徳的な想像力をかき立てるのです。
その記憶があれば、変化できるのです。

あの運命の日以来、私たちは、自らに希望をもたらす選択をしてきました。

アメリカと日本は、同盟関係だけでなく、友好関係を構築しました。
それは、私たち人間が、戦争を通じて獲得しうるものよりも、はるかに多くのものを勝ち取ったのです。

ヨーロッパ各国は、戦場を、交易と民主主義の結びつきを深める場に置き換える、連合を構築しました。
抑圧された人々と国々は、解放を勝ち取りました。
国際社会は戦争を防ぎ、核兵器の存在を制限し、縮小し、究極的には廃絶するために、機能する組織と条約をつくりました。

それでもなお、世界中で目にする、あらゆる国家間の侵略行為、あらゆるテロ、そして腐敗と残虐行為、そして抑圧は、
私たちのやることに、終わりがないことを示しています。

私たちは、人間が、邪悪な行いをする能力を、根絶できないかもしれません。
だから、国家や私たちが構築した同盟は、自らを守る手段を持たなければなりません。
しかし、私の国のように核を保有する国々は、勇気を持って、恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求しなければなりません。

私が生きている間に、この目的は達成できないかもしれません。
しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。
このような破壊をもたらす核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が、狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。

それだけでは十分ではありません。
世界では、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。
私たちの心を変えなくてはなりません。
戦争に対する考え方を、変える必要があります。
紛争を、外交的手段で解決することが必要です。
紛争を終わらせる努力をしなければなりません。

平和的な協力をしていくことが重要です。
暴力的な競争をするべきではありません。
私たちは、築きあげていかなければなりません。
破壊をしてはならないのです。
なによりも、私たちは、互いのつながりを、再び認識する必要があります。
同じ人類の一員としての繋がりを、再び確認する必要があります。
つながりこそが、人類を独自のものにしています。

私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。
選択をすることができます。
子供達に対して、別の道もあるのだと、語ることができます。

人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を、作っていくことができます。
物語は、被爆者の方たちが、語ってくださっています。
原爆を落としたパイロットに、会った女性がいました。
殺されたそのアメリカ人の家族に、会った人たちもいました。
アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています

アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。
すべての人類は平等である。
そして、生まれもった権利がある。
生命の自由、幸福を希求する権利です。
しかし、それを現実のものとするのは、アメリカ国内であっても、アメリカ人であっても、決して簡単ではありません。

しかし、その物語は真実である、ということが非常に重要です。
努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。
すべての人がやっていくべきことです。
すべての人命は、かけがえのないものです。
私たちは、「一つの家族の一部である」という考え方です。
これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。

だからこそ私たちは、広島に来たのです。
そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。
たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、
そういった素晴らしい瞬間が、71年前の、この場所にもあったのだということを、考えることができます。

亡くなった方々は、私たちと全く変わらない人たちです。
多くの人々は、そういったことを理解できると思います。
もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。
科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしい、と考えています。

国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が、広島から得られるでしょう。

世界は、この広島によって、一変しました。
しかし今日、広島の子供達は、平和な日々を生きています。
なんと貴重なことでしょうか。
この生活は、守る価値があります。
それを、全ての子供達に、広げていく必要があります。
この未来こそ、私たちが選択する未来です。
未来において、広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として、知られることでしょう。


(まうみ注・外交政策のスピーチライターは、ホワイトハウスのローズ大統領副補佐官ですが、今回のこのスピーチは、オバマ氏自身が手書きで書いたそうです)



全体を通して読むと(聞くと)、良いスピーチだと思います。
でもわたしは、スピーチの冒頭の、この言葉を聞いてすぐに、音声を消してしまいました。

71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。

この人は何を言っているんだろう。
この人は何を言いたいんだろう。

アメリカは、原子爆弾を、旧ソ連との競争に勝とうと躍起になって研究開発し、実用化し、爆撃機に搭載し、投下を命令し、命令通りに投下した国です。
その投下された地上では、吹き飛ばされ、焼かれ、血まみれになって、最後の最後まで苦しんで死んでいった人たち、動物たちがいたのです。
それだけではなく、その後もずっと、恐ろしい後遺症などに苦しめられる人生を強いられ、そして亡くなっていきました。

70年以上も前のこととはいえ、原爆投下をした国の現職の大統領が、まるで他人事のように、昔話のように、そのことを語ったことに、
わたしは大きなショックを受け、当日はとうとう、他の部分を聞けませんでした。

何が死神だ!
何が舞い降りただ!
死神は、あんなものを造り、落としてみようと考え、それを実際に落とした、すべての人間たちだ!
あの、世にも恐ろしい爆弾は、舞い降りてきたのではなく、落とされたのだ。
世界は一変したのではなく、広島と長崎の、人々の暮らしと未来が一変したのだ。


怒りが胸の中をぐるぐる駆け回るのを感じながら、この一週間、たくさんの記事を読んでいました。
その中からひとつ、ここに紹介させてもらいます。
↓以下、転載はじめ

米資本と話をつけたナチ高官が、ドイツを降伏させた段階で、日本の敗北は決定
原爆投下はソ連向け

【櫻井ジャーナル】2016.05.25
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201605250000/
 
バラク・オバマ米大統領は、保有する核兵器を増強するため、
今後30年間に、9000億ドルから1兆ドルを投入する計画を打ち出し、ヨーロッパでは、ロシアに対する核攻撃の準備を進めている。
アメリカは、核兵器を保有していない国を攻撃する口実に、核兵器を利用しているが、
自らが核兵器の保有をやめる姿勢は見せず、「核兵器のない世界」を望んでいるとは到底思えない。


核兵器を口実にして、アメリカ軍が侵略したイラクの場合
ジョーンズ・ホプキンス大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると、2003年の開戦から2006年7月までに、約65万人のイラク人が殺された
イギリスのORBは、2007年夏までに、94万6000名から112万人
NGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは、133万9000人余りが殺された、としている。
しかも、殺戮と破壊は今でも続いている

アメリカが、初めて核兵器を実戦で使ったのは、勿論、広島だ。
1945年8月6日、ウラニウム235を使った原子爆弾「リトル・ボーイ」を投下、9万人から16万6000人を殺しただけでなく、
その後も、原爆が環境中に放出した放射性物質によって、人間を含む生物は殺されてきた

その3日後には、プルトニウム239を利用した「ファット・マン」が長崎に落とされて、3万9000人から8万人が殺され、
広島と同じように、放射線物質の犠牲者も多い


一般に、第2次世界大戦は、1939年9月に、ドイツ軍が「ポーランド回廊」の問題を解決するために、軍事侵攻したときから始まると考えられている
飛び地になっていた、東プロイセンを奪還しようとしたわけだ。
この領土問題がこじれた理由のひとつは、イギリスを後ろ盾とするポーランドが、強硬だったことにあるとも言われている。

ドイツのポーランド侵攻から2日後に、イギリスとフランスは宣戦布告するが、本格的な戦争は、それから約半年の間、始まらない
ドイツも攻撃しなかった
いわゆる「奇妙な戦争」である。

それでもドイツは、1941年4月までに、ヨーロッパ大陸を制圧。
5月10日に、ナチスの副総統だったルドルフ・ヘスが、スコットランドへ単独飛行する。
そこで拘束されてから、1987年8月17日に獄中死するまで、ヘスの口から飛行の目的が語られることはなく、今でも謎とされている。

そして、6月22日に、ドイツ軍はソ連侵略、つまり、バルバロッサ作戦を開始した。
このタイミングから、ヘスがイギリスへ向かったのは、ソ連を攻めるにあたり、西からの攻撃を避けるために、話し合うことが目的だったとも推測されている。

1942年8月に、ドイツ軍は、スターリングラード(現在のボルゴグラード)市内へ突入するが、
11月からソ連軍が反撃に転じ、ドイツ軍25万人は、包囲されてしまう。
生き残ったドイツ軍9万1000名は、1943年1月31日に降伏、2月2日に、戦闘は終結した。
この段階で、ドイツの敗北は決定的
ドイツが降伏すれば、日本は戦争を続けられないと考えられていたわけで、日本の敗北も不可避だった

その後、ソ連軍は、西に向かって進撃を開始。
慌てたアメリカ軍は、シチリア島へ上陸するのだが、
その際、アメリカ海軍のONI(対諜報部)は、ユダヤ系ギャングのメイヤー・ランスキーを介して、イタリア系犯罪組織のラッキー・ルチアーノに接触、
その紹介で、シチリア島に君臨していた大ボスのカロージェロ・ビッツィーニと、手を組むことに成功した。
シチリア島がマフィアの島になった一因はここにある。

1943年9月に、イタリアは無条件降伏、44年6月には、ノルマンディーへ上陸する。
「オーバーロード作戦」だ。
この上陸作戦は、1943年5月、ドイツ軍がソ連軍に降伏した3カ月後に、ワシントンDCで練られている。

スターリングラードの戦いで、ドイツ軍が劣勢になると、ドイツのSS(ナチ親衛隊)は、アメリカとの単独講和への道を探りはじめ、
実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘを、スイスにいたアレン・ダレスの下へ派遣している。
当時、ダレスは、戦時情報機関OSSのSIB(秘密情報部)を率いていたが、
兄のジョン・フォスター・ダレスと同じように、ウォール街の大物弁護士、つまり巨大資本の代理人だ。

1944年になると、ドイツ陸軍参謀本部で、ソ連情報を担当していた、第12課の課長のラインハルト・ゲーレン准将(当時)も、ダレスに接触、
45年初頭に、ダレスは、SSの高官だったカール・ウルフに、隠れ家を提供。
北イタリアにおける、ドイツ将兵の降伏についての秘密会談も行われた。
サンライズ作戦だ。
ウルフは、イタリアにいる親衛隊を統括、アメリカ軍のイタリア占領を、迅速に実現させることができる立場にあった。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995 / Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)

こうしたドイツとアメリカが、単独降伏の秘密交渉を、水面下で行っていることを察知したソ連のスターリンは、
ドイツに、ソ連を再攻撃させる動きだとして、アメリカ政府を非難
する。
ルーズベルト大統領は、そうした交渉はしていないと反論しているが、そのルーズベルトは、1945年4月に、執務室で急死。
5月にはドイツが降伏、その直後に、ウィンストン・チャーチル英首相は、JPS(合同作戦本部)に対し、ソ連への軍事侵攻作戦を作成するように、命令している。
そして、5月22日に提出されたのが、「アンシンカブル作戦」。
7月1日に、米英軍数十師団とドイツの10師団が、「第3次世界大戦」を始める想定になっていた

この作戦が発動されなかったのは、参謀本部が計画を拒否したため。
攻撃ではなく、防衛に集中するべきだという判断だったが、日本が降伏する前にソ連と戦争を始めると、日本とソ連が手を組むかもしれないとも懸念したようだ。

ドイツが降伏した段階で、日本の命運は尽きたと、連合国側は判断したはずで、その前から、米英の支配層は、ソ連と戦争を始める準備をしていた。
ソ連と日本が、手を組む可能性を消しておくために、原爆を投下したという可能性はあるが、かなり小さい。
ソ連を意識しての原爆投下だった、と考えるべきだろう。

チャーチルは、1945年7月26日に退陣するが、翌46年3月5日に、アメリカのミズーリ州フルトンで、
「バルト海のステッティンから、アドリア海のトリエステにいたるまで、鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説、
47年には、アメリカのスタイルス・ブリッジス上院議員と会い、ソ連を核攻撃するよう、ハリー・トルーマン大統領を説得して欲しい、と頼んでいたという。

その後、アメリカの好戦派が、ソ連に対する先制核攻撃を目論んできたことは、本ブログで何度も指摘してきた。
1991年12月に、ソ連が消滅した後、ロシアはウォール街の属国になるが、
21世紀に入って再自立、米英支配層は、再びロシアを殲滅しようと目論んでいる
その流れに、オバマも乗っている


↑以上、転載おわり


日本に落とされた原子爆弾は2発。
けれども、同じ原子爆弾ではありませんでした。
広島に落とされたものは、濃縮ウランが原料のもので、開発に時間がかからないものでした。
長崎に落とされたものは、プルトニウムが原料のもので、その当時の最先端の技術が取り入れられた、だからその分、開発に手間取ったものでした。
戦争を終わらせるための爆撃だなんて、嘘も方便。
本当に終わらせたかったのなら、製造が容易な、濃縮ウランを原料とした原発を使えばよかったのですから。

いずれにせよ、どちらもソ連への見せしめであり、核兵器の威力がどんなものかを知りたいという欲であり、世界をこれで支配できる確信を得るための爆撃でした。

長崎に落とされたプルトニウム原子爆弾の破壊力に満足したものの、この原料は自然界には存在しません。
だから、プルトニウムを作らねばならない、作らせねばならない。
そのための施設が必要だ。
プルトニウムを作る際に出る熱を利用して湯を沸かし、電気を作るという設備なら、エネルギー供給に貢献するという誤魔化しが利く。
それを、『核の平和利用』などというトンデモな詐欺文句に乗せて、大手の広告代理店を始めとする報道機関に、一斉に伝えさせれば良い。
市民は報道、そして教育に、いとも簡単にだまされるのだから。
そしてもし、気づいた者がいたら、容赦なく潰せばよい。
見せしめになるし、他の者たちの新たな行動を、あらかじめ抑え込む効果も期待できる。

そもそもの始まり、そもそもの出発が、核兵器であり、これをできるだけ多く所有することが目的だったのです。

2009年の、プラハでのオバマ氏の演説は、だから本当に意味があり、世界に大きな波紋を広げました。
でも、アメリカ国内での反応は鈍く、このことを盛り上げないようにしようとする動きが、あちこちに見られました。
軍需産業にとっては、全く歓迎できない『核廃絶』を、オバマ氏の願いや決意だけで実現できるはずもなく、
だから具体的な取り組みも無し、他の国の政府とともに取り組もうという動きも無し、
無い無いづくめのまま、あっという間に8年が過ぎ去ろうとしています。

大統領であったからこそ動きが取れなかったのなら、大統領でなくなってからのオバマ氏の行動を、力を、今後も注視していく必要があります。
あの広島訪問の際も、重さが20キロもある、大統領専用の、核兵器使用の発令をする装置が入ったアタッシュケースが、常にオバマ氏のそばにありました。

『私の国のように核を保有する国々は、勇気を持って、恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求しなければなりません』

この言葉を、元大統領になったその日から、どうやって実現していくのか。
わたしたちはその実現への道を、どんなふうに支えることができるのか。
巨大な組織の方向転換の難しさは、想像を絶するものがあるでしょう。

でも、あきらめずに、前を向いて、くじけてもまた立ち上がり、実現に向けて努力することを、続けていかねばなりません。


おまけですが、オバマ氏の横で、満足気な顔をして立っていた男のことを少し。

オバマ広島訪問の一方で安倍首相の冷淡!
原爆養護ホーム訪問をドタキャンして、散髪と歯医者へ行っていた

【LITERA】2016.05.29
http://lite-ra.com/2016/05/post-2289.html

“オバマの歴史的広島訪問の立役者は自分だ”、と言わんばかりの安倍首相。
そのじつ、まったく広島のことなど、一顧だにしてこなかった。

・2014年の「原爆の日」を迎えた広島で、昨年とほぼ同じ“コピペ演説”を披露し批判を浴びたのに、いけしゃあしゃあと長崎でも、コピペのままだった。

・被爆者たちから起こっていた、集団的自衛権行使容認への批判の声に対し、「見解の相違ですね」の一言で切って捨てた。

・被爆した人たちの暮らす原爆養護ホームの訪問を、サボっていた。


毎年8月6日と8月9日、総理大臣は、それぞれ広島と長崎で行われる、式典に出席するだけでなく、
それぞれの地にある、原爆養護ホームを訪問することが、慣例になっている。
だが、安倍首相は、総理大臣に返り咲いた2013年の訪問を最後に、2014年、2015年と、訪問を行っていない
 
しかも、2014年の場合、当初は行く予定だったのを、急遽取りやめている
事実、訪問が予定されていた、原爆養護ホーム「矢野おりづる園」の当日のブログには、こう綴られている。

当初、安倍晋三首相も来訪の予定でしたが、スケジュールの都合で急遽帰京となり、国務大臣お二人での慰問となりました〉
 
突然、予定を変更するとは、なにか緊急で、東京に戻らざるを得ない大きな問題でもあったのか。
そう思い、当時の首相動静を調べてみたのだが、安倍首相は、驚きの行動を行っていた。
 
まず、安倍首相は、東京に戻るなり、議員会館内の歯科診療室に直行
さらに夕方には、行きつけにしている青山の美容室で、ヘアカットをしている。
つまり安倍首相は、原爆養護ホームへの訪問をドタキャンして、歯の治療や散髪をしていたのだ。
同年の長崎も同様だ。
原爆養護ホームを訪問することなく帰京すると、一旦、渋谷の私邸に戻り、その後すぐ、別荘のある山梨へ
そして、大学時代の同窓生たちとともに、炭火焼き料理を楽しんでいる

原爆投下から70年という、節目を迎えた昨年も、安倍首相は、広島・長崎の、原爆養護ホーム訪問を行っていない
ではその日、安倍首相はなにをしていたか。
6日は、帰京すると、取り巻きの大臣たちと会い、夜はお気に入りのホテル・アンダーズ東京の51階にある「アンダーズ タヴァン」で、高級ヨーロッパ料理に舌鼓
9日は、羽田空港から、私邸へ直帰している。
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