川内原発再稼働に群がる原発イケイケ集団の、あまりにもいい加減で無責任な言動について、
ご自身のブログ『明日に向けて』に詳しく書いてくださっている守田敏也さん。
その中のひとつを、ここに紹介させていただきます。
同志社大学社会的共通資本研究センターの客員フェローでおられた守田さんは、日本の森林についても造詣が深く、
林業の衰退を大きな背景として進んでしまった松枯れ現象や、カシノナガキクイムシの北東への移動によるナラ枯れの進展など、
各地で発生している集団枯損によって、疲弊を深めている日本の森林を守ろうと、
福島原発事故以前は、ナラ枯れ対策で、主に、京都付近の山々を駆け回っておられました。
そんな守田さんならではの視点から、川内原発の再稼働は絶対に阻止しなければならない理由を、説明してくださっています。
↓以下、転載はじめ
一番大切なのは命の源である社会的共通資本としての自然だ!
原発再稼働絶対反対!!
2014年11月14日
守田です。
川内原発再稼働について、昨日、鹿児島県伊藤知事の記者会見への批判を書きました。
その中で、九州電力が、設備の根本を抜本的に変えるのでもない付け足し的な対策で、
想定外の事故であるメルトダウンが起こっても、格納容器を守り、福島原発事故の約2000分の1に放射能漏れを抑えると、豪語していることを紹介しました。
これを原子力規制委員会が、「絶対に安全だとは言わないが」などと言いつつ受けてしまい、
さらに伊藤知事が追認してしまったことを、明らかにしました。
こんな重大な決定が、誰もが最後の責任を回避しながら、まかり通ろうとしています。
福島原発事故で、これまで誰一人逮捕されておらず、東電に対して、税金を使った救済ばかりが行われるのをみて、
これらの人々は、「責任などとらなくても良い。罰せられることもない」と、学習してしまったのでしょう。
しかし、そのことで、もっとも大事なものを、私たちの国は失う危機に直面しています。
福島原発事故のとき、日本列島に住んでいる私たちは、原子炉から放出されたすべての放射能を浴びずに済みました。
原発から出た放射能の多くが、地上に落ちずに、洋上へと流れて行ったからです。
もちろん、関東、東北を中心に、大変な被曝が発生したし、
洋上に流れたものの一部もまた、ハワイやアメリカを激しく汚染し、海も深刻に汚染してしまったわけですから、
心からいたましく申し訳ないことであり、「幸い」などとは絶対に言えないことではあります。
しかし、川内原発が事故を起こしたら、どうなるでしょうか。
毎年列島を訪れる、台風の進路などを考えれば分かるように、
鹿児島で吹き上げられた放射能は、その大半が、日本列島を横断していくことになります。
洋上に落ちたものも、黒潮や対馬海流にのって、列島を囲むように流れていきます。
川内原発事故は、もっとも大量の放射能を、日本列島に飛来させる可能性があるところに、位置しているのです。
台風だけでなく、毎年、中国大陸から飛んでくる、大量の黄砂を考えても分かります。
そうなると、私たちの国の山々や大地は、福島原発事故をはるかに上回る放射能汚染を、被る可能性があります。
そのとき、私たちが失うのは、日本列島にたくさん存在している、美しい森林に支えられた自然です。
現在、国土にしめる森林面積は67%。
世界平均約30%に対して、ダントツの割合ですが、
福島原発事故が教えたように、森林ほど汚染されたときにやっかいなものはない。
もちろん除染などできないし、さまざまに濃縮が起こって、汚染がより深刻化してしまいます。
それがどれほどの損失になるのか、私たちは今一度、深く考え直す必要があります。
私たちの国の森林は、四季の影響で、常に顔色を変えていく特徴を持っています。
古来より、この列島に住んだ人々は、四季折々の美しさを、多様な形で表現してきました。
その一例として、俳句では、「山笑ふ(春)、山滴る(夏)、山粧ふ(秋)、山眠る(冬)」と詠まれてきました。
この山と森の美しさは、日本列島が、南北に長く、幾つかの気候帯をまたいでいることにも関係があります。
日本海側と太平洋側でも、著しい気候の違いがあり、木々をはじめ、生物の種類を豊かにしているのです。
このため山々には、常緑樹と落葉樹、広葉樹と針葉樹が混交しています。
南から北、西から東へと、目まぐるしく様相が変わるだけでなく、高度によっても、木々の分布が変わってくる。
このため、山々を登っているだけでも、実に多様な木々に出会えるのです。
さらに、アジア大陸のヒマラヤ山塊をまわってくるジェット気流が、私たちの国土に、たぐいまれな状態を作り出しています。
一つは、冬に北西風が激しく吹き、日本海から蒸発した、水分をたくさん含んだ雲が到来するので、豪雪が降ることです。
これらの雪は、山々に雪渓を作りますが、実は、私たちの国が位置する緯度帯で、これだけの雪渓が作られる国は、ほとんどありません。
極めて珍しい現象なのです。
この雪渓が、巨大な天然のダムとなり、春から夏にかけて、麓に潤沢な水が安定的にもたらされます。
そのために、日本海側に、たくさんの米どころが形成されてきたのです。
反対に、太平洋側には、やはりジェット気流に乗って、夏に繰り返し台風がやってきて、列島を横断して、膨大な雨を降らせていく。
この大量の水が、植物をよく繁殖させますが、冬と夏で降水量が反対になるため、日本海側と太平洋側で、大きな植生の違いが生じてきました。
それが、作物の多様性も支えてきました。
ちなみにジェット気流は、ヒマラヤ山塊から、たくさんの高山植物の種子をも運んできます。
このため、日本の山々にはやはり、この緯度帯のこの高度では見られない貴重植物も、たくさん生息しているのです。
さらに、気候帯も、沖縄などの亜熱帯から、本州では、西側の暖温帯と東側の冷温帯が、中部山岳地帯で重なり合いつつ連続的に分布しており、さらに北海道には、亜寒帯も見られます。
一方で、瀬戸内には、雨が少ない内陸性気候的な地域も広がっています。
これらが、それぞれに違った植物を生息させ、多様な生物の住処を与えるため、
山にも里にも、ものすごく膨大な種の昆虫が発生し、チョウやバッタなどが、さまざまに飛び交います。
とくに春先に、一斉に木々が芽吹くと同時に、昆虫が発生するので、鳥類に、子育ての最高条件を与えることになるため、
ものすごく多様な種が発生するし、さらに、海の向こうからも渡ってきます。
たくさんの芋虫たちが、ひな鳥の成長とともに、大きくなってくれるためです。
春先の賑わいは、この生命連鎖が作りだしているものです。
こうした、動植物が生息しやすい条件は、先にも触れたように、私たちの国の農の営みにも、大きく貢献してきました。
何よりも、生物にとってもっとも大切な水が、豊富に降ることが大きい。
そのもとに、さまざまな種の命が、発生できることが大きい。
ただし、そのために、この列島に住まうには、古から自然を大事にし、敬虔な気持ちで、手当をし続ける必要がありました。
私たちの国土には、膨大な雨が降るため、洪水が起きやすく、川も氾濫しやすいのです。
一方で、一気に、山から海まで水が駆け降りてしまうため、瀬戸内に顕著なように、渇水も起こりやすい。
だからこそ私たちの先祖は、歴史的に、営々たる植林を行ってきたのでした。
さきに、私たちの国土の森林面積は、現在では67%と書きましたが、
こうした自然=神々への敬虔な気持ちを忘れ、自ら「神国」と名乗って戦争にあけくれた、第二次世界大戦末期には、50%を切ってしまっていました。
森林が乱獲されたためですが、そのため、戦争で焼け野原になった私たちの国は、直後に、繰り返し大変な洪水にも襲われたのでした。
ではどうして、森林は回復してきたのか。
主要には、荒れた山々をもとに戻すために、山里の人々が、営々たる植林を行ってくれたからです。
このもとで、私たちの国の山と森は、だんだんに再生してきたのでした。
その後に続いた高度経済成長は、この森林の再生に、大きな恩恵を受けました。
なぜか。
工業は、膨大な水を必要とするからです。
例えば中国では、急速な工業化のもとで、水を使い過ぎてしまい、黄河が毎年、何日も干上がって問題化しています。
各地で、深刻な水不足が発生しています。
そればかりか上流域で、どんどん砂漠化が進展し、首都の北京などが、毎年大変な砂塵に襲われてしまっています。
現在の中国の森林面積の割合は、18%しかない。
このことが、中国の抜本的な危機である、とすら言われています。
もっとも、日本の森林も、この間、山里への感謝を忘れたままに迎えた林業の衰退を、大きな背景としつつ、
松枯れ現象や、カシノナガキクイムシの北東への移動によるナラ枯れの進展などで、集団枯損が発生し、
各地で疲弊を深めており、けして楽観できない状況にありました。
実は、僕自身は、福島原発事故以前は、このナラ枯れ対策で、主に京都付近の山々を、駆け回っていました。
しかし原発事故以降、森林保護活動に、まったく手が回らなくなってしまった。
美しい自然を守り、次世代に引き継ぎたいと願って、友人たちとナラ枯れと格闘していたときに、
膨大な放射能が、山河に降り注いでしまったからです。
その点で僕は、関東、東北の山々のことも、本当に心配です。
ナラ枯れは、日本海側を駆け抜けるようにして北上し、東北山脈を越えて、太平洋側へと入りつつありました。
東北は、日本の近代化のために、森林資源の大供給地とされ続けてきたため、実は、ナラ類の純林が多い地域です。
純林は、害虫被害などに弱い森林です。
「だから対策をしなければいけない。そのために、東北の山林にいきたい」
そう考えて、実際に、コナラが5000本もある、東北大学植物園の素晴らしい森に入り、研究者の方とも出会えて、
今後の関わりの展望を、作り出しつつあったのが、2010年の秋でした。
しかし、その関東・東北の山々に、あろうことか、膨大な量の放射能が降ってしまったのでした。
森林はどうなっているのだろう。
動植物はどうなっているのだろう。
ごくごく一部の研究者たちが、チョウ類に影響が出ている兆候をつかんで、研究発表し、警鐘を乱打してくれています。
また、東北のオオタカに激しい被害が出ているという、ハンターの方たちからの情報を得たこともあります。
しかし、国は、何らの対応も研究もしようとしていない。
山と森は、ほったらかしにされたままです。
もちろん、そもそも人間に対しても、まともな被曝防護がなされておらず、対策の不備どころか、調査そのものが回避されており、動植物のことなどは、二の次三の次の状態です。
私たちとしても、当然にも、人を救うことを最優先せざるを得ない。
いや、それすらも、とてもではないけれども、手が回っていない厳しい状態です。
しかし、大自然は、私たちの生きる土台です。
まさに、私たちの命の源である、社会的共通資本なのです。
だから、自然が可哀想だとかいうことではなくて…いや、確かに、胸が痛くなるほどに可哀想であり、申し訳ないのですが…、
このままでは、私たちの生きる基盤が、じわじわと崩れていってしまいます。
私たちの国の自然力は、一見あまりに強いので、山々は、放っておいても木々を復活させてくれる、かのごとき錯覚が生じてしまいますが、そんなことは断じてない。
実際、戦争のときも、山々が疲弊し、その後に、大規模水害が多発したのです。
今、私たちに必要なのは、関東・東北の人々を救うことを、より進めることを大前提にですが、
もともと疲弊を強めていた、日本の山と森と、そこを守る山里の人々への、手当てをすることであり、
放射能の被害を調べて、可能な限りの対策を試みていくことです。
しかし、そんなときに、九州で原発事故が起こり、台風が通過していくように、日本列島が放射能汚染にまみれてしまったら、どうなるのでしょうか。
私たちの国はもはや、立て直すポテンシャルを失い、崩壊してしまうのではないでしょうか。
いや、その可能性が、非常に強くあるのです。
だからこそ私たちは、川内原発のことを、たとえ遠くに離れていると感じても、「九州の果てのこと」などと思うことは、絶対にできないのです。
遠いどころか、台風など、1日で関西、関東、東北にまでやってきて、北海道に抜けていくこともあります。
私たちの国に、多大な恩恵をもたらしてきてくれて、雪渓や高山植物など、世界でもまれな自然条件を私たちに与え続けてくれたジェット気流が、
今度は、放射能を運んでしまうことになるのです。
そうなったら、絶対絶命です。
にもかかわらず、
これほど重大な危機が隠されている原発の再稼働が、誰も本気で責任をとろうとしない人々によって、今、進められようとしているのです。
これに対し、九州の方たちが、本当に素晴らしい頑張りを、続けて下さっています。
ここに、全国各地からかけつけて、奮闘してくださっている方たちもたくさんいます。
何より、現場のこの奮闘を、私たち自身の命を守るものであることを肝に銘じて、連帯していきましょう。
思いつく限りの、すべてのことをしましょう。
日本列島に住まうすべての命を守るために、社会的共通資本としての自然を守るために、熱く連帯して頑張りましょう!!
ご自身のブログ『明日に向けて』に詳しく書いてくださっている守田敏也さん。
その中のひとつを、ここに紹介させていただきます。
同志社大学社会的共通資本研究センターの客員フェローでおられた守田さんは、日本の森林についても造詣が深く、
林業の衰退を大きな背景として進んでしまった松枯れ現象や、カシノナガキクイムシの北東への移動によるナラ枯れの進展など、
各地で発生している集団枯損によって、疲弊を深めている日本の森林を守ろうと、
福島原発事故以前は、ナラ枯れ対策で、主に、京都付近の山々を駆け回っておられました。
そんな守田さんならではの視点から、川内原発の再稼働は絶対に阻止しなければならない理由を、説明してくださっています。
↓以下、転載はじめ
一番大切なのは命の源である社会的共通資本としての自然だ!
原発再稼働絶対反対!!
2014年11月14日
守田です。
川内原発再稼働について、昨日、鹿児島県伊藤知事の記者会見への批判を書きました。
その中で、九州電力が、設備の根本を抜本的に変えるのでもない付け足し的な対策で、
想定外の事故であるメルトダウンが起こっても、格納容器を守り、福島原発事故の約2000分の1に放射能漏れを抑えると、豪語していることを紹介しました。
これを原子力規制委員会が、「絶対に安全だとは言わないが」などと言いつつ受けてしまい、
さらに伊藤知事が追認してしまったことを、明らかにしました。
こんな重大な決定が、誰もが最後の責任を回避しながら、まかり通ろうとしています。
福島原発事故で、これまで誰一人逮捕されておらず、東電に対して、税金を使った救済ばかりが行われるのをみて、
これらの人々は、「責任などとらなくても良い。罰せられることもない」と、学習してしまったのでしょう。
しかし、そのことで、もっとも大事なものを、私たちの国は失う危機に直面しています。
福島原発事故のとき、日本列島に住んでいる私たちは、原子炉から放出されたすべての放射能を浴びずに済みました。
原発から出た放射能の多くが、地上に落ちずに、洋上へと流れて行ったからです。
もちろん、関東、東北を中心に、大変な被曝が発生したし、
洋上に流れたものの一部もまた、ハワイやアメリカを激しく汚染し、海も深刻に汚染してしまったわけですから、
心からいたましく申し訳ないことであり、「幸い」などとは絶対に言えないことではあります。
しかし、川内原発が事故を起こしたら、どうなるでしょうか。
毎年列島を訪れる、台風の進路などを考えれば分かるように、
鹿児島で吹き上げられた放射能は、その大半が、日本列島を横断していくことになります。
洋上に落ちたものも、黒潮や対馬海流にのって、列島を囲むように流れていきます。
川内原発事故は、もっとも大量の放射能を、日本列島に飛来させる可能性があるところに、位置しているのです。
台風だけでなく、毎年、中国大陸から飛んでくる、大量の黄砂を考えても分かります。
そうなると、私たちの国の山々や大地は、福島原発事故をはるかに上回る放射能汚染を、被る可能性があります。
そのとき、私たちが失うのは、日本列島にたくさん存在している、美しい森林に支えられた自然です。
現在、国土にしめる森林面積は67%。
世界平均約30%に対して、ダントツの割合ですが、
福島原発事故が教えたように、森林ほど汚染されたときにやっかいなものはない。
もちろん除染などできないし、さまざまに濃縮が起こって、汚染がより深刻化してしまいます。
それがどれほどの損失になるのか、私たちは今一度、深く考え直す必要があります。
私たちの国の森林は、四季の影響で、常に顔色を変えていく特徴を持っています。
古来より、この列島に住んだ人々は、四季折々の美しさを、多様な形で表現してきました。
その一例として、俳句では、「山笑ふ(春)、山滴る(夏)、山粧ふ(秋)、山眠る(冬)」と詠まれてきました。
この山と森の美しさは、日本列島が、南北に長く、幾つかの気候帯をまたいでいることにも関係があります。
日本海側と太平洋側でも、著しい気候の違いがあり、木々をはじめ、生物の種類を豊かにしているのです。
このため山々には、常緑樹と落葉樹、広葉樹と針葉樹が混交しています。
南から北、西から東へと、目まぐるしく様相が変わるだけでなく、高度によっても、木々の分布が変わってくる。
このため、山々を登っているだけでも、実に多様な木々に出会えるのです。
さらに、アジア大陸のヒマラヤ山塊をまわってくるジェット気流が、私たちの国土に、たぐいまれな状態を作り出しています。
一つは、冬に北西風が激しく吹き、日本海から蒸発した、水分をたくさん含んだ雲が到来するので、豪雪が降ることです。
これらの雪は、山々に雪渓を作りますが、実は、私たちの国が位置する緯度帯で、これだけの雪渓が作られる国は、ほとんどありません。
極めて珍しい現象なのです。
この雪渓が、巨大な天然のダムとなり、春から夏にかけて、麓に潤沢な水が安定的にもたらされます。
そのために、日本海側に、たくさんの米どころが形成されてきたのです。
反対に、太平洋側には、やはりジェット気流に乗って、夏に繰り返し台風がやってきて、列島を横断して、膨大な雨を降らせていく。
この大量の水が、植物をよく繁殖させますが、冬と夏で降水量が反対になるため、日本海側と太平洋側で、大きな植生の違いが生じてきました。
それが、作物の多様性も支えてきました。
ちなみにジェット気流は、ヒマラヤ山塊から、たくさんの高山植物の種子をも運んできます。
このため、日本の山々にはやはり、この緯度帯のこの高度では見られない貴重植物も、たくさん生息しているのです。
さらに、気候帯も、沖縄などの亜熱帯から、本州では、西側の暖温帯と東側の冷温帯が、中部山岳地帯で重なり合いつつ連続的に分布しており、さらに北海道には、亜寒帯も見られます。
一方で、瀬戸内には、雨が少ない内陸性気候的な地域も広がっています。
これらが、それぞれに違った植物を生息させ、多様な生物の住処を与えるため、
山にも里にも、ものすごく膨大な種の昆虫が発生し、チョウやバッタなどが、さまざまに飛び交います。
とくに春先に、一斉に木々が芽吹くと同時に、昆虫が発生するので、鳥類に、子育ての最高条件を与えることになるため、
ものすごく多様な種が発生するし、さらに、海の向こうからも渡ってきます。
たくさんの芋虫たちが、ひな鳥の成長とともに、大きくなってくれるためです。
春先の賑わいは、この生命連鎖が作りだしているものです。
こうした、動植物が生息しやすい条件は、先にも触れたように、私たちの国の農の営みにも、大きく貢献してきました。
何よりも、生物にとってもっとも大切な水が、豊富に降ることが大きい。
そのもとに、さまざまな種の命が、発生できることが大きい。
ただし、そのために、この列島に住まうには、古から自然を大事にし、敬虔な気持ちで、手当をし続ける必要がありました。
私たちの国土には、膨大な雨が降るため、洪水が起きやすく、川も氾濫しやすいのです。
一方で、一気に、山から海まで水が駆け降りてしまうため、瀬戸内に顕著なように、渇水も起こりやすい。
だからこそ私たちの先祖は、歴史的に、営々たる植林を行ってきたのでした。
さきに、私たちの国土の森林面積は、現在では67%と書きましたが、
こうした自然=神々への敬虔な気持ちを忘れ、自ら「神国」と名乗って戦争にあけくれた、第二次世界大戦末期には、50%を切ってしまっていました。
森林が乱獲されたためですが、そのため、戦争で焼け野原になった私たちの国は、直後に、繰り返し大変な洪水にも襲われたのでした。
ではどうして、森林は回復してきたのか。
主要には、荒れた山々をもとに戻すために、山里の人々が、営々たる植林を行ってくれたからです。
このもとで、私たちの国の山と森は、だんだんに再生してきたのでした。
その後に続いた高度経済成長は、この森林の再生に、大きな恩恵を受けました。
なぜか。
工業は、膨大な水を必要とするからです。
例えば中国では、急速な工業化のもとで、水を使い過ぎてしまい、黄河が毎年、何日も干上がって問題化しています。
各地で、深刻な水不足が発生しています。
そればかりか上流域で、どんどん砂漠化が進展し、首都の北京などが、毎年大変な砂塵に襲われてしまっています。
現在の中国の森林面積の割合は、18%しかない。
このことが、中国の抜本的な危機である、とすら言われています。
もっとも、日本の森林も、この間、山里への感謝を忘れたままに迎えた林業の衰退を、大きな背景としつつ、
松枯れ現象や、カシノナガキクイムシの北東への移動によるナラ枯れの進展などで、集団枯損が発生し、
各地で疲弊を深めており、けして楽観できない状況にありました。
実は、僕自身は、福島原発事故以前は、このナラ枯れ対策で、主に京都付近の山々を、駆け回っていました。
しかし原発事故以降、森林保護活動に、まったく手が回らなくなってしまった。
美しい自然を守り、次世代に引き継ぎたいと願って、友人たちとナラ枯れと格闘していたときに、
膨大な放射能が、山河に降り注いでしまったからです。
その点で僕は、関東、東北の山々のことも、本当に心配です。
ナラ枯れは、日本海側を駆け抜けるようにして北上し、東北山脈を越えて、太平洋側へと入りつつありました。
東北は、日本の近代化のために、森林資源の大供給地とされ続けてきたため、実は、ナラ類の純林が多い地域です。
純林は、害虫被害などに弱い森林です。
「だから対策をしなければいけない。そのために、東北の山林にいきたい」
そう考えて、実際に、コナラが5000本もある、東北大学植物園の素晴らしい森に入り、研究者の方とも出会えて、
今後の関わりの展望を、作り出しつつあったのが、2010年の秋でした。
しかし、その関東・東北の山々に、あろうことか、膨大な量の放射能が降ってしまったのでした。
森林はどうなっているのだろう。
動植物はどうなっているのだろう。
ごくごく一部の研究者たちが、チョウ類に影響が出ている兆候をつかんで、研究発表し、警鐘を乱打してくれています。
また、東北のオオタカに激しい被害が出ているという、ハンターの方たちからの情報を得たこともあります。
しかし、国は、何らの対応も研究もしようとしていない。
山と森は、ほったらかしにされたままです。
もちろん、そもそも人間に対しても、まともな被曝防護がなされておらず、対策の不備どころか、調査そのものが回避されており、動植物のことなどは、二の次三の次の状態です。
私たちとしても、当然にも、人を救うことを最優先せざるを得ない。
いや、それすらも、とてもではないけれども、手が回っていない厳しい状態です。
しかし、大自然は、私たちの生きる土台です。
まさに、私たちの命の源である、社会的共通資本なのです。
だから、自然が可哀想だとかいうことではなくて…いや、確かに、胸が痛くなるほどに可哀想であり、申し訳ないのですが…、
このままでは、私たちの生きる基盤が、じわじわと崩れていってしまいます。
私たちの国の自然力は、一見あまりに強いので、山々は、放っておいても木々を復活させてくれる、かのごとき錯覚が生じてしまいますが、そんなことは断じてない。
実際、戦争のときも、山々が疲弊し、その後に、大規模水害が多発したのです。
今、私たちに必要なのは、関東・東北の人々を救うことを、より進めることを大前提にですが、
もともと疲弊を強めていた、日本の山と森と、そこを守る山里の人々への、手当てをすることであり、
放射能の被害を調べて、可能な限りの対策を試みていくことです。
しかし、そんなときに、九州で原発事故が起こり、台風が通過していくように、日本列島が放射能汚染にまみれてしまったら、どうなるのでしょうか。
私たちの国はもはや、立て直すポテンシャルを失い、崩壊してしまうのではないでしょうか。
いや、その可能性が、非常に強くあるのです。
だからこそ私たちは、川内原発のことを、たとえ遠くに離れていると感じても、「九州の果てのこと」などと思うことは、絶対にできないのです。
遠いどころか、台風など、1日で関西、関東、東北にまでやってきて、北海道に抜けていくこともあります。
私たちの国に、多大な恩恵をもたらしてきてくれて、雪渓や高山植物など、世界でもまれな自然条件を私たちに与え続けてくれたジェット気流が、
今度は、放射能を運んでしまうことになるのです。
そうなったら、絶対絶命です。
にもかかわらず、
これほど重大な危機が隠されている原発の再稼働が、誰も本気で責任をとろうとしない人々によって、今、進められようとしているのです。
これに対し、九州の方たちが、本当に素晴らしい頑張りを、続けて下さっています。
ここに、全国各地からかけつけて、奮闘してくださっている方たちもたくさんいます。
何より、現場のこの奮闘を、私たち自身の命を守るものであることを肝に銘じて、連帯していきましょう。
思いつく限りの、すべてのことをしましょう。
日本列島に住まうすべての命を守るために、社会的共通資本としての自然を守るために、熱く連帯して頑張りましょう!!