おとなもがんばってる。
そして若者たちもがんばってる。
寂聴さんも…背骨の圧迫骨折や胆嚢がんなどで、昨年5月からほとんど寝たきりなのに、それを押し切って駆け付けてくださった。
瀬戸内寂聴です。
満93歳になりました。
今日、たくさんの方が集まっていらっしゃったが、私よりお年寄りの方はいらっしゃらないのではないか。
去年一年病気をして、ほとんど寝たきりだった。
完全に治ったわけではないが、最近のこの状態には寝ていられない。
病気で死ぬか、けがをして死ぬか分からないが、どうせ死ぬならばこちらへきて、みなさんに、
「このままでは日本はだめだよ。日本はどんどん怖いことになっているぞ」
ということを申し上げて死にたいと思った。
私はどこにも属していない。
だれにも話していない。
ただ自分一人でやってきた。
もし私が死んでも、あくまでも自己責任だ、そういう気持ちで来た。
だから怖いものなしです。
何でも言って良いと思う。
私は1922年、大正11年の生まれだから、戦争の真っ只中に青春を過ごした。
前の戦争が実にひどくって大変かということを、身にしみて感じている。
私は終戦を北京で迎え、負けたと知ったときは殺されると思った。
帰ってきたら、ふるさとの徳島は焼け野原で、そこから考えたのは、
それまでの教育で、この戦争は天皇陛下のため、日本の将来のため、東洋平和のため、と教えられたが、
戦争に良い戦争は絶対にない。
すべて人殺しです。
殺さなければ殺される。
それは人間の一番悪いことだ。
二度と起こしちゃならない。
しかし、最近の日本の状況を見ていると、なんだか怖い戦争にどんどん近づいていくような気がいたします。
せめて死ぬ前にここへ来て、そういう気持ちを訴えたいと思った。
どうか、ここに集まった方は、私と同じような気持ちだと思うが、
その気持ちを他の人たちにも伝えて、特に若い人たちに伝えて、
若い人の将来が幸せになるような方向に進んでほしいと思います。
今週土曜日に、
『戦争法案に反対するハチ公前アピール街宣』があります。
そしてその前日の金曜日には、こんな女の子が発起人となったデモが札幌で行われます。
19歳フリーター、デモ初企画 戦争怖くてふるえる 26日札幌
【北海道新聞】 2015年6月23日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150623-00010001-doshin-hok
デモのビラを手にススキノの交差点に立つ高塚愛鳥さん。
26日はデモ行進後、ここでマイクを握る
「戦争は怖い。イヤだ。許せない。むかつく…。」
19歳、フリーター。
音楽とおしゃれが好きで、政治には関心がなかった。
そんな女の子が発起人となって26日、安全保障関連法案に反対するデモが札幌で行われる。
呼びかけたのは札幌市中央区の高塚愛鳥(まお)さん。
「戦争は怖い。イヤだ。許せない。むかつく…。若い世代が、自分たちの言葉で、反対の声を上げたい」と力を込める。
デモの名は「戦争したくなくてふるえる」。
若者に人気の歌手西野カナさんの曲の「会いたくて震える」という歌詞にかけた。
<戦争が始まったら自由が奪われる。バカな政治家たちに自由で楽しいあたし達の暮らしを奪われてたまるか!>。
インターネット上のデモの告知には、自身の写真とともに、そんなメッセージを載せた。
「人一倍怖がりで、戦争は特に怖い」と話す。
幼稚園の時、戦争を扱ったアニメ映画「火垂(ほた)るの墓」を見て、夜眠れずにベッドの中で震えた。
高校の修学旅行で訪れた広島では、原爆資料館の展示を直視できなかった。
中学時代、熱心な教師の影響で、貧しいアフリカの子供を助ける仕事がしたいと夢見た。
でも、高校時代は茶髪にピアス、短いスカートで、遊んでばかりいた。
「車いすの人権活動家」介助
昨年、半年で大学を中退し、札幌ススキノの飲食店などで働いた。
今春、語学留学したフィリピンでは、児童養護施設で子供たちと遊ぶボランティアをした。
全盲の父は娘の顔を見たことがなく、子供のころはよく顔をさすってくれた。
そのせいか、人と触れ合う仕事がしたいと、今は「車いすの人権活動家」として知られる安積遊歩(あさか・ゆうほ)さん(59)=札幌市西区=を介助するアルバイトをしている。
戦争は怖い、イヤだと思いつつ、デモでは何も変わらないと思っていた。
友達と街を歩いてデモと出くわしても、「うるさい」と思った。
それでも、もし戦争になったら、駆り出されるのは自分たちの世代。
無関心で遊んでばかりいていいのか―。
少しずつ考え始めた。
今月中旬、若者が「円山公園」でデモをすると知った。
(札幌の)円山なら行こうかなと思ったら、京都の円山だった。
その話を安積さんにすると、だったら自分でしたらいいと言われた。
「誰かがやんなきゃ誰もしない、何も変わらない」。
その日のうちに安保法案についてネットで調べ、若い友人たちにデモの企画をネットでぶち上げた。
行動力には自信がある。
デモは許可が必要と知り、翌日、警察署に申請した。
遊び仲間や大学生らに共感の輪が広がり、ネットの交流サイト、フェイスブックでは、デモへの「いいね!」が5日間で千を超えた。
ススキノまで行進
デモは26日、午後5時半に、大通西8丁目集合。
ススキノまで行進する。
事前申し込みなしで誰でも参加できるが、特に若い人たちに来てほしいと願っている。
「ススキノで遊んでる友達とか、飲み会サークルの大学生とか、あんまり関心なさそうな若者にこそ、法案の怖さを知ってほしい。反対の声を伝えたい」と話す。
「だって、自分たちの未来にかかわる問題なんだから」
なぜ今、市井の人たちが本気で踏ん張らなければならないか。
気がつくことができないように、内密に、慎重に、いかにも正しいことであるように見せかけて行動している団体や人々が存在しているからです。
昨年の8月15日に、『憲法を考える映画』の中の『ごまめのはぎしり』というブログに、こんなタイトルの記事が掲載されました。
「消される戦争の跡」と日本会議の正体
記事には、その当時行われた撤去や後援拒否や、さらには入選取り消しや会場の貸し出し拒否などについて書かれています。
少しだけ抜粋します。
◾️消される戦争の跡『説明板、突然の撤去」体験者ら危機感
大和海軍航空隊大和基地の跡地であることを説明する説明板が、設置した天理市によって撤去された。
理由は?
朝鮮人労働者や慰安所の女性が、強制連行されたという記述に「根拠がない」などとして、市に抗議の声が寄せられていたからで、
市長は、
「国全体で議論されている中、市の公式見解と受け止められるのは適当でない」という見解を出した。
◾️『戦跡』の大半放置・開発 / 戦争遺跡3万カ所 保護わずか216件
碑や説明板を撤去するなど、戦争の加害記述の『自重』も重なり、地域から戦争の記憶が消えていく。
・群馬県
県立公園内の朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑の撤去を、管理する市民団体に求めた。
理由は?
「存在自体が論争の対象となり、憩いの場である公園にふさわしくなくなった」(大沢正明知事)
・長崎県
平和公園内に計画した韓国人原爆犠牲者慰霊碑の建設が保留。
理由は?
「強制労働と虐待」などの文言に「平和公園が政治目的に利用される」などの抗議が市に相次いだため。
・埼玉県
平和資料館(東松山市)で展示されている年表から「慰安婦」「南京」の文字を削除。
・大阪国際平和センター
加害の歴史を大幅縮小する方向。
◾️戦争資料5040点さまよう
都の平和記念館の建設構想が頓挫。
『自虐的展示』『戦争正当化』など、都議会の議論が平行線
◾️市民主催の憲法講座を、国立市教委が『政権批判』のチラシを理由に後援せず
理由は?
予定されていた講座『憲法とわたしたち』のチラシの文言に、
「安倍内閣が憲法違反の法律を次々と成立させていることは周知の事実で(中略)、徹底的に批判すべきでありましょう」という記述があり、
違憲の判決のない現段階では、後援にふさわしくないと説明した。
「閣議決定にさまざまな意見があることは承知している。だが、違憲との最高裁判所が確定するなどしていない今の段階で、市教委として後援は難しい。
◾️埼玉県で、市民デモを詠った俳句の入選が取り消され、公民館誌から外される。
などなど、これらは東京新聞や朝日新聞に報道されたからわかったことで、日本中でこのようなことは起こっているのではないでしょうか。
このブログの筆者は、こんなふうにおっしゃっています。
「公務員として憲法を尊重し擁護しなければならない」という義務はないがしろにして、
憲法違反の決定が最高裁で確定しない限り憲法違反と批判できない、と言っているかのような答えです。
ここで問題にしたいのは、こうした戦争を記録して言い伝えていくという動きに対して、
あるいは政府の憲法違反を批判したり、秘密保護法など戦争体制準備の動きに反対する動きに対して、
自治体が妨害したり、それまで続いていた後援を取り消したり、会場を貸さないと言ったりという動きが多いことです。
自治体に働きかけて、こうした市民運動を妨害して止めさせようとする組織的な動きがあるのではないか、
そもそもそうした動きは、「二度と戦争を起こしてはならない」「憲法を守っていこう」という動きに対して、どのような意図をもって妨害しているのか、
と考えて思い至ったことがありました。
7月31日の東京新聞と8月1日の朝日新聞に、「日本会議」という組織についての詳しい記事が相次いで載りました。
7月31日の東京新聞
「日本最大の右派組織(結成97年・会員数3万5千人)日本会議を検証」
「役員に安倍首相、麻生副総理」
「女性蔑視、ツイッター物議…、地方議連のメンバー」
「改憲 歴史修正主義 伝統的家族観」
「国旗国歌法、改正教育基本法 首相の政治信条と重なる」
朝日新聞8月1日第1面記事
「『改憲を』19県議会自民主導」
「意見書・請願『日本会議』提唱」
朝日新聞8月1日第6面記事
「地方から改憲の声 演出」
「日本会議が案文 議員ら呼応」
「自民、国会発議めざしムードづくり」
「『真正保守』掲げる・安倍首相と重なる思想」
つまり、安倍さんが作りたい国の形と憲法(自民党憲法草案)が、
この右派組織日本会議が作る案文や国民向けの宣伝にあらわれているということです。
そして、そこに組織された地方議員を使って、改憲の意見書や請願を議会に出させたり、
自治体に圧力をかけて、
「二度と戦争を起こしてはならない」「憲法を守って人権を大切にしていこう」とか、
「権力者の暴走に歯止めをかけよう」あるいは「戦争できる国にしていこうとする動きを止めよう」といった市民の運動を妨害し、
力を持たないようにしようと組織的に動いているのです。
こうした動きは、一貫して安倍さんがとり続けている「論議をしない」という点でも一致しています。
教育を国民のものから権力の都合のいいものにし、メディアを権力の都合のいいものにし、そして市民が声を上げ批判的な意見をあげることを潰していく。
それはかつて、昭和30年代に、岸首相らがせっせと取り組んだことであり、また、かつて戦争への道へ国民を追いやった手法でもありました。
このまま行くと、もう少しで「戦争に反対する」と言うことさえ、口に出すのがはばかられる世の中に着々となりつつあるような気がします。
このような記事が書かれてから、もうすぐ1年が経ちます。
ここにきてやっと、気づき始めた人がひとり、またひとりと増えてきました。
アジカンの後藤くんのように、もうずっと前からはっきりと声を上げてくれている人がいて、本当に心強いです。
アジカン後藤が「どうやって早く安倍政権を終わらせるかを考えている」と…桑田圭祐とは違う本気度
【LITERA】2015.6.18
http://lite-ra.com/2015/06/post-1199.html
戦争のできる国づくりをめざして、今国会では、強引に安保法制を成立させようとしている安倍政権。
こうした動きに危機感を覚え、最近は、安倍批判や護憲発言をする芸能人や作家、アーティストが少しずつ増えてきている。
途中で腰砕けになったものの、紅白で政権を揶揄するパフォーマンスを見せたサザンオールスターズ・桑田佳祐、
ラジオで「安倍はバカ」発言をした爆笑問題の太田光、
作家では、『宰相A』(新潮社)で、積極的平和主義の本質を暴露した田中慎弥、
「戦前、戦中のような時代がやってくる」と、警告を発した中村文則、
さらには、「安倍首相の右翼的な動きが恐ろしい」と発言した蛭子能収など……。
そんななかでも、かなり踏み込んだ安倍批判を繰り広げるミュージシャンがいる。
先日、最新アルバム『Wonder Future』を発売したばかりのASIAN KUNG-FU GENERATION、略してアジカンの後藤正文である。
「Rolling Stone日本版」(セブン&アイ出版)2015年7月号の彼のソロインタビューで、インタビュアーによる、
「今、どんなことにピンと来ていますか?」といった質問に対し、後藤はこんな発言をしたのだ。
「どうやったら早く安倍政権が終わるかっていうことを考えていますね」
そして、
「最悪のタイミングで、最悪の人が総理大臣になっていると思います」と、安倍のことを一刀両断。
後藤は、昨年9月のイベントでも、ステージ上で「クソ安倍」と叫び、話題となったことがあるが、その危機感と怒りを持ち続けていたようだ。
しかし、後藤は、サザン桑田のように、ミュージシャン的なノリでこのような言葉を発したわけではなさそうだ。
彼のなかには、安倍批判だけでなく、その政治手法への危機感、安倍を支持する社会の空気への問題意識がある。
同インタビューの中で、彼はこんな発言をしている。
「世の中の一般的な人たちって、大きな変革がものすごく好きなの。
破滅願望と似ていて、『何か起きねぇかな』みたいな想いの裏返しですよね。
すごいリーダーが現れて、俺たちの社会をバラ色にしてくれるんじゃないかっていうような。
そういう願望が、安倍(晋三)さんとか橋下(徹)さんみたいな人の登場を担保しているわけなんですよ。
だけど、みんなの願望と実情が上手く噛み合うことはない。
だから、大きな破局みたいな変革があったら困るんだけども、
そういうのを俺たちが内心期待しちゃっているところが、現状を呼び込んでいて」
「同時に“強いリーダーみたいな人は、やっぱりいないんだな”って思いもあって。
あとは時間的な辛抱のなさとかが、その次のもっと深い無関心を呼び込んでしまっている」
救世主のような強いリーダーを求める一方、すぐに結果を出せなければ、世論は手の平返しで批判を強める。
そして、その次には、政治不信・政治への無関心が、国民の間に広がっていく。
まさに、投票率が下がり続けている今の日本の状況だ。
また、社会システムの改革には、ゆっくりと丁寧な議論が必要である。
しかし、今は大事な改革案にも関わらず、あまりにも拙速に事が進んでいる。
「性急な変革みたいなことは、あんまりないほうがいいと思ってる。
社会のシステムっていうのは、ベストな形がなくて、常にベターと思わしきものを選んでいくしかないでしょ。
何がベターかは人によって違うから、ぶつかり合うわけで。
どのへんがいちばん良さそうなのかは、調整し続けなきゃいけないわけですよね。
もちろん直すべきところは山積みでしょうけど」
「そういう改革はいつでも、常にあるべきですよね。
そのために、政治家は議論を続けているわけで。
だけど、社会のシステムがガラッと変わるような変化が起きてしまうと、不安定になる人がたくさん現れますよね」
丁寧な対話と議論を重んじる後藤の考えは、現政権よりもよっぽど“大人”ではないだろうか?
ロックミュージシャンよりも、内閣総理大臣のほうが、はるかに“サーチ&デストロイ!”な思想をもっているという2015年の日本は、恐ろしいばかりだ。
そして、彼は“格差社会”についても語っていく。
後藤自身、ロスジェネ世代であり、かつて「さよならロストジェネレイション」という楽曲も発表しているが、
そんな彼にとって、格差問題は常に考えるべきテーマであり続けている。
「生まれながらにしてチャンスが不平等だということに関しては憤ってる。
金持ちの家のヤツだけが高等な教育を受けられるなんて、不平等だよ。
金がなくて高校に行けない子たちがいるんだよ。
そういうのを解消するのが、政治の役割じゃないの?」
「たった数パーセントのヤツらが社会的な富を寡占するのが、本当に正しい競争かよ?とは思う。
そんなに金を持ってたって、『そこまで美味いもん、もうないだろ』って(笑)」
「みんな、同じ給料にしようとか言ってるわけじゃないよ。
儲かっているヤツは社会に奉仕する義務があるんじゃないか?っていうだけで。
大きな資産を持っていたり、突出した才能を世の中に認められている人間は、世の中に還元していかないといけないと思うんだよね」
後藤の主張しているこの考えは、“ノブレス・オブリージュ”と呼ばれ、欧米では当然の感覚。
富裕層によるチャリティ活動や寄付などが多いのは、この考えからくるものである。
彼自身、ささやかながら、この考えを実践している。
毎年、「NANO-MUGEN FES.」という音楽フェスを主催し、周囲のミュージシャンを自分たちのファンに紹介するのも、音楽業界を底上げするための試みだし、
「THE FUTURE TIMES」という無料配布の新聞をつくり、社会問題についての啓蒙活動を行っているのも、まさしくその一環だ。
ここまで紹介してきたように、単なるパフォーマンスではなく、深刻な危機感から社会的発言を行っている後藤だが、
インタビュー中で彼自身、「『アジカンのメガネがうるせぇこと言ってるな』で終わってしまうから」と自嘲している通り、
このような芸能人・文化人の発言には、「大した知識もないくせに」といった批判が飛び交う。
後藤正文もまさにそのひとり。
彼がなにかを発信するたびに、ネットを中心に批判が飛び交っている。
だが、彼らのような芸能人・文化人が、自らの主張を発信することの何がいけないのだろうか?
歴史を振り返れば、ボブ・ディランやジョン・レノンのメッセージが、ベトナム反戦運動を大きなうねりにしたし、
サム・クックやマーヴィン・ゲイの歌なしでは、公民権運動は成功しなかっただろう。
そういった力を信じ、批判を覚悟で自らの意見を主張する後藤正文を、当サイトは断固支持したい。
そして、彼の音楽を聴く若い世代が、彼の言葉にも耳を傾け、政治について、社会について考えるきっかけになることを、切に願っている。
(新田 樹)
そして若者たちもがんばってる。
寂聴さんも…背骨の圧迫骨折や胆嚢がんなどで、昨年5月からほとんど寝たきりなのに、それを押し切って駆け付けてくださった。
瀬戸内寂聴です。
満93歳になりました。
今日、たくさんの方が集まっていらっしゃったが、私よりお年寄りの方はいらっしゃらないのではないか。
去年一年病気をして、ほとんど寝たきりだった。
完全に治ったわけではないが、最近のこの状態には寝ていられない。
病気で死ぬか、けがをして死ぬか分からないが、どうせ死ぬならばこちらへきて、みなさんに、
「このままでは日本はだめだよ。日本はどんどん怖いことになっているぞ」
ということを申し上げて死にたいと思った。
私はどこにも属していない。
だれにも話していない。
ただ自分一人でやってきた。
もし私が死んでも、あくまでも自己責任だ、そういう気持ちで来た。
だから怖いものなしです。
何でも言って良いと思う。
私は1922年、大正11年の生まれだから、戦争の真っ只中に青春を過ごした。
前の戦争が実にひどくって大変かということを、身にしみて感じている。
私は終戦を北京で迎え、負けたと知ったときは殺されると思った。
帰ってきたら、ふるさとの徳島は焼け野原で、そこから考えたのは、
それまでの教育で、この戦争は天皇陛下のため、日本の将来のため、東洋平和のため、と教えられたが、
戦争に良い戦争は絶対にない。
すべて人殺しです。
殺さなければ殺される。
それは人間の一番悪いことだ。
二度と起こしちゃならない。
しかし、最近の日本の状況を見ていると、なんだか怖い戦争にどんどん近づいていくような気がいたします。
せめて死ぬ前にここへ来て、そういう気持ちを訴えたいと思った。
どうか、ここに集まった方は、私と同じような気持ちだと思うが、
その気持ちを他の人たちにも伝えて、特に若い人たちに伝えて、
若い人の将来が幸せになるような方向に進んでほしいと思います。
今週土曜日に、
『戦争法案に反対するハチ公前アピール街宣』があります。
そしてその前日の金曜日には、こんな女の子が発起人となったデモが札幌で行われます。
19歳フリーター、デモ初企画 戦争怖くてふるえる 26日札幌
【北海道新聞】 2015年6月23日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150623-00010001-doshin-hok
デモのビラを手にススキノの交差点に立つ高塚愛鳥さん。
26日はデモ行進後、ここでマイクを握る
「戦争は怖い。イヤだ。許せない。むかつく…。」
19歳、フリーター。
音楽とおしゃれが好きで、政治には関心がなかった。
そんな女の子が発起人となって26日、安全保障関連法案に反対するデモが札幌で行われる。
呼びかけたのは札幌市中央区の高塚愛鳥(まお)さん。
「戦争は怖い。イヤだ。許せない。むかつく…。若い世代が、自分たちの言葉で、反対の声を上げたい」と力を込める。
デモの名は「戦争したくなくてふるえる」。
若者に人気の歌手西野カナさんの曲の「会いたくて震える」という歌詞にかけた。
<戦争が始まったら自由が奪われる。バカな政治家たちに自由で楽しいあたし達の暮らしを奪われてたまるか!>。
インターネット上のデモの告知には、自身の写真とともに、そんなメッセージを載せた。
「人一倍怖がりで、戦争は特に怖い」と話す。
幼稚園の時、戦争を扱ったアニメ映画「火垂(ほた)るの墓」を見て、夜眠れずにベッドの中で震えた。
高校の修学旅行で訪れた広島では、原爆資料館の展示を直視できなかった。
中学時代、熱心な教師の影響で、貧しいアフリカの子供を助ける仕事がしたいと夢見た。
でも、高校時代は茶髪にピアス、短いスカートで、遊んでばかりいた。
「車いすの人権活動家」介助
昨年、半年で大学を中退し、札幌ススキノの飲食店などで働いた。
今春、語学留学したフィリピンでは、児童養護施設で子供たちと遊ぶボランティアをした。
全盲の父は娘の顔を見たことがなく、子供のころはよく顔をさすってくれた。
そのせいか、人と触れ合う仕事がしたいと、今は「車いすの人権活動家」として知られる安積遊歩(あさか・ゆうほ)さん(59)=札幌市西区=を介助するアルバイトをしている。
戦争は怖い、イヤだと思いつつ、デモでは何も変わらないと思っていた。
友達と街を歩いてデモと出くわしても、「うるさい」と思った。
それでも、もし戦争になったら、駆り出されるのは自分たちの世代。
無関心で遊んでばかりいていいのか―。
少しずつ考え始めた。
今月中旬、若者が「円山公園」でデモをすると知った。
(札幌の)円山なら行こうかなと思ったら、京都の円山だった。
その話を安積さんにすると、だったら自分でしたらいいと言われた。
「誰かがやんなきゃ誰もしない、何も変わらない」。
その日のうちに安保法案についてネットで調べ、若い友人たちにデモの企画をネットでぶち上げた。
行動力には自信がある。
デモは許可が必要と知り、翌日、警察署に申請した。
遊び仲間や大学生らに共感の輪が広がり、ネットの交流サイト、フェイスブックでは、デモへの「いいね!」が5日間で千を超えた。
ススキノまで行進
デモは26日、午後5時半に、大通西8丁目集合。
ススキノまで行進する。
事前申し込みなしで誰でも参加できるが、特に若い人たちに来てほしいと願っている。
「ススキノで遊んでる友達とか、飲み会サークルの大学生とか、あんまり関心なさそうな若者にこそ、法案の怖さを知ってほしい。反対の声を伝えたい」と話す。
「だって、自分たちの未来にかかわる問題なんだから」
なぜ今、市井の人たちが本気で踏ん張らなければならないか。
気がつくことができないように、内密に、慎重に、いかにも正しいことであるように見せかけて行動している団体や人々が存在しているからです。
昨年の8月15日に、『憲法を考える映画』の中の『ごまめのはぎしり』というブログに、こんなタイトルの記事が掲載されました。
「消される戦争の跡」と日本会議の正体
記事には、その当時行われた撤去や後援拒否や、さらには入選取り消しや会場の貸し出し拒否などについて書かれています。
少しだけ抜粋します。
◾️消される戦争の跡『説明板、突然の撤去」体験者ら危機感
大和海軍航空隊大和基地の跡地であることを説明する説明板が、設置した天理市によって撤去された。
理由は?
朝鮮人労働者や慰安所の女性が、強制連行されたという記述に「根拠がない」などとして、市に抗議の声が寄せられていたからで、
市長は、
「国全体で議論されている中、市の公式見解と受け止められるのは適当でない」という見解を出した。
◾️『戦跡』の大半放置・開発 / 戦争遺跡3万カ所 保護わずか216件
碑や説明板を撤去するなど、戦争の加害記述の『自重』も重なり、地域から戦争の記憶が消えていく。
・群馬県
県立公園内の朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑の撤去を、管理する市民団体に求めた。
理由は?
「存在自体が論争の対象となり、憩いの場である公園にふさわしくなくなった」(大沢正明知事)
・長崎県
平和公園内に計画した韓国人原爆犠牲者慰霊碑の建設が保留。
理由は?
「強制労働と虐待」などの文言に「平和公園が政治目的に利用される」などの抗議が市に相次いだため。
・埼玉県
平和資料館(東松山市)で展示されている年表から「慰安婦」「南京」の文字を削除。
・大阪国際平和センター
加害の歴史を大幅縮小する方向。
◾️戦争資料5040点さまよう
都の平和記念館の建設構想が頓挫。
『自虐的展示』『戦争正当化』など、都議会の議論が平行線
◾️市民主催の憲法講座を、国立市教委が『政権批判』のチラシを理由に後援せず
理由は?
予定されていた講座『憲法とわたしたち』のチラシの文言に、
「安倍内閣が憲法違反の法律を次々と成立させていることは周知の事実で(中略)、徹底的に批判すべきでありましょう」という記述があり、
違憲の判決のない現段階では、後援にふさわしくないと説明した。
「閣議決定にさまざまな意見があることは承知している。だが、違憲との最高裁判所が確定するなどしていない今の段階で、市教委として後援は難しい。
◾️埼玉県で、市民デモを詠った俳句の入選が取り消され、公民館誌から外される。
などなど、これらは東京新聞や朝日新聞に報道されたからわかったことで、日本中でこのようなことは起こっているのではないでしょうか。
このブログの筆者は、こんなふうにおっしゃっています。
「公務員として憲法を尊重し擁護しなければならない」という義務はないがしろにして、
憲法違反の決定が最高裁で確定しない限り憲法違反と批判できない、と言っているかのような答えです。
ここで問題にしたいのは、こうした戦争を記録して言い伝えていくという動きに対して、
あるいは政府の憲法違反を批判したり、秘密保護法など戦争体制準備の動きに反対する動きに対して、
自治体が妨害したり、それまで続いていた後援を取り消したり、会場を貸さないと言ったりという動きが多いことです。
自治体に働きかけて、こうした市民運動を妨害して止めさせようとする組織的な動きがあるのではないか、
そもそもそうした動きは、「二度と戦争を起こしてはならない」「憲法を守っていこう」という動きに対して、どのような意図をもって妨害しているのか、
と考えて思い至ったことがありました。
7月31日の東京新聞と8月1日の朝日新聞に、「日本会議」という組織についての詳しい記事が相次いで載りました。
7月31日の東京新聞
「日本最大の右派組織(結成97年・会員数3万5千人)日本会議を検証」
「役員に安倍首相、麻生副総理」
「女性蔑視、ツイッター物議…、地方議連のメンバー」
「改憲 歴史修正主義 伝統的家族観」
「国旗国歌法、改正教育基本法 首相の政治信条と重なる」
朝日新聞8月1日第1面記事
「『改憲を』19県議会自民主導」
「意見書・請願『日本会議』提唱」
朝日新聞8月1日第6面記事
「地方から改憲の声 演出」
「日本会議が案文 議員ら呼応」
「自民、国会発議めざしムードづくり」
「『真正保守』掲げる・安倍首相と重なる思想」
つまり、安倍さんが作りたい国の形と憲法(自民党憲法草案)が、
この右派組織日本会議が作る案文や国民向けの宣伝にあらわれているということです。
そして、そこに組織された地方議員を使って、改憲の意見書や請願を議会に出させたり、
自治体に圧力をかけて、
「二度と戦争を起こしてはならない」「憲法を守って人権を大切にしていこう」とか、
「権力者の暴走に歯止めをかけよう」あるいは「戦争できる国にしていこうとする動きを止めよう」といった市民の運動を妨害し、
力を持たないようにしようと組織的に動いているのです。
こうした動きは、一貫して安倍さんがとり続けている「論議をしない」という点でも一致しています。
教育を国民のものから権力の都合のいいものにし、メディアを権力の都合のいいものにし、そして市民が声を上げ批判的な意見をあげることを潰していく。
それはかつて、昭和30年代に、岸首相らがせっせと取り組んだことであり、また、かつて戦争への道へ国民を追いやった手法でもありました。
このまま行くと、もう少しで「戦争に反対する」と言うことさえ、口に出すのがはばかられる世の中に着々となりつつあるような気がします。
このような記事が書かれてから、もうすぐ1年が経ちます。
ここにきてやっと、気づき始めた人がひとり、またひとりと増えてきました。
アジカンの後藤くんのように、もうずっと前からはっきりと声を上げてくれている人がいて、本当に心強いです。
アジカン後藤が「どうやって早く安倍政権を終わらせるかを考えている」と…桑田圭祐とは違う本気度
【LITERA】2015.6.18
http://lite-ra.com/2015/06/post-1199.html
戦争のできる国づくりをめざして、今国会では、強引に安保法制を成立させようとしている安倍政権。
こうした動きに危機感を覚え、最近は、安倍批判や護憲発言をする芸能人や作家、アーティストが少しずつ増えてきている。
途中で腰砕けになったものの、紅白で政権を揶揄するパフォーマンスを見せたサザンオールスターズ・桑田佳祐、
ラジオで「安倍はバカ」発言をした爆笑問題の太田光、
作家では、『宰相A』(新潮社)で、積極的平和主義の本質を暴露した田中慎弥、
「戦前、戦中のような時代がやってくる」と、警告を発した中村文則、
さらには、「安倍首相の右翼的な動きが恐ろしい」と発言した蛭子能収など……。
そんななかでも、かなり踏み込んだ安倍批判を繰り広げるミュージシャンがいる。
先日、最新アルバム『Wonder Future』を発売したばかりのASIAN KUNG-FU GENERATION、略してアジカンの後藤正文である。
「Rolling Stone日本版」(セブン&アイ出版)2015年7月号の彼のソロインタビューで、インタビュアーによる、
「今、どんなことにピンと来ていますか?」といった質問に対し、後藤はこんな発言をしたのだ。
「どうやったら早く安倍政権が終わるかっていうことを考えていますね」
そして、
「最悪のタイミングで、最悪の人が総理大臣になっていると思います」と、安倍のことを一刀両断。
後藤は、昨年9月のイベントでも、ステージ上で「クソ安倍」と叫び、話題となったことがあるが、その危機感と怒りを持ち続けていたようだ。
しかし、後藤は、サザン桑田のように、ミュージシャン的なノリでこのような言葉を発したわけではなさそうだ。
彼のなかには、安倍批判だけでなく、その政治手法への危機感、安倍を支持する社会の空気への問題意識がある。
同インタビューの中で、彼はこんな発言をしている。
「世の中の一般的な人たちって、大きな変革がものすごく好きなの。
破滅願望と似ていて、『何か起きねぇかな』みたいな想いの裏返しですよね。
すごいリーダーが現れて、俺たちの社会をバラ色にしてくれるんじゃないかっていうような。
そういう願望が、安倍(晋三)さんとか橋下(徹)さんみたいな人の登場を担保しているわけなんですよ。
だけど、みんなの願望と実情が上手く噛み合うことはない。
だから、大きな破局みたいな変革があったら困るんだけども、
そういうのを俺たちが内心期待しちゃっているところが、現状を呼び込んでいて」
「同時に“強いリーダーみたいな人は、やっぱりいないんだな”って思いもあって。
あとは時間的な辛抱のなさとかが、その次のもっと深い無関心を呼び込んでしまっている」
救世主のような強いリーダーを求める一方、すぐに結果を出せなければ、世論は手の平返しで批判を強める。
そして、その次には、政治不信・政治への無関心が、国民の間に広がっていく。
まさに、投票率が下がり続けている今の日本の状況だ。
また、社会システムの改革には、ゆっくりと丁寧な議論が必要である。
しかし、今は大事な改革案にも関わらず、あまりにも拙速に事が進んでいる。
「性急な変革みたいなことは、あんまりないほうがいいと思ってる。
社会のシステムっていうのは、ベストな形がなくて、常にベターと思わしきものを選んでいくしかないでしょ。
何がベターかは人によって違うから、ぶつかり合うわけで。
どのへんがいちばん良さそうなのかは、調整し続けなきゃいけないわけですよね。
もちろん直すべきところは山積みでしょうけど」
「そういう改革はいつでも、常にあるべきですよね。
そのために、政治家は議論を続けているわけで。
だけど、社会のシステムがガラッと変わるような変化が起きてしまうと、不安定になる人がたくさん現れますよね」
丁寧な対話と議論を重んじる後藤の考えは、現政権よりもよっぽど“大人”ではないだろうか?
ロックミュージシャンよりも、内閣総理大臣のほうが、はるかに“サーチ&デストロイ!”な思想をもっているという2015年の日本は、恐ろしいばかりだ。
そして、彼は“格差社会”についても語っていく。
後藤自身、ロスジェネ世代であり、かつて「さよならロストジェネレイション」という楽曲も発表しているが、
そんな彼にとって、格差問題は常に考えるべきテーマであり続けている。
「生まれながらにしてチャンスが不平等だということに関しては憤ってる。
金持ちの家のヤツだけが高等な教育を受けられるなんて、不平等だよ。
金がなくて高校に行けない子たちがいるんだよ。
そういうのを解消するのが、政治の役割じゃないの?」
「たった数パーセントのヤツらが社会的な富を寡占するのが、本当に正しい競争かよ?とは思う。
そんなに金を持ってたって、『そこまで美味いもん、もうないだろ』って(笑)」
「みんな、同じ給料にしようとか言ってるわけじゃないよ。
儲かっているヤツは社会に奉仕する義務があるんじゃないか?っていうだけで。
大きな資産を持っていたり、突出した才能を世の中に認められている人間は、世の中に還元していかないといけないと思うんだよね」
後藤の主張しているこの考えは、“ノブレス・オブリージュ”と呼ばれ、欧米では当然の感覚。
富裕層によるチャリティ活動や寄付などが多いのは、この考えからくるものである。
彼自身、ささやかながら、この考えを実践している。
毎年、「NANO-MUGEN FES.」という音楽フェスを主催し、周囲のミュージシャンを自分たちのファンに紹介するのも、音楽業界を底上げするための試みだし、
「THE FUTURE TIMES」という無料配布の新聞をつくり、社会問題についての啓蒙活動を行っているのも、まさしくその一環だ。
ここまで紹介してきたように、単なるパフォーマンスではなく、深刻な危機感から社会的発言を行っている後藤だが、
インタビュー中で彼自身、「『アジカンのメガネがうるせぇこと言ってるな』で終わってしまうから」と自嘲している通り、
このような芸能人・文化人の発言には、「大した知識もないくせに」といった批判が飛び交う。
後藤正文もまさにそのひとり。
彼がなにかを発信するたびに、ネットを中心に批判が飛び交っている。
だが、彼らのような芸能人・文化人が、自らの主張を発信することの何がいけないのだろうか?
歴史を振り返れば、ボブ・ディランやジョン・レノンのメッセージが、ベトナム反戦運動を大きなうねりにしたし、
サム・クックやマーヴィン・ゲイの歌なしでは、公民権運動は成功しなかっただろう。
そういった力を信じ、批判を覚悟で自らの意見を主張する後藤正文を、当サイトは断固支持したい。
そして、彼の音楽を聴く若い世代が、彼の言葉にも耳を傾け、政治について、社会について考えるきっかけになることを、切に願っている。
(新田 樹)