ほんと言うと、どんなふうに会ったらいいんだろうなんてことを、イジイジ考えていたりした。
ルエルを襲った脳腫瘍は、とても珍しい種類のもので、担当の医者たちでさえも、どう治療したらいいのか、どんな見通しなのかが、今もまだ確実にわかっていない。
いろんな治療が試された。
今年の冬に、腫瘍がかなり小さくなったという嬉しいニュースを聞いたのに、先月突然、強いひきつけを起こし、その後の検査で余命3ヶ月から半年の宣告を受けた。
これほど仲の良いカップルがいるだろうか。
ルエルとイライザと会うたびそう思う。
こんなに強く、こんなに優しく、こんなに深く、互いを求め合う二人を見ていると、いつも自分の冷たさや身勝手さが恥ずかしくなる。
そんな二人だからこそ、この笑顔なんだなと、しみじみ思う。

さあ会いに行くぞ!という時になって、風邪をひいてしまった。
1日だけ行くのを見合わせて、バイキンを撒き散らさないようマスクと軍手を持参して、ほとんど夫の運転でカナダに向かった。
健康グッズのお土産と、折りかけの千羽鶴と手前味噌、それから招き猫の花瓶(ほんとは酒入れ)を、二人は喜んでくれた。
ルエルは、話すことがとても好きで、特に政治の話を熱心にした。
皮肉屋で、ユーモアたっぷりで、間違ったことが大っ嫌い。
いろんなことに詳しいから、話は多岐に渡った。
けれども今は、大きな腫瘍が、ちょうど記憶と言語を司る部分に居座っているので、本や新聞が読めなくなった。
言いたいことが頭の中に浮かんでも、それを言葉にすることが難しくなった。
言いたいことは山ほどあるのに、それを的確に表す単語がわからなくて、話が回りくどくなってしまうことが多々あるわたしには、そのときのもどかしさ、悔しさ、不甲斐なさ、悲しさがわかる。
でも、わたしのそれは、違う言語の間にあるもので、ルエルのそれは母国語の中で起こっているのだから、もっともっと辛いだろうと思う。
周りの者は、その気持ちを慮って、先に出てくる言葉を待つのだけれど、それでも我慢が足りなくて、ついつい予想される単語を口にしてしまう。
そんなとき、ルエルは、悲しいような、諦めたような、腹を立ててるような、なんとも言えない表情を一瞬だけ見せて俯く。
彼らの家の前庭に咲いている紫陽花の花は、まるで造花かと思うほどにデカイ。


10分から20分の散歩を、1日に何回かする。
着いた日の晩の、夕食後の散歩。


翌日の朝食後の散歩。

二人が毎朝通う、近所のカフェに向かう。

赤ちゃんをおぶって歩く、まるでモデルみたいな若いお父さん。

さあ帰ろう。いつだってラブラブ。

雨が降ったり止んだりの天気が続いていて、だから草花や木は元気いっぱい。



これは元気というより、なんでここまでヒョロ長いのか?とびっくりするタンポポ。

リハビリに歌を歌うのはどうだろうと、ルエルの好きそうな歌を探す夫。

この日はカナダの150回目の誕生日だった。
ずっと雨続きで、お祝いの花火は大丈夫かなと心配してたりしてたけど、夕方からカラリと晴れて、空気もカナダらしい心地良いものに変わった。
近くのスーパーで食材を買って、イライザとわたしとで夕飯を作り、みんなで美味しくいただいた。
特別に何をするでもなく、夜の散歩に出かけたら、パンパン、ドカンと音が聞こえてきた。
あ、花火だ!
やっぱりあの音が聞こえてくると、心がそわそわしてきて、どうにかして見られないものかと、公園の中をウロウロ。
花火の端っこがちょいと見えるスポットを見つけて、わ〜っと見上げていたら、ポツンと一粒、冷たいものが頬に落ちてきた。
と、ものの10秒もしないうちに、とんでもないザザ降りの雨?!
え〜っ?という間もなく、わたしたちはずぶ濡れになった。
それでも夫とわたしは、大きな木の下に立ったりして、無駄な抵抗をしていたのだけど、ルエルとイライザがどんどん進んで行ってしまうので、わたしは後を追いかけた。
しばらくして、夫の姿が見えないことに気がついたルエルは、とても心配して、引き返そうと言う。
いや、彼はきっと、自分のやりたいようにやってるだろうから心配しないでと、何度言っても立ち止まっては振り返る。
もぉ〜っ!!
案の定、わたしたちより10分ぐらい遅れて、夫は家に戻ってきた。
けれども、ずぶ濡れ度は、わたしたちのそれに比べるとかなり低い。
やっぱり木の下に避難は、それなりに役立ったのだ。
ルエルにとって、びしょ濡れになること、土砂降りの雨の中を早足で移動することは、かなりのショックだっただろう。
彼は着替えてすぐに、ストンと眠った。
風邪をひかないように祈る。
3日目の散歩。

モントリオールのリスは、かなり近づいてっても全く逃げない。

この日は、ずっとルエルのことが心配でべったりだったイライザが、わたしたちに彼を任せて、仕事上の付き合いパーティに出かけた。
ルエルは、自分のせいでイライザが動きが取れなくなっていると心配していて、だから彼女がとうとう出かけて行ったことをとても喜んでいた。
ルエルはこれまでずっと、重度の糖尿病を患うイライザを、そして彼女の芸術家としての立ち位置を支えてきた人だから、自分のせいで活動を制限している彼女に、申し訳がないと思っている。
もちろん彼女は、心の底から、自分の意思でルエルのそばに付いていたいと思ってそうしているのだけれど。
散歩の時間は10分、長くて20分と、イライザから言われていた。
もしも、ルエルが急に立ち止まって頭を傾け出したら、あるいは口を大きく開け始めたら、すぐに飲ませなければならない錠剤も預かった。
彼の手首には、緊急時に連絡する番号が刻印されたブレスレットがつけられている。
連絡先の会社は、彼がこれまで受けてきた、そして現在受けている治療や薬剤の全てを管理していて、搬送中の救急隊員や搬送先の病院の医師に、連絡が行くようになっている。
だから万が一の時にも、多分なんとかなるだろうと、夫とルエル、そしてわたしの3人は、テクテクと歩き始めた。
するとルエルは、ゆっくりとだけど、自分が行きたい方を示してはぐんぐん進んで行く。
わたしは夫の顔を覗き見して、どうするつもり?、と尋ねる。
夫は目で、彼の好きなようにさせてあげよう、と答える。
疲れてないか?大丈夫か?と、タイミングを見計らっては聞くのだけども、彼は「大丈夫」と答えるばかり。
そのうちに、どんどん彼の意識がはっきりしてきて、語彙が増えてきた。
わたしは嬉しくなって、この時とばかりに、彼にいろんなことを聞いた。
モントリオールの歴史のこと、店のショーウィンドウに飾られているレコードジャケットのこと、思いつくことを片っ端から聞いていった。
なんでこんな黄色い棒がくっついてるの?
「冬に雪が積もった時、消火栓がどこにあるのかわかるようにだよ」

マイペースで歩いて行く夫と、必ず立ち止まっては振り向いて、わたしがちゃんと付いてきているかどうか確かめるルエル。

夫が見つけた『ピリピリ』な看板。
ケイジャンチキンだから、確かにピリピリするだろう。

通り道の家の、玄関前の壁。

もう40分以上は歩いた。ちょっと休憩しよう。

どこの公園にもあるハンモック吊り。ここに各々のハンモックを持ってきて、のんびりと時間を過ごすのだそうな。

ベンチに座り、一息ついていると、ルエルがぽつりぽつりと話し始めた。
僕はあとどれくらい生きるんだろう。
60までかな、それとも70、80まで生きるんだろうか。
イライザより長生きするのかな。
それともイライザが僕より長生きするのかな。
両親はどうだろう。
僕は両親より長生きするのかな。
イライザは、もし僕がいなくなったら、どうやって生きていくんだろう。
大丈夫かな。
大丈夫かどうか心配だな。
ルエルの、途切れ途切れの柔らかな声が、吹いてくる風に乗り、木々の葉っぱの間を通り抜けていく。
彼の両脇に座る夫とわたしは、相槌を打つことも言葉を発することもなく、公園の中の木々のように、ただただ彼の言葉を聞いていた。
その日の夜、ルエルと夫が寝静まってから、わたしは千羽鶴を折りながら、公園で聞いたルエルの言葉をイライザに伝えた。

医師からの残酷な告知があってから、二人はまだ、自分たちの気持ちを伝え合ったことがなかった。
どうしたらいいのか迷いながら、どんどん膨らんでくる悲しみに押しつぶされそうになっていたイライザは、つい最近ネットで見つけた方法で、なんとか自分を取り戻していた。
だから、ルエルの独り言はイライザにとって、ずっと聞きたかったことだった。
わたしのことは心配しなくていい。
そう伝えたい気持ちは山々だけど、そう言った瞬間に、彼の死を認めることになるような気がしてできない。
彼がもともともっている身体力、精神力の強さは、今までにも何度も奇跡を起こしてきたから、医者の言葉だけを信じることもできない。
でも、万が一の時に、何も話せないままだったことを、すごく悔やむだろうと思うから、なんとかして互いの想いを伝え合いたい。
ルエルの父親は深刻な心臓病を抱えていて、母親は最近、認知症を発症し、急速に悪化している。
イライザの父親はほぼ盲目で、耳も聞こえない。母親は徘徊を伴う認知症を患い、何度も行方不明になっている。
でも、どちらの両親も、自分たちの力と周囲の人たちの理解を受けて、これまでの暮らしを続けている。
そんな話を、笑いを交えて話すイライザは、これまでにも何度も、大変な状況を乗り越えてきた人だ。
けれどもそこにはいつも、ルエルという大きな支えがあった。
その温かで強い、どんな自分でも受け入れてくれる柱。
もしそれを失うようなことがあったら…。
でも、それでもわたしは大丈夫だからということを伝えて、彼の心配を取り除いてあげたい。
そうできたらいいね。
彼女の話を聞きながら、ひと折りひと折り、祈りを込めて鶴を折った。
わたしはそんなふうに、ただ話を聞いたり、鶴を折ったりすることしかできないけれど、夫は違う。
いつものように淡々と、ルエルに鍼を打つ。
そしていつものように、何も変わったことが起こっていないかのように、ルエルが何を言いたいのかわからない時は、何が言いたいのかわからないとさらりと言う。
幼い頃からずっと、毎年夏を一緒に過ごしてきた幼馴染として、夫はこれからもこんなふうに、ルエルを支えていくんだろう。
線香花火のような花?

近所のレストランへレッツゴー!



ラブラブを再掲。

みんなで記念写真。

あ、ハンモック掛けでくつろいでいる人たち発見!

気功瞑想中のリス。

最終日のカフェ散歩。


あっと驚くいいことが起こりますように。

スカスカの国境。また来るからね。
ルエルを襲った脳腫瘍は、とても珍しい種類のもので、担当の医者たちでさえも、どう治療したらいいのか、どんな見通しなのかが、今もまだ確実にわかっていない。
いろんな治療が試された。
今年の冬に、腫瘍がかなり小さくなったという嬉しいニュースを聞いたのに、先月突然、強いひきつけを起こし、その後の検査で余命3ヶ月から半年の宣告を受けた。
これほど仲の良いカップルがいるだろうか。
ルエルとイライザと会うたびそう思う。
こんなに強く、こんなに優しく、こんなに深く、互いを求め合う二人を見ていると、いつも自分の冷たさや身勝手さが恥ずかしくなる。
そんな二人だからこそ、この笑顔なんだなと、しみじみ思う。

さあ会いに行くぞ!という時になって、風邪をひいてしまった。
1日だけ行くのを見合わせて、バイキンを撒き散らさないようマスクと軍手を持参して、ほとんど夫の運転でカナダに向かった。
健康グッズのお土産と、折りかけの千羽鶴と手前味噌、それから招き猫の花瓶(ほんとは酒入れ)を、二人は喜んでくれた。
ルエルは、話すことがとても好きで、特に政治の話を熱心にした。
皮肉屋で、ユーモアたっぷりで、間違ったことが大っ嫌い。
いろんなことに詳しいから、話は多岐に渡った。
けれども今は、大きな腫瘍が、ちょうど記憶と言語を司る部分に居座っているので、本や新聞が読めなくなった。
言いたいことが頭の中に浮かんでも、それを言葉にすることが難しくなった。
言いたいことは山ほどあるのに、それを的確に表す単語がわからなくて、話が回りくどくなってしまうことが多々あるわたしには、そのときのもどかしさ、悔しさ、不甲斐なさ、悲しさがわかる。
でも、わたしのそれは、違う言語の間にあるもので、ルエルのそれは母国語の中で起こっているのだから、もっともっと辛いだろうと思う。
周りの者は、その気持ちを慮って、先に出てくる言葉を待つのだけれど、それでも我慢が足りなくて、ついつい予想される単語を口にしてしまう。
そんなとき、ルエルは、悲しいような、諦めたような、腹を立ててるような、なんとも言えない表情を一瞬だけ見せて俯く。
彼らの家の前庭に咲いている紫陽花の花は、まるで造花かと思うほどにデカイ。


10分から20分の散歩を、1日に何回かする。
着いた日の晩の、夕食後の散歩。


翌日の朝食後の散歩。

二人が毎朝通う、近所のカフェに向かう。

赤ちゃんをおぶって歩く、まるでモデルみたいな若いお父さん。

さあ帰ろう。いつだってラブラブ。

雨が降ったり止んだりの天気が続いていて、だから草花や木は元気いっぱい。



これは元気というより、なんでここまでヒョロ長いのか?とびっくりするタンポポ。

リハビリに歌を歌うのはどうだろうと、ルエルの好きそうな歌を探す夫。

この日はカナダの150回目の誕生日だった。
ずっと雨続きで、お祝いの花火は大丈夫かなと心配してたりしてたけど、夕方からカラリと晴れて、空気もカナダらしい心地良いものに変わった。
近くのスーパーで食材を買って、イライザとわたしとで夕飯を作り、みんなで美味しくいただいた。
特別に何をするでもなく、夜の散歩に出かけたら、パンパン、ドカンと音が聞こえてきた。
あ、花火だ!
やっぱりあの音が聞こえてくると、心がそわそわしてきて、どうにかして見られないものかと、公園の中をウロウロ。
花火の端っこがちょいと見えるスポットを見つけて、わ〜っと見上げていたら、ポツンと一粒、冷たいものが頬に落ちてきた。
と、ものの10秒もしないうちに、とんでもないザザ降りの雨?!
え〜っ?という間もなく、わたしたちはずぶ濡れになった。
それでも夫とわたしは、大きな木の下に立ったりして、無駄な抵抗をしていたのだけど、ルエルとイライザがどんどん進んで行ってしまうので、わたしは後を追いかけた。
しばらくして、夫の姿が見えないことに気がついたルエルは、とても心配して、引き返そうと言う。
いや、彼はきっと、自分のやりたいようにやってるだろうから心配しないでと、何度言っても立ち止まっては振り返る。
もぉ〜っ!!
案の定、わたしたちより10分ぐらい遅れて、夫は家に戻ってきた。
けれども、ずぶ濡れ度は、わたしたちのそれに比べるとかなり低い。
やっぱり木の下に避難は、それなりに役立ったのだ。
ルエルにとって、びしょ濡れになること、土砂降りの雨の中を早足で移動することは、かなりのショックだっただろう。
彼は着替えてすぐに、ストンと眠った。
風邪をひかないように祈る。
3日目の散歩。

モントリオールのリスは、かなり近づいてっても全く逃げない。

この日は、ずっとルエルのことが心配でべったりだったイライザが、わたしたちに彼を任せて、仕事上の付き合いパーティに出かけた。
ルエルは、自分のせいでイライザが動きが取れなくなっていると心配していて、だから彼女がとうとう出かけて行ったことをとても喜んでいた。
ルエルはこれまでずっと、重度の糖尿病を患うイライザを、そして彼女の芸術家としての立ち位置を支えてきた人だから、自分のせいで活動を制限している彼女に、申し訳がないと思っている。
もちろん彼女は、心の底から、自分の意思でルエルのそばに付いていたいと思ってそうしているのだけれど。
散歩の時間は10分、長くて20分と、イライザから言われていた。
もしも、ルエルが急に立ち止まって頭を傾け出したら、あるいは口を大きく開け始めたら、すぐに飲ませなければならない錠剤も預かった。
彼の手首には、緊急時に連絡する番号が刻印されたブレスレットがつけられている。
連絡先の会社は、彼がこれまで受けてきた、そして現在受けている治療や薬剤の全てを管理していて、搬送中の救急隊員や搬送先の病院の医師に、連絡が行くようになっている。
だから万が一の時にも、多分なんとかなるだろうと、夫とルエル、そしてわたしの3人は、テクテクと歩き始めた。
するとルエルは、ゆっくりとだけど、自分が行きたい方を示してはぐんぐん進んで行く。
わたしは夫の顔を覗き見して、どうするつもり?、と尋ねる。
夫は目で、彼の好きなようにさせてあげよう、と答える。
疲れてないか?大丈夫か?と、タイミングを見計らっては聞くのだけども、彼は「大丈夫」と答えるばかり。
そのうちに、どんどん彼の意識がはっきりしてきて、語彙が増えてきた。
わたしは嬉しくなって、この時とばかりに、彼にいろんなことを聞いた。
モントリオールの歴史のこと、店のショーウィンドウに飾られているレコードジャケットのこと、思いつくことを片っ端から聞いていった。
なんでこんな黄色い棒がくっついてるの?
「冬に雪が積もった時、消火栓がどこにあるのかわかるようにだよ」

マイペースで歩いて行く夫と、必ず立ち止まっては振り向いて、わたしがちゃんと付いてきているかどうか確かめるルエル。

夫が見つけた『ピリピリ』な看板。
ケイジャンチキンだから、確かにピリピリするだろう。

通り道の家の、玄関前の壁。

もう40分以上は歩いた。ちょっと休憩しよう。

どこの公園にもあるハンモック吊り。ここに各々のハンモックを持ってきて、のんびりと時間を過ごすのだそうな。

ベンチに座り、一息ついていると、ルエルがぽつりぽつりと話し始めた。
僕はあとどれくらい生きるんだろう。
60までかな、それとも70、80まで生きるんだろうか。
イライザより長生きするのかな。
それともイライザが僕より長生きするのかな。
両親はどうだろう。
僕は両親より長生きするのかな。
イライザは、もし僕がいなくなったら、どうやって生きていくんだろう。
大丈夫かな。
大丈夫かどうか心配だな。
ルエルの、途切れ途切れの柔らかな声が、吹いてくる風に乗り、木々の葉っぱの間を通り抜けていく。
彼の両脇に座る夫とわたしは、相槌を打つことも言葉を発することもなく、公園の中の木々のように、ただただ彼の言葉を聞いていた。
その日の夜、ルエルと夫が寝静まってから、わたしは千羽鶴を折りながら、公園で聞いたルエルの言葉をイライザに伝えた。

医師からの残酷な告知があってから、二人はまだ、自分たちの気持ちを伝え合ったことがなかった。
どうしたらいいのか迷いながら、どんどん膨らんでくる悲しみに押しつぶされそうになっていたイライザは、つい最近ネットで見つけた方法で、なんとか自分を取り戻していた。
だから、ルエルの独り言はイライザにとって、ずっと聞きたかったことだった。
わたしのことは心配しなくていい。
そう伝えたい気持ちは山々だけど、そう言った瞬間に、彼の死を認めることになるような気がしてできない。
彼がもともともっている身体力、精神力の強さは、今までにも何度も奇跡を起こしてきたから、医者の言葉だけを信じることもできない。
でも、万が一の時に、何も話せないままだったことを、すごく悔やむだろうと思うから、なんとかして互いの想いを伝え合いたい。
ルエルの父親は深刻な心臓病を抱えていて、母親は最近、認知症を発症し、急速に悪化している。
イライザの父親はほぼ盲目で、耳も聞こえない。母親は徘徊を伴う認知症を患い、何度も行方不明になっている。
でも、どちらの両親も、自分たちの力と周囲の人たちの理解を受けて、これまでの暮らしを続けている。
そんな話を、笑いを交えて話すイライザは、これまでにも何度も、大変な状況を乗り越えてきた人だ。
けれどもそこにはいつも、ルエルという大きな支えがあった。
その温かで強い、どんな自分でも受け入れてくれる柱。
もしそれを失うようなことがあったら…。
でも、それでもわたしは大丈夫だからということを伝えて、彼の心配を取り除いてあげたい。
そうできたらいいね。
彼女の話を聞きながら、ひと折りひと折り、祈りを込めて鶴を折った。
わたしはそんなふうに、ただ話を聞いたり、鶴を折ったりすることしかできないけれど、夫は違う。
いつものように淡々と、ルエルに鍼を打つ。
そしていつものように、何も変わったことが起こっていないかのように、ルエルが何を言いたいのかわからない時は、何が言いたいのかわからないとさらりと言う。
幼い頃からずっと、毎年夏を一緒に過ごしてきた幼馴染として、夫はこれからもこんなふうに、ルエルを支えていくんだろう。
線香花火のような花?

近所のレストランへレッツゴー!



ラブラブを再掲。

みんなで記念写真。

あ、ハンモック掛けでくつろいでいる人たち発見!

気功瞑想中のリス。

最終日のカフェ散歩。


あっと驚くいいことが起こりますように。

スカスカの国境。また来るからね。
