初めての長期間(4週間)の帰省だった。
前半は友人や親族と会い、後半は歯の治療に通いながら母の家で過ごした。
暑かった。
空気がじっとりしていた。
眠ろうにも眠れない熱気があった。
セミの声が朝からうるさかった。
電車が次から次へとやって来て、それもほぼ時間通りで、乗り継ぎもひょいひょいできて快適だった。
そんな世にも珍しいサービスに慣れきっていた。
だから、そうじゃない環境に移ったとき、いちいち腹が立って仕方がなかった。
乗り物が時間通りに来ないばかりか、何か問題が生じて大幅に遅延したり来なかったりしても、だれも謝らないし対処もしない。
さすがにそういう時は怒る人もいるけど、大抵は客の我々が、我々が持っている知恵とわずかなツテを頼りに、解決方法を見つけなければならない。
そんな環境に17年も居れば、それなりに鍛えられてるはずだったけど、
行きの飛行機が出発するぞという時になって、スケジュールボードに記された自分の飛行機に、いきなり遅延のサインが点灯したのを見て、とても嫌な予感がした。
何しろ乗り換えの空港がシカゴなのだ。
やたらとデカイ上に、ターミナルの変更があったりするし、天候不良の率が高い。
けれども夏の日本行きはべらぼうに高額で、1日限りの大安売りチケットが、このシカゴ経由成田行きだったので仕方がない。
などと、呑気なことを考えていられたのはここまで。
もうすっかり遠い日の思い出になってしまったあの日のことを、飛行機の中で書いたメモがあるので、ここに載せておく。
******* ******* ******* *******
7月20日木曜日
4週間も留守にする旅行は生まれて初めてなのと、お土産を買うのをうだうだと先延ばしにしていたのとで、
いつもより時間があったはずなのに、結局荷造りをするのが出発の前日になってしまい、夜中の3時に寝て6時に起きた。
目覚ましにシャワーを浴びて、空と海にごめんねのナデナデをし、夫に空港まで送ってもらった。
国際線で飛ぶ場合は、3時間前に到着してなければならなくなった。
セキュリティのためだということだけど、世の中がどうしてこういう方向に進んでいくのか、なんとかして変えられないものかと、
靴を脱ぎ、上着を脱ぎ、一定量しか持ち込めないようになった液体用のプラスチック袋を見ながら考える。
自分の乗る飛行機の離陸時間を示すボードを見たら、1時間遅れのサインがいきなり点灯した。
乗り継ぎの空港は、シカゴのオハラ空港だ。
あの空港は巨大で、まだ息子たちが小学生だった頃に一度、乗り継ぎに難儀して、4人で大声を出しながら相当な距離を走り回ったことがある。
こんなふうに離陸が遅れた場合は、乗り継ぎのゲートが同じターミナルなのかどうかが、あの空港では大きな違いになる。
でもまあ、間に2時間半の余裕があったので、まあ大丈夫だろうと思って乗り込んだら、今度はゲートから一向に動き出さない。
どうしたんだろうと思っていたら、機長からのアナウンスがあった。
「シカゴ空港周辺の天候が非常に悪いので、ここで1時間待機します」と。
えぇー!それは困る!とっても困る!
でもまあ、もう乗ってしまってるんだし、同じターミナルなら30分あればなんとかなるだろうし、
もしも間に合わなかったとしても、この遅滞は向こうにも連絡されてるはずだから、出発を10分程度なら遅らせてくれるだろう。
同じ航空会社なんだから。
というわたしの希望的観測は、その同じ会社であるアメリカン航空によって、ものの見事に裏切られてしまった。
オハラ空港にきっちり2時間遅れで無事到着し、よっしゃ、なんとかなると思ったのも束の間、飛行機がまた、滑走路の途中で止まってしまった。
渋滞しているので、ゲートには行けないと…。
えぇ〜!そんなぁ〜!
5分…10分…15分…もう万事休すだ。
いたたまれなくなって立ち上がると、「機体が止まってるからといっても、立ち歩きは禁止です。座ってください」と、やたらゴツいキャビンアテンダントが睨んでくる。
いやもう、それどころやないねんこっちは!
わたしはこの飛行機から降りたいねん!
降りて、目の前にあるゲートからターミナルに入って、次の成田行きの飛行機に乗らなあかんねん!
こちらも睨み返しながら、コックピット前に座っているキャビンアテンダント目がけて突進した。
そして、自分が次に乗る飛行機が定刻通りに飛び立とうとしていることを話し、なんとかならないかと尋ねると、「私たちには何もできません」としれっと言う。
「ゲートに連絡できないんですか」と聞くと、「できない」と言う。
プツン…切れた。
あともう少しで、握った拳を振り上げて、コックピットのドアをガンガン叩くところだった。
ドアを叩きながら、中にいる機長に聞こえるように大声を上げ、乗り継ぎ便に事情を話し、待機するよう連絡しろと言いたい気持ちを必死に抑えた。
そんなことをしてしまった日にゃあ、わたしは即刻拘束されるか逮捕されてしまって、旅行の日程どころの話ではなくなる。
焦る気持ちと怒りをぐっとこらえて、
「ならば、せめてすぐに降りられるように、ファーストクラスの空いている席に座らせてください」と言うと、
「それはダメだけど、エコノミークラスの前の方なら」と言われ、荷物をまとめて空いている席に座った。
すると、両隣に座っている人たちも、実はわたしと同じように、次の飛行機の出発時間が迫っている人たちで、皆同じように途方に暮れていた。
もう頭を掻きむしりたいぐらいにイライラしながら、とにかくゲートに向かってくれ!と祈っていたら、やっと動き出したのが出発時刻の5分前。
機体が止まり、ファーストクラスの乗客をかき分け、ターミナルを全力ダッシュしてゲートに着いたのが2分前。
ゲートは当然しっかり閉まっていた。
「その飛行機、わたしが乗りたい飛行機です!開けてください!お願いだから開けてください!その飛行機に乗りたいんです!遅れたのは天候のせいで、しかも飛行機はずっと前にこの空港に着いていたんだから、同じ会社のあなた方は対処するべきじゃないんですか?」
いやもう、叫んだ叫んだ。
ゲートの扉の前に居た5人の係員に、噛み付かんばかりの勢いで懇願した。
が…一度閉じてしまった扉は開けてはいけないという規則があるのでと、わたしの願いはあっさりと却下されてしまった。
別便予約のためのカウンターに行くと、大きなガラス窓越しに、わたしが乗るはずだった飛行機が、ゆっくりとバックし始めるのが見えた。
なんで見送らなければならないのか?
ギリギリと歯を食いしばりたくなるほどの腹立たしさに、気がおかしくなりそうだったが、他にも被害を受けた人たちがすぐ隣にいたので、とにかく落ち着こうと思ったのだが、
「今用意できる代替えのチケットは、香港経由しかありませんよ」としれっと言われ、またまた頭から湯気が出始めた。
すると、わたしのすぐ横で、同じようにプンプン怒っている、多分日本人だろうと思われる女性が立っていた。
「香港なんて考えられない!」と、口を揃えて文句を言うと、モニターを見ながら、「あ、その便ももう無くなりましたね」と言う。
ムッキィ〜!!
っとなって二人で仁王立ちしていると、「もう翌日の、今日と同じ便しかありませんね、どうしますか」と言われ、
「無いんなら仕方がないじゃないですか、それください」と言うと、我々を友だち同士だと勘違いしたのか、隣同士の席を勧めてきた。
「いや、別に離れ離れでもいいんだけども、どちらにせよ通路側の席をお願いしたい」とわたしが言うと、彼女も、
「わたしは同じ列がいいけど、やっぱり通路側にして欲しい」と言い、結局通路を挟んで隣り合わせという席を取ってもらった。
そのあと、乗り継げなかった我々の荷物の行方を探し、無事に受け取り、予約してもらったホテルへの行き方をあれこれ調べる時まで、わたしたちは英語で会話をしていた。
なぜなら、彼女はわたしのことを、中国系アメリカ人だと勘違いしていて、だからずっと英語で話していたんだと、
わたしの名前を聞いて、「思いっきり日本人じゃないですかっ?!」と大笑いした時に、そう明かしてくれた。
同い年の彼女は、経験豊かなピアノ調律師で、アメリカ人の旦那さんは尺八奏者だということが分かり、話は大いに盛り上がった。
予約してくれたホテルは、空港からはちょっと距離があったけど、送り迎えのバスも親切だったし、部屋も最大5人が泊まれるリビング付きの広い部屋だった。
食事代として、ホテルと空港内のレストランのみで使える、12ドル分の夕食&朝食クーポンももらった。
こうなったら前日の寝不足を解消しようと早めに寝て、翌朝チェックアウトの手続きをしようとロビーに降りると、
どうも我々と同様、乗り継ぎの飛行機に乗れなかったらしい日本人の若者君たちが、フロント係の早口の英語が聞き取れずに困っていたので、ちょいと助け舟を出した。
すると、何やら話がおかしい。
というか、彼らは全て、自腹で払っているっぽい。
え?まさか…。
どうやら、怒りまくっていたわたしと彼女以外の乗客は、ホテル代はもちろん、ホテルから空港までのタクシー代、それから食事代も全て、自分たちで払っていたようだ。
そういや、天候不良が原因で起こったことに関しては、補償はしないんだったっけか。
通訳しながら、後ろめたい気持ちになってきて、目が泳いでしまった。
いや、でも、この国ではさ、言ったもん勝ちだからね。
ごめんね、わたしたちだけいい思いさせてもらっちゃってと、心の中で謝った。
飛行機の席は、ファーストクラスのすぐ後ろ、エコノミークラスの先頭で、だから足元が広々!
この写真をフェイスブックに載っけて、ファーストクラスのすぐ後ろって書いたら、え?ファーストクラスに乗ったの?と勘違いしてくれた友人がちらほらいた。
いや、ファーストクラスに乗れてたら、前の仕切り壁なんて写さないし。
(昨日は『希望のエリア』に行って、二郎さんや明日香ちゃんと一緒に声を上げるはずだったのに)
(その後、高井戸温泉にみんなで行って、ひとっ風呂浴びて、二郎さんの診療所に泊めてもらうはずだったのに)
(ほんでもって今日は、フェイスブック友にピアノを教えてあげて、その後花火を観に連れてってもらうはずだったのに)
…などと、失った旅行日程を未練がましく思い浮かべながら、やっぱり全く眠れないまま日本に到着した。
日本での4週間はまた後日、ぼちらぼちらと、写真を主に載せていこうと思う。
前半は友人や親族と会い、後半は歯の治療に通いながら母の家で過ごした。
暑かった。
空気がじっとりしていた。
眠ろうにも眠れない熱気があった。
セミの声が朝からうるさかった。
電車が次から次へとやって来て、それもほぼ時間通りで、乗り継ぎもひょいひょいできて快適だった。
そんな世にも珍しいサービスに慣れきっていた。
だから、そうじゃない環境に移ったとき、いちいち腹が立って仕方がなかった。
乗り物が時間通りに来ないばかりか、何か問題が生じて大幅に遅延したり来なかったりしても、だれも謝らないし対処もしない。
さすがにそういう時は怒る人もいるけど、大抵は客の我々が、我々が持っている知恵とわずかなツテを頼りに、解決方法を見つけなければならない。
そんな環境に17年も居れば、それなりに鍛えられてるはずだったけど、
行きの飛行機が出発するぞという時になって、スケジュールボードに記された自分の飛行機に、いきなり遅延のサインが点灯したのを見て、とても嫌な予感がした。
何しろ乗り換えの空港がシカゴなのだ。
やたらとデカイ上に、ターミナルの変更があったりするし、天候不良の率が高い。
けれども夏の日本行きはべらぼうに高額で、1日限りの大安売りチケットが、このシカゴ経由成田行きだったので仕方がない。
などと、呑気なことを考えていられたのはここまで。
もうすっかり遠い日の思い出になってしまったあの日のことを、飛行機の中で書いたメモがあるので、ここに載せておく。
******* ******* ******* *******
7月20日木曜日
4週間も留守にする旅行は生まれて初めてなのと、お土産を買うのをうだうだと先延ばしにしていたのとで、
いつもより時間があったはずなのに、結局荷造りをするのが出発の前日になってしまい、夜中の3時に寝て6時に起きた。
目覚ましにシャワーを浴びて、空と海にごめんねのナデナデをし、夫に空港まで送ってもらった。
国際線で飛ぶ場合は、3時間前に到着してなければならなくなった。
セキュリティのためだということだけど、世の中がどうしてこういう方向に進んでいくのか、なんとかして変えられないものかと、
靴を脱ぎ、上着を脱ぎ、一定量しか持ち込めないようになった液体用のプラスチック袋を見ながら考える。
自分の乗る飛行機の離陸時間を示すボードを見たら、1時間遅れのサインがいきなり点灯した。
乗り継ぎの空港は、シカゴのオハラ空港だ。
あの空港は巨大で、まだ息子たちが小学生だった頃に一度、乗り継ぎに難儀して、4人で大声を出しながら相当な距離を走り回ったことがある。
こんなふうに離陸が遅れた場合は、乗り継ぎのゲートが同じターミナルなのかどうかが、あの空港では大きな違いになる。
でもまあ、間に2時間半の余裕があったので、まあ大丈夫だろうと思って乗り込んだら、今度はゲートから一向に動き出さない。
どうしたんだろうと思っていたら、機長からのアナウンスがあった。
「シカゴ空港周辺の天候が非常に悪いので、ここで1時間待機します」と。
えぇー!それは困る!とっても困る!
でもまあ、もう乗ってしまってるんだし、同じターミナルなら30分あればなんとかなるだろうし、
もしも間に合わなかったとしても、この遅滞は向こうにも連絡されてるはずだから、出発を10分程度なら遅らせてくれるだろう。
同じ航空会社なんだから。
というわたしの希望的観測は、その同じ会社であるアメリカン航空によって、ものの見事に裏切られてしまった。
オハラ空港にきっちり2時間遅れで無事到着し、よっしゃ、なんとかなると思ったのも束の間、飛行機がまた、滑走路の途中で止まってしまった。
渋滞しているので、ゲートには行けないと…。
えぇ〜!そんなぁ〜!
5分…10分…15分…もう万事休すだ。
いたたまれなくなって立ち上がると、「機体が止まってるからといっても、立ち歩きは禁止です。座ってください」と、やたらゴツいキャビンアテンダントが睨んでくる。
いやもう、それどころやないねんこっちは!
わたしはこの飛行機から降りたいねん!
降りて、目の前にあるゲートからターミナルに入って、次の成田行きの飛行機に乗らなあかんねん!
こちらも睨み返しながら、コックピット前に座っているキャビンアテンダント目がけて突進した。
そして、自分が次に乗る飛行機が定刻通りに飛び立とうとしていることを話し、なんとかならないかと尋ねると、「私たちには何もできません」としれっと言う。
「ゲートに連絡できないんですか」と聞くと、「できない」と言う。
プツン…切れた。
あともう少しで、握った拳を振り上げて、コックピットのドアをガンガン叩くところだった。
ドアを叩きながら、中にいる機長に聞こえるように大声を上げ、乗り継ぎ便に事情を話し、待機するよう連絡しろと言いたい気持ちを必死に抑えた。
そんなことをしてしまった日にゃあ、わたしは即刻拘束されるか逮捕されてしまって、旅行の日程どころの話ではなくなる。
焦る気持ちと怒りをぐっとこらえて、
「ならば、せめてすぐに降りられるように、ファーストクラスの空いている席に座らせてください」と言うと、
「それはダメだけど、エコノミークラスの前の方なら」と言われ、荷物をまとめて空いている席に座った。
すると、両隣に座っている人たちも、実はわたしと同じように、次の飛行機の出発時間が迫っている人たちで、皆同じように途方に暮れていた。
もう頭を掻きむしりたいぐらいにイライラしながら、とにかくゲートに向かってくれ!と祈っていたら、やっと動き出したのが出発時刻の5分前。
機体が止まり、ファーストクラスの乗客をかき分け、ターミナルを全力ダッシュしてゲートに着いたのが2分前。
ゲートは当然しっかり閉まっていた。
「その飛行機、わたしが乗りたい飛行機です!開けてください!お願いだから開けてください!その飛行機に乗りたいんです!遅れたのは天候のせいで、しかも飛行機はずっと前にこの空港に着いていたんだから、同じ会社のあなた方は対処するべきじゃないんですか?」
いやもう、叫んだ叫んだ。
ゲートの扉の前に居た5人の係員に、噛み付かんばかりの勢いで懇願した。
が…一度閉じてしまった扉は開けてはいけないという規則があるのでと、わたしの願いはあっさりと却下されてしまった。
別便予約のためのカウンターに行くと、大きなガラス窓越しに、わたしが乗るはずだった飛行機が、ゆっくりとバックし始めるのが見えた。
なんで見送らなければならないのか?
ギリギリと歯を食いしばりたくなるほどの腹立たしさに、気がおかしくなりそうだったが、他にも被害を受けた人たちがすぐ隣にいたので、とにかく落ち着こうと思ったのだが、
「今用意できる代替えのチケットは、香港経由しかありませんよ」としれっと言われ、またまた頭から湯気が出始めた。
すると、わたしのすぐ横で、同じようにプンプン怒っている、多分日本人だろうと思われる女性が立っていた。
「香港なんて考えられない!」と、口を揃えて文句を言うと、モニターを見ながら、「あ、その便ももう無くなりましたね」と言う。
ムッキィ〜!!
っとなって二人で仁王立ちしていると、「もう翌日の、今日と同じ便しかありませんね、どうしますか」と言われ、
「無いんなら仕方がないじゃないですか、それください」と言うと、我々を友だち同士だと勘違いしたのか、隣同士の席を勧めてきた。
「いや、別に離れ離れでもいいんだけども、どちらにせよ通路側の席をお願いしたい」とわたしが言うと、彼女も、
「わたしは同じ列がいいけど、やっぱり通路側にして欲しい」と言い、結局通路を挟んで隣り合わせという席を取ってもらった。
そのあと、乗り継げなかった我々の荷物の行方を探し、無事に受け取り、予約してもらったホテルへの行き方をあれこれ調べる時まで、わたしたちは英語で会話をしていた。
なぜなら、彼女はわたしのことを、中国系アメリカ人だと勘違いしていて、だからずっと英語で話していたんだと、
わたしの名前を聞いて、「思いっきり日本人じゃないですかっ?!」と大笑いした時に、そう明かしてくれた。
同い年の彼女は、経験豊かなピアノ調律師で、アメリカ人の旦那さんは尺八奏者だということが分かり、話は大いに盛り上がった。
予約してくれたホテルは、空港からはちょっと距離があったけど、送り迎えのバスも親切だったし、部屋も最大5人が泊まれるリビング付きの広い部屋だった。
食事代として、ホテルと空港内のレストランのみで使える、12ドル分の夕食&朝食クーポンももらった。
こうなったら前日の寝不足を解消しようと早めに寝て、翌朝チェックアウトの手続きをしようとロビーに降りると、
どうも我々と同様、乗り継ぎの飛行機に乗れなかったらしい日本人の若者君たちが、フロント係の早口の英語が聞き取れずに困っていたので、ちょいと助け舟を出した。
すると、何やら話がおかしい。
というか、彼らは全て、自腹で払っているっぽい。
え?まさか…。
どうやら、怒りまくっていたわたしと彼女以外の乗客は、ホテル代はもちろん、ホテルから空港までのタクシー代、それから食事代も全て、自分たちで払っていたようだ。
そういや、天候不良が原因で起こったことに関しては、補償はしないんだったっけか。
通訳しながら、後ろめたい気持ちになってきて、目が泳いでしまった。
いや、でも、この国ではさ、言ったもん勝ちだからね。
ごめんね、わたしたちだけいい思いさせてもらっちゃってと、心の中で謝った。
飛行機の席は、ファーストクラスのすぐ後ろ、エコノミークラスの先頭で、だから足元が広々!
この写真をフェイスブックに載っけて、ファーストクラスのすぐ後ろって書いたら、え?ファーストクラスに乗ったの?と勘違いしてくれた友人がちらほらいた。
いや、ファーストクラスに乗れてたら、前の仕切り壁なんて写さないし。
(昨日は『希望のエリア』に行って、二郎さんや明日香ちゃんと一緒に声を上げるはずだったのに)
(その後、高井戸温泉にみんなで行って、ひとっ風呂浴びて、二郎さんの診療所に泊めてもらうはずだったのに)
(ほんでもって今日は、フェイスブック友にピアノを教えてあげて、その後花火を観に連れてってもらうはずだったのに)
…などと、失った旅行日程を未練がましく思い浮かべながら、やっぱり全く眠れないまま日本に到着した。
日本での4週間はまた後日、ぼちらぼちらと、写真を主に載せていこうと思う。