ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「消えた37.5度と4日間」に奪われた命と健康を返せ!

2020年05月06日 | 日本とわたし
速報として昨日報道されたこのニュース。
これは決して、ああそうですか、と受け取るわけには行きません。
何もかもあやふやな対応をし続けている政府が数字で示した唯一のものが、この受診の目安だったんです。
この数字を理由に、診察さえも受けさせてもらえないまま亡くなってしまった人がいるんです。
まさに命に関わる数字だったんです。
受診が必要な人が大勢門前払いされてしまいました。
受け入れる側の病院、医療機関の崩壊を防がねばならなかった。
医療関係者からこういう声を何回も聞きました。
当事者では無いわたしに文句を言う資格は無いかもしれません。
でも、日本は時間がたくさんありました。
中国や韓国が敢行したような、軽症者や無症状者の隔離施設の増設や確保、そして医療関係者の増員、医療器具や防具の増量、それこそ本気だったらいくらでもできたはずです。
でもそうしなかった。
そうしないで言い訳を積み上げて、何らかの心配な症状が出て不安に押しつぶされそうになっている人たちに、診察や検査を受けさせてあげようとしませんでした。

そして5月5日になって急に、この速報が流れたのです。

高齢者や基礎疾患のある人への目安もしれっと変えています。


酷すぎるし遅すぎる。
訂正するにしても、これまでにこの方針のために健康を失った人、命を失った人のご遺族に、
この数字の壁に押しつぶされそうになった、あるいは押しつぶされてしまった人たちに、
ともかくもまずは、心からの反省とお詫びの言葉を伝えるべきです。
そしてこのいきなりの変更で、病院や医療関係者に今以上の負担がかからないよう、事前に手を打たなければなりません。
厳しい労働条件の中、危険を覚悟で治療に取り組んでいる人たち全員に、特別危険手当を払うべきです。


もう一つ、ビデオニュースの神保記者の質問が素晴らしかったので紹介します。

文字起こししてくださっていますが、書き起こしました。
受診をできるだけさせないようにしてきた理由が、ここ↓にあると言っても過言では無いと思うのです。

総理、先ほどPCR検査の話にちょっと追加なんですけれども、
先ほど総理は、ご自分もどこに目詰まりがあるのかいろいろ聞いてみたい、という話がありました。
で、日本は、OECDの加盟国の中で、1000人中のPCR検査がメキシコに次いで低いという数字が出ていて、
日本は、非常にPCR検査が少ないということが、国際的にもわかってしまっていると。
そこで、PCR検査は、感染状況を知る上でも、あるいは自分が感染していることを知らないで人にうつしてしまうケースがあるという意味でも、非常に重要だと思うので伺うんですが、
ということは総理、
日本は、内閣総理大臣が、PCR検査が今少ないので増やせということを指示しても、今の日本は実力的にPCR検査を増やすことができないのだということを総理は仰っているんでしょうか?
それとも、そこまで、まだこれまでは本気で増やすことをしてこなかった。
例えば、PCR検査のことを国会で聞かれても、まだ1万件も行っていないのに、今1万5千やるのをキャパシティを2万に増やすというようなお答えをされる。
でも、まだ1万件も行ったこともない。
つまり、どこか他人事のようなお答えをされるけど、それは、それほどまだ本気で増やそうとこれまではしていなかったということなのか、
それとも実際に、本気で増やそうとしたのに、本当に増えなかったのか、
そして、もし、キャパシティ、尾身先生が仰ったように、キャパシティに問題があったと仰るんであれば、なぜ民間を使うという選択肢が出てこないのか、
今後これが増えるかどうかということも含めて、ちょっとその辺のところをできれば詳しくお話しください。よろしくお願いします。

本気で増やそうとしていなかった。
本気で増やそうとしたのに増えなかった。
どちらだと思いますか?
安倍首相にとって感染問題は、常に二の次三の次のように思えてなりません。
中国の首席を招く自分、東京オリンピックを開く自分、極右団体日本会議の悲願を憲法にねじり込む自分、法をねじ曲げてまで検察人事に介入する自分、
いつもそのついでに感染症対策本部の会議に顔だけ出しているように見えるのです。
実際、首相動向を見ても、今日本が大変な騒動の真っ只中にいる、というような危機感が全く感じられません。

今まで本気でなかったのは本当なのかもしれません。
安倍総理、この3ヶ月もの間、あなたは本気じゃなかったのではありませんか?
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こんな時こそ小さくても確実な幸せを見つけよう

2020年05月06日 | ひとりごと
乾煎りしたパンプキンの種と完熟バナナとバターと塩少々 & チェリージャムとバター & 手作り餡子とバター。
パンは最近見つけたグルテンフリーの小さなパン屋さんから。
小さいけれど確実な幸せ(春樹さんのをちょいと拝借)。

タンポポにもいろんな種類があるんだな。




5月に入ったかと思ったらあっという間に5日が過ぎた。
4月に送ってくるはずの大人一人につき13万円の給付金はまだ届いていない。
3月はじめから今まで、ずっと休職している夫には、当然のことながら収入が無い。
もう丸々2ヶ月の間、見えないものに恐れ、見えない未来に思いを馳せ、それでもなんとかなるはずだからと言い聞かせてきた。
でも、そうなのかな。
なんとかなるのかな。

スミレがいっぱい咲いている。


息子たちは完全に独立していて、親よりはるかに稼ぎが良く、仕事も在宅勤務で普通に続けられている。
ありがたいことに二人とも元気なので、わたしは自分と夫の暮らしのことを考えるだけで良い。

前庭の日陰で咲くチューリップ。


と、雑草の可愛い花。

夫婦のどちらかがとりあえず完全では無いものの収入があって、雇い人もいなくて、仕入れなくてはならない物も無くても、臨時の給付金などの補助が全く届かないまま日が過ぎていくと、気持ちが日に日に重くなっていく。
だから商売をしていたり会社を経営している人たちの気持ちは、わたしなどとは比べものにならないほど辛く苦しいはずだ。
と日々自分に言い聞かせてるんだけど、正直言うとあまりよく眠れない。

せん孔褐斑(かっぱん)病にかかったまま送られてきた桜の苗を、どうしたものかと送り先に連絡すると、そのまま植えて様子を見てくれと言われたので植えた。

「さくらの苗が大きく育つ頃 ぼくらはみんな大人になるんだ」
4月の、桜が満開になる頃に生まれたわたしは、桜の木を見ると必ず、この歌が思い浮かぶ。
1954年に公開された、木下恵介監督の「二十四の瞳」の主題歌だ。
わたしはその3年後に生まれたので、なぜこの歌がこれほど深く心に刻まれたのかちょっと不思議なのだけど。
庭にショベルでせっせと穴を掘ってくれる夫と息子を眺めながら、ずっと口遊んでいた。
病気を克服して、大きく育ってくれるといいなあ。

そう思って空を見上げた。
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