78時間に及ぶ長い長い停電が終わった。
ハリケーン「イサイアス」が、うちの近辺を通過したのが火曜日。
予報は出ていた。
なので裏庭のテントを畳んだり、地下室への扉や窓の点検も済ませた。
雨はさほど酷くは無かったけど、風がだんだん強まってきて、お昼過ぎからは大きな木が根元から横倒しになるほどの強風が、何度も何度も吹き荒れた。
救急車や消防車が何台も走っていた。
そのうちの何台かは、かなり近くにまでやって来て止まった。
外に出るのは危険なので、部屋の窓から離れたところで様子を見ていた。
いつもは空を覆い隠している雑木が、一瞬視界から消えて、ぽっかりと青空が見えたのにはびっくりした。
すぐにまた戻ってきて空が見えなくなったと思ったらまたぽっかり…凄まじい強さの風だった。
カエデの爺さん、大丈夫かな…。
3時間ほど経って、やっと風がおさまった。
やれやれと思ったら、急に電気が消えた。
あ、停電だ。
アメリカに越してからびっくりしたことは色々あるけど、停電した時の復旧の遅さがそのひとつだった。
1〜2時間だったら超速、半日は普通、1〜2日は許容範囲で、何年かに一度は3日以上待たされる。
今回はその何年かに一度の大被害だった。
うちの庭続きの家のカエデの枝がフェンスに落ちた。
同じ木の違う枝が、うちの一階の屋根にも落ちた。
うちは枝だけだったけど、根元から丸ごと倒れた木に家の半分を破壊されたり、車が2台ぺしゃんこになった所もあったそうな。
カエデの爺さんは枝一つ落とさずに踏ん張ってくれた。
ちょっと可笑しかったのがこれ。自動で便器を掃除してくれるノズルが、ちょうど出てきたところで停電したっぽい。
夏場の停電は、冷凍冷蔵庫の中の食材が気になって気になって…ひとまず料理できそうなものは片っ端から料理して、と思ったけど、よく考えたら作り置きもできない。
ちょうどオーガニックの卵を2パック買ってしまってあったので、ゆで卵と出汁巻きを作った。
夫が酒店から氷の大袋を買ってきて、それを冷凍庫と冷蔵庫に分けてぎゅうぎゅうと入れた。
これでどれだけの時間がもつのかはわからないけど、何もしないよりはマシだろう。
けれども、目の端で見た夫の詰め込み方に一抹の不安を覚えた。
その不安が的中したのは、次の日に冷蔵庫の扉を開けた時だった。
しっかりと役目を果たしてくれた氷が水と化し、それがしっかりと閉じていなかったビニール袋いっぱいに溜まっていたが、辛うじて流れ出るのを邪魔していた扉が開いたのだからさあ大変。
いきなりジャア〜ッと音を立てて、大量の水が床に流れ落ちてきた。
ひゃ〜っと叫んで扉をバンと閉め、あちこち駆け回ってタオル集めて拭いたのだけど、今度はそのタオルを洗って干さなければすぐに臭くなってしまう。
使ったタオルは大小入れて20枚近くあった。
できるだけ乾くようにとぎゅうぎゅうと雑巾絞りをしているうちに、手のひらの皮がめくれてきた。
それがもう痛いのなんのって。
こういう時は手袋使えよな〜自分…。
おかずを作っては食べ、暗くなったらロウソクに火を灯す。
ありがたいことに、嵐が去った後は湿度も気温も下がり、電気の力を借りなくても朝晩は快適に過ごせた。
昼間もその朝晩の冷気がほどよく残り、家の中に居てさえすれば暑いと感じることは無かった。
コンロも温水器もガスなので、電気が使えなくても不便ではない。
問題は仕事だった。
オンラインレッスンが続いているので、インターネットが使えないとレッスンができない。
携帯電話を使おうにも、利用可能データが少な過ぎて話にならない。
夫のオフィスは停電していなかったので、二部屋ある診察室の小さい方を借りて、そこでレッスンができたらと行ってみたが、ストリーミングはしないで欲しいと言われて退散。
携帯電話を無制限パッケージに切り替えようかとも思ったけれど、停電中の地域に住んでいる生徒たちも居て、グズグズと思案していたら、「もういっそのこと夏休みにしたら?」と夫が言い出した。
さてさて、こういう場合にどういう行動に出るのが自分には一番良いのだろうか。
考えがなかなかまとまらない。
というか、電気と一緒に心も止まってしまったみたいな感じ。
冷凍冷蔵庫の中の食材がやけに気になって、なんとかしないとと考えてはため息をつく。
電力会社からの停電終了予想が、日曜の午後というトンデモな長さだったので、それでさらにため息が出る。
思考が集中したのは携帯電話とタブレットの電池補充のことだけで、建設的な展望も何も、散歩と庭の畑の野菜を採りに行く時以外は、ひたすら家の中に閉じこもっていた。
夫が提案する近場旅行(移動規制がかかっている州には行きたくない)にも、プチ贅沢外食(つい最近、店外での飲食は可能になった)にも、まるで心がなびかない。
家の中で座ったり歩いたりする他は、料理と読書と携帯電話でのSNS。
夜は真っ暗になるので、タブレットにダウンロードしておいた小説をひたすら読み続けた。
夕方に散歩すると道がやけに暗い。
どの家も真っ暗で、たまにジェネレーターを使っている家から灯りが漏れているぐらい。
まさかもう眠っているわけがないので、多分どこかに避難しているか旅行に出かけているかなんだろう。
夫は頑固に家の中に居座り続けるわたしに、かなりストレスを感じていたようだった。
まだあと2日あるね。
家の前の歩道に出ると、痺れを切らしたご近所さんたちと、何日の何時ごろに電力会社に文句の電話を入れたかの話になる。
もちろんソーシャルディスタンスは万全だ。
この通りに引っ越してきてから、何か困った事が起こったら、互いに救いの手を差し伸べる隣近所に恵まれたことを、何度感謝したかわからない。
まさかアメリカの、ニューヨーク郊外の住宅街で、こんなご近所付き合いができるとは思ってもいなかった。
食材が足りなかったり、余分に作ったおかずがあったり、病気や治療で痛い思いをしてたり、何か不穏な音が聞こえたり、そんな時に助けてもらったり助けたりできるご近所がある。
お国も人種も職業も年齢も宗教も生き方も、みんなてんでバラバラだけど、自分ちだけが良かったらとは思わない、けれども干渉もしない、とても心地良い付き合いがある。
同時にでっかくなったキュウリをせっせと採って、みんなにも食べてもらおうと渡していたら、いきなり電気がついた。
え?
まだ金曜日だけど?
40代50代60代の大人が、両手を上げてぴょんぴょん跳ねた。
そりゃ嬉しいよね。
今回の停電は長かったけど、電気の無い暮らしにはすぐに慣れた。
真っ暗な夜の中に、普段聞こえないいろんな音や、普段は見過ごしているいろんな光が交錯してた。
もちろん電気は便利でなくてはならない物だし、無かったらとても困るけど、この真っ暗闇の夜は心のデトックスになったかもと思う。
おまけ写真
一体どうしたいのかさっぱりわからなかったこの大型トラックさんの通せんぼ。
信号を5回見過ごしたけど、その間誰一人クラクションを鳴らさなかった。
アメリカ人のレジスター待ちと、こういうハプニング時の解決を待つ忍耐力はかなり高い。
よくアメリカ人は待てないとか辛抱しないとか言われるけれど、意外とみんな文句一つ言わずに待つ。
それもかなり長い時間でも。
もちろんズルする人や車には容赦しないけどね。