ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

ジョー・オダネル氏 「1945年、あの原爆はやはり間違っていた。 それは、100年経っても間違いであり続ける」

2022年08月09日 | 日本とわたし
報道写真家 ジョー・オダネル撮影 「焼き場に立つ少年」 (1945年長崎の爆心地にて) 


佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると、白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は、60センチ程の深さにえぐった穴のそばで、作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。

10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。
しかも裸足です。
少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。
白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。
男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。
それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。
その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました。

(インタビュー・上田勢子)[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]

詳しくは以下の、この記事を読んでください。
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2022年、暑中お見舞い申し上げます

2022年08月09日 | ひとりごと
きっとみなさんはご存知なんでしょうね、枝豆の美味しい茹で方。
わたしは知らないまま、ずっと適当に、お湯を沸かして塩を入れ、そこに洗った枝豆を投入し、なんとなく色合いを見ては試し食べして、まあこんなもんだろうというところで出来上がり。
でも今回は鈴木農場で購入した特別な枝豆だったので、ちょっと調べてきちんと茹でてみることにしました。

まずはざっと洗った枝豆の両端をちょん切る。

水1リットルに大さじ1杯の割合で塩を入れ沸騰させる。
待ってる間に枝豆に塩を振り揉み込んでおく。
沸騰したお湯に、塩がついたままの枝豆を入れる。
再び沸騰したら火を少し弱め5分間茹でる。

レシピに書いてある通りにやってみました。
ほんのりと甘い、そしてコクがある味の枝豆を楽しむことができました。


今年の菜園の瓜類の野菜は、昨年あたりから発生し始めた新種の害虫の幼虫にやられてしまいました。
名前はSpotted Lantarnfly、毒々しい色が奇妙に美しい虫です。
これ、全部同じ虫で、真っ黒に点々が幼虫、赤くなるのが成虫の一歩手前、そして羽が生えたのが成虫で、閉じている時は地味ですが、広げると一気に華やかになります。
うちのきゅうりは、この真っ黒クロスケに白い水玉の幼虫にやられました。


こんな感じで(これはうちのきゅうりの写真ではありませんが)。

なので今年の野菜は万願寺とうがらしとミニトマトと枝豆、そしてちょっとだけオクラ、ネギと玉ねぎとほうれん草少々で終わってしまいそうです。


冷蔵庫の掃除メニュー。
鈴木農場の苦瓜の苦味を緩和するのに、今回はマンゴーを投入。

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