ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

中国と中国ではない国と

2008年08月16日 | 世界とわたし
オリンピックの開会式の演出のいろんなウソが発覚して、あちこちで報道され始めた。
小さな子供に、容姿や声の良し悪しと国益とを結びつける、無謀とも言える大胆さ、
本当は政治家が真剣に考えて改善していかなあかん民族問題を、子供の衣装で適当に誤摩化せると思う軽卒さ、

けど、そういうのって中国だけかなあ。

今回は、オリンピックの開会式という場でやっちゃっただけに、目立ったし、注目しやすかったけど、
どこの国にも、政治や軍の頂点付近にいる自分の利益と名誉のことだけで頭が爆発しそうな連中は、やってまっせ、もっとえげつないこと。

そやからって、まあええとしましょうよ、なんて全然思てないけど。

ただ、どうしても分からんのは、バレたらヤバいと思われるようなことをやってしまう心理ですね。
精神分析とかを受けた方がいいかもしれない。
もしかしたら連中は、これってヤバいとちゃうか、なんてこれっぽっちも思てなかったのかもしれんけど……。

それにしても、開会式の太鼓や筒の波紋の演技には感動したなあ
絵巻物の演出も、品格があって好きやったし。
なんてことを、同じ町に住む友達とランチしながらしゃべってたら、
「けど、ああいうのは中国でないとできないよね。
 だってさ、なんも生活の心配せんと練習だけに励めるんやもん」と、
友人K美がクールに言った。
彼女は、わたしみたいに、なんの脈絡もないのに、表彰式に立って国家を口ずさむ選手を見た途端、
ウルウルと涙を浮かべたりしない。とっても現実主義なのだ。
ただ、ちょっと前にあったコンサートを聞きに来てくれた時、
「ピアノの先生ってのは知ってたけど、まうみちゃん、ちゃんとピアノ弾けるんや~」と、
なにげにとんちんかんなことを言って褒めて?くれた人でもあるけれど……。

その国、その地方、その町、その家族、その人にとっては別にええやんかで済むことが、
違う国、違う地方、違う町、違う家族、違う人にとってはそれはあかんやろってことっていっぱいある。

大好きな詩人、鈴木みすゞの『私と小鳥と鈴』の最後の2行、
    鈴と、小鳥と、それから私、
    みんなちがって、みんないい。

世界がこんなふうに、とってもシンプルに、自分を大事にするように、人を大事にできたらいいのに。
そんな小さな個がだんだんに集まって、町になって地方になって国になって、
いろんな違いを、いいなあと認められるようになったらいいのに。

もちろん、どんな違いがあるにせよ、いいこと、悪いことを判断する基準は共通していて欲しいけれどもね。






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2 コメント

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難しい… (もめん)
2008-08-16 15:53:08
中国の偽装行為を、やや感情的に報道するテレビの主張や、
それを見ている親達のコメントは、確実に子ども達の
心になんらかの観念を植え付けています。

我が子達が、「これだから中国は…」的な発言をすると、
ついつい、「一人ずつはきっと良い人なんだけどねー。考え方が日本人と違う時があるんだねー。」なんて、いい子発言をして、「反中国」に固まらないように中和を促しちゃいます。

人間一人一人単位でも、もちろん相容れない人もいると思うけど、基本的な善悪の基準は同じだと信じたい。
その善悪の境も、環境によって妥協せざるを得ない場合もあるんだろうな。

恵まれて、幸せなら、悪い事なんて誰もしないよね。
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本当に…… (まうみ)
2008-08-17 00:29:30
せめて自分の子供には、と思て必死で中世平和主義的な意見を言う場面が、この家でも何回もありました。
けど、そんなわたしの子供時代はどうかというと、
次々に現れる困難な局面を、どうやって乗り越えるかを考えていただけなので、
結局なにも知らずに、そしてなにも知ろうともしなかった。
なので、その言葉には重みが無くて、
それを聞いてる別の自分が、なにエエカッコしてんねんって言うてたりするんですね。
イヤな人、イヤなことってある。もちろん。
けど、そやからって、その人や事柄を全部否定して、憎んだり責めたり無視したりするのは、ほんとに幼稚やと思います。
いろんな国の人達が、自分が大切にしたいことを必死で保ちながら、
新しい習慣や文化も撥ねつけずに暮らすのを目の当たりにして、
幼稚そのものやった自分が、少しずつ大人になってきてるような気がします。
みんなちがって、みんないい。
そう思わないとやっていけない環境に生きるのは、なかなかすてきな冒険です。
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