ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

親のこころ

2008年10月20日 | ひとりごと
うちから車で1時間ちょっと北に走っただけで、気温がぐんぐん低くなり、紅葉も終盤を迎える山の風景が目に入ってきます。
夏にバーベキューで楽しく過ごしたニューヨーク州に住む友人夫婦宅に遊びに行ってきました。
3才と5才のAちゃんSちゃん姉妹は元気はつらつ。にこにこぴょんぴょん、一時だってじっとしていません。
そんな可愛い彼女達を、ああ、あんな頃もあったなあなんて、もうまるでお婆ちゃん気分で見つめるわたし……。

美味しい豚キムチ鍋と熱燗をいただきながら、選挙のこと、政治のこと、戦争のこと、教育のこと、普段から気になっていることなどを話しました。

お父さんTが、とりわけ熱く語っていたのは、娘達が何か興味を持てる事柄を見つける手助けをしてやりたい、ということ。
無理強いではなく、本人が興味を持ち、本人の意思でやりたいと思ってチャレンジする、という形がベストだと考えています。
それは芸術でも、スポーツでも、武道でもなんでも良いのだそうです。

ふんふんと聞きながら、わたしも今から16年前の、息子達が4才5才だった頃を思い出していました。
難しい時だったなあ。お腹を空かせないように、そればっかり考えながら、ズボンのポケットやタンスの引き出しの5円玉をかき集めたりして、
究極から極へ、並から並の下へ、貧乏のランクが少しずつ下がりはしたけれど、それでもやはりしんどい生活が長く続きました。

息子達にしてあげられたこと。なんだったろう。
スポーツ少年団、ボーイスカウト(制服のお下がりを貸してもらえたので)、スイミングクラブ、それだけです。
友達を招待しての誕生日会も、習い事も、それから歯の矯正も、何もしてあげられないまま2人とも大学生になってしまいました。
洋服や靴は見知らぬ人からのお下がり、自転車は大型ゴミかお下がり、申し訳ないと思いながらもどうしようもありませんでした。

息子Tは、こちらに越してくる1年前に大津の私立中学に入学しました。
それがわたし達が彼にしてあげられたただ一つの大きなことでした。
彼は家から大津駅までの長い上り坂を自転車で、大津駅から近江八幡までをJRで、近江八幡駅から中学校まで自転車に乗って通いました。
わたし達の知らないうちにブラスバンドに入り、トランペットを吹いていて、それがものすごく楽しいと、本当にいい顔して笑っていたT。
ところがしばらくして、歯並びが原因でトランペットから打楽器に変更させられたと、彼がさり気なく言った時、
前歯の歪みを直してあげたいと思いながら、それができないでいる自分達を呪いたい気持ちになりました。
やっと見つけたやりたい事を一所懸命に頑張って、とてもいい音が出るようになったとあんなに嬉しそうだったのに。

彼は気を取り直し、こちらに越してからも、地元の中学と高校でティンパニーを演奏し続けました。
クラブでは陸上にも入り、クロスカントリーの選手として記録を出したりしました。
なにもさせてあげられなかったけれど、やりたい事を自分で見つけ、始めたらコツコツ地道に練習したり訓練したりして、
打楽器の演奏、長距離走、ベースギターの演奏、剣道、バスケットボールなどを上手にできる若者になりました。

一方息子Kは、離婚直後の悲惨な状況を不憫に思ったわたしの父が、ほんの軽い気持ちで渡したゲームボーイがきっかけで、
どうしてだかどんなゲームでもすぐにうまくなってしまう能力?を持っていたために、ゲームにのめり込んで早16年。
それは、親として悩み続けた16年でもありました。
野球をしたらよく投げられるし打てる。バレーボールだってテニスだってすぐに上手になる。ドラムだってうまく叩ける。
そしてピアノ。弾きたい曲を弾けるようになるまでのあのしつこさと集中力。ああもったいないっ!!
そんなKを見守ってきたわたしと旦那の葛藤は、書いたら1冊の本が出来上がりそうです。冗談抜きで。
でも、3年前あたりから、とうとうわたし達も観念することにしました。
それがKのしたい事だったんだと。それがたまたまゲームだったんだと。
彼はここ東海岸では名の知れたプレイヤーです。彼と試合をしたくて遠くからやってくる子もいます。
仲間は高校生から大人まで、年令も職業もバラバラ、けれどもみんな妙に純で、お酒もドラッグも飲まずに、目をキラキラさせてテレビの画面を見つめています。
何時間だって平気です。4~8人が一つの部屋に集まってKを中心にめちゃくちゃ楽しそうです。
今は違う州にまで遠征試合。仲間で運転を交代しながら、片道8時間の道のりを旅行します。
トーナメントでは賞金も出ます。Kの稼ぎは寿司屋のバイトよりも効率が良いそうです。

わたし達は、かなり不甲斐ない、どちらかというと自分のことが中心の不出来な親で、
失敗もいっぱいしたし、実行できなかったこともいっぱいあったし、なによりもしてやれなかったことがいっぱいあります。

こんなトホホなわたし達だけど、一つだけ、これだけはましだったかもしれないと思えることがあります。
それは、音楽が好きだー!という気持ちを、ずうっと見せ続けてきたことです。
旦那はギターや歌を、わたしはピアノやクラリネットや歌を、
聞いたり演奏したり、遊んだり練習で悩んだり、時には地団駄踏んで苦しんだり、
それって結局は自分のしたいようにしてるだけじゃんって言われてしまいそうだけど、
本当に好きなことって一生もんだよっていうメッセージは、彼らに伝わっているんじゃないかなと思います。

ニューヨーク州の山の中のおうちから、ふうっと辿り着いた想いでした。
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4 コメント

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Unknown (かおり)
2008-10-22 07:52:35
二人とも熱心で(いわゆる教育熱心とかじゃないけど)素敵な親御さんだと思うよ~。
子供は二人ともラッキーだよ。
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TとKが (まうみ)
2008-10-22 11:30:42
ちっちゃい時から知ってくれてるかおりちゃんに、そんなふうに言ってもらえるとしみじみ嬉しいなあ。

変な例えやけど、看病も親業も、やってもやってもやり足らんような、なんか申し訳ないような気持ちになる。

それって愛して愛して、すごく愛してるから、そんな気持ちになるのかなあ。

でもありがとう。かおりちゃんの気持ち、すごく嬉しかった。
返信する
Unknown (かわちゃん)
2009-11-28 10:11:23
>それができないでいる自分達を呪いたい気持ちになりました。

あかんわ、涙出てきた。
T君がさりげなく言うてくれたことが余計につらかったやろなぁ。
返信する
かわちゃん、困ります! (まうみ)
2009-11-28 10:43:47
わたしまで涙出てきたやないですか!

あの瞬間は、今でもはっきり覚えてます。彼の声色と部屋の空気まで。

かなり長いこと落ち込んだけど、Tがなんとか気分を入れ替えて頑張ろうとしてるのに、わたしが落ち込んどってどないする。なんの役にも立たんやないか!と自分で自分を叱ったのを覚えてます。
つらかった気持ちを分かってくれるかわちゃんの優しさが嬉しいです。
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