ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

福島県郡山市に暮らしていた高校生の思い『福島原発事故と私。そして、日本のこれから』

2011年09月16日 | 日本とわたし
komatsuburiさんのいう方のブログ『根っこはどこだ』に掲載されていた、ある女子高校生の思いを読んでください。


『福島原発事故と私。そして、日本のこれから……』自由の森学園H3 M.U


『原発の事を話したり考えたりすると、ただ「原発事故」というだけでも、話題が大きすぎる。
また、人によって、原発事故・原発への感情や現状の認識の差が大きかったり、理解するのに専門的な知識が必要だったりして、話しをしづらいし、考えにくいと思う。
なので、私は、「福島原発事故」が私の生活に及ぼした影響から、これから原発はどうするべきかを考えていこうと思う。

今回の、福島第一原発でおこった事故で、私の中でなにかが変化した。

もやもやした気持ちが頭の中にずっと存在し、先が見えない不安感、どこにもぶつけようがない怒りとやりきれなさが、ずっと付きまとっている。
こんな気持ちになったのは、生まれて初めてだった。

私の家は、福島県郡山市(福島原発から50km程)にあった。
数年前に建てたばかりの新しい家だった。
私の部屋からは、安達太良山が綺麗にみえ、庭には、母が営んでいた子どもたちに安全な木のおもちゃのおもちゃ屋もあり、親子連れがたくさん訪れていた。
だけど、そのような環境は、3.11を境に手放すことになった。
地震で家が崩れたわけでも、津波で流されたわけでもなく、今までと同じように存在しているのにも関わらず住めなくなった悔しさや怒りは、言葉では表現できない。

郡山市は、マスコミにもあまり報道されることがないので、「そんなに危ないの?」といわれることが多い。
だけれど、実際は、避難地域に指定されている場所と変わらないぐらい、高い放射線量なのだ。
私の家も、ガイガーカウンターで計った際に、驚くような数値が出た。
そんな場所で、子どもたちに、安全なおもちゃを売ることはできるのだろうか。
自分たちの、健康で安全な生活は営めるのだろうか。
答えは、ひとつだった。
自分たちの家族の安全を守るためには、今までの家には住めない。
そして、母のおもちゃ屋は、こどもが安全な環境でないのに、安全なおもちゃは販売できない。
「ここで暮らしては駄目だ。」ということを、まわりの人々に伝えるためにも、店を閉じ、避難することを決めたのである。

家族が、埼玉県に避難すると決まると同時に、私は、寮を退寮した。
私にとって寮は、2年間、自分の学校生活の大きな柱のような存在だったし、寮生活でたくさんの事を学び、
「嫌い、面倒くさい。」と言いながらも、自分の居場所だった大切な場所だった。
自分の家と大切な場所が、私の中から奪い取られた気分だった。

また、奪われたのは、物だけではないと思う。
今回の原発事故で、人と人との間に、大きな溝が沢山できた。
安全だと信じ込み、高線量の福島県に住み続ける人、危険だと判断しその土地から離れた人、そして、まだ住んでいる人に、「そこは安全じゃないよ。危ないよ」と教える人。
今まで存在していた人間関係が、まるで嘘だったかのように消えてしまった。
私は、「あなたの住んでいる場所は、高線量で危ないよ。」というメールの内容を、福島の友人にしてから、一切連絡が途絶えてしまった。
これは、私だけの話では無く、私の家族や、同じように避難してきた友人も言っていた。

原発は、人の心までも奪う。
私自身、原発についての授業や話になると、むきになってしまって、噛み付くような見幕で、相手に自分の思っている事を話してしまうことが、何度もあった。
勿論、はじめから噛み付いてやろうとか、嫌な気分にさせてやるなんて思ってもいないのに、自分自身をどうしようもできない自分がいた。
それに、原発事故収束の先が見えない真っ暗な未来を思うと、原発について考えるのに疲れてしまって、話したり考えたりしたくなくなってしまった。
だけど、本当にそうなのかと考えたら、やはりきちんと考え学んでいかなければいけないことだし、
自分の思いや考えを言葉にして、声をあげなければいけないと思った。
なによりも、自分自身の大切なものをこれ以上失いたくないし、同じように、大切なものを失う人が増えてほしくないからである。

だれが悪いのか、誰に責任があるのかと考えたら、もちろん電力会社や、原発推進を国策として進めてきた政府、莫大な広告費で癒着してきたマスコミ、目先のお金で受け入れた町と町民があげられる。
だけど、なによりも「安全神話」を信じ込み、疑う人々を見てみぬふりし、原発推進を国策としてあげている政治や、政治家を選び支持して来た日本の多くの有権者たちにも、大きな責任があると思う。

反対ということだけ唱えていても、推進している人を納得させたりすることはできないから、
推進している人たちの話に耳を傾けてみたが、推進している理由に、根拠がひとつも感じられなかった。

最近、本来なら、人や自然、命あるものを思いながら進めていくべき政治や世の中が、企業の儲けや一部の人たちだけの都合のいいように進められていると感じる。
これは、とってもおかしなことだ。
安全を手に入れるにはお金がかかる。
だけれど、原発のおかげで、お金をたくさん得ている人たちがいるのも事実だ。
この社会の仕組みは、私たちの安全を「危険」に売っているのだ。

まだ、福島原発は収束していない。
次から次へと放射性物質が検出される日々。
これは、事故が起きたときこうなると、分かりきっていたはずだ。
いつ倒壊するか分からない4号機。
たくさんの使用済み核燃料。
そして、恐ろしいのは、福島原発は、プルサーマル発電。
目を離してはいけないのだ。
逸らしてはいけないのだ。
これでも、まだ必要なのだろうか。
電気は足りているのに、収束の光も見えないまま、ほかの原発を再稼動させるのだろうか。
絶対に止めなければならない。
この地球の未来を少し考えたら分かるはずだ。
これは、福島だけの問題ではない。
東京や埼玉だって水や食べ物は汚染されたものが、流通しているし、ホットスポットがたくさんある。
のんきに考えていてはいけないと思う。


世界が「脱原発」への道を進んでいるのに、どうして日本は変わらないのだろうか。
変わらないのではなく、変えられないのかもしれない。
日本の原発教育を受けてきた人がほとんどだから、危機感や現実感が存在しないのではないかと思った。
ある意味、日本の教育は、成功なのだろう。

だけれど、変えるべき問題だから、もっと声をあげて訴えなければならないのだと思う。
私自身も、微力ながらも、自分の考えを大切にし「原発はいらない。」と声を上げていきたい。

今回は、あまり触れられなかったけれど、これからの事を考えると、新エネルギーのことや、今とまっている原発の再稼動問題などいろんなことがあげられる。
それらをこれから考えていく必要があると思う』


彼女と彼女の家族は、あまりにも多くの物を失うた。
今までとなんも変わらへん、美しい景色に囲まれた、数年前に建てたばかりの家も、
子供達のためにと開いた『安全な木のおもちゃのお店』も、学校生活も、友達も、
そして多分、大黒柱の人の仕事も。

そんな大変な、新しいチャレンジ生活が続いている中で、彼女はこれだけのことを考え、それをまとめあげた。
大人の我々にできんかったら恥ずかしいんちゃう?
わたしらも、自分の考えを大切にして、「原発いらん!」と声上げていかなあかんのとちゃうの?

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2 コメント

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がんばっても3分の1(T_T) (よもぎ)
2011-09-18 07:29:30
まうみさん、おはようございます。
……って、そちらは朝じゃないですね(^^ゞ

昨夜、やっと懸案の記事、たぶん予定の3分の1くらい書き終えました。
根も深いけれど、私自身も、長いこと日本全体のことに無知でしたし、
いま書いとかないとすごくまずい、ってことだけは判ってるんです。

でも、まだ現在に到達できていません orz
頑張らなくちゃ~
いえ、「苦しくても、何とかがんばらない」がず~っとモットーでしたけど、これは今のためだったんだと痛感してます。

この10年、私、ずっと怒ってたんですよ、顔はムチャクチャ笑ってましたけど。
でも、とにかく多い若者の自殺未遂。去年の冬には、とうとうひとり、ブログで知った19歳の魅力的で聡明な女性が未遂を完遂しちゃって……あまりの力不足で打ちのめされてました。

1日100人が自殺それが毎日365日って、収容所列島か、って思ってました。
ひとりひとりに、青春まっただなか(または花の中年)の暮らしがあったはずだし、喜びも哀しみもあったはずなのに。

オバチャンパワー、振り絞って炸裂させま~す!
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よもぎさんへ (まうみ)
2011-09-18 11:34:48
おぉ~よもぎさん、オバチャンパワーが遠いこちらにまで伝わってきましたわ~!
でも、ほんと、無理せんといてくださいね。
体を壊したら元も子もありません。経験者が語っております、はい。

自殺に心が傾いていく過程を、何度か経験した自分としては、
そして、そのうちの何度かは、その一日百人の統計の中に入ってたかもしれない程度のだった当人としては、他人事とは到底思えないのですが、
その一方で、生き地獄っていうのは実にそこらじゅうに姿を隠していて、
外から見ているだけでは全然わからないのだけれど、
その地獄の穴にすっぽりはまっている人はたくさんいるんだということは、紛れも無い事実なんですよね。

生きててこそナンボ。
それをどうにかして伝えたいのですが……きっとよもぎさんがその担い手になってくれているんですよね。
無理せんと、でも、楽しみにしてま~す!

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