年に一度だけ、高校時代に部活で一緒だった仲間達と会うことが、ここ数年の恒例行事になっている。
集まるタイミングは、本州に住んでいる友だちが帰省した時で、11名ほどいる仲間達に声をかけて、集まれる人だけでランチを食べながら楽しくおしゃべりをしている。
今回も友だちが帰省したので、ホテルでランチをすることになった。
今回集まったのは7名ほど。
みんなとは一年ぶりの再会だったが、変わらずに元気でまた再会できたことは嬉しかった。
まずは再会を祝ってジュースで乾杯し、ビュッフェのホテルランチをもりもりと食べながらおしゃべりをした。
話題は親の介護や子供の話などで、子供はもうすでに結婚している人もいて、孫の話が出るのも遠くはないかもしれない。
それから結婚30年以上にもかかわらず、子供やペットのではなくて、だんなさんの写真を持ち歩いているという、うらやましいくらいの仲良し夫婦を続けている友だちもいた。
「これ、うちのだんな」(と写真を見せる友人)
「知ってるよ~。だって結婚式行ったもん!」(その他一同うなづく)
「あらっ、でも相変わらず優しそうな人ね~ 優しいでしょ?」(その他一同、一斉に写真を覗き込む)
「うん、まあね」(と言いながら、友人ニヤける)
その他一同、微笑ましく(うらやましく)思いつつ笑う。
と、こんな感じで賑やかにおしゃべりは続いていった。
まさか、このあと自分の口からひとりの友人(Aちゃん)に対して、謝罪の言葉を口にすることになるとは、この時は夢にも思っていなかったのだが・・・
その友人Aちゃんとは、席が隣になり、今回も色々な話をした。
ところで部活の仲間達とは、高校時代も卒業後も、仲は良いが、べたべたといつも一緒にいるような関係ではなく、それぞれがたまに会って話をするという程度の関係が続いている。
(もしかしたら、それが長続きのコツなのかもしれない)
しかし、Aちゃんとはお互いに就職してからの数年間、会っておしゃべりをすることが多い時期があった。
きっかけは、Aちゃんから「勤めていた会社を辞めた」という話を聞いたことだった。
その時、仕事を探していたAちゃんに、私が自分の勤めていた会社の臨時職員の仕事を紹介したことがきっかけだった。
仕事を紹介したと言っても、一介の若い女子社員にすぎなかった私に友達を会社に入れるような力があるはずもなく、私が人事の担当者に話をしてAちゃんの履歴書を届けたというだけあって、あとはAちゃんの実力で入ったのだが、Aちゃんは臨時職員でも入社できたことを喜び、私にとても感謝をしてくれた。
社内ではAちゃんとは、ほとんど会うことは無かったが、仕事が終わってから、よく一緒にご飯を食べに行ったりしていた。
そして、Aちゃんが同じ会社に入ったことで、共通の話題ができたので、私はよく仕事の悩みや愚痴をAちゃんに聞いてもらっていた。
そう、本当によく聞いてもらった。
当時の私は毒ガス(愚痴)を吐きまくっていて、それをAちゃんに聞いてもらうことで、自分のストレスを発散していたのだと思う。
まるでAちゃんを自分のゴミ箱のようにしていたのだと思う。
それがやっと分かったのは、Aちゃんが私の話を聞きながら、ふと見せた怒ったような顔だった。
「そうだよね~、こんな話ばかり聞かされたら嫌になってくるのも当たり前だわ」と、Aちゃんの怒った顔をみて、やっと分かった。
それからはAちゃんと会う時には、絶対に毒ガスは吐かないと心に誓ったのだが、Aちゃんを自分のゴミ箱にしていたことは、それからずっと私の心に引っかかったままで、50歳を過ぎた今も、時々思い出してはAちゃんに対して申し訳なかったという気持ちになっていた。
今回、隣同士に座ったAちゃんと色々なおしゃべりをしていた時、Aちゃんが言った。
「そうそう、勤めていた時、あなたはよく会社辞めたいって言ってたよね。
その度に、お給料の為に居なさいって私が言ったの覚えている?」
「覚えてるよ~!!もちろん覚えている。Aちゃんにそう言ってもらって、会社を辞めずに勤めていて良かったと、今でも思っている。色々な人に出会えたし、お給料も良かったし、いい経験をさせてもらえた会社だった」
そう答えたのだが、Aちゃんをゴミ箱にして申し訳なかったという気持ちが湧き上がってくるのが抑えきれなくなった。
「あの時は本当にごめんね。愚痴をいっぱい聞いてもらったよね。あんなこと聞きたくなかったと思うけど、いつも黙って聞いてくれて本当にありがとう。あの時は、Aちゃんの気持ちも考えずに、自分の毒ガスを吐くことばかりしか考えていなかった。でも、あとからやっとわかった。Aちゃんには悪いことをしたなと、今でも思っている。本当にごめん」
Aちゃんに向かって一気にそう話して謝ったら、Aちゃんは「そんなことはなんとも思っていなかったよ。もう昔のことは忘れた。がはは」と豪快に笑い飛ばしてくれた。
長い人生の中で、誰もが心の中に引っかかっていることが一つや二つあるのではないのだろうか。
私の場合もまたそうで、それは他人からなにか自分が傷つくようなことや、嫌なことをされたということより、自分が他人にしてしまったことの方が、より強く心の中に「後悔」という形で残っている。
Aちゃんに謝って、Aちゃんが笑い飛ばしてくれたことで、心の中にずっと刺さっていた「後悔」という棘が、やっとまた一つ抜けたように思える。
こうして、ひとつ、またひとつと、心の中の棘を抜いている。
このような場を作ってくれた「ご先祖」や「大いなる存在」に感謝をしている。
集まるタイミングは、本州に住んでいる友だちが帰省した時で、11名ほどいる仲間達に声をかけて、集まれる人だけでランチを食べながら楽しくおしゃべりをしている。
今回も友だちが帰省したので、ホテルでランチをすることになった。
今回集まったのは7名ほど。
みんなとは一年ぶりの再会だったが、変わらずに元気でまた再会できたことは嬉しかった。
まずは再会を祝ってジュースで乾杯し、ビュッフェのホテルランチをもりもりと食べながらおしゃべりをした。
話題は親の介護や子供の話などで、子供はもうすでに結婚している人もいて、孫の話が出るのも遠くはないかもしれない。
それから結婚30年以上にもかかわらず、子供やペットのではなくて、だんなさんの写真を持ち歩いているという、うらやましいくらいの仲良し夫婦を続けている友だちもいた。
「これ、うちのだんな」(と写真を見せる友人)
「知ってるよ~。だって結婚式行ったもん!」(その他一同うなづく)
「あらっ、でも相変わらず優しそうな人ね~ 優しいでしょ?」(その他一同、一斉に写真を覗き込む)
「うん、まあね」(と言いながら、友人ニヤける)
その他一同、微笑ましく(うらやましく)思いつつ笑う。
と、こんな感じで賑やかにおしゃべりは続いていった。
まさか、このあと自分の口からひとりの友人(Aちゃん)に対して、謝罪の言葉を口にすることになるとは、この時は夢にも思っていなかったのだが・・・
その友人Aちゃんとは、席が隣になり、今回も色々な話をした。
ところで部活の仲間達とは、高校時代も卒業後も、仲は良いが、べたべたといつも一緒にいるような関係ではなく、それぞれがたまに会って話をするという程度の関係が続いている。
(もしかしたら、それが長続きのコツなのかもしれない)
しかし、Aちゃんとはお互いに就職してからの数年間、会っておしゃべりをすることが多い時期があった。
きっかけは、Aちゃんから「勤めていた会社を辞めた」という話を聞いたことだった。
その時、仕事を探していたAちゃんに、私が自分の勤めていた会社の臨時職員の仕事を紹介したことがきっかけだった。
仕事を紹介したと言っても、一介の若い女子社員にすぎなかった私に友達を会社に入れるような力があるはずもなく、私が人事の担当者に話をしてAちゃんの履歴書を届けたというだけあって、あとはAちゃんの実力で入ったのだが、Aちゃんは臨時職員でも入社できたことを喜び、私にとても感謝をしてくれた。
社内ではAちゃんとは、ほとんど会うことは無かったが、仕事が終わってから、よく一緒にご飯を食べに行ったりしていた。
そして、Aちゃんが同じ会社に入ったことで、共通の話題ができたので、私はよく仕事の悩みや愚痴をAちゃんに聞いてもらっていた。
そう、本当によく聞いてもらった。
当時の私は毒ガス(愚痴)を吐きまくっていて、それをAちゃんに聞いてもらうことで、自分のストレスを発散していたのだと思う。
まるでAちゃんを自分のゴミ箱のようにしていたのだと思う。
それがやっと分かったのは、Aちゃんが私の話を聞きながら、ふと見せた怒ったような顔だった。
「そうだよね~、こんな話ばかり聞かされたら嫌になってくるのも当たり前だわ」と、Aちゃんの怒った顔をみて、やっと分かった。
それからはAちゃんと会う時には、絶対に毒ガスは吐かないと心に誓ったのだが、Aちゃんを自分のゴミ箱にしていたことは、それからずっと私の心に引っかかったままで、50歳を過ぎた今も、時々思い出してはAちゃんに対して申し訳なかったという気持ちになっていた。
今回、隣同士に座ったAちゃんと色々なおしゃべりをしていた時、Aちゃんが言った。
「そうそう、勤めていた時、あなたはよく会社辞めたいって言ってたよね。
その度に、お給料の為に居なさいって私が言ったの覚えている?」
「覚えてるよ~!!もちろん覚えている。Aちゃんにそう言ってもらって、会社を辞めずに勤めていて良かったと、今でも思っている。色々な人に出会えたし、お給料も良かったし、いい経験をさせてもらえた会社だった」
そう答えたのだが、Aちゃんをゴミ箱にして申し訳なかったという気持ちが湧き上がってくるのが抑えきれなくなった。
「あの時は本当にごめんね。愚痴をいっぱい聞いてもらったよね。あんなこと聞きたくなかったと思うけど、いつも黙って聞いてくれて本当にありがとう。あの時は、Aちゃんの気持ちも考えずに、自分の毒ガスを吐くことばかりしか考えていなかった。でも、あとからやっとわかった。Aちゃんには悪いことをしたなと、今でも思っている。本当にごめん」
Aちゃんに向かって一気にそう話して謝ったら、Aちゃんは「そんなことはなんとも思っていなかったよ。もう昔のことは忘れた。がはは」と豪快に笑い飛ばしてくれた。
長い人生の中で、誰もが心の中に引っかかっていることが一つや二つあるのではないのだろうか。
私の場合もまたそうで、それは他人からなにか自分が傷つくようなことや、嫌なことをされたということより、自分が他人にしてしまったことの方が、より強く心の中に「後悔」という形で残っている。
Aちゃんに謝って、Aちゃんが笑い飛ばしてくれたことで、心の中にずっと刺さっていた「後悔」という棘が、やっとまた一つ抜けたように思える。
こうして、ひとつ、またひとつと、心の中の棘を抜いている。
このような場を作ってくれた「ご先祖」や「大いなる存在」に感謝をしている。