週末にまた父の所へ行ってきた。
ちょうど昼食の時間で、入所者の方々は食堂に集まっていらした。
「お父さんもいるかな」と、いつも父が座っている席を覗くと「いた~!!」
ちゃんと席についているではないの。
いつも寝ているので、食事の時間になっても、なかなか起き上がれず、時間通りに食事に行けることはないのだが、今日はなんと時間通りに食堂にいる。
父のそばまで行って声をかけると「おぉ」と言って笑ってくれた。
今日はかなり調子が良さそう!私の気分もあがる↑
ただ、いつもお世話をしてくれる看護師さんやヘルパーさんからは「ずいぶん弱ってきたので、介護計画の見直しをすることになりました」と言われた。
父が二年前に高齢者住宅に入った時には、スタスタというわけにはいかないが、自力で歩くことができたし、もっと頭もしっかりしていた。
しかし、今は寝たきりに近い・・・
私も、このまま同じ介護では難しいと思っていたので、そのように言って頂いてホッとした。
ところで、今回は父のことでヘルパーさんから購入を頼まれたものがあった。
それは洋服とヒゲそり用シェーバー。
父は昔からとてもお洒落で、ふだん着はスラックスにベルトをしめ、上の服は襟のついたカジュアルなシャツを好む。
しかし、徐々に自分でベルトをしたり、ボタンを留めたりすることができなくなってきたので、父が好んで着ていた服ではなく、ウエストがゴムのジャージのようなズボンとTシャツを着るようにして欲しいとのことだった。
たぶんその方が介護しやすいし、父の負担も減るのだと思う。
また、ヒゲそり用のシェーバーは故障したので、買って来てほしいとのことだった。
「次にいらした時までで良いです」とヘルパーさんはおっしゃってくれた。
父の部屋でしばらく父を待っていて、戻ってきた父とすこし話をした。
今回の父はやっぱり絶好調!?で、珍しく父の方から話をしてくれた。
あぁ、こんなことは久しぶりだ。
「お父さん、今日は調子がいいね」と言うと「うん、調子がいいんだ」と笑ってくれた。
しかし、しばらくすると疲れたようで、またすぐにベッドに横になってしまった。
「じゃあ、帰るから。また来るからね」と言って、父の部屋を後にして自宅に帰るつもりだったが、「やっぱり洋服やシェーバーは早いほうがいいかもしれない」と思いなおして、そのまま車で大型ショッピングセンターへ行った。
ヒゲそり用シェーバーは男性店員さんオススメの商品を買い、ウエストがゴムのズボンは、形がスラックスに似ているものを買った。
Tシャツも父が好きそうな柄のものが見つかった。
さっそくまた父のいる施設に戻って、父の部屋に行くと、なんとちょうど父は履いていたズボンを自分で脱ごうとしている最中だった。
ところが、父は横たわったままでズボンを脱ごうとしているので、なかなか思うように脱げない。
悪戦苦闘している父に「お父さん、どうしたの?着替えるの?」と聞くと「いや、寝ようと思って」と父は言った。
寝る時に、ベルトのあるズボンでは窮屈なので脱ごうしていたようだ。
そこで、買ってきたズボンを見せて「履いてみる?」と聞くと、「履く」と言ってくれたので、ベッドに横たわっている父にズボンを履かせた。
それからシェーバーは箱から出して充電し、父に「今度はこれを使ってね」と言った。
父はベッドの中で横になったまま「わかった」というようにうなずいていたが、突然「いろいろとありがとう」と言った。
これまでも何度か父はありがとうを言ってくれたことはあるが、今日は「ありがとう」と言ってくれた父の目に涙が光っていた。
父の涙を見たのは、母が亡くなった時以来かもしれない。
これまで父はとても頑張って生きてきたと思う。
貧しい家に生まれ、「お前が働いてくれなければ生活できない」と母親(私の祖母)に泣かれ、大学進学をあきらめて就職した。
しかし、どうしても大学へ行きたかった父は日中働き、そして自分で働いたお金で夜学へ通ったそうだ。
父は公務員だったが、若い頃はよく上司にそろばんで頭を叩かれたそうだ。
今の時代、そんなことをしたら、上司は訴えられるかもしれないが、当時は当たり前のことだったのか、父はじっと耐えたそうだ。
父は、頭を叩かれて壊れたそろばんの玉が、音をたてて床に散らばった光景が忘れられないと言った。
そして「今に見ていろ、絶対に偉くなってやる」と思ったそうだ。
その頑張りのおかげで、父はそこそこの地位につく事ができたのだが、そこから父の自慢話を延々と聞かされるという苦行を家族は受ける。
同じような自慢話を何度、いや何十回、いやもっとかな・・・聞かされて来たかわからない。
父のおかげで私たちが生活できたので、これは感謝すべきことだが、やはり自慢話を延々と聞かされるのはつらいものがあった。
今になって分かったのは、それはきっと父のコンプレックスの裏返しでもあったのかもしれないと思う。
貧しい暮らしから這い上がってきたという自負心もあったかもしれないが、やはり貧しさが父のコンプレックスだったように思える。
年老いた今、父はもう自慢話などすることはない。
「ありがとう」と言って涙を見せてくれた父は、もうコンプレックスも、地位や名誉への執着も、きれいに無くなったようにも見える。
そして、私自身もこれまで父に言われて傷ついたことや怒りに震えたことなど、きれいさっぱりと無くなったことを感じている。
ちょうど昼食の時間で、入所者の方々は食堂に集まっていらした。
「お父さんもいるかな」と、いつも父が座っている席を覗くと「いた~!!」
ちゃんと席についているではないの。
いつも寝ているので、食事の時間になっても、なかなか起き上がれず、時間通りに食事に行けることはないのだが、今日はなんと時間通りに食堂にいる。
父のそばまで行って声をかけると「おぉ」と言って笑ってくれた。
今日はかなり調子が良さそう!私の気分もあがる↑
ただ、いつもお世話をしてくれる看護師さんやヘルパーさんからは「ずいぶん弱ってきたので、介護計画の見直しをすることになりました」と言われた。
父が二年前に高齢者住宅に入った時には、スタスタというわけにはいかないが、自力で歩くことができたし、もっと頭もしっかりしていた。
しかし、今は寝たきりに近い・・・
私も、このまま同じ介護では難しいと思っていたので、そのように言って頂いてホッとした。
ところで、今回は父のことでヘルパーさんから購入を頼まれたものがあった。
それは洋服とヒゲそり用シェーバー。
父は昔からとてもお洒落で、ふだん着はスラックスにベルトをしめ、上の服は襟のついたカジュアルなシャツを好む。
しかし、徐々に自分でベルトをしたり、ボタンを留めたりすることができなくなってきたので、父が好んで着ていた服ではなく、ウエストがゴムのジャージのようなズボンとTシャツを着るようにして欲しいとのことだった。
たぶんその方が介護しやすいし、父の負担も減るのだと思う。
また、ヒゲそり用のシェーバーは故障したので、買って来てほしいとのことだった。
「次にいらした時までで良いです」とヘルパーさんはおっしゃってくれた。
父の部屋でしばらく父を待っていて、戻ってきた父とすこし話をした。
今回の父はやっぱり絶好調!?で、珍しく父の方から話をしてくれた。
あぁ、こんなことは久しぶりだ。
「お父さん、今日は調子がいいね」と言うと「うん、調子がいいんだ」と笑ってくれた。
しかし、しばらくすると疲れたようで、またすぐにベッドに横になってしまった。
「じゃあ、帰るから。また来るからね」と言って、父の部屋を後にして自宅に帰るつもりだったが、「やっぱり洋服やシェーバーは早いほうがいいかもしれない」と思いなおして、そのまま車で大型ショッピングセンターへ行った。
ヒゲそり用シェーバーは男性店員さんオススメの商品を買い、ウエストがゴムのズボンは、形がスラックスに似ているものを買った。
Tシャツも父が好きそうな柄のものが見つかった。
さっそくまた父のいる施設に戻って、父の部屋に行くと、なんとちょうど父は履いていたズボンを自分で脱ごうとしている最中だった。
ところが、父は横たわったままでズボンを脱ごうとしているので、なかなか思うように脱げない。
悪戦苦闘している父に「お父さん、どうしたの?着替えるの?」と聞くと「いや、寝ようと思って」と父は言った。
寝る時に、ベルトのあるズボンでは窮屈なので脱ごうしていたようだ。
そこで、買ってきたズボンを見せて「履いてみる?」と聞くと、「履く」と言ってくれたので、ベッドに横たわっている父にズボンを履かせた。
それからシェーバーは箱から出して充電し、父に「今度はこれを使ってね」と言った。
父はベッドの中で横になったまま「わかった」というようにうなずいていたが、突然「いろいろとありがとう」と言った。
これまでも何度か父はありがとうを言ってくれたことはあるが、今日は「ありがとう」と言ってくれた父の目に涙が光っていた。
父の涙を見たのは、母が亡くなった時以来かもしれない。
これまで父はとても頑張って生きてきたと思う。
貧しい家に生まれ、「お前が働いてくれなければ生活できない」と母親(私の祖母)に泣かれ、大学進学をあきらめて就職した。
しかし、どうしても大学へ行きたかった父は日中働き、そして自分で働いたお金で夜学へ通ったそうだ。
父は公務員だったが、若い頃はよく上司にそろばんで頭を叩かれたそうだ。
今の時代、そんなことをしたら、上司は訴えられるかもしれないが、当時は当たり前のことだったのか、父はじっと耐えたそうだ。
父は、頭を叩かれて壊れたそろばんの玉が、音をたてて床に散らばった光景が忘れられないと言った。
そして「今に見ていろ、絶対に偉くなってやる」と思ったそうだ。
その頑張りのおかげで、父はそこそこの地位につく事ができたのだが、そこから父の自慢話を延々と聞かされるという苦行を家族は受ける。
同じような自慢話を何度、いや何十回、いやもっとかな・・・聞かされて来たかわからない。
父のおかげで私たちが生活できたので、これは感謝すべきことだが、やはり自慢話を延々と聞かされるのはつらいものがあった。
今になって分かったのは、それはきっと父のコンプレックスの裏返しでもあったのかもしれないと思う。
貧しい暮らしから這い上がってきたという自負心もあったかもしれないが、やはり貧しさが父のコンプレックスだったように思える。
年老いた今、父はもう自慢話などすることはない。
「ありがとう」と言って涙を見せてくれた父は、もうコンプレックスも、地位や名誉への執着も、きれいに無くなったようにも見える。
そして、私自身もこれまで父に言われて傷ついたことや怒りに震えたことなど、きれいさっぱりと無くなったことを感じている。