何かが変わった。
、、、と思っているのは私だけだろうか。
テレビをつければ、世の中は相変わらず災害や戦争、犯罪などの話題で賑わっている。
そんな悲惨な報道を目にする度に、巻き込まれてしまった方々を思うと気持ちが沈み、それと同時に訳のわからない不安や恐怖の感情が沸き上がり、しばらくはネガティブに引っ張られて、暗い気持ちから抜け出すのに時間がかかっていた。
しかし、それが最近一週間くらい前から変わってきた。
といっても、それは私の内面で起こっているだけなのかもしれない。
うまく表現できないのだけど、今日はそれをなんとか書いてみようと思う。
そのような多くの悲しい出来事が起きているのは紛れもない事実であると認識しているし、世界中で多くの善良な人々が苦しんでいるということももちろん理解している。
理解はしているのだけど、最近、自分が今いる世界と、苦しみの多いそれらの世界の間に、一枚の透明な板で隔たりがあるような気がするようになった。
ここ三年近く、お店などでよく見かけるようになった透明のアクリル板。
あのアクリル板のようなものが、自分のいる世界と多くの苦しみがある世界との間にある。
その板があるからなのか、以前のようにネガティブな感情に傾き過ぎることなく、平静で穏やかな気持ちを保っていることができる。
これまでネガティブな出来事を見て、丸ごと感情を飲み込まれていたのとは違って、それはまるでアクリル板を通して映画を観ているかのようで、平穏さを持って見ることができる。
かと言って、それらがまったく自分には関係のないことだとは決して思っているわけではない。
トルコの大地震は他人事ではない。いつ同じような大地震が起きないとは限らない。
ただ先にも書いたが、自分の感情がネガティブにならず穏やかな状態を保てるようになったことは、アクリル板のような見えない板が、間にあるからなのかと思う。
そして、もう一つ以前とは変わったことがある。
それは子どもの頃から今まで(かれこれ62年あまり)、すっかり忘れていた日常の一コマを、これもまるで映画のワンシーンを観ているかの様に見えてくることがある。
見えるのはいつも突然で、例えば買い物を終えて店を出る時だったり、歯を磨いている時だったりする。
それらの映像は、どれも皆んなとても幸せな気持ちにさせてくれて、まるで過去のその時点に戻ったような錯覚を覚える。
もう忘れていたような何気ない日常の出来事だったのに、こんなに幸せだったのだとあらためて驚いている。
というわけで、ちょっと訳のわからないことを書いてしまったかもしれません。。。
日本が平和でありますように。
世界が平和になりますように。
地球が元気になりますように。
毎朝、そのように願いながら神棚にむかって手を合わせている。