今朝もいつものように先祖供養を済ませてから部屋の掃除をしていたのだが、掃除機をかけながら、普段は思い出すことなどなかった一人の男の子の顔を思い出していた。
それは私が6歳で、ある病気のために入院していた時のことだった。
その大きな総合病院の小児病棟には、様々な病気の子供たちがたくさん入院していた。
面会謝絶の札がかかっているような重たい病状の子もいれば、見た目はわりと元気そうな子もいて、治療のおかげで熱や痛みが無くなった私は元気そうに見える子どもの部類だったと思う。
しかし元気そうに見えても病気が治ったわけではないので、できるだけ安静にしてベッドの中で過ごさなければならず、病状が安定している時はとても退屈だった。
入院中の楽しみといえば、本を読むことと夜に病室の窓からキラキラとネオンが変わる電飾看板を見ることで、あとは小児病棟のロビーに備えられているテレビをほかの子供たちと一緒に観ることくらいだった。
(当時はまだ病室にテレビが普及していなかったので、大勢の入院患者さんと一緒にロビーで観ていた)
その男の子は私と同じく小児病棟に入院していた。年齢は同じくらいだったかと思う。
むくんでパンパンに膨らんだ顔をしていて、病状はあまり良くないようだったが、たまにロビーに来てテレビをみることがあった。
ある日、どのような経緯だったか忘れたが、入院している子供たちが大勢ロビーに集まっていた時、なぜかみんなで一斉に走りまわるということがあった。
特にルールのある遊びをしていたわけではなかったが、小さな子供たちがよくするように、ただ意味もなく走り回りまわることが楽しかった。
みんな大きな声で笑い、そしてキャーキャー言いながら走った。
世の中にこんな楽しいことがあったのかと思った。
あのひと時は今思い出してみても、今までの人生の中で体験した「楽しい出来事」の「ナンバーワン」と言ってもいいほど楽しかったと思う。
そして、その中に顔がむくんでしまった男の子がいたのだが、その子も一緒に笑顔で走っていた。
しかし、そんな楽しい時間も一瞬の出来事で、慌てて飛んできた看護婦さんから「早く自分のベッドに戻りなさい!」と叱られて解散となった。
そして、それ以来その子を見かけることは無かったのだが、ある日見舞いに来た母から、その子が亡くなったという話を聞かされた。
「かわいそうにね」と涙ぐむ母を見ながら、もうあの子とは遊べないんだなと思った記憶がある。
なぜ今、急にその子の顔を思い出したのだろうか。
もしかしたら、塾で当時の自分と同じ年頃の子供たちを見ているからかもしれない。
塾ではどの子もはしゃぐことなく、みんな静かに勉強をしている。
学校で疲れたのか、こっくりこっくりと鉛筆を握ったまま居眠りをしている子もいて、そんな姿を見ながら「この子たちも元気いっぱい走ったり、はしゃいだりするのだろうなあ、そんな姿も見たいなあ」と思っていた。
世の中には走り回りたくても走れない人は大勢いる。
病院で一緒だったあの子も、きっともっともっと走りたかっただろうと思う。
中学生になる頃に病は完治し、今は走りたければいつでも走ることができるようになった私。
いつでも走れるということが当たり前になり、走ることは今の私にとって楽しいことでもなんでもなくなってしまった。
今朝はその子のことを思い出したことで、また走れることのありがたさを思い起こさせてもらえました。
感謝
それは私が6歳で、ある病気のために入院していた時のことだった。
その大きな総合病院の小児病棟には、様々な病気の子供たちがたくさん入院していた。
面会謝絶の札がかかっているような重たい病状の子もいれば、見た目はわりと元気そうな子もいて、治療のおかげで熱や痛みが無くなった私は元気そうに見える子どもの部類だったと思う。
しかし元気そうに見えても病気が治ったわけではないので、できるだけ安静にしてベッドの中で過ごさなければならず、病状が安定している時はとても退屈だった。
入院中の楽しみといえば、本を読むことと夜に病室の窓からキラキラとネオンが変わる電飾看板を見ることで、あとは小児病棟のロビーに備えられているテレビをほかの子供たちと一緒に観ることくらいだった。
(当時はまだ病室にテレビが普及していなかったので、大勢の入院患者さんと一緒にロビーで観ていた)
その男の子は私と同じく小児病棟に入院していた。年齢は同じくらいだったかと思う。
むくんでパンパンに膨らんだ顔をしていて、病状はあまり良くないようだったが、たまにロビーに来てテレビをみることがあった。
ある日、どのような経緯だったか忘れたが、入院している子供たちが大勢ロビーに集まっていた時、なぜかみんなで一斉に走りまわるということがあった。
特にルールのある遊びをしていたわけではなかったが、小さな子供たちがよくするように、ただ意味もなく走り回りまわることが楽しかった。
みんな大きな声で笑い、そしてキャーキャー言いながら走った。
世の中にこんな楽しいことがあったのかと思った。
あのひと時は今思い出してみても、今までの人生の中で体験した「楽しい出来事」の「ナンバーワン」と言ってもいいほど楽しかったと思う。
そして、その中に顔がむくんでしまった男の子がいたのだが、その子も一緒に笑顔で走っていた。
しかし、そんな楽しい時間も一瞬の出来事で、慌てて飛んできた看護婦さんから「早く自分のベッドに戻りなさい!」と叱られて解散となった。
そして、それ以来その子を見かけることは無かったのだが、ある日見舞いに来た母から、その子が亡くなったという話を聞かされた。
「かわいそうにね」と涙ぐむ母を見ながら、もうあの子とは遊べないんだなと思った記憶がある。
なぜ今、急にその子の顔を思い出したのだろうか。
もしかしたら、塾で当時の自分と同じ年頃の子供たちを見ているからかもしれない。
塾ではどの子もはしゃぐことなく、みんな静かに勉強をしている。
学校で疲れたのか、こっくりこっくりと鉛筆を握ったまま居眠りをしている子もいて、そんな姿を見ながら「この子たちも元気いっぱい走ったり、はしゃいだりするのだろうなあ、そんな姿も見たいなあ」と思っていた。
世の中には走り回りたくても走れない人は大勢いる。
病院で一緒だったあの子も、きっともっともっと走りたかっただろうと思う。
中学生になる頃に病は完治し、今は走りたければいつでも走ることができるようになった私。
いつでも走れるということが当たり前になり、走ることは今の私にとって楽しいことでもなんでもなくなってしまった。
今朝はその子のことを思い出したことで、また走れることのありがたさを思い起こさせてもらえました。
感謝