鼎子堂(Teishi-Do)

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『マリアの涙:ピーター・シャビエル・著』②~セント・マリア

2011-03-09 22:37:58 | Weblog
日差しは春なのに、風は冷たい。

午後から、避難訓練。
現場統括部隊としては、安全靴で、非難訓練・・・。足が重たい・・・。
隣の建屋の梱包屋さんの(レッキとした一流企業の子会社で、ウチあたりとは、格が違うのか・・・)お姉さんたちは、ハイヒールでしたが・・・。
ハイヒールでは、避難しづらかろうなぁ・・・。安全靴で、駆け足もキツイが・・・。

さて、セント・マリア・・・。
昨日の御題で、ピーター・シャビエル氏の『マリアの涙』の書評(・・・毎度毎度のコトですが、書評なんて立派なモンじゃありません・・・単なる感想文にすぎません)なんか、書かせていただいのだけれども、キリスト教の教義を知らない私などは、やはり、聖母マリアというと、清く、美しく、優しく・・・というイメージが先行します。
イメージ先行・・・。
2000年も前に作られたイメージは、如何ともし難いし、敢えて、それを変える必要もないのでは・・・なんて、気もしたりします。

セント・マリア・・・。

永遠に美しく、優しく、清らかな・・・多分、男性にとっては、『母』の原型のイメージだろうし、理想の美でもあるのでしょう。

本物・・・という言い方は、ヘンかもしれないけれども、(多分選ばれた)ヒトの前に姿を現し、道を指し示すホンモノの聖母マリアの出現を経験された方に(コレもある意味、出現というのは、違うのかもしれないのだけれども)森一弘司教の夢に現れた聖母マリア・・・これについては、2010年9月7日の拙ブログ『神の発見』でも書いているのですが、マリア様・・・というと森司教のお話がどうしても浮かんできてしまうのです。
信仰の道に迷い、闇夜を彷徨うように、毎日毎日、祈りを捧げても、神は、その御姿を現してはくれない。
人間は、弱い生き物だから、証が欲しい・・・。
その御姿をひと目でいい・・・見ることができるなら、その存在を信じられるのに・・・。
もう・・・お祈りするのは、やめよう・・・司祭の道は、諦めよう・・・そう心に決めて、眠りについた森司教の夢に現れた聖母マリア・・・。
(何も心配することは、ない・・・あとは、任せなさい・・・)
身体を毀すまで、お祈りしても現れなかった神が、その姿をマリアに託して、森司教の夢に現れた・・・本当に、感動したのだと思います。これ以上の至福は、なかったのだと思います。
若き日の森司教に出現した聖母は、彼に全てを、我が身に委ねよ・・・と手を差し伸べる・・・。
とても美しい光景だったのでしょう・・・。
その白く美しい御手にその身を委ねよ・・・
だから・・・マリアは気高く、美しい・・・。そうでなくてはいけない・・・と思うのは、単なる偶像崇拝なのでしょうか?

セント・マリア・・・。

(全く、書評になってません・・・お許しを・・・)