穏やかな風のない日曜日。
昨日は、7か月ぶりの観劇。
この公演のチケットは、なかなか取れなかった。
この劇団のホームグランド?と言ってもいいだろうかと思う『紀伊國屋ホール』での、去年11月~12月の公演チケットは、全く手に入なかった。
年明けの1月6日から1月9日の東京ファイナル6ステージのうち、観劇可能なのは、7,8日の3ステージのみだったのだけれど、7日のソワレ分が、奇跡?のように確保できたのは、重畳。
第三舞台の鴻上尚史、夢の遊眠社の野田秀樹、劇団☆新感線のいのうえひでのりの三氏は、1980年代に登場した演出家で、演劇では、頂点に立った方達だろうと思っている。
その中で、第三舞台の鴻上尚史さんの舞台は、比較的『ligh[軽い]』な・・・ような気がしている。
居心地のよい『軽さ』。
パラレル・ワールドを舞台の上で、構築するには、重いセットは、邪魔になるだけだし、機能的な『軽さ』が備わっている。
スタイリッシュなライトさ・・・。
そして、過去から現在へ、そして未来と時間軸に囚われない自由な空間が展開していく。
今回のテーマは、『年を取る≠大人になる』だろうか?
ひとは、年をとっただけでは、大人になれない・・・。
そして、ひとは、既に、亡くなってしまったひととも会話できる・・・かのフランス哲学者・レヴィナスを師と仰ぐ、本邦の哲学者『内田樹』先生のご著書『他者と死者』を彷彿とさせる。
1980年代に所謂『セイシュン』した方には、懐かしい音楽、YMOのテクノポリスで、舞台は、始まる。
『YMOか・・・。』
ちょっと、にんまり・・・してしまう。
あの一度聴いたら、忘れられなかったシンセサイザー音とメロディ。
それが、1980年代の音楽シーンの新たなる幕開けだった・・・。
(・・・若い頃は、なんでも新しいんだよね・・・。そして、新しいものが好き。古いものには、あまり価値を見いだせなくてさ・・・。古いものが好きになるのは、もっと、もっと大人になってから・・・。だから・・・[全く、関係ないんだけれど]YMOは、新しいんだよね・・・みたいな・・・)
物語の展開を、暗示するようなイントロ。
(明日に続きます)
昨日は、7か月ぶりの観劇。
この公演のチケットは、なかなか取れなかった。
この劇団のホームグランド?と言ってもいいだろうかと思う『紀伊國屋ホール』での、去年11月~12月の公演チケットは、全く手に入なかった。
年明けの1月6日から1月9日の東京ファイナル6ステージのうち、観劇可能なのは、7,8日の3ステージのみだったのだけれど、7日のソワレ分が、奇跡?のように確保できたのは、重畳。
第三舞台の鴻上尚史、夢の遊眠社の野田秀樹、劇団☆新感線のいのうえひでのりの三氏は、1980年代に登場した演出家で、演劇では、頂点に立った方達だろうと思っている。
その中で、第三舞台の鴻上尚史さんの舞台は、比較的『ligh[軽い]』な・・・ような気がしている。
居心地のよい『軽さ』。
パラレル・ワールドを舞台の上で、構築するには、重いセットは、邪魔になるだけだし、機能的な『軽さ』が備わっている。
スタイリッシュなライトさ・・・。
そして、過去から現在へ、そして未来と時間軸に囚われない自由な空間が展開していく。
今回のテーマは、『年を取る≠大人になる』だろうか?
ひとは、年をとっただけでは、大人になれない・・・。
そして、ひとは、既に、亡くなってしまったひととも会話できる・・・かのフランス哲学者・レヴィナスを師と仰ぐ、本邦の哲学者『内田樹』先生のご著書『他者と死者』を彷彿とさせる。
1980年代に所謂『セイシュン』した方には、懐かしい音楽、YMOのテクノポリスで、舞台は、始まる。
『YMOか・・・。』
ちょっと、にんまり・・・してしまう。
あの一度聴いたら、忘れられなかったシンセサイザー音とメロディ。
それが、1980年代の音楽シーンの新たなる幕開けだった・・・。
(・・・若い頃は、なんでも新しいんだよね・・・。そして、新しいものが好き。古いものには、あまり価値を見いだせなくてさ・・・。古いものが好きになるのは、もっと、もっと大人になってから・・・。だから・・・[全く、関係ないんだけれど]YMOは、新しいんだよね・・・みたいな・・・)
物語の展開を、暗示するようなイントロ。
(明日に続きます)