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医師のいる文学史⑦:『花埋み:渡辺淳一・著』

2015-06-21 05:28:54 | Weblog

今年の1月頃、シリーズ化しようと思っていて、とぎれてしまったけれど、『医師のいる文学史』シリーズ。

著作者の渡辺淳一氏を取り上げるのは2回目。

コレも積読(積んでおくだけで、読んでいない)の『新釈・びょうき辞典』なる著作を、引っ張り出して、パラパラ開いてみると、やはり、『性豪?(←こういう言葉あるんだろうか?)』と呼ばれるのにふさわしく???、成人病(今は、生活習慣病・この書が出版されたのが、1999年の文庫だから、病気の名称が変わったものがいくつかあった)では、『インポテンツ』、感染する病気では、『AIDS』、『性病』などがあって、一つの章として、女性の病気なる独立した章もあった。

やっぱ・・・性関係に特化した作家さんなのだね。

さて。今日のお題。

日本初の女医さんは、誰ぁれ~~~~だ。
この問いに答えられる人は、たぶん、今日のお題である『花埋み』を読んだことがあるひとだとおもう。
公的な免状を取った女性第一号は、荻野吟子女史である・・・とこの書には、書いてある。

シーボルトの娘さんである楠本イネ(オランダおイネ)は、産科に特化した女医さんで、公式な免状はないそう(時代が違うしな・・・)。

幕末前頃から、西洋医学(オランダ医学)を志す医師が多くなり、漢方から蘭方へ、そしてドイツ医学への道を辿っていく日本の医学界は、当然、オトコ社会。

普通に嫁いで、幸せに暮らすハズだった吟を襲ったのは、花柳界で感染した夫から、うつされた『淋疾』・・・所謂、性病。
病気が病気だけに、女性は、男性医師には、かかりたくない・・・、抗生物質がなかった時代、完治するのが、困難で、治療そのものが、屈辱である・・・そんな苦悩を味わい、自ら、女性を助ける医師になることを決める。

しかし、医師を養成する医学校に、女子入学の途は、閉ざされていた。

努力の甲斐あって、入学を果たすも、学校側でも女子の受入れは、初めて。
男子用のトイレしかない設備に、女子用のトイレを設置するか否か・・・そんなところが始めねばならなかった・・・。

離縁され、病の症状である熱などの悩まされながら、医師を志し、日本の女医の道を開いた功績は、大きい。