穏やかな晩秋。
今日は、父の32回目の命日。
31年前の今日。
派遣先のF通で、父の危篤の電話。
入院先のJ医大病院へ到着したときには、既に、父は、亡くなっていた。
亡くなってはいたけれど、死亡確認の前の延命処置のAEDは、ただのパフォーマンスだったのかもしれない。
私が、父の死を確認した。
・・・なんで、私なんだろう・・・父に疎まれていたのに。父が可愛がっていた兄や弟じゃないのだろう・・・。
そんなふうに思う。今更ながら・・・。
全然、悲しくもなんともなかった・・・ド薄情な娘であった。
父の寝かされた治療台のベッドに横には、洗面器1杯以上は、軽くあるであろう父の喀血を受けたガラスの容器が、置かれていて・・・。
そんなものが在ったのを覚えている。
肺からの出血だから、鮮血であった。
それから、あたふたと(記憶のないような)数日が過ぎて・・・。
ご近所のひと達の強い要望で、決まった葬儀の日は、朝からの大雨であった。
現在なら、新型コロナ肺炎で、少人数で、家族葬が普通になったけれど、32年前は、自宅で、葬儀を行ったのだった。
父は、退職してそれ程、経っていなかったから、会社関係の弔問客が多くて、記帳されたものをみると200名近かった・・・。
父は、63歳でこの世を去った。
早い死でもあったと思うけれど、自分の身体を大切にしなかったからもしれない。
58歳で、未亡人になった母は、その後の31年間を気儘に過ごせた。
自分自身の身体の不調ばかり見つめながら。
親ガチャで、ハズレを引いた。
そう思うしかない・・・穏やかな晩秋。
父の逝った日。