鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

『ガラスの仮面(43)』

2009-03-20 21:02:08 | Weblog
昨日とは、うってかわって、朝から雨。
どんより曇り空の祝日。


言わずと知れた少女マンガの金字塔『ガラスの仮面』43巻が今年の初めに刊行された。

春の休日。
買ってまだ読んでいない『コレ』を読まなくちゃ・・・(・・・ってホントは、それどころじゃないんです。ワタシ・・・。仕事を引くか、継続か・・・自分なりの結論出さなきゃいけなんだけれども・・・。<昨日のブログをご参照下さい。>一向に決まらない・・・いろいろあってさ・・・。行き詰まってんのよ)。

さて、42巻を読んだのはいつだっただろうか・・・。
それ以前に、このマンガの1巻をよんだのは、いつだったのだろう・・・。
もう30年くらい???連載つづいているようなのだけれど、一向にストーリーは終息に向わない。

このマンガの連載が始まった頃は、主人公のマヤとたいして、年齢が変わらなかったのに、今では、マヤを追い越して、大分おばさん化してしまっているではないか・・・(絶句!)。

パターンは、毎回同じで、演劇界不朽の名作『紅天女』の上演をかけて、二人の少女(今は、一人前の女優か)の演劇バトル。
やはり、分は、主人公・北島マヤにありそうだ・・・。

マヤが演じる役の本質が掴めず、右往左往しているうちに、ライバルの姫川亜弓は、財力の伴う技量で、マヤの前に立ちはだかる。
マヤは、自分の才能を認識していないから、いつもいつも立ち竦む・・・。
でも、天才につきものの『インスピレーション』を、いつも誰かが(大抵は、心の恋人?速水真澄)が、与えてくれている・・・。
そういう役割なんだろうな・・・速水真澄さんは・・・。

それの繰り返しなんですがね・・・。
水戸黄門の『印籠』のパターンだ・・・。

だけど、面白い。何回読んでも面白い。


パロディも多い。演劇でも『紅天狗』ってのが、あったしな・・・。

実写版では、マヤ:安達祐美さん、月影センセイ:野際陽子さん、速水真澄:田辺誠一さんだったと思うけれど、よくこれだけ適役を見っけてきたな・・・とドラマも面白かったな・・・またやってくれないだろうか?

はやく44巻が読みたいものである・・・。

こぉんな会社辞めてやる!!!と思うものの・・・。

2009-03-19 21:02:22 | Weblog
・・・暖かい・・・というよりは、暑い・・・カンジ???桜の開花もますます早まりそう・・・。


毎日、毎日、こう思う・・・。

『こぉんな会社辞めてやる!!!』 

去年、合併した某工場潰して、再編統合とやらで、社員が、余っているから、派遣者全員解雇したって、ヒトは、余ってんだから・・・と豪語しているのに、なんで、ワタシの仕事が、倍になるんだろう・・・???
簡単な算数じゃないか・・・。

ひとり解雇して、社員ひとり補充・・・これで、全て解決じゃないの・・・???

・・・なのに、どうして、ひとり解雇(しかも、先の見通しも、仕事の割り振りも考慮せず・・・???)したのに、何故に、その仕事をワタシにふるのか・・・まるで、理解できない・・・。

『いなくなっちゃうんだから、仕方がないでしょ。やるっきゃないから・・・。』
たった、それだけ・・・。
そりゃ、あなたがやるわけじゃないのだから、それは、それでいいのかもしれません。

でもね・・・。
何で、派遣の私の仕事が増えるの・・・???
この会社の社員でもないのに、そのあたり、納得できねぇ・・・。
社員余っているじゃないの???

世間では、ワークシェアリングだってのに・・・何故にワタシだけ、シェアリングしてくれなのか・・・???


この貧乏籤・・・引かない訳には、いかないのか・・・。

ヒトづてにきく・・・職安は、3時間待ちだと・・・。

芸術至上主義・・・ですか・・・。

2009-03-18 21:04:30 | Weblog
季節をすっ飛ばし、いきなり初夏???みたい。

先日、訪れたACTシアターについて、書かかせていただきます。
リニューアル後、今回で、三度目の来場となりますが、この劇場とは、あまり相性がよくないようです。
前回二度とも、二階席だったので、今回初めて一階席での観劇とあいなりました。

このACTシアターに限ったことではないのですが、芸術至上主義とばかりに、格好つけて、座席での飲食禁止という劇場が多いですが、開演時間によっては、座席への持込みを許してくれてもよいのではないかと思います。

だって、演劇=娯楽なんですから。
(弁当くらい、座席で、食わしてくれ!)

ロビー・廊下の休憩用の椅子も極端(見た感じ、10席くらいしか見当たらず)に少なくて、開場時間より早めに劇場入りしたにもかかわらず、廊下の椅子は、既に埋まっていました。
開演時間が、12:00ということで、都内での食事が、チョット時間的に、厳しかったので、事前に、劇場に確認を取ったのですが、廊下に若干数、椅子の用意がございます・・・とのことでした。

弁当持参なのに、立ち喰いかよ・・・(階段下のスペースに腰をかけて食べようとおもっていたところ、幸運にも、ふたつ椅子が空きました。ラッキー!)。
ひとりだったら、どうにでもなりますが、今回、お連れさま有り・・・だったので、ホントどうしようかと思ってしまいました。

座席飲食禁止なら、廊下の椅子増してくれ。
しかも、演目は、一応、歌舞伎ってなっているんだから・・・本家歌舞伎座では、座席飲食OKですよ。
歌舞伎=娯楽・・・じゃないのか!

ゴミがでるから、汚れるから、掃除に人件費が掛かるから・・・様々な理由があるのでしょうけれど、高い座席料金とっているんだから・・・と思います。
もっと、客の身になれや!
それに、食糧販売して、儲けりゃいいじゃん・・・。松竹さんとか、東宝さんみたいに・・・。
気取った小賢しいカフェ作るんだったら、物販した方か儲かるんじゃない?
そのへん、やっぱTBSだよな・・・と思います(勝手な思い込みですがね・・・)。
劇場経営するなら、少し考えた方がいいんじゃないですかね?
な~んか中途半端なんだよね。この劇場。
劇場内に入るのも、階段長いし、ドアがいくつもいくつもあってさ。

芸術至上主義に徹するならば、新国立劇場くらい、徹底してくれ。そうすれば、諦めもつくからさ。

それに、劇場内もヘンに気取っているし、リニューアルしたというのに、座席もそんなに広くはないし。

・・・という訳で、私個人としては、あまり相性のよくない劇場になってしまいました。


『蜉蝣峠』④~おまけ

2009-03-17 21:02:10 | Weblog
桜の開花のニュースが続きます。
暖かい春の一日。

土曜日から飽きもせず、書いてしまっておりますが、今日がファイナルってことで・・・。

今回、古田(闇太郎役)さんVS堤(天晴役)さんってことで、そちらのウエイトが高くなってしまったのだけれども、勝地涼(銀之助役)さん、木村了(サルキジ役)さんのきれいなお兄さんコンビも忘れてはいけない。
このお二人、終盤では、恋人同士になりかけたものの・・・悲恋でした。
勝地さんは、去年の大河ドラマ『篤姫』で、ジョン・万次郎を爽やか~に演じていらしたけれど、今回は、かなり重い役だったですね。一歩間違えば、あの爽やかなイメージが、壊れてしまう程ですからね・・・。
女郎役に転じてからは、なんかほんとに女の子っぽい仕草で、演技力のある俳優さんのようです。
新感線には、『犬顔家の一族』のタマオさんのこれまた、爽やか~なイメージが強いですね。
一方、木村さん。
この方、初めて拝見させていただきましたが、現代風のとてもキレイなお顔ですね。
将来、どんな役者さんになられるのか楽しみです。

新感線のメンバー・古田新太さん、橋本じゅんさん、右近健一さんの三人の歌が聴けるのもこの舞台の楽しみですね。
三人とも凄く歌が上手い・・・特に、右近さんは、ホント上手い・・・ヴォイストレナーさんでもいらっしゃるようですし。

橋本さんは、ちまちま乙女心のよく似合う?立派の親分役。1月に『冬の絵空』で大石内蔵助を演じていた役者さんとは、思えない・・・。どちらかと言えば、去年8月の五右衛門ロックの延長的な役柄でしたね。そういう役も多いかな・・・。


さて、いつもお気の毒なのは、新感線の女優さん達。
みなさんそれぞれホントお綺麗なのに、なんで、こういう役なの?と思うことしばし・・・。
女を捨てないと出来ないような役ばかりです。
それが、ここの女優さん達の凄いところなんですが・・・。
その代表が、看板女優の高田聖子さん。
ホントに、綺麗なのに・・・。


一幕・二幕の冒頭で、シャモール役(軍鶏)の着ぐるみで、登場する堤真一さんも笑えます。

『蜉蝣峠』③~脚本家 VS 演出家

2009-03-16 21:03:15 | Weblog
春本番・・・と言っていいのか・・・そんな暖かさ。

一昨日の続き。

このお芝居、チケットを取るのが、相当、難しかったようで、特に、土日祝日は、ちょっと無理かな・・・と思っていたのだけれど、運よく、公演開始後、初めての土曜日分をGet!

脚本・クドカン(宮藤官九郎)さんで、主演が、古田新太さん、堤真一さん・・・と・・・くれば、観に行かずばなるまい・・・と演劇ファンなら・・・多分、そう思う・・・と思う(すみません、変な日本語で・・・)。

絶対、観たい・・・と思わせる組み合わせなんですものね。

大人計画の『キレイ~神様と待ち合わせした女』で、初めてクドカンさんをみたとき、随分、細いひとだな・・・と思っていたのだけれど、慢性胃炎?だそうで・・・。
脚本書いたり、俳優さんやったり、ギター弾いたり、コマーシャルに出たり・・・とマルチな才能をお持ちだ。

『メタル・マクベス』の脚本、『犬顔家の一族』の金田一さん(本当は、もっと長い役名ですが、忘れちゃいました)、そして、今回の『蜉蝣峠』の脚本と3回目になるのかな・・・。
テレビ・ドラマの脚本も手がけられておられるし、不思議なクドカン・ワールドが展開する・・・。
やっぱ、才能のある方ですね。

本日のブログとは、何の関係ないけれど、次回の『R2C2』も楽しみ・・・。

劇団☆新感線には、座付作家の中島かずきさんがおられますが、最近は、劇団外からの脚本家さんを招聘しての公演も多いようです。

お芝居は、主役となる役者さんの占めるウエイトが大きいけれど、脚本がつまらなければ、全ては、お仕舞い・・・。
その脚本をどう演出するかが、演出家さんの腕のみせどころですかね。

『蜉蝣峠』は、クドカン・いのうえバッテリーの新たな新感線ワールドを拡大した感じがするものの・・・、初回の『メタル・マクベス』が凄すぎたせいか、少し、地味な舞台設定となったようです。
セットもそれ程、凝った複雑なものでは、なかったようですし・・・。

タイトル・ロールの壊・PUNKの意味するところは・・・。
壊れてしまった?闇太郎の心なんだろうか・・・と今更ながら考えてしまいますが・・・。

『蜉蝣峠』②~古田新太 VS 堤真一

2009-03-15 21:01:44 | Weblog
よく晴れて、少し風が強い休日。

昨日からの続き。

劇団☆新感線の看板役者・古田新太さんとゲスト・堤真一さんの共演は、『吉原御免状』を彷彿させるものがあった。
役柄は、全く違うけれど。
爽やかな青年剣士・・・しかも天皇家の血筋の松永誠一郎(堤さん)と幕府直参、悪の権化・柳生義仙(古田さん)という魅力的な顔合わせだった。

今回の『蜉蝣峠』も、この二人の善と悪、光と影、美と醜、冷たさと暖かさ・・・対立する二つの要素が、入れ替わり立ち代りしながら、立場が逆転していくのを、古田・堤が、巧みに演じていく。

記憶をなくし、心が空洞になっている操り人形のような闇太郎(古田)の自分では分からない心の闇を、巧みに利用する天晴(堤)。
自分の心に広がる無限の暗闇をどうすることもできないまま、敢えてそれをコントロールしようとする天晴が、どうにも切ない。

対照的な二人だけれど、根本となる事件に同時期に遭遇し、そして同じ闇を持つ運命的な二人。
それが、見事な対立を生む。

一幕(どちらかと言えば、しょーもない笑い・・・新感線特有の上品さに欠ける笑い)は、比較的ゆるい展開。
過去の記憶をなくした闇太郎が、その記憶を取り戻すために、運命が呼んだ出逢い。

そして、物語の展開が、急変する緊張する二幕へ続く流れ。

上演時間の長さを感じさせることなく、どういう展開で、どういう終息に向うのだろうと観客は、いつも、半ば強引に物語に引き込まれてしまう。

私は、観劇するとき、このキャストは、この役者さんじゃなくて、あの役者さんだったよかったのにな・・・と思いながら見てしまうときがある。
こういう見方は、邪道なのかもしれないけれど・・・。
でも、この『蜉蝣峠』は、古田・堤以外のキャストでは、考えられない・・・。
それ程までに、ぴったりくる。


・・・その後にくるのは、多分、マンネリ・・・なんだと思うけれど。
新感線のジレンマは、多分、マンネリにあるのだと思う。
いつも新しいけれど、時々(ある期間)、マンネリ・スパイラルに落込むときもある・・・。

『吉原御免状』から、数年は、全ての作品が、新しかった。
そろそろ、次のマンネリ・スパイラルに突入の予感が、今少しだけしている。

『蜉蝣峠』~絶品・堤真一

2009-03-14 21:01:06 | Weblog
昨日からの荒れ模様のお天気も少しづつ回復へ。

本日は、赤坂ACTシアターへ劇団☆新感線『蜉蝣峠』を観劇に。
取れたチケットが、マチネー(昼公演)だったので、まだ雨の降る朝から都内へ。

今回、9列目の右サイド中央よりと新感線の殺陣を堪能するには、いいポジション。

このお芝居、何と言っても、天晴役の堤真一さんの美しさが際立った舞台。

一幕、二幕とも薔薇の花の柄で、着流しの衣装。
白地(銀地か?)に黒薔薇の図柄が、とても粋。
特に、二幕の片袖・黒地、黒い薔薇の中心部にとポツンポツンと紅い花芯のアクセント。
黒地に金糸の市松模様の帯。
着物の裏地は、光沢のあるワインレッド。
チラチラ見え隠れし、美しい。

ワタシは、男性の越中姿(・・・つまりフンドシ)は、好きではないのだけれど、立ち廻りをする度に、着流しの裾が割れて、大腿から膝にかけて流れるように、場面によって、薄紫や白、そして、赤と見え隠れする越中の美しさ?には、見とれてしまった。

殺陣の上手さはもちろん、煙管を扱う姿と、どの角度からみても全て決まっている。

このひとは、舞台の華だ。
女優が霞む。
男性なのに、色っぽい。
ワイルドなのに、美しい。

氷のような天晴を、美しく演じる。
見せ方が上手い・・・。

この舞台、堤真一を観るだけでも価値がある。

特に、終盤。
古田新太さん演じる闇太郎とのゾウゾクする殺陣は、正に、このお芝居の醍醐味。

すっきりと綺麗な立ち回りに、『漢(おとこ)』を感じてしまった。

初回から、堤真一さんのことばかりになってしまった。

続きは、また明日。


身の程を弁えて、よぉ~く考えてから・・・。

2009-03-13 21:03:23 | Weblog
夕方から、雨が降り出し、強風が吹きつけて・・・。

昨日のブログや今月1日のブログを読んでいただいた方には、おわかりでしょうが・・・。
最近
『身の程を知れ!』
と自分に言いたくなります。

このところの景気後退で、会社関係のストレスも日々、増大していくなか、必要もない物をよく考えもせず、購入してしまったり、自分では、使いこなせないものを買ってしまったりと所謂『ストレス買い』的に、物を購入してしまっています。
金銭的に余裕がある訳でもないのに・・・むしろ、残業禁止で、見入りが少なくなっているというのに・・・。

もう、幾つも幾つもあるのに、まだまだ欲しい・・・。
人員を減らし多分、余計な仕事を抱え込むはめになり、それなのに、雇用は、保証されない・・・理不尽。
欲しいものくらい自分に、買ってあげたっていいじゃない・・・。

・・・なんてのが、理由なんですが・・・。
いいんですよ。別に。誰もワタシを責めてなんていないんだもの・・・。

でもね。
一人だけいるんです。ワタシを責める人物が・・・。

それは、紛れもなく『ワタシ』なのです・・・。

自分で、自分を責めている・・・これは、一番、良くないパターンのようです。

買っちゃったもんは仕方が無い。
縁あって、ワタシのモトに来たのだから、大切に使おう・・・今は、そう思うことにしています。

物を買うとき、その『物』が、本当に自分のために存在するのか、或いは他人の為に作られたものかを知る方法として、その『物』を購入すると決心したとき、自分の心が、『YES(欲しい!)』と言っているなら、それは、たぶん、自分のために存在するもの・・・と判断してよさそうです。
『・・・でも・・・、サイズは、合うし・・・』とか、自分を説得し始めたら、それは、他人のために存在する物で、購入しても、どうもしっくりこなかったりするようです。

とにかく、少しは、身の程を弁えて、よ~く考えてから購入することにしましょうかね。これから・・・。

デジタル・カメラは、難しい・・・。

2009-03-12 21:02:54 | Weblog
よく晴れた一日。

最近思うことですが、今使っているコンパクト・デジタル・カメラ・・・なんだか、とても、難しいんですね。

写真を撮るということは、一応、撮る前に、頭の中で、こういうふうに写るといいな・・・なんてことを、想像するんですが、いざ、シャッターを切ってみると、
『・・・なんか・・・違う・・・、・・・なんかどころじゃなくて、・・・全く・・・違う・・・。』
と思ってしまう訳でして・・・。

やはり、これは、技術の問題なのか・・・。
ようするに、このカメラの持っている機能を、まるで使いこなしていない・・・から・・・。

・・・でもね、
『mode』設定のボタンを押して、『scene』を押したのに、メニューが出てこない・・・何故に~~~???
それから、さらに、『menu』のボタンを、押さないと選択したり、解除したり出来ない・・・???。
そんなのいちいち覚えていられないから、次に設定するとき、時間がかかる・・・。
瞬間的に写したい対象が出てきて、連写ってどうやるんだっけ・・・???
なんて思っているうちに、シャッター・チャンスを逃したり・・・。

画像モードで、画像の大きさを変えたいのに、画像モードって、何処押せばいいんだっけ・・・。

写した画像を友達に見せたいので、モニターに表示される文字情報が邪魔だから、一時消したいんだけれど、どこ押せばよかったんだっけ・・・。

・・・とまあ、こんな具合です。
ようするに、まず、操作面で、かなり難関であることが、判明。
撮影に必要なその他の要素まで、設定できない状態・・・。

何処にどういう機能が格納されているのか、覚えられれば、問題ないのですが、全く、覚えられない・・・。

因みに、コンパクト・デジタル・カメラというものは、所謂、使い捨て(バカチョン)カメラの高級化したものだとばかり、思っておりました。
バカでも、チョンでも、シャッターさえ押せば、一応、きちんと写るんです・・・ってやつ・・・。

全く、違っていたようですね。
認識が、全く、違っていたようなのです。

どうやら、カメラの選択を間違えたようです。

外見が気に入っただけで(拙ブログ2008年6月9日をご参照ください)、機能などまったく考えず(その前に、何も知らず・・・)、購入したワタシがアホでした。

BASARA~謀略の城④おまけ~焔は、ごうごう、釜は、ぐらぐら・・・。

2009-03-11 21:01:50 | Weblog
光は、暖かいのに、風は、冷たい・・・。

三夜に渡って、『BASARA~謀略の城』綴ってまいりましたが、今夜は、おまけ。

脚本に関しては、今回あまり良い評価ができませんでした(ごめんなさい!)。
でも面白かったですよ。
舞台を見るたび、これだけの作品を作るのに、一体、どれくらいの人の仕事なんだろうと、観客席から見ていて、いつも思うのです。
脚本・演出、俳優さん達、舞台美術、音楽・音響、劇場のスタッフさん、お掃除のおばさん?に至るまで、いろいろな人の力がひとつになって、今日の舞台の幕が開く・・・毎回、毎回、そう思うわけです。


シェイクスピアのセリフには、印象的なものも多いけれど、今回、三人姉妹の魔物のセリフ。
『焔は、ごうごう、釜は、ぐらぐら、煮えろよ、煮えろ。煮えたぎれ・・・』

ワタシは、記憶にないのだけれど、これって『マクベス』の中にあったのかなぁ。

井上ひさしさん原作の『天保十二年のシェイクスピア』の中の挿入歌で、このフレーズがあったのだけれど。
シェイクスピアのオリジナルなんでしょうか・・・???

因みに『天保十二年のシェイクスピア』では、
『焔は、ごうごう、釜は、ぐらぐら、煮えろよ、煮えろ。煮えたぎれ。禍の雑炊よ。煮えたぎれ。禍の闇鍋よ。煮えたぎれ。』
・・・と続いていて、岡崎司さん独特のおどろおどろしいメロディで、後に、メタル歌手の冠徹弥さんが、過激に歌っておりましたが・・・。

やっぱり、西洋の魔女は、大鍋で、薬草とか、妖しいモノ(トカゲの足だとか、蛇の抜け殻?だの、毒人参だの)煎じているイメージがありますからね。
(メタル・マクベスでは、魔女の林さんが、カレーを煮ておりましたが・・・って、前に書いたね・・・)

400年以上昔のお話が、現代に続いていて、脚色されたり、演出されたりして、上演されているってことは、時をへだてても、面白いものは、面白いし、ヒトの心の中にすむ魔物も、変わっていないってことになるのでしょうかね。
だから、シェイクスピアは、何度見ても面白いし、現代風に好きなようにアレンジもできるのだろうし、原本がしっかりしているから、パロディでも、充分面白い・・・のでしょう。

新しいものばかりが、必ずしも良いのではないという見本が、シェイクスピアなんでしょうね・・・たぶん。