鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

15回目の月命日/期待外れのドーナッツ//美味しい野菜

2022-06-07 23:59:32 | Weblog

長袖でも少し寒い感じの午前中。

午後から、小雨パラつきだして、少し蒸し暑くなったりするも、気温20度前後の梅雨の始まり。

 

本日は、15回目の月命日。

御仏壇の香炉灰など均して、供花の菊の花の水の取替え。

美しい白菊(知らぬ間に飾ってあったので、姪が、供してくれたのかな?)。

気温が低いので、暫くは枯れることもなさそう。

 

正午少し過ぎて、墓所へ。

平日の正午は、やはり誰も墓所参りなどするひともおらぬのだろう。

パラパラ・・・と小雨。

御線香も・・・たぶん、途中で消えてしまうかも・・・。

墓所の少し先に、流れる一級河川。

緩やかに流れるも・・・やはりどんよりとした雲の下。澱んだような色。

 

墓の中にいるのは、かつて父だったひとと、母だったひとの骨・・・カルシウム、リン・・・あとなんだ?マグネシウム、ナトリウム、炭素とかかな???

去年、墓を開けたとき、父の骨壺がぽつんと置いてあって、外の空気は、30年ぶりか・・・なんて思ったりも・・・。

 

墓所をあとに、隣市にて、相方と映画。

 

途中で、Mのドーナッツで、エンゼルフルーツなる新作の期間限定ドーナッツを購入。

インターネットで、新発売とかで、宣伝していたから、おいしのかも・・・と思って、買ってみた。

映画前のちょっとしたオヤツのつもり。

・・・思ったより、美味しくなかった・・・!

フルーツって冠しているから、生のフルーツが入っているのかと思ったら、フルーツ・ジャムだった・・・しかも、超甘くて、フルーツというよりは、砂糖だね・・・コレ。

前回の期間限定・わらび餅焙じ茶ポンデリング(←こういう名称ではなかったかも???)が、わりと美味しかったので、ちょっと期待していたんだけれど。

 

相方から、頂き物ですけれど・・・と、キャベツ、絹さや、蕪、玉ねぎを貰った。

相方の会社隣接の畑の地主のオバサンからおすそ分けだそうで、おすそ分けにしては、沢山なので・・・ということで、キャベツ1個まるまる・・・食べきれるかな?

帰宅して、キャベツ、玉ねぎ、絹さや、蕪で、スープを作って、パスタを茹でて、スープパスタの夕食。

寒いので、暖かいスープが、美味しい。

久しぶりに美味しい野菜を食べた感じ・・・やはり、スーパーの半分に切ってあるキャベツは、美味しくない・・・。

 

 


関東梅雨入り(2022)

2022-06-06 16:30:00 | 健康・病気

昨夜から本降りの雨。

今年の梅雨入6月6日。

6月6日に、雨ざぁざぁ降ってきて・・・の絵かき歌通りの御天気。

そして、気温が低くて、4月並みの最高気温15度迄、上がらず、肌寒い週明け。

 

外出する予定もないし、雨天の日は、居室にて、だらだらと過ごす。

昔は、たいして話題にもならなかったけれど、最近多い『天気痛』。

 

降雨の前から、はじまる片頭痛。

私は、中学生の頃から、片頭痛持ちで、視野が欠けて、目の前が、チカチカする閃輝暗点・あくび・吐き気が起こったりして、コレが、仕事中に起こると、普通の仕事の日なら、まあなんとか、持ちこたえるけれど、月末月初の所謂、決算時期に起こると、もう死んでしまいたくなるくらい、辛かった。

今、考えれば、具合が悪いなら、切り上げて早退でもすりゃヨカったんだけれど、取引業者さんへの支払いあるので(支払いが滞ると中小企業は、倒産とかに追い込まれることもあったりするし)、どうしても経理部の期日迄に、提出しないといけないタイム・リミットのある仕事だったので、ひどいときは、トイレで、吐きながら、仕事をしていたし、インフルエンザとおぼしき38度の熱が出ても、残業していた・・・(今は、たぶん、インフルエンザは、出社停止だろうけれど)。

ああ・・・なんていう地獄の中を、あんなに安価な賃金で、こなしていたことよ・・・(或る意味、偉いが、単なるバカだった)。

しかも長いコト、派遣社員だったから、定時でにこやかに帰っていく(あまり仕事の無い・或いは出来ない)正社員たちを横目に、随分、不平等だし、私の何が、悪くて、こんなになって迄、仕事しているんだ・・・とか、よく思って、自己否定の極致だった。

・・・今の人格というか、性格に、完全自己否定であるのは、私が、悪いから、罰を受けているんだ・・・的な罪悪感もあって、それで、文句も言わず(言ってたけれど)、馬鹿みたいに、期日を守っても、誰からも認めらることもなく、何の恩恵もなく、酷い結末で、現在に至っている。

 

よくよく考えてみれば、片頭痛が爆発するのは、梅雨時が多かった気がする。

早く帰って、横になりたい・・・ただ、ソレだけだったあの頃。

 

 


深夜の雨音

2022-06-05 23:58:46 | Weblog

日中は、もったりとした曇り空。

最高気温は、25度と天気予報は伝えていたけれど、夕刻には、冷たい風が吹き抜け、宵になって本降りの雨。

深夜の時間帯になって、更に、気温が下がってきたようで、綿長袖でも、寒い感じ。

夜になると寒くて、明日は、4月並みの気温になるとか・・・。

関東では、まだ梅雨に入ったという情報は、ないみたいだけれども・・・。

 

そろそろ梅雨入りなのかも???

 

去年の梅雨入りは、6月14日で、平年より1週間くらい遅かったけれど、今年は、どうなのかな。

日付が変わろうとしている時刻・・・雨の音が、シャワシャワ・・・と聞こえてくる。

雨の音を聞いていると、眠たくなってきてしまう。

ロクでもないことを、考えているより、眠ってしまった方がいいんだろうけれども。

 

シャワシャワ降る雨の音・・・。

日曜日の深夜。

もうすぐ、週明けで、月曜になる・・・。

 

毎日、毎週、毎月、毎年・・・の繰り返し。

 

あと何年で、終わるかな・・・などと・・・。

生存期間も日々、日々、残り少なになっているのに・・・。

生きた証も残せぬまま、ただただ、日々を浪費する・・・。

 

 


朝の御茶

2022-06-04 23:58:59 | Weblog

くもりがちの土曜日。

 

勤め人をしてた頃は、朝起きるのがつらくて、つらくて、もう死んでしまいたいくらいつらくて、寝て起きるという作業を強制されない休日である土日は、或る意味、極楽でもあった・・・。

でも、『怠け者の節句働き』というか、折角の休みで、誰が何といおうと眠っていてもかまわぬのに、うれしさ?のあまり目が覚めてしまって、まだまだ寝ていていいんだ・・・一日中、ぐうたらしていていいのだ・・・とヨロコビを噛みしめていた。

そんな勤め人だったころの平日の朝は、お茶(緑茶)だけ飲んで、イヤイヤ出勤していたけれど、その様子を見て、母は、

『じいちゃんも、朝は、毎日、お茶(緑茶)を飲んでいたんだよ。やはり似ているね。』

と言った。

祖父は、私が小学生になった年に亡くなった。

 

勤め人をやめてから、朝に起きる・・・ということは殆どなくなって、昼近く迄、眠っていた数年間。

そして、母が亡くなってからは、午前8時迄には、起きるようになった。

 

朝の御茶が、珈琲になったのは、午前8時に起きるようになる数年前で、昼頃起き出して、珈琲を淹れて、母にも供していた。

母には、甘味入り(メープルシロップ)を出していた。

 

私は、ソレ迄、母は、珈琲を飲まないひとだと思っていたので、一応、珈琲と緑茶と紅茶どれがいい?と聞いてみると

『私も珈琲を飲みたい。』

ということだったので、ソレ以来、朝(・・・というか、午前10時過ぎ)の御茶は、珈琲になった。

珈琲だけでは、ちょっと胃に悪そうだったから、甘いお菓子などを添えていた。

それが私たちの楽しみでもあったりした。

 

母と珈琲ショップに行ったのは、姪が入院したときに、病院への途中にある星乃珈琲店だった。

他には、ショッピングモールのベーカリー併設の紙コップの珈琲とか、(紳士の敬称?の)ドーナッツ屋で、ドーナッツを珈琲で、お茶の時間を過ごした。

もっといろいろと珈琲店に連れて行ってあげたらよかったかな・・・と思うけれど、あの時期の母が、具合が悪いと機嫌も悪くなったので、一緒に外出したくなかった・・・なんて事情もあった。

 

今は、ひとりで、朝の珈琲タイムを過ごしている。

 


週末の風景/居場所の無い家

2022-06-03 23:18:35 | Weblog

夏日。

午前中くもりがち、午後から激しい雷雨。

 

朝、薄日が差していて、家に居るのが、なんとなくイヤになって、ふと、何処か(水辺とか・・・)で、いろいろと考え事でもしたい・・・というか、そんな気持ちになって、今の時期なら薔薇園とかいいかも・・・なんて思いながら、いろいろと調べたけれど、規模の大きな薔薇園(都市型公園)は、一番の近場で、車で片道30分以上かかるし、なんだか面倒になってきて、可燃ごみを出してから、市内北西のショッピングモールで、食材など買い求めに出かけた。

途中で、気が変わるかもしれない・・・と思って、ステンレスの保温ポットに焙じ茶を作って、家を出た。

気は変わらず、結局、買い物しただけにとどまった。

薔薇園とか、森林公園だとかに出向いても、雨に降られただろうから、気が変わらなくてよかったのかもしれない。

とにかく夕刻前の雨は、激しい降りで、たたきつけるような雨だったから。

 

途中、JR駅から拙宅近くの工場内迄繋がっている引込線の線路脇に、数十台の乗用車が縦列駐車していて、なんだろう?と思って通過した。

撮り鉄?という方々だろうか・・・大きなカメラを持った数十人の人混み、ディーゼルエンジン(だと思うのだけれど違うかもしれない)の牽引車輛の正面で、ポーズをとる運転手数人・・・。

車輛の引退?なのか、新規導入なのか・・・よくわからないけれど、この引込線路を走る列車は、私の居室の窓からも見えるので、もう走らなくなるなら残念なコト。

以前から、この引込線路で、JR駅と新興住宅地を走る私電が通る計画もあったらしいけれど、そのたびに頓挫したようで、現在に至っている。

自宅付近に停車する駅が出来たら、随分と便利だったのに・・・。

 

ショッピングモールで買い物をしたあと、自宅近くのスーパーに寄り道。

スーパーと市道を挟んだところに立っている信用金庫前にひとだかり。

なんだろ?と思っていると救急車のサイレン。

入口前で、救急処置を始めた。

ほんと・・・最近多いな・・・救急搬送。

 

私は、基本的に、あまり外に出たくない。

面倒だし、家で、ダラダラしている方が好きだし。

 

でも、母が亡くなって、この家に、居場所がなくなってしまった。

二世帯崩れの家で、隣の弟の家族とは、顔を合わせずに済むことは済むけれど、なんとなくイヤで、みんな外出してしまうと、ほっとする。

明日は週末だから、ベランダに出るのも気が引ける。

私が勝手に、気を使っているだけなのだけれど・・・。なるべく顔を合わさないのが得策。

 

そういえば、晩年の父が、脳腫瘍の手術肺と肺癌で、病院の入退院を繰り返ししていたときも、私は、父が退院して、家に居ると、気を使い過ぎて、気がヘンになりそうだった。

母が亡くなって、あの頃の地獄の繰り返しのこの1年3か月間。

 

結局のところ、この家には、私の居場所は、なかった・・・の一言に尽きるような気がする。

 

 


怠い・・・という感覚

2022-06-02 23:34:23 | 健康・病気

曇りがちなれど、夏日。

・・・空気が重たくなってきたような・・・雨季に向かって。

 

昨日、左上腕が、とても怠くて・・・。

子供の頃の夏休みに、水泳(・・・というか、水遊び程度だけれど)をして、午後3時過ぎに、家に帰って、なんだか、手足が重くて、怠くて、そのまま、畳の上で、眠ってしまう・・・といった怠さとちょっと似ているけれど、あの心地よい?疲労感とはまた別の・・・なんだか、とてもイヤな怠さだった。

睡眠中に、左腕を下にして、身体の体重が、左腕を圧迫して、そのための怠さ・・・だったのかもしれない。

一日経過すると、怠さは、消えた。

 

怠い・・・という感覚は、私には、おなじみさんの感覚で、家にいるときは、身体を起こしているのがつらくて、すぐに横になってしまう。

やはり、どこかおかしいのかもしれない。

 

亡母などは、怠い・・・という表現を使うことはなかったけれど、県北の方言で、『こわい』と言っていた。

『こわい』は、恐ろしいとか、普通は、そんな意味だけれど、県北出身の母は、ちょっちゅう、『こわい』と言っていた。

身体が不調なときには、特に。

 

怠さは、肝臓、腎臓、副腎などの内臓が、悪い時に現れたり、ビタミンB群類やミネラル類の不足でも起こるし、運動しすぎたあとなど、おこることもよくある話で、やはり、身体の不調のシグナルのひとつだろうか。

 

左上腕の怠さは、たぶん、加重による血流の悪さだとか、ある程度、物理的な要因があったのかもしれない。

季節による温度差によるもの、その他いろいろと複合的な影響があるのかもしれない。

 

・・・些細な不調で、アレコレといろいろな思惑が頭をよぎる。

たぶん、今日明日・・・どうこうなる・・・ということは、考えにくいけれども、昨今、拙宅に近い県道を、救急車が、サイレンを鳴らして通過していく回数が、格段に増えたようで、なにやら不安になったりする。

日中だけでなく、深夜・早朝・・・。

以前は、救急車なんて、マレだったのだけれど。

 

やはり、例のワクチンの副反応による救急搬送なのだろうか・・・???

超過死亡者統計の数が、なにやらものすごいコトになっていて、火葬場も焼却?待ちらしい・・・。

 

火葬場・・・と言えば、居住地にある火葬場は、ゴミ焼却場の隣にあって・・・何かの冗談かとも思ったけれど、去年の春・・・ここで、母を送ったのだった・・・そして、先月は、古畳の処理で、火葬場の前を3回通過して、あの日は、晴天ながらも、暴風だったことを思い出したりした。

 

 


CINEMA(シネマ)

2022-06-01 15:55:25 | Weblog

くもりがち。

 

水無月の始まり・・・。

5月が、もう随分と遠い過去のように感じられて・・・。

 

私の現在の居住地は、県で、二番目か三番目に人口が多いけれど、映画館は、子供の頃から、存続している映画館が、駅前の商業ビルと市内西北部の商業施設に小さ目なシネマコンプレックスの2館のみ(私の知る限りでは)で、東京都内の名画座(←今はどうなんだろう???)のように、昔の映画を上映してくれる施設は・・・ない。

なので、気軽に映画をみる・・・という環境になくて、過去の映画を見るのは、専ら、テレビの映画放映に頼るしかなかった。

それでも、なかなか見たい映画に遭遇できなくて(それは、テレビが、過去に1家に一台しかなくて、私には、チャンネル選択権がなかった)、ずっと見たかった映画が、最近では、県央のシネマコンプレックスで、『午前十時の映画祭』という午前中に料金が少し割安で、過去の映画が見られる・・・というプログラムがあることを知った。

・・・たぶん、先週とか、今週は、ジェームス・ディーンの特集が組まれていたと思うけれど、彼の代表作・エデンの東は、つい最近上映していたけれど、見逃してしまっていた。

上映していても、見られない・・・ってコトもあって、映画にも、相性というか・・・そんなものがあるのかもしれないな・・・などと思ったり。

もう数か月くらい前になるのか・・・『イングリシュ・ペイシェント』を見たけれど、コレは、恋愛映画の傑作・・・というコトだったけれど、私には、合わなかったし、時間を無駄にした感がありで・・・。

世間の評価とは、かなり乖離しているけれど・・・。

 

公開より少し後になって、もうどの映画館でも上映していなくて、数十年とかにリバイバル上映される映画で、『ベニスに死す』も、去年だったか、一昨年だったか・・・映画館で、見た。

ストーリーなんかどうでもいい映画で、100年にひとりの美少年・ヴィヨルン・アンドレセンとベニスの美しい風景だけ見ていれば、ソレでいい・・・(たぶん、本当は違うんだろうけれど・・・)映画で、これは、コレで、こういうのも有りか・・・と思ったりした。

私は、どっちかっていうと、ストーリーを追いたがるタイプのようで、相方などは、ひたすら、映像にこだわるから、前後のストーリーなんかは、どうでもいいらしい。

昨日見た『トップガン・マーヴェリック』でも、前作よりも空中戦の映像が3倍くらい多いとか、F18戦闘機のフォルムがスゴイとか・・・いっていたけれども、私は、戦闘機なんざ、白と黒の違いくらいしかわからないし、見慣れた?F14とかのほうが、飛行機っぽくて優雅な感じがする・・・なんてコトを言ったら、だた、憐れみの笑みを浮かべるだけだった。

映画なんて、支配者層が、下僕を洗脳させるために編み出した娯楽に過ぎないのに・・・と最近、そう思うようになってきたけれど、やはり、平日の・・・遅い午前中から、夕刻にみる映画は、なんだか、特別な気がする・・・。

但し、私は、神経的におかしいところがあって、映画館で、映画をみるのは楽しいけれど、ふと、家の鍵は、かけてきたっけ?、電気は、ガスの元栓は、部屋の鍵は・・・と気になりだして、純粋に楽しめないコトの方が多い。

つまらぬ病の持ち主で、やはり、こういうひとは、自宅のテレビ放映の映画を録画して、ちょいちょい中断しながら、見る方が適している(ような気がするし、テレビなら、映画料金不要だからな・・・)

 

CINEMA(シネマ)