鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

塩化マグネシウム(にがり)風呂

2022-06-20 23:24:13 | 健康・病気

くもりがちでも、蒸し暑い週明け。

 

バスタブに『塩化マグネシウム』を入れて入浴してみた。

塩化マグネシウム・・・にがり・・・豆乳を固めて、豆腐にするときに使う添加物。

 

これを入浴剤として、お風呂にいれると、身体を温める作用が半端ない。

今年の冬場は、『エプソムソルト』を使っていたけれど、コレは、イマイチ、温まる・・・と言う感じは、しなかった。

エプソムソルトで、温まらないひとは、エプソムソルト+セスキ炭酸ソーダを加えるとよいらしいけれど。

 

人体に必要なマグネシウムは、主に経口摂取になるけれど、風呂などに加えると経皮摂取されるので、身体によいらしい。

経口による摂取では、穏やかな作用の下剤としても用いられているけれど、体内の細胞の活動などに必須なのが、マグネシウムで、不足しがちなミネラルということだった。

 

塩化マグネシウムのお風呂は、入浴中は、それ程でもないかな・・・と思っていたのだけれど、湯上り後、半端ない発汗。

ダラダラ・・・と汗が流れ落ちてくる。

・・・もしかすると・・・気温が高く、蒸し暑いから・・・???とも思ったけれど、この汗のかき方は、尋常ではない!!!

入浴前に、水分を補給しなかったら、脱水症状を起こしたかも・・・というレベルだった。

 

・・・私は、汗は、出来るだけかきたくない。

過去に患って、寛解はしているけれど、バセドウ病で、発汗が酷かったから。

そして、大量に汗をかくと、皮膚が痒くなってくるから、イヤなのだった。

・・・ただ、塩化マグネシウムのお風呂での発汗は、皮膚が、痒くならなかった。

 

きっと、酷寒の季節には、更によいもの・・・だろうと思うので、来季の冬には、必需品となるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 


梅雨の晴れ間の桜桃忌

2022-06-19 23:54:43 | Weblog

くもりがちで、蒸し暑い日曜日。最高気温32度。

 

桜桃忌。

太宰治が、玉川上水で、入水自殺(1948年6月13日)、遺体が発見された日が、奇しくも6月19日の誕生日(1909年6月19日)。

 

六月は、桜桃忌。

この時期は、梅雨本番だし、重たい雨雲の暗いイメージがあったんだけれど、今日は、明るい曇り空。夏の日差しも照り付けて、桜桃忌からは、ちょっと離れたイメージだったんだけれど、夜になって思い出した。

 

玉川上水といえば、東京都下の西部だと思うのだけれど、実際に訪れたことはない。

 

桜桃・・・さくらんぼ。

亡母は、さくらんぼが、大好きで、早い年では、5月、そして、6月になると、

『高いけれど・・・。』

と言いながら、さくらんぼを買ってきた。

 

私は、さくらんぼが、美味しいと思ったことが無くて、それは、山形産だとかの高級さくらんぼを食べたことが無くて、ほんとうに美味しいさくらんぼを食べたことがないためだと長年思っていた。

今から、十何年か前の話だけれど、母と一緒に、山形県の寒河江に、日帰りさくらんぼ狩りツアーに出かけたことがあった。

さくらんぼの畑で、30分だか、1時間だか、捥ぎ放題食べ放題という企画で、『佐藤錦』というさくらんぼを、ツアー客が狩るのであった。

そのときも、一粒か、二粒食べて、もういいや・・・と思った。

さくらんぼで、ツアー代金のモトって取れるのだろうか・・・などと姑息なことを考えた。一粒二粒では、やはりモトは、取れないだろう・・・。

持ち帰りはグラムで、別料金だったとおもうけれど、手のひらくらいとって、レインコートのポケットに入れた。

帰りのバスの中で、ポケットに入れたさくらんぼを、母にあげた。

母は、バスの中で、好物の第二弾にありついた。

 

ツアーは、米沢牛ランチ、ワイナリー工場見学、さくらんぼ狩りの3つがメインで、私の居住地からは、東北自動車道で、山形は、案外近いのだな・・・と思った。

東北地方で訪れたのは、この山形が、最北端で、ソレ以北は、行ったコトがない。

そのあと、陸路をすっ飛ばして、北海道へは、4回程、母と旅をした。

 

私は、生のさくらんぼは、それ程、好きではないけれど、チェリーパイとか、お菓子用にコンポートしたさくらんぼは、大好きで、林檎なども、加熱した方が好きである。

果物は、生で食べるものだとおもうけれど、保存のために、煮てジャムにしたりする。

苺、フランボワーズ、ブルーベリーなども、生よりは、コンポートにした方が好きだ。

 

作家で軍医の森鴎外は、水蜜桃も煮て食べた・・・ナマモノは、極力避けていたと、娘の森茉莉の随筆に書いてあった。

 

梅雨時は、食中毒も多いしな・・・。

加熱殺菌した方が安全だろう。

 

 


そういう日の過ごし方②/玉蜀黍の冷製スープ・夏野菜の献立

2022-06-17 21:57:17 | Weblog

くもりがちながらも、湿度の高い蒸し暑い一日。

 

昨日は、不燃ゴミの回収車に間に合わず、その反動で、懸案だった(・・・というか、面倒で、後回しにしていた)古布団の処分で、広域ゴミ焼却場迄、車のトランクに積み込んで、運んだ。

1辺の最大サイズが、50cm未満なら、可燃ゴミとして、町内のゴミ収集所に捨てることができるので、薄手のふとん3枚を回収してもらった。

残すところ、オオモノが2枚。

コレは、来週処分しようか・・・と思っていたのだけれど、どうせなら、今日全部処分してしまおう。

そして、昨日から続く、『そういう日』なので、なにかの不都合で、布団処分が叶わぬのならば、来週にすればいい・・・といった、極めて、いい加減な気持ちで、車のトランクに、オオモノの布団2枚を積み込んで出発。

 

・・・昨日書いたけれど・・・。

『そういう日』。

暦の上で、どちらかと言えば、モノゴトが、順調に進まず、邪魔が入ったり、アクシデントが起きやすい日でもり・・・ということなので、迷信かもしれないし、何か、そのような統計があるのかもしれない。

まあ、いいや・・・くらいの気持ちで。

金曜日午前中のゴミ焼却場は、昨日よりは、混んでいた・・・けれども、イライラ待つほどの込み具合でもなく、本日も、難なく、処分できた。

コレで、布団の処分は、終わった・・・やれやれ・・・去年から、ずっと処分しなくては・・・と思っていたので。

 

この焼却場は(以前にも記載済だけれど)、斎場(火葬場)の隣で、ゴミもヒトも、燃やす場所は、同じ敷地内なのは、何かの冗談???なのかな?と思うけれど、母の葬儀のときに、斎場の隣に、ゴミ焼却場があるなんで、知りもしなかった・・・(長年、生きてきたけれど、粗大ゴミを処分したことがなくて、母が亡くなって、初めて粗大ゴミの処分という難題?に頭を悩ませることになろうとは・・・)

そして、『こういう日』は、怪我などのアクシデントに気を付ければ、お掃除やモノを処分するのには、よい日であるケースも多いとか???

・・・と言う訳で、迷信かもしれないけれど、暦上の悪日である2日間は、布団処分で、終わった・・・。

 

布団を処分した帰り道、道の駅に寄ってみた。

玉蜀黍(とうもこし)が売られていたので、買った。1本でヨカッタのだけれど、2本入っていた。

昨日、買い損ねたベッカライ(オーストリアパン屋)によって、ヴァイツェアベッケンを2本購入。

 

( ↓ 本日の夕食の食材/玉蜀黍・アスパラ(昨日購入)・ヴァイツェアベッケン(パン)・・・テーブル傷だらけ・・・。フローリングの床の上においてあるみたいに見えるな・・・。)

 

午後1時過ぎに、帰宅して、圧力鍋で、玉蜀黍を蒸して、実を芯から外し、3/4を小分けして冷凍。

のこり1/4の玉蜀黍の粒を、豆乳、プロティンパウダー、塩と一緒に、ミキサーにかけておいて、フライパンにバターとすりおろしたタマネギを炒め、ブレンダーにかけた玉蜀黍と合わせ、少し煮て、冷蔵庫で冷やして、冷製コーンスープの出来上がり(こういう咀嚼を必要としないスープ類だったら、母も、食べてくれただろうなぁ。早くミキサーを購入して、作って食べさせてあげたかったけれど、叶わなかったな)。

 

鶏肉、アスパラガスをマヨネーズで炒め、塩胡椒、そこへ割りほぐした玉子を加えて、ゆるいスクランブルエッグ。

 

冷製コーンスープ、鶏アスパラマヨスクランブルエッグ、ヴァイツェアベッケン、(昨日の作り置き)レーズンキャロットラペ、ジャガイモ・グリル(グリルでジャガイモを焼いただけ)。

夏野菜の極旨献立。

 

 


そういう日の過ごし方

2022-06-16 22:06:06 | Weblog

くもりがち。

湿気のある生あったかい空気の中、吹き抜ける冷たい風・・・。

 

今日、明日は、暦?的にあまりよくない日だそうで・・・。

 

不燃ゴミの日だったのだけれども、ゴミ収集所は、ゴミ回収車が、仕事を終えた後だった・・・(間に合わなかった訳で・・・残念・・・)。

 

やはり、暦的にあまり良くない日ということで、主に、

『予定していたことが、順調に進まない。』

といった性質の日らしい。

 

折角、月2回しかない不燃ゴミの回収日だったのに・・・。

それならば・・・と、母が亡くなってから、処分しなければ・・・と、ずっと考えていた来客用の寝具など、片付けようと思いたち、押入れから、古い布団を引っ張り出して、車のトランクに積んで、粗大ゴミ収集所である広域クリーン・センター迄。

混雑していたり、何かのトラブルで、たとえ布団を処分できなくても、今日は、そういう日なんだ・・・と思えば、なに、また出直すさ・・・と気楽に、出かけた。

 

目的を達せない日もあるよね・・・(暦的に『そういう日』でなくても、私は、途中迄行って、戻ってきてしまったりするし・・・。慣れっこなのさ)。

広域クリーン・センターは、先月、相方と8畳分の畳を、3回に分けて、処分に行ったところなので、システムは、覚えた。

布団は、簡単に廃棄できた。

 

それから・・・。

今週の火曜日に、休業日だと知らずに訪れたベッカライ(オーストリアパンのショップ)へ、バイツェアベッケン(フランスパンみたいなオーストリアのハード系の主食用パン)を買い求めに寄った。

 

しかし・・・流石に、暦的に良くない日であった。

 

『ヴァイツェアベッケンは、焼き上がりにあと1時間半かかります。』

とのことだったので、断念して、シナモン・マスカルポーネとクリーム・パンを購入。

 

お次は、市内北西部にあるショッピング・モールへ。

こちらのお店でも、いつも買い求める焼き菓子の姿はなかったので、野菜類と乾物(干エビ)など購入。アスパラガスが、美味しそうだったので、コレも購入。

もう1軒、近所のスーパーに寄って、冷蔵ピザを買おうと思い立ち、寄ってみたけれど、こちらも、品切れだった。

 

買い求めたいものが、3軒の店舗で、それぞれ売り切れ・・・。

 

やはり、そういう日なんだろうなぁ・・・と思えば、ハラも立つまい。

代替品や、別物を買って、正午過ぎに帰宅。

 

買い求めた『シナモン・マスカルポーネ』と珈琲で、昼食(クリーム・パンは、明日の朝用)。

 

午後は、玄関の履き掃除。ゲタ箱の中のもう履かないだろう靴を選別処分。

作り置き用の惣菜づくり。

 

昨日(15日)は、その前日の反動?で、身体が怠くて、何もせず、ダラダラ過ごした。一昨日の思い付きで、県西の植物園に出向く予定でいたのだけれども、午前中は雨だったので。

15・16日は、県民デーで、植物園の入園料が無料だというので、行ってみようかと思ったのだけれど、昨日は、動けなかったし、今日は、『そういう日』だから、あまり遠出?はしないほうが良さげ・・・なんてことを考えたのだった。

迷信なのかもしれないけれど、今日は、当初の目的は、達成できなかったけれど、懸案だった布団の半分は、処分できたし(全部、トランクに載らなかったので、次に行けるときに処分に行こうと思う)。

 

植物園にも、来週行けたら・・・と思っている。

 

 


銀行消滅?カウント・ダウン

2022-06-14 23:36:53 | 社会・経済

くもりがち。

気温20度に届かず。4月頃の気温だと天気予報は伝えていた。

 

午前11時に自動車の半年点検のために、ディーラーへ。

 

そのあと、元・国営の郵便さんが経営する銀行と地銀2行へ。

 

もう・・・特に、地銀は、消滅するしかないのかも・・・とか思ったりで。

 

現金を持つことも、お札をみることも、少なくなってきた昨今。

ひとつの銀行は、銀行本来の業務を縮小・・・というか、ローンプラザというモノに代わっていて、ATM3台の他、ローン関係だけのようで、預金の窓口入出金、振込などのサービスは、駅前の支店へ行け・・・ということを知ったのは、去年のハナシ。

本日、訪れたのは、午前11時40分・・・既に、お昼休み?に入っており、ATM以外のサービスは、行われていなかった。再開は、午後12時30分という立札があった・・・。

割と大きな工場の隣の銀行なのに・・・。まあ、お昼休みの1時間(隣接工場は、45分だったと思うけれど)で、ローンの相談に来るお客さんなんていないのかもしれないが・・・一応、銀行の看板背負って、サービス業なのに・・・。

・・・というわけで、午後12時40分に再来訪。今回は、通帳関係だったので、自宅近くのこのローンプラザを利用したけれど、お客さんは、1名のみだった(しかも、ガン治療中で・・・という相談内容が筒抜けに聞こえてきたりして、個人情報とか大丈夫なんだろうか・・・まあ、有って無いような個人情報保護法???)。

もう一か所の銀行は、自室を整理していたら、四半世紀前迄、取引のあった通帳が出てきて、コチラを有効利用しようと思って、訪ねたけれど、既に、通帳は使用不可で、残高が522円だったから、これを払い戻し、口座を解約。

要した時間なんと40分。

お客さんは、3名程だったけれど、行員さんは、10名以上。

何故か、とても忙しそう。

 

もうひとつの元・国営の郵便の銀行でも、さまざまな不正事件が起こってるし???待ち時間も長いし(30分以上かかった)。

 

とにかく、3行とも、処理に莫大な?時間が、かかるということが、わかった。

ネットで処理できるなら、面倒がなくていいんだけれど、口座の解約などは、発行支店迄、出向かないとダメだそうな・・・???

 

かつて都市銀行と言われたメガバンクでも、様々なシステム障害で、その信用は、地に落ちた・・・と思わせて、きっと何かの計画の準備なんだろうなぁ・・・。

やはり、銀行は斜陽産業なんだ・・・たぶん。

 

既に、銀行の『信用』も地に落ちて崩れたし・・・。

今は昔・・・銀行の栄枯盛衰物語。

 


遠くて近く、近くて遠い・・・。

2022-06-13 23:33:53 | Weblog

久々に朝から、快晴。

梅雨の晴れ間。爽やかな初夏日和。

 

寝具の洗濯。キッチン・シンクの清掃。

 

午後から、やや強い風。時々轟音。

 

梅雨の晴れ間なのに、湿度が低くて、凌ぎやすい。

こんな風の吹く日は、母の葬儀の日を思い出す。

洗濯物を取り込みながら、やはり私は、探してしまう。

ベランダから見える玄関に続く木立の路の入口に、母が、歩いて来る姿を。

 

ふと・・・。

気が付くと、母が居ないことを思い出す。

 

思い出す・・・???どうして・・・???

母は、もう・・・1年と3か月と6日前に、この世から去ってしまっているというのに。

でも・・・。

いつも思い出すの・・・。

 

ああ、母は、もう居ないのに・・・。

私は、いつもいつも、母を探してしまう。

 

夕刻に。

あの夕暮れチャイムが鳴りだすと、また母を探してしまう。

 

いつも近くにいるから、もう探さなくてもいいのに。

でも、母は、遠くに行ってしまったから、もう探してもいない・・・。

 

私のバカ脳は、まだあきらめていないんだ。

 

夕食後、うとうと居眠りをして、ふと気が付くと、階下の茶の間に、母が居て、ああ、夢だったんだね・・・。

随分と長い長い夢をみていた・・・。

やっぱり、生きていたんだ。

今迄の1年3か月と6日間。

どんなに辛い夢だったんだろう・・・。

だから、これは、夢で、母は、ちゃんと階下に居て、テレビをみながら、居眠りしている。

だから、ご飯を作らなきゃ。

御茶と薬も用意して。

 

・・・でも、気が付くと、やはり夢ではなくて・・・。

母は、私の居る世界には、もう居ない。

 

・・・でも、いつもそばにいる。

そばに居ても、見えないし、触れることもできないのに・・・でも、こんなに近くにいる。

いつもいつも、近くにいるんだけれど。

でも、でも、でも・・・やはり、遠くにいるんだね。

 

遠くて近い、近くて遠い・・・。

 

そして、母がどんどん遠くなる。

でも、でも、でも・・・そんなに遠くない日に・・・私は、母に逢えるだろう。

母が、どんどん近くなる。

 

遠くて近くい、近くて遠い・・・そんな母の存在。

 

 

 


母の遺した薬②

2022-06-12 20:53:57 | 健康・病気

正午から雷雨。

雨降ったり、止んだり、急に激しい夏の光が差し込んだり・・・日曜日の梅雨の空は、忙しい。

 

胃腸薬・エスマーゲン錠の最後のひと箱を開封して、さて・・・。

母の遺した薬は、まだまだあって、竜骨牡蛎湯(錠剤)、当帰芍薬散(錠剤)、加味逍遙散(粉末)、人参湯(顆粒)、麻黄附子湯(顆粒)、センブリ(錠剤)、苓桂朮甘湯、疎経活血湯。

薬ではないが、プロポリス液、プロポリス服用時に使うゼラチンのカプセル、薬を飲むときに使う袋状のオブラート。

関節痛に効くらしい?エミューオイルの軟膏、ゲルマニウムテープ、虫刺され用の軟膏(3本)。

 

このほかにも、まだまだいろいろな薬剤を日替わり?・・・というか、症状が現れるたびに服用していた母であった。

一時的に症状が緩和すると、ちがう部分に症状が出てくるので、次々と飲む薬が変わるし、服用して効果があると、その薬の信望者となるけれど、身体が薬に慣れて、効果がなくなると、また違う薬を頼り、違う薬で、症状が治まらないと、またモトに戻り・・・自身が亡くなる迄、薬のループにはまり込んでいた。

この薬は、蕁麻疹がでたから、ダメだっていったのに・・・と説明しても、翌日には忘れるのに、自己で体験した『効能』があった薬などは、メモ書きしておいて、同じような症状が出ると、それ迄、放りっぱなしにしておいたメモなど(他にも『安心』、『壮快』、『私の健康』などの健康雑誌のバックナンバーを押入れから)探し出して来て、止めた薬をまた買う・・・。

高血圧者は、止めておいた方がいいと説明されたのに、高額な高麗人参を欲しがり、服用しては、血圧が上がり、夜間外来へ連れていけと言い出したりした結構、滅茶苦茶な晩年でもあった。

高麗人参などは、一例で、残ったエミュー・オイル(薬とはまた別物だけれど)なども、数回使用して、かぶれたといい、使うのをやめるけれど、また関節痛などが起こると、ソレを忘れて、患部に塗り始める・・・なんてこともあった。

体質に合わないから・・・と取り上げても、無駄にカネを持っていたから、高額な通販で、リピート買いして、結局、使われずに利用期限切れ・・・といった健康サプリメントなども数知れない。

 

若い頃(たぶん、二十代後半頃から)から、体調が悪くなり出して、幼い頃患った中耳炎が悪化してきたのが始まりで、そのあと胃下垂などによる胃腸の不調(これは、老年期にはいって、太り始めた頃から緩和されたもよう)、そして、半世紀にわたって、不眠、めまい、耳鳴りなどを訴えていた。

・・・母に直接聞いたわけではないが、これらの症状は、定年迄務めていた職場(保育所)での人間関係と、そしてたぶん・・・再婚した夫(つまり、私の父)が原因だったように思う。

前夫の方が、よかったんじゃないのか・・・と、後に、異父姉から、少し聞いた話で、推測した。

ハタチ前後の貧乏な小娘(母)が、官職の家に嫁いで、同居する舅、姑、義祖父母などの厳しいお作法(躾け)?に耐えられたなら、たぶん、私の父と再婚するより、多少マシだったのでは・・・とも思うけれど。

それでも再婚するという選択を間違えたような母ではあったが、再婚後は、耐え抜き?夫亡きあと、(多少意のままにならぬけれど)面倒をみてくれる娘を女中扱いして、気儘で、自由な生活で、自身の年金収入もあり、金銭には、困らぬ生活を得た。

 

その母が、最期まで得られなかった『完全』な健康。

その健康も60歳代から80歳代前半くらいの四半世紀は、多少の不調はあったものの、わりと穏やかに過ごせたのではないか・・・。

ただ、コレばかりは、本人に聞かないとわからないけれど。

いつも健康不安、死への不安は、拭えず、内心は、辛かったのもしれない。

 

離婚せず、ずっと前夫の元にいたなら、老後四半世紀を気儘で、自由に迎えられたかどうかはわからないし、あれ程、毎日、思い悩んでいた『死』も、あけっけないくらい簡単に、朝起きて、炬燵に移動して、暖かい部屋で、眠りながら逝ってしまった。

その最後の結末が、分かっていれば、母は、少なくとも『死』について脅え、悩み、苦しまずとも済んだのかもしれない(と思っている)。

 

そんな母の最期のよりどころは、『薬』であった。

医師の処方する薬、市販薬、漢方薬、野草・・・健康を維持できるなら死んでもいい・・・くらいに、毎日、毎日、薬が手放せないひとであった。

一番高額だったのは、1丸3000円する日水清心丸(牛黄清心丸)であったと思う(或いは、もっと高額な朝鮮人参だとか、買っていた形跡もありで)。

金箔に包まれた牛黄を蜜蝋で固めて、その蜜蝋を割って、小さな丸薬を取り出して、服用していた。

効果があるのか、無いのか・・・そのヘンはわからないけれど、少なくとも、『お守り』替わりと言っていた。

結局、その『お守り』も効果を発することもなく、ただわずかな安心の材料となっただけであったような気がする。

 

薬に頼りきり、信じられるのは薬だけ・・・薬大好きな母の一生。

 


母の遺した薬

2022-06-11 21:01:29 | 健康・病気

曇り時々雨。

 

今週の初め頃から、また逆流性食道炎っぽい感じ。

空腹感は、あるのに、食後、胃酸が逆流してくる。

 

生前の母が、

『胃の調子が良くなると、腸が悪いし、腸が良くなると、胃が痛くなる。』

と言っていて、毎日、毎日、よくもまあ、不調を見つけてくるよなぁ・・・と思ったり、そのことを口にしたりしていたけれど、私自身が、母の年齢に近くなってくると、同じ症状だったりして、やはり母娘なのだ・・・と改めて認識したりした。

・・・ということは、この先、母の症状を追体験することになるのか・・・と思うと恐ろしい・・・。

それくらい、毎日、何処かしかの不調を訴えていて、年に数回あるかないかの絶好調の日を、維持したいがため、涙ぐましい努力?(・・・というか、無駄な心配とか、様々な薬の服用とか、挙句の果てには、野草を作り始めるとか)をしていた母であった。

絶好調の日が続いてくれると、手がかからなくて、私もラクだった。

精神的にも体力的にも。

 

母の遺した胃腸薬・エスマーゲンの最後の1箱を開封。

これが、母からの最期の胃薬。

母が亡くなって、1年3か月。

生前に買ってもらった消耗品(日用品)などももう底を尽きそう。

 

母が、だんだん遠くなる・・・。

 

去年は、処分できなかった母の遺した様々なもの・・・少しづつ、処分していく・・・。

亡くなった直後は、捨てきれなかったものを少しづつ・・・。

 

あれも捨てよう

これも捨てよう

 

八木重吉の詩を思い出しながら・・・

 

いえいえ、重吉さんは、

 

空のようにきれいになるものなら

花のようにしずかになれるものなら

値なきものとして 

これも捨てよう

あれも捨てよう

 

断捨離の詩ではありません(・・・なんてコトは、この拙ブログ内で、既出済ですが・・・。この詩好きです)。

 

さて、さて、最後のエスマーゲン。

大事の服用しよう。

 

 


期待しすぎたランチ・ボックス//何もしたくない週末

2022-06-10 21:12:41 | 食・料理

日中、時々晴れ間もみえるけれど、曇りがちな梅雨の週末。

夜から本降り雨。

 

昨日、昼前から、県央へ。

楽しみしていたランチ・ボックスで、お昼ご飯・・・。

GAFAのひとつのGのつく企業のマップの情報で、クチコミ★4.1の店舗評価だったので、期待して注文。

 

電話予約のときに、

本日は、ご注文が多くて、13時過ぎにしかお渡しできない・・・また、本日は、ご提供できるメニューに売り切れも・・・

ということだったのだけれど。

 

店舗内でのランチ提供と、テイクアウト用のランチボックス(お弁当)の二本立てのお店のようで、正午に、店舗前を通ったときには、既に、5、6人の行列。

人気店のようだった。

13時になったので、受取りに。

 

オープン・ザ・ボックス!

うわぁぁぁ・・・というくらいのレタス系葉野菜類の量。

カフェ風に、小さなプラカップにお惣菜5種類、五穀ご飯、お豆腐のハンバーク。半切りにした茹で玉子。

全体的に薄めの味付け。

 

・・・コレは、もしかすると、意識高い系女子向けのメニューなのかも・・・???

 

生野菜系のメニューだけれど、『酢』の味のものがない・・・。

ちょっと甘いエスニック調なのか・・・。

 

もし、気に入った味ならば、利用しようと思っていたのだけれど・・・。

なんだか、期待していたほど、美味しい・・・とは、思わなかった。

・・・なのに、この世情でも、行列ができている・・・。

 

私の味の感覚が、おかしいのかもしれない。

 

更に・・・。ランチ・ボックス・・・とはいえ、こういう盛り付け???

紙の箱の中が、見た目、グチャグチャ・・・・。

 

***

 

そして本日は、何もする気になれず・・・。

昨日などは、夕刻、自宅に戻って、ランチが遅かったから、いつもは、朝に食す、『(悲しみの)バナナケーキ』と焙じ茶、甘露蜜で、夕食にして、入浴したら、もう目を開けていられないくらいの怠さ。

まだ宵の口・・・だというのに、うとうと深夜迄。

それから起きることもなく、うとうとの状態で、朝8時に起きる・・・(というか目覚める)。

それで、なにかやらなくては・・・と気ばかり焦るものの、身体が、ついていかない。

ただひたすら、横になりたい・・・眠いわけではないのに・・・って、12時間くらい間断しながら、うとうとしていたので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


映画:犬王*多少ネタバレあります。

2022-06-08 21:51:11 | 演劇・映画

くもりがち。時々小雨。低温。

 

昨日(7日)。

母の月命日で、墓所を訪れたその足で、隣市・シネコンへ。

映画『犬王』を鑑賞。

 

最近のトレンド?というか、ひとの心の中に棲む悪意とか、呪いが、醜悪な形となって顕現する呪術廻戦、鬼滅の刃的な要素(鬼)、それを平家の呪いと言う器に入れて、そこに能楽の始祖である田楽舞、猿楽と言った芸術分野のカテゴリーを舞台にしたのでしょう。

呪術廻戦、鬼滅の刃が、普遍的なヒトの心の闇を扱ったのに対して、犬王は、個人的な父親の野望と憎悪、狭い範囲の平家の怨念だったので、わかりにくくなってしまって、友魚、犬王ともに、添え物的に?なってしまったかのような???

 

海に沈んだ平家の宝物を開封したために、自らは失明、父親は、死去という友魚。

同じく楽面に込められた呪いに願をかけ、生まれる子供を差し出した犬王の父親。そして、その犬王が、見るに堪えない奇形となり生まれ・・・。

 

二組の父親と息子のフラクタルなのだろうけれど、関連付けするには、なにやら不足感が否めず。

 

生きて、奇形の息子を放置する犬王の父。

死して、なお、息子を守護するように霊体と化して、現れる友魚の父。

 

犬王の奇形は、エレファント・マンを思い出させるし、自分から見世物になり、芸術を極めていく道を選んだようですが、最後、その道の覇者・完成者である世阿弥とひと勝負あっても良かったかも?

室町時代は、世阿弥抜きでは、語れんでしょうから・・・(と思っているのは、たぶん私だけ・・・???)

 

歌の尺が、少し長すぎ感もありで。

 

そして、たぶんですが・・・十年(つまりひと昔前)では、商・興行ベースに乗せるには、ちょっと難しいのでは???・・・と思われるような作画が、最近では、様々に映像化されるのは、たぶんCG様の進化なんでしょうかね?

美醜の基準は、あってないようなものなので、

 

怨霊達を鎮め、祓い?終わった犬王は、おぞましい形から、普通の人間に戻りますが・・・そのヴィジュアルが、何故か、デーモン小暮閣に、よく似た造形でありました???

 

今年の初め頃、深夜系アニメで、オンエアされていた『平家物語』は、高野文子の作画であったけれど、同じ『平家物語』をベースにした『犬王』の原作?作家・古川日出夫が、オッドアイを持つ未来予知の超能力者のびわと平重盛を主軸として、或る意味、ファンタジーっぽく仕上げていて、多少の違和感を否めなかったのが記憶に新しいです。

 

去年、今年あたりから、物質の時代から、心の時代への転換期・・・とか言われていて、過去の遺物であった呪いや怨霊が、テーマとなり始めたのは、愚民を何処か(メタバースとか???人口削減肯定とか???ムーン・ショット計画とか・・・???)への誘導か・・・と思ってしまうのは、私がひねくれているから・・・でしょうかね。

・・・最近、映画とか、ドラマとか、本とか、素直に楽しめなくなってきています(つまり、離れろ!ってコトなのかな)