9月18日(土) 雨のち曇
友人の直子さん宅で、おやつの時間中に、ママからメールが届いた。
「今、餃子を作っています。 良かったら、ご一緒にいかがですか」と。
併せて電話がかかり、直子さん、同席の美恵子さんも一緒に、「まぁ、敬老の日のお祝いなのね♪」と喜んでくださった。
だが、しかし。
同じ町に住む長男一家は、日ごろからさくらのことを老人と思っていない。
したがって、我が家に「敬老の日」はあり得ないのだけれど、ご近所さんは、長男一家に敬老の日を祝ってもらえるこの身を、喜んでくださった。
だから、今夜は、敬老の日のお祝い・・・
の筈が案の定、誰からも敬老の日の話題は出なかった。
無理して若づくりしているわけではないのだけれど。
息子一家の作る餃子は、薄皮にシャキシャキ感のある餡が包まれていて、キャベツをチョッパーで刻んで、シャキ感を残している。
数年前までは、呼ばれると手伝いに行ったものだけれど、孫二人もおとなになって、手が要らなくなって、さくらは自ら「食べるひと」に堕した。
ぽん酢を望んだら、「あらら、嬉しい。 馬路村のゆずポン酢♪」
作家にして実業家、全国の町・村おこしを手掛けてこられた大歳昌彦さんが、世に出された柚子の村の名品たちの代表作が、ゆずジュース「ごっくん馬路村」と「ゆずポン酢」、それを世に出した熱血漢が大歳さんなのだ。
『「ごっくん馬路村」の村おこし―ちっちゃな村のおっきな感動物語』(大歳 昌彦著)に寄せられた馬路村役場の前書きによれば、『「ごっくん馬路村の村おこし」が全国の書店に並んだ経緯をご紹介します。著者の大歳昌彦さんは、よさこい祭りが大好きで毎年高知を訪れていた。「馬路村へ来て見んかえ!」。追手筋競演場に馬路村の広告看板を出していました。そのキャッチコピーに魅かれ1997(平成9)年、馬路温泉を訪ねてきた。入口には薄汚れた忘れ物コーナー、玄関には来客の靴が乱雑に散らばっていた。イメージ先行、実態ボロボロで愕然としたそうです。馬路村のイメージを良くしたいと言う東谷(注;東谷望史=とうたに・もちふみ=、当時馬路村販売課長)と出会う。以降、何度も村を訪ねてきた。村の文化を発信するには、馬路村のパンフレットを全国の主要書店に置いて貰うのが一番。本のタイトルに馬路村を入れて貰う。日本経済新聞社から単行本を出して貰うのが一番効果がある。とんでもないことを言う。半信半疑で聞いていた。果たして1998(平成9)年、「ごっくん馬路村の村おこし」が初版12,000部で発行された。版を重ねて12刷のロングセラーになった。』
大歳さんの【馬路村愛】は「ごっくん馬路村」のラベルを「ごっくん大歳」に替えて発売するという徹底ぶりで、さくらはもちろん箱買いして応援させていただいた。
当時サンケイリビング新聞の営業促進部次長を拝命していたさくらは、大ぞの千恵子・サンエリア社長に紹介していただき、鋭い眼光とその奥に潜む無類の優しさと含羞に惹かれて、ご厚誼をいただくことになった。
あ、さくらの闘病記『きっと良くなる 必ず良くなる』(PHP研究所刊)を世に出してくださった方でもある大歳さん。 お会いしたいなぁ!
息子の家で和む、みるく。
みるくだけは労わるような眼差しで、さくらの敬老の日を祝ってくれて、嬉し♪
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