友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

忙しいことは喜び

2007年10月10日 22時37分42秒 | Weblog
 TBSテレビ(東海地方は5チャンネル)が、「いのちの輝きスペシャル“命とは何だ!?”」を放映していた。途中から見て最後まで見なかったので、えらそうなことを言ってはならないが、こうした番組のこの中の一つでもよいから子どもたちに見せて欲しいと思った。歳を取って、涙もろくなっているからかもしれないが、とにかく泣けた。泣くことは確かに心を浄化する。

 この番組を見ていても思うことだが、人は一人では生きていけない。そしていくつかの心が一つになる時、なぜかとても心が熱くなる。人が一人では生きていけない、生きていないと感じることが、心を揺さぶるのだろう。自分の力などはたいしたことではない。何人かの人の力が一つになる時、そこに大きな力が生まれる。何人かの存在は大きいが、たったひとりの人の存在であっても、その人が自分を認めてくれているということだけで自分を幸せにしてくれる。そうやって人は生きていくことに喜びを感じるのだと思う。

 午前中は大和塾の例会で、代表亡き後の運営について話し合った。新しい仲間も加わっていただき、悲嘆にくれるというより、もむしろ前向きに立ち向かう気概が満ちていた。金美齢女史を講師に迎えて行う、第6回大和塾市民講座「“チャンスの女神”はあなたの前を通っている!」をいかに成功させるかを巡って、様々なアイディアが提案された。だんだんとみんなの心が一つに向かっていると感じた。講演会を成功させたなら、これが大きな転機になるのではないか、そんなことを言う仲間がいたが私もそんな気がしている。

 みんながそれぞれに、どうすることがよいのかを考えて行動を開始している。それがすごい。人を当てにしたり、人に任せたり、挙句の果てに人を非難したり、そういうことが全く無い。各自が思いついたことをどんどん始めていることが素晴らしいと思う。正しく、亡き代表が望んでいた市民の手による市民のための勉強会が実現されつつあると思った。私も、明日はいろいろ回る手はずが整った。

 そうすると、二科展は今日しか見にいけないとわかった。壊れかけの軽自動車を走らせ、県美術館に行く。二科展は昨年までとちょっと違って、どこか整った感じがした。私の知り合いは、大きな部屋の一番いい場所に展示されていた。いよいよ彼も二科の重鎮になりつつあるようだと、そんなことを思った。私がいつもお付き合いをさせていただいている方の作品も今年はよい位置に展示されていた。昨年は大病を患い、無理して出品し、まさかの落選だったが、今年の作品はこれまで見せていただいた中で一番よい出来だと私は思った。これまでのようにのびのびとしていながら、深みが加わったような気がした。とても80代の人とは思えない、活き活きとした躍動感があった。

 知り合いの息子さんの作品も賞を頂く価値があると思った。そんなこんなで満足した気分で美術館を出て、ケイタイのスイッチを入れるといくつかの電話やメールが届いていた。金美齢女史の講演会に向けた取り組みが進んでいた。また、美術館へ一緒に行こうと誘った人からは、空きの日程を連絡してきてくれた。これから少し忙しくなるが、忙しいことはかえってやる気を起こさせてくれる。口の悪い友人が「市長になっていたことに比べれば、たいしたことではないでしょう」と言う。

 私自身は忙しいことを苦にしない。忙しければ忙しいように時間を使うし、ヒマならヒマのように時間をつぶすことができる。超忙しいときも、超ヒマなときも経験してきた強みでもある。
コメント
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