友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

谷崎潤一郎と佐藤春夫

2011年12月11日 22時22分37秒 | Weblog

 「iPhone」や「iPad」の生みの親であるスティーブ・ジョブズさんは仏教に関心を持っていたという記事を読んで、そうだろうなと勝手に思った。彼が何をどのようにしてコンピュータを作り上げたのか全く知らないし、そもそもそれらの操作もできない。2歳5ヶ月になる孫娘は「iPad」を操作して、一緒に歌ったり踊ったり出来るのに、私は自分のパソコンが操作できればそれで充分だと思っているが、本当はそれさえも出来ていないのが現実だ。スティーブ・ジョブズさんが仏教に関心を示したのはキリスト教社会で生きてきたからだろう。

 

 神は唯一つの絶対的な存在で、人は決して神にはなれない小さなものだ。スティーブ・ジョブズさんは神になるつもりなど無かっただろうけれど、「これしかない」という考え方は出来なかったのだろう。可能性を探るためには、現在を否定しなければならない。信仰がどんなものなのか、私には分からないけれど、信じるためには現在を否定して進まなければならないのかも知れない。仏教は、私が知っている限りでは、とても忍耐強く寛容である。善人だけでなく悪人をも救う。ひたすら自己の心との対決を求めている。キリスト教は「汝の敵を愛せよ」とか「右の頬を打たれたなら左の頬を突き出せ」と、一見消極的なようで実に戦闘的な対応を求めている。

 

 「汝の敵を愛せよ」「右の頬を打たれたら左の頬を突き出せ」とするキリスト教でありながら、敵対する者を殺してきた。左の頬を突き出す前に撃ち殺してきた。仏教もまた、殺生を禁じながら殺し合ってきたけれど、絶対的な唯一つの神しか存在しない欧米社会の人々には、寛容で忍耐強い仏教に「救いを感じる」のではないのだろうか。自分の心の問題へと突き進むが故に、社会の不合理に立ち向かうよりも、もっと根本的で先が見えるように感じてしまうのかも知れない。人と社会との相互作用で人類は成り立っているのだから、人の心へと関心が向かうのも悪くないと私は思っているが、どうだろうか。

 

 『新潮45』12月号に、谷崎潤一郎の孫娘である高橋百百子が記事を寄せていた。谷崎は29歳の時に結婚したけれど、妻千代子の妹(「痴人の愛」のモデル)に心惹かれていた。6歳下の佐藤春夫は千代子に燐憫と愛情を抱くようになり、文壇のスキャンダルとなる「妻譲渡事件」が生まれた。すぐではなかったが千代子は春夫と結婚する。谷崎と千代子の間に出来た子どもは春夫が引き取った。その子どもの子が百百子である。彼女は千代子に「行ってきなさい」と言われて、谷崎が再婚した女性と暮らす家にもよく出掛けていたという。

 

 百百子の記事によれば、ふたりの祖父はとても対照的な性格だった。谷崎は物凄い勉強家で几帳面、書斎には誰も入れず正午になるときちんと食事をする。子どもは好きではなかった。佐藤の方は感性的なタイプで、寝転がったまま原稿を書く。子どもが好きですぐ「遊びにおいで」と言う人だ。カッとしたらカッとしたまんま、しばらくしたら怒ったことも忘れてしまう。だからそう深く考える人ではなかった。逆に、谷崎は深いところで考える人だったそうだ。残念ながら私は谷崎潤一郎も佐藤春夫も1冊も読んだことが無い。ようやくこの年齢になって読めるような気がしてきた。

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