友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

どう返事を書いたらよいのだろう

2011年12月23日 15時03分31秒 | Weblog

 朝のうちは穏やかだったのに、午前11時ごろから北西の風が強く吹くようになった。今では、伊吹山がくっきりと見える。このまま寒さが続くようなら、この伊吹山辺りに雲がまいてくるだろう。山から黒い雲が流れてくれば雪になる。風が一段と強く吹き、寒波の到来を告げている。

 

 暖かな家の中にいて、強風にあおられ折れ曲がりそうな樹木を眺めている。地上ではそれほどの強く感じられない風も、30メートル上の我が家のバルコニーでは暴風のようになる。普通に話していてなんでもないことが、聞く方にはものすごくつらいことがあるのと似ている。

 

 何もかも自分に原因があり、自分が招いたのではないかと考える人もいれば、全てが自分以外の人によってなされたことだと考える人もいる。姑が体調を崩したのも嫁の私の気配りが足りなかったからではないか、子どもが病気になったのも私の愛情が足りないからと思ってしまう。

 

 目に前にあるのに、ここに置いたメモがなくなったのは誰かが勝手に捨てたのだとか、車のガソリンが少なくなって、「どうして入れておかないの」と人を咎め、とにかく自分は何も悪くないのに周りが悪いと決め付けてしまう。いや、そうしていると本人は全く思っていない。

 

 先日、手紙をいただいたが、どう返事を書いたらよいかと迷っている。

 

 「私の周辺は陰謀といやがらせが続き、インターネットや口コミで広められ、うつ病患者以上の苦しみの毎日ですが、私は何も一切悪いことをしておりませんので、神が知っていて下さることを信じ、八方ふさがりでも、天は見守っていて下さると信じ、神と共に生きるようにし、ムチをうって頑張っています。(略)行く先々でケイタイ写真を撮られたり、メールされたり、次から次へと尾行されていますが、頑張っています。(略)誰の陰謀にも負けず、自殺へ追い込まれようとするのを押し切り、頑張っています。どうかご支援ください」。

 

 私にどのような助けができるのだろうか。この人がキリスト教徒なら、明後日はキリストの誕生日だから安心して待っててもいいよと言えるだろうが、そうでなければどう答えたらよいのだろう。確か、この人は熱心な仏教徒だったように思う。神というのは絶対的な真理を指しているのだろう。

 

 年賀状を書きながら、この人への返事はどうするのかと迷い、結論が出てこない。今晩は誕生日会の人たちとのクリスマス会である。昨年に引き続き、ホテルで食事会をした後、帰ってきてカラオケ屋さんで2次会というお決まりのコースだ。重い課題を抱えてはいるが、出掛けていって忘れることにしようと思う。

コメント
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