フィギュアスケートの採点は審判の個人的な好みもある気がしてならない。カミさんは「そんなことはない。スポーツは厳正な基準で評価される」と言う。私にはフィギュアスケートは、ショ―の優劣を競っているように見える。単純に、スピードや高さや距離を競う種目は見ていれば誰が勝者か分かるが、演技が伴うものの判定は難しい気がする。
ドーピング問題でロシアは国としては参加できていないが、いろんな種目に個人で参加している。個人参加と言うが、団体競技にも出ている。こんなふうに国単位でなく、個人で参加できるなら、もう国対抗は止めたらいいのにと思う。国旗や国歌を無くし、選手の希望の曲を流したら、これほどまでにメダルの数に執着しなくてすむだろう。
今朝から風が強くとても寒いので、ルーフバルコニーでの作業は諦め、名古屋市美術館で今日が最後の『シャガール 三次元の世界』を観てきた。日曜日のせいか、駐車場は満車だった。館内も親子連れで込み合っていた。シャガールの蒐集では小牧市のメナード美術館と思っていたが、展示された作品は個人蔵のものが目立った。それだけシャガール好きの人が多いのだろう。
シャガールの作品は写実とは違って詩情的だから、子どもたちも「首曲がってる」と正直に発し、傍らの母親が「シッ!」とたしなめていた。「ホント、ヘンだよね」と私は思わず口を挟みたくなった。大理石の彫刻や粘土の器や人形も展示されていたが、こんなものがお金になるのかと、作家になれなかった僻みで見てしまった。「いいね!」と言ってくれる人がいれば作品になる。評価するかしないかは個人の好き嫌いでしかない。
芸術は個人的な好き嫌いが基準だが、スポーツは客観的な判定で勝敗が決まる。どんなに努力しても負けは負けでしかない。芸術は発信者の思いとは別に、好きなら評価されるし嫌いなら見向きもされない。スポーツ選手のような血の出るような努力を重ねた作品も、不意に思いついてできた作品も、過程は一切関係ない。結果で勝負という点ではスポーツと同じだ。