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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

『吾亦紅』の母と私の母

2018年02月07日 18時43分19秒 | Weblog

  久々に杉本真人さんの『吾亦紅』を聴いて、やっぱり涙を流してしまった。どうして泣けてしまうのだろうと思い、歌詞を読み返してみた。私の涙腺が弛むのは「あなたに あなたに 謝りたくて」のところだ。それにしても、この『吾亦紅』の歌詞は複雑すぎて、実のところよく分からない。分からないのに、「あなたに あなたに 謝りたくて」に共感してしまうのは、私も母に謝らなくてはいけないからだろう。

 私の母は、この歌の母のように相手も知らず嫁いできて、ここしか知らない女性ではなかった。明治生まれにしては自由な生き方をした人だと思う。田舎の百姓家の長女に生まれ、誰も行かなかった女学校に進学し、教師になり、同じ学校の年下の代用教員と結婚した。親の決めた人ではない、その頃では珍しい恋愛結婚だった。父は母のおかげで医学部を目指して勉強したものの挫折し、上級学校へ進学して教師になった。

 父が医学部を目指したのは「小説家になりたかったから」と姉から聞いた。父は現実感に欠けた「夢見る青年」で、教師になっても「夢物語」を生きていた人だった。母は「何度も泣かされた」と、これも姉から聞かされた。私の母は『吾亦紅』に出てくる母のように、家に縛られた人生ではなかったが、それでも夫のため家族のために生きた女性に変わりはない。母の口癖は「ジェントルマンになりなさい」だった。どういうつもりでそう言い聞かせたのか分からないが、私にはズシリと重い。

 私は母の願っていた人生とは程遠い生き方をしてしまい、「あなたに あなたに 謝りたくて」が胸に突き刺さる。「後で恥じない 自分を生きろ」と『吾亦紅』の母は息子に形見の言葉を残しているが、歌の息子は「自分を生きる」ことを母の墓前で口にし、「守れた試しさえないけれど」と悔いている。母親と息子は結局そんなものなのかも知れない。いくつになっても息子は母の愛に甘えている。

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