朝から雨が降っているからか、テレビが点けっぱなしになっている。相変わらずウクライナの悲惨な様子が報じられ、見ているとロシア軍の残虐さに怒りが湧いてくる。こんなにやられているのだから、反撃しなければもっとひどい目に遇うのではないか。
「降伏するなんて、わざわざ餌食になるようなものだ」。そんな声も聞こえて来そうだ。「日本も欧米並みに軍事支援をすべきだ」。悲惨なウクライナを見れば、多くの人が「ロシアを叩き潰せ」と、声を上げたくなる。同情が、義憤が、ロシアへの怒りとなっていく。
決して銃を持つべきではないと考える私も、ロシアの侵攻を止めるには武力しかないような気になって来る。しかし待て、それでは戦闘が拡大するのは必至だ。ロシアのプーチン大統領も、ウクライナのゼレンスキー大統領も、共に国家を総動員して戦う意思のようだ。
人殺しなどしたくない者も、街をメチャクチャにしたくない兵士も、銃を構え砲弾を装置する。どうしてこんな矛盾が生まれてしまったのだろう。父も母も明治の生まれで、青年期に大正ロマンをかじったはずだ。なぜ大戦に突入していったのか、聞いてみたかった。
父は昔、「勝てるはずの無い戦争だった」と漏らしたことがあった。けれど戦前は、それを口に出せば、アカだと投獄された。戦前も戦後も同じように教壇に立ち、どんな風に罪を償ってきたのだろう。今なら少しは話しが出来る年齢になったのに残念だ。