車椅子の人と一緒に桜を眺めていた時、ヒヨドリ(多分)が、桜の枝から枝へ飛び回っている。「桜はいいですね」と話しかけるが、一生懸命に応えてくれているのに、何を言っているのか分からない。このコロナ禍のうちに、病状が進んでしまっていた。
全く話が通じ合っていないのに、「そうですね」とか、「ええ」とか、いかにも会話が続いているようにしていた。そこにやはり高齢の女性が、「桜は春の象徴よね」と声をかけてきた。「私なんか、今日が何日だったか忘れてしまうのに、桜は毎年、春を告げてくれるから賢い」と言う。
そんな会話をしていると、車イスの彼のカミさんがやって来て、車に乗せて出発していった。見送るように桜吹雪が舞い上がった。ヒヨドリが花の根元をかじったのか、桜の花が一輪、車のボンネットの上に落ちていた。花弁は飛び散るが、一輪の花は堂々としている。
ウクライナ侵攻はますます泥沼化している。市民が虐殺されたとか、それはウソだとか、テレビから流れてくる。戦争に人道的とか非人道的とかが、存在するような報道だ。残虐でない戦争など存在しないのに、正義とか悪とか、区別しようとしたがっている。
人間は愚かだけれど賢いと、誰かが言っていた。賢いと信じる他ない。人が人を信じ、争いを放棄する道を探るしかない。何が前提になるかと言えば、やはり信じることからだろう。今日は中学校の入学式の日。中学生になる長女の下の娘は花粉症だが、入学式は大丈夫だっただろうか。