内容までは覚えていないが、私が小学生の頃に読んだ世界の偉人伝に、ドイツのヒットラーやイタリアのムッソリーニが載っていたが、ふたりとも国民を貧困から救済するために立ち上がった義人だった。ドイツは第1次世界大戦に敗れ、負債を押し付けられていた。
イタリアは古代史では優雅を誇った国なのに、貧困に喘いでいた。農奴の国、ロシアは共産主義革命を成し遂げたけれど、帝政を倒しただけで、どのような国家を建設するのか、そのために何をどうするのか、暗中模索だった。
3国とも国民の心をひとつにして、強力な国家を建設するために、政府の力は絶対的なものになっていった。ドイツもイタリアもロシアも、国民のひとり一人よりも国家が大事になった。最初は国民の利益のためであったのに、国家のために国民に犠牲を強いるようになった。
どこでどう間違ってしまったのだろう。「理想の国家」を建設すること自体が、間違いだったのではないだろうか。国家は軍隊を持つが、軍隊が無ければ、領土の奪い合いも無い。いやそもそも、国境が無ければ奪い合いも起きない。
人類の最終目的は、国境の無いつまりは国家の無い世界なのではないだろうか。国家が無ければ、国民を守る仕組みは無いと叱られそうだが、国家が無くても暮らしていける世界に、人類はいつか到達する、そんな気がする。