午後4時30分、部屋の気温計は31度、外はもっと暑いだろう。太陽がギラギラと輝いて真夏の光を注いでいる。太陽の光がなければ生きていけないのに、真夏の太陽に気絶しそうなくらい暑い。全く人間は勝手で悲しい存在だ。
プーチン大統領はロシアの作家、ドストエフスキーを心酔していたとロシア文学者で名古屋外語大の亀山郁夫学長が書いていた。ドストエフスキー好きの私は違和感を覚えた。『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』は、人の欲望と愛との葛藤だった。
高校生だった私はキリスト教に魅かれ教会に通っていた。けれど、ベトナム戦争が始まり米軍は無差別に爆弾を投下し、大勢の人々を殺した。アメリカ人牧師に「なぜ神は、こんな無慈悲なことをするのか?」と聞いたが、答えは無かった。
牧師になるように勧めてくれたが、私は教会を去った。全てが神の計画なら、神はきっと人が好きではないのだ。神を信じる人だけを救うのだから、神に逆らい地獄に落ちるのは当然のこと、それでも構わないと私は思った。
中日新聞に主筆の小出宣昭さんが『風来語』で、「神がいなければ」と書いていた。神は罪に罰を与えるが、神がいなければ全てが許される。ロシアではワイロが通用する事例を上げ、「ロシアの腐敗指数ランキングは欧州ではぶっちぎりの最下位で、いくつかのアフリカ諸国と同率である」とあった。
人を殺してはいけない、人を悲しませてはいけない、人を騙してはいけない、そうした価値観が自然に身につくようになるのは、人々の思いやりが深く、不安の無い社会で、いろいろ学ぶことが大事だろう。