友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

もっと慎重にやるべきだったと落ち込んでいる

2022年12月28日 17時38分06秒 | Weblog

 朝、「銀行、郵便局、酒屋と回りたいから運転お願いね」と、カミさんに頼まれた。出かけるまで、「忘れ物は無いよね」と何度も確認していたのに、郵便局に着く直前になって、「あっ、無い。忘れてきた」と声を上げる。

 慣れっこになっている私は、「改めて来ればいいじゃん」と言うと、「来月のついでの時でいいか」と納得している。カミさんは常に「ついでにやりたい」のだ。銀行へ行った時、駐車券をもらってきたが、無料だったからとバックに仕舞い込む。

 「銀行も困るかも知れないから返して来たら」と言うと、「固いこと言うのね」と渋っていたが、「じゃー、行ってくる」と銀行に駆け込んで行った。「入口に立っていた守衛さんに渡したら、『わざわざ申し訳ありません』と言われてしまった」と笑顔で帰って来た。

 昼からは時間があったので、玄関ドアをきれいにして迎春飾りを、また玄関の靴箱の上も新しい敷物にして花と鏡餅を飾った。鏡餅は床の間とか神棚に備えるものだろうけれど、我が家には床の間も神棚も無いので、いつも玄関と書棚と小物入れの上に置いている。

 母や祖母が見たら、「そんなところに置いて」と叱られるのかも知れないが、儀式の仕方は時代と共に変化していくのだと思う。以前は車の前方に、しめ縄を取り付けた車がマンションでも見られたけれど、最近は無くなった。

 正月には学校の運動場で凧揚げをしたり、マンションの中庭で羽根つきをする子の姿がある。コロナ禍の閉そく感から解放された、子どもたちの元気な声が響くといいな。しかしまだ、我が家は台所や浴室の掃除が残っている。もうひと踏ん張りしないと、正月が迎えられない。

 壁紙が無数の押しピンの跡で汚れていたので、白のスプレーを吹きかけてきれいにするつもりだったのに、息が詰まるといけないからと窓を全開にして作業をしたので、家具にまで塗料がかかってしまった。もっと慎重にやるべきだったと落ち込んでいる。

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