高校1年の時に母が亡くなって、病身の母のために借りていた一軒家を引き払い、材木屋の倉庫を仕切った元の部屋に戻った。父と妹が仕切りの大きい方の部屋で寝起きし、私は狭いが独立した部屋を使っていた。
ある日、父が優しそうな、母と変わらないくらいの女性を部屋に連れて来た。こんな惨めな生活を見せるなんて恥ずかしいと思ったが、父はきっと、だからこそその人に見せたかったのだろう。
女性は後家で、南山大学に通う息子さんがいるという。「勉強を教えてもらえるから、よかったな」と父は言う。どうやら父はその女性と結婚し、この部屋を出るつもりのようだった。けれど、結婚する前に父は亡くなってしまった。
校長だった頃の父の日記を読むと、校長室の机に新しい花が飾ってあるのを、「あなたですね。とてもよい香りがします。運動場からあなたの声が聞こえてきます。幸せな気持ちでいっぱいです」などと書いてあった。
姉が昔、父に好きな女性がいると怒っていたが、きっとこの女の先生のことだろう。父は恋に憧れる文学青年のまま生きていた。父は静かな人で滅多に怒ることも無く、いつも小さなスケッチブックに絵を描いたり、そうでない時は本を読んでいた。
母は正反対で、明るく陽気で、大きな声でよく笑った。物乞いが家に来た時、洋裁を習いに来ていた生徒さんが、「先生、あげても無駄ですよ」と注意したのに、「いいのよ。ほんの少しでごめんあさいね」と、お金を包んで渡していた。
気前がよかったのに、私や妹の前では、「お金がない」とばかり言っていた。母は働き者で、女学校の先生を辞めてからは、近所の女の子に洋裁や編み物を教え、頼まれた和服や洋服を徹夜して縫っていた。座りっぱなしの生活が、健康を害していったのだろう。