友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

どんな言葉で表しているのだろう

2025年01月13日 17時41分39秒 | Weblog

 詩のような小説の、ハン・ガンさんの『すべての、白いものたちの』を読んで、谷川俊太郎さんの詩集を買ったことを思い出した。昨年11月、谷川さんが92歳で亡くなられ、書店に並べられてあったものだ。

 いつか読もうと思ったが、なかなかその気にならなかった。詩で覚えている作品は何があるのだろうか。でも、高校生の時に出会った短歌はいつまでも覚えている。若山牧水と石川啄木の歌は強烈な印象だった。

 「白鳥は悲しからずや 空の青海の青にも染まず漂う」(若山牧水)。孤独感がジーンと伝わって来た。仲間や友だちがいっぱい居るのに、なぜ孤独を感じてしまうなのだろう、そんな青春の感傷に浸っていた。

 「働けど働けどなお吾が暮し楽にならざり ジッと手を見る」(石川啄木)。私の母は休む暇も無く働いていた。そんなに働かないと、わが家は暮らしていけないのかと思っていた。母は働くことが好きだったのか、それともそこにしか生き甲斐が無かったのか、両方だったような気がする。

 俳句は言葉が少なすぎて、気持ちを伝えるには無理があるが、短歌はそれより14文字多いだけなのに、凄いなと思う。牧水も啄木も同時代の人だけど、啄木は僅か26年の生涯である。上記の歌は啄木が24歳の時に作られ、牧水の歌は23歳の時とある。

 啄木の歌でもう一つ覚えているのは、「戯れに母を背負いて あまり軽さに泣きて三歩あゆまず」がある。母親もそうだけど、妻の節子さんにはもっと苦労をかけている。節子さんを思う歌はあるのだろうか。

 私は高校生の頃、日本文学の感傷性が日本人の視野を狭くしていると反発していた。老いてみて、繊細な神経に共感している。谷川俊太郎さんは、どんな詩を書いているのだろう。恋愛や嫉妬や愛憎をどんな言葉で表しているのだろう。


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