土曜日の定番は、吉本新喜劇。およそいつも同じパターンなのに、分かっていても観てしまう。バカバカしさに笑いが止まらない、時には笑いが涙になる。どこへも行かず、家に籠っている年寄りには欠かせない見世物である。
それでも、時の話題をヒヨッコリと織り込んでいたりして、工夫している。毎週、出し物を考えるのは大変なことだろう。頭が下がる。劇場には子どもたちも来ているようで、子どもの受けにも配慮している。
カミさんは、年末年始の献立に頭を悩ませている。料理を作る度に、「今日のランチです」「今晩の料理です」と、ラインで写真を送っているからだ。「じゃー、年末年始はお休みしますでいいのでは」と言うと、「あの子たちも楽しみにしているのに」と悩む。
まあ、カミさんの楽しみでもあるのだから仕方ない。吉本の俳優たちも、楽しんで舞台に立っているのだろう。傍から見ると大変そうでも、本人は楽しいのかも知れない。いや、そうでなければ、仕事なんかやっていられないだろう。
営業マンだった友だちは、相手方との付き合いもあり、初めは辛く嫌だったようだ。しかし、商談が成立し、会社が彼の働きを認めるようになると、営業が楽しくなり、さらに工夫を重ねて利益を上げるようになっていった。
バルブの時代で、「一晩に百万近く使った」と先輩も豪語していた。自民党もきっとそんな風に、金を遣って政治を動かしてきたのだろう。政策を論議して決めるというより、飲み食いで決めてきたと橋本徹氏は怒っていた。
与党が少数になって、野党との協議が必須になった。しかし、協議が公開でなければこれまでと同じだ。国民の目の前で、しっかり話し合って欲しい。どこの町村か知らないが、議員のなり手が無いので報酬を上げるという。
なり手がいないのであれば、議員を無くして役所だけでやればいい。行政も前例踏襲を止め、税収の範囲でやればいい。それでは住民が困るだろうと言うが、困らなければ何が必要で何が不要か、見極めることなく進められる。
喜劇にはオチが大切だが、政治にオチは要らない。必要なのはみんなの知恵であり、話し合いである。無理矢理のオチで、申し訳ありません。