どこの喫茶店に行っても、コーヒーカップは似たような大きさである。どうしてなのかと思い、我が家のカップを並べてみたが、どれも皆同じくらいで変わらない。容量を計ってみたらおおよそ100ccだった。
コーヒーを入れたばかりの時は、熱いから飲めない。少し冷めて飲みやすくなり、温かいうちに飲み切る量がこれくらいなのだと分かった。でも、もっと飲みたい人もいれば、少しで充分という人もいる。
学校では決まった時間から始まり、終わる時間も決まられている。それでも、朝練で来る子もいれば、遅くまで学校に残っている子もいる。子どもたちの活動に応じて、大目に見ている。今朝の朝日新聞に、定員が満たないのに高校に入学できない子の件が載っていた。
成績が悪くても入学させるべきか否かと悩むところだ。私が勤めていた高校では、実技試験を行っていた。実技が劣るからと不合格にしたケースは無かったと記憶しているが、写生が上手くない子は入学してから苦労する。
けれど、実社会では描写力よりも発想力が求められる。描写力も発想力も訓練を重ねることで蓄えられる。学校では大した生徒では無かった子が、社会に出たら物凄く活躍することもある。一時のことで、決めつけてはならないのに、学校はそれが出来ない。
今はそれほどでもないかも知れないが、私たちの時代は「良い学校へ行き、良い会社に入る」が社会の価値だった。「良い会社」に入れば高い給料を得て、「幸せに暮らせる」と思われていた。要するに、「金が全て」の価値観に縛られていたのだ。
今、若い人たちは「好きなことをやって暮らしたい」と言う。それが本当の人間の生活だと思う。それを実現できる社会の仕組みに変えていくべきだろう。そんな自分勝手なことが出来るはずがないと、多くの人は言うかも知れないが。
でも、みんながそうした価値観を持てば、少しづつ変わっていく気がする。今日から12月、今年も残り僅かになってきた。カミさんは何を思ったのか、冷蔵庫の後ろ側を掃除し始めたから、私も手伝わずにはいられない。