高校からの友だちが、彼が住む地元の地域新聞に回顧録を連載している。彼との出会いは1年で同じクラスだったからだ。背は低かったが、声のバカデカい、よくしゃべる男だった。国語の先生が「ここはこういう意味だ」と説明した時、「別の解釈ではダメなのですか」と質問する権威に逆らう男だった。
私は1年の後期から新聞部の部長を命じられたが部員が少なくて、記事の書ける男が欲しかったので、「新聞部に入らないか」と誘った。彼の席の前に格好いい男がいたので、一緒に誘った。新聞部に籍はあるのに、出てこない者もいたが、ふたりは毎日出てきて、仲良しになった。
2年の時、彼を前期の生徒会長に推した。後期は立候補した男が不信任となり、急遽、私が出ることになった。「将来、俺が首相の時は君が幹事長だ。委員長の時は書記長を頼んだぞ」と彼は言う。まさしく彼は先頭に立つ男で、私は支える側が似合っていた。私はいろいろプランを考え、その準備をすることは好きだが、人前でしゃべることは苦手だったからいいコンビだった。
東大に入った先輩がオルグに来たが、誰も共鳴しなかった。大学に進んでも、民青に加わることがなかったのは、私たちは権威が嫌いだったからかも知れない。上の意見を聞かなければ自分の考えを表明できない、そんな連中と一緒になりたくなかった。大学4年の時、彼が「毎日新聞の採用試験は一般常識だけだから、一緒に受けないか」と誘ってくれたが、ふたりとも不採用だった。
彼は地元で市議会議員となり、やがて県会議員となった。私たちは「首長の方がやりがいがあるのに」と煽ったが、彼は冷静に分析していて、「無理だが、火は灯し続ける」と言った。彼を支える幹事長にも書記長にもなれなかったが、出会いが無くてはならない男だった。
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