友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

私たちが何をするかが大事なこと

2010年10月17日 19時01分24秒 | Weblog
 ノーベル賞だとかチリ鉱山の救出劇だとか、いい気持ちにさせてくれるニュースに浮かれていたら、とんでもないことが起きていた。チリ鉱山の救出がうまくいったことが伝えられた10月14日、中日新聞の『中日春秋』は「ああ、落胆した」で始まっていた。オバマ政権下で初めてとなる臨界前核実験が行なわれたことへの嘆きである。オバマさんが大統領になって、よい意味でも悪い意味でも、果たしてどこまで「チェンジ」出来るのか不安と期待で世界中が注目していたと思う。

 アメリカの中間選挙に向けての報道を見ていると、あれだけ多くの人が大統領選挙でオバマさんを応援したのに、その原動力となった学生たちを中心とする若者がオバマ離れを起こしているようだ。「オバマは何もチェンジしない」と落胆しているのだ。私は経済政策のような難しいことは「チェンジ」出来なくても、イラクやアフガンとそれに伴う「犯罪者」の問題を一歩でも二歩でも解決に向けてほしかった。経済政策はおそらく誰がやっても同じことだろう。経済にこれという特効薬などありはしないから。

 名古屋で開かれている地球環境についても、アメリカは大きな責任を負いながら、自国の利益のみを優先している。私に言わせれば、環境についても食糧についても資源についても、自国の利益のみを優先できる時代ではなくなってきている。誰かがそれを口にしなければ、まだまだ取り合いは続くだろう。冷戦時代が終わり、アメリカが唯一の超大国の今こそ、アメリカ大統領に就任したオバマさんがその口火を切って欲しいと期待していた。オバマ大統領の「核なき世界を目指す」と口にしたプラハ演説でいよいよ新しい時代がやってきたと思った。

 けれども現実はそんな甘いものではない。甘いものではないことくらい誰でも分かっているけれど、だからこそ踏み出して欲しいと願った。現実に目を向けてばかりいれば、何も出来ない。何もしない方が政権の維持は出来る。そうして政治はいつも目先の処理だけに追われていく。核兵器をなくし、戦争をなくしていく筋道を模索しなければ、人はまた殺しあわなければならなくなる。地域のあるいは特定の宗教のそして国家の利益のみを優先させれば、小競り合いが生まれ、憎しみが生まれ、やがては死者を生むことになる。

 アメリカの臨界前核実験が行なわれて、そこにオバマ政権の危うさを取り上げた『中日春秋』は立派な記者魂だと思う。わが国も長期にわたった自民党政権から民主党政権に変わった。変わったばかりの民主党に何が出来るだろう。ケネディが大統領に就任した時、「政府が何をしてくれるかではなく、あなたが何をするかだ」と演説をしたけれど、確かにオバマさんや民主党にねだることではなく、私たちが何をするかなのかもしれない。民主主義は個々の人間に依拠するものであれば、個々が何をするかが一番大事なことではないだろうか。

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