友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

新しいものは古いものを越えていく

2022年12月05日 17時50分40秒 | Weblog

 他人が見ている自分と、もうひとりの自分がいるのは人の常である。生真面目な性格なのに、真面目とは言えない欲望を抱いている。どちらも自分自身であることに変わりないのに、他人が見ていない自分を表に出さないように生きている。

 高校生の頃、自分の分裂した気持ちの存在に悩んだ。「あなたは、恋に恋している」と言って、私の思いを断ち切って去っていった彼女のことが好きで、彼女に恋することに憧れていたのに、成熟した大人の女性に対する欲望が存在していた。

 そんな時、書店でヘルマン・ヘッセの『青春は美し』とボードレールの詩集を買った。ヘッセの小説は覚えていないのに、ボードレールの詩集には鉛筆でチェックが入っている。ボードレールはエリートコースを選ばず、「怪しげな女と戯れ、酒浸りの日夜を送り、詩人となるよりダンディーになろうと心がけた」と解説にある。

 ボードレールが溺れた女性は、白黒混血の黒髪のカフェの踊り子で、彼の詩の主題である。「きみが肌の移り香こもる裳よ ああ、そのなかにわれは頭を沈め 萎れし花を嗅ぐごとくひたぶるに ほろびたるわが恋の苦き甘さに酔わん」。「かの女は横たわり愛撫に身をゆだね 高き褥にはなやかにうち笑う わが愛は海の潮の寄するごとく 深くやさしくかの人にたかまりゆく(略)その腕、その脚、その腿、そして腰 油のごとく艶けく白鳥のごとくうねりて わが眼の前をよこぎりゆく その葡萄の樹に実りたる乳房と」。

 ボードレールの詩は世間が求める価値観や道徳、美意識に抗して、人の欲望を素直に称えている。人々は面白がっていたようだが、詩は金にはならなかった。ボードレールに遺産が無ければ、あんな奔放な生活は出来なかっただろう。

 けれど、18歳の私は世間の価値観や道徳に逆らうボードレールに憧れた。大学に進み、美術を専攻し、卒論でシュールレアリスムこそが現代美術と書いた。卒業作品もダリに倣った。新しいものは古いものを越えていく。二面性を持ちながら。


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