4月も半分過ぎたのに、昨日も今日も風が冷たくて寒い。日差しはもう初夏のように強いのに、日陰はまるで晩秋の寒さだ。70歳になったら、そろそろ人生の終末に向けて準備をするようにと誰かが言っていた。聖路加病院の日野原重明さんは、3年先の講演会の日程を決めているそうだ。100歳を超えた人がそうしているのには驚く。長生きの秘訣は、明日、来週、来月、来年と予定を組むことだという。「ここまでは死ねないぞ」と自分に言い聞かせるのだろう。
先に希望があれば、意外に人は頑張れる。逆に希望もなく生きていることは難しいのだ。アメリカ、ボストンの爆破事件を起こした兄弟は、どうして絶望の淵を見てしまったのか。自暴自棄になる時は普通の人でもある。日本でも毎年3万人の人が自らの命を絶っている。先に希望があるのに、自殺する人はいない。けれども、許せないのは自暴自棄になって、他人の命まで奪うことだ。自殺をする前に救えなかった社会に問題はあるが、他人を巻き添えにする行為は絶対に許されない。
70歳までにはまだ1年もある。それに来年の春、名古屋城の桜を見に行く約束までしてしまった。日野原さん流に考えれば、その時までは死ねないぞということだ。それでも少し身の回りのものを整理しようと思って眺めてみる。年賀状やハガキや封書が、菓子箱に年を明記して入っている。古いものは絶対に見ないから、処分しようと思うのに、眺め始めると切りがつかない。結局、来年70歳になったら捨てようと思い、ただ眺めてまた仕舞い込んだ。
あの時、ああすればよかったとか、ああしたならもう少し違っていたはずだと、思うことはあってもそれで悔やむことはしない。過去のことは自分が選択したことだから、悔やんだり悩んだりしないことだと思っている。あの方がよかった、ああすればよかった、と考えて悔やむことは愚かなことだと思っている。結果がどうであれ、自分が決めたのだ、最良のもの、最高の方法、と思い込むようにしている。何を選んでも、どちらに決めても、同じことだ。それならば、自分の選択に間違いはなかったと思う方がいい。
子どもの頃、映画が見たい、でも映画を見に行けば他の事をする時間がない、どうしようかと10円玉占いをした。表が出たら映画を見る、裏なら諦める。ところが裏が出ると、嫌な気持ちになりもう一度占いたいと思う。それなら自分の気持ちは映画が見たいのだから、気持ちに忠実な方がいいと考えるようになった。誠に自分勝手で、自分に都合のよい解釈である。でも、人生はそんなものではないだろう。しかし、自分の心に忠実にとは言っても、そんな風に行かないことの方が多い。諦めてしまえばいいが、そうなると後ろ向きになってしまう。前向きな人は貪欲で自分勝手なのかも知れない。
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