昨夜は眠れなかった。眠っていたのだろうが、ズーと同じ夢を見ていた。いや、夢と言うよりは同じことを繰り返し考えていた。カミさんが仕舞い込んであった物の中から「卒論が出て来た」と舞い上がっていた。「それは捨てない方がいいよ」と言ってから、自分の卒論はどうなったのだろうと考えた。
大学4年の時、指導教官の私に対する思いやりから、東京の教科書出版の会社で働いていた。試験の時は帰って来たけれど、それ以外は東京に居たので、考えてみれば連絡し合う友だちがいなかった。12月末で退社し、帰る家が無かったので、姉の家に転がり込んで、卒論から始めた。
私は子どもの頃、兄の部屋で『LIFE』に載っていたダリの絵を見て、強い衝撃を受けたことから、「シュールリアリズム」に関心があった。卒論は当然「シュールリアリズム」で、まあ良い論文が書けたと思ったが、どんな評価だったのか全く知らない。卒論の後、すぐに卒業作品に取り掛かった。
B全判6枚だった。私はぼかし筆で空と地面を仕上げ、蝶々や錆びたトランペットを精密に描いていった。6枚ものパネルをどうやって県美術館まで持って行ったのか覚えていない。ただ、展示の準備中だったので間に合ったことだけは覚えている。作品が展示されると、油絵科の学生が感心して褒めてくれた。
ところがその作品がどこへ行ったのか分からない。私が県美に取りに行った時は、既に皆作品を持ち帰っ後で、誰に聞いても「知らない」と言う。卒論も出し、卒業作品も展示出来たから、後は卒業式だけだったのに、卒業式がいつどこで行われるかも知らなかった。3月末になり、みんなは赴任校が決まったと言うのに私には連絡が無い。
私は生活費のために子どもの絵画教室を開いていたので、その準備で忙しかった。卒論や卒業作品はいったいどこへ行ってしまったのか。そのことが繰り返し頭に浮かび、なかなか眠れなかった。作品が評価されたのか、愛知工業高校に赴任することになった。それにしてもなんといい加減な人生なのか。ますます眠れなくなった。