12月になったけれど、別に何も変わらない。誰からも連絡はないし、メールもない。10月28日に受診した後期高齢者健康診査の結果が今日届いた。血液検査の結果はほぼAで、白血球数がやや少ないのと、心電図に問題のようで、「心筋梗塞の疑い」とある。いいじゃないかと思う。脳梗塞のように寝たっきりになったり、あるいは半身不随の姿にはなりたくない。それでなくても、左足が不自由なのに右足が膝が痛くて歩けない、こんな惨めな姿になってしまって腹立たしいのだ。
今日はカミさんと誕生日会の皆さんのゴルフの日で、終わった後の反省会だけ私は参加している。寒さがきつかったのか、良いスコアは出なかったみたいで、「もうちょっとだった」と反省しきりだった。飲んで話していたら、NHK大河ドラマの話になった。「家光は本当に優れた人物だったのか」と言い出す人がいて、「歴史のことは分からない。ドラマのような会話があったのかは疑問だ。それでも、どういう視点で作られたかで、それぞれの人物が生き生きと見えたり、本当にそうだったのかと思ったりするのではないか」と長老が言う。
そのとおりだと思う。現在に生きる私たちはその時代を知らない。知っているのは何年に何が起きたということだけだ。だから当然だけれど、ドラマのような会話があったとはとても思えない。歴史の再現などと思って見ると、理解できないようなことでも、ドラマなのだと思えば面白くなる。この大河ドラマで一番興味深かったのは、秀吉が茶々を口説くところだった。女性の脚本家が「戦国時代を生き抜いた女性たちの生き方を描いた」と言っていたけれど、確かにそんな気がした。茶々も江も両親を殺した秀吉を憎んでいた。けれども秀吉は、信長の家来であった時から信長の妹の市を好いていた。その子どもの茶々に惚れてしまうのも無理は無い。
ドラマの中の秀吉は、己の権力で茶々を手に入れることもできたのに、自分が心から茶々を好いていると表現し、茶々が心を開いてくれるのを待つ。健気で純真な恋心だ。茶々は、初めは親の仇であるので秀吉を受け付けない。しかし、秀吉はどんどん出世し関白にまでなる。そうなると、女心は恐ろしいもので秀吉を可愛いと思うようになり、いつしか恋するようになっていく。権力と金の力は昔から男の象徴なのだ。女は本能的・生物学的に、権力があり金もある男を選ぶものなのだ。
しかし、権力と富とを手にした3代目は、大王製紙の例でも分かるように、東大の法学部を出ていてもギャンブルにはまり、何百億円という金を使ってしまう。私たちには理解できない感覚だけれど、パチンコにはまってしまうのも同じだと言う。パチンコで15万円や20万円を出してしまうと、セコセコ働くことが嫌になるそうだ。昨日、15万円出すことができたのだから今日は30万円出してやろうと思うようだ。そしてどんどんお金を注ぎ込み、いつしかどうにもならなくなってしまうと言う。
私は女性には夢中になったけれど、ギャンブルは全く興味が無かった。ギャンブルで全ての財産をなくした兄を見ていたからだ。ギャンブルで大金持ちになれるなら、どうしてパチンコやカジノや競艇や競馬や、諸々の親役の方がお金持ちなのだろう。そう思えば、賭け事で一儲けするより着実に働いて稼いだ方がいい。でも、最後に賭けてみようか?
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