友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

運も実力のうち

2010年09月21日 18時51分52秒 | Weblog
 「悩むことはないの?」と聞かれたことがある。深刻な顔をしている割にはノーテンキで、余りくよくよ考えないからかもしれない。買い物をした途端に、「こっちの方がよかった」とか、「やっぱり、あっちにしようかしら」と迷う人がいるが、私は自分が選んだ物は最高のものと思っている。お店で料理を頼む時にも、なかなか決まらない人がいる。注文した後でまだ、「これの方がよかった、あっちがおいしそう」などと言う。どうしてそんなに悩むのか私は理解できない。しかも、注文した料理が出てきたら、「ああ、やっぱりそっちがよかった」とまで言われるとムッとしてしまう。「じゃーまたの機会に頼めばいい」と思ってしまう。

 買い物だって、料理の注文だって、進路や結婚だって、人から勧められることはあったとしても、最後は自分が選択したはずだ。自分の選択にそんなに自信がないのかと思う。もちろん、選択が失敗だったことは何度もある。それはどうして失敗だったのかを考えて、なるべく繰り返さないように努力すればいい。それでも人はだいたい同じような失敗は繰り返すだろう。失敗するのは自分の落ち度、自分にそれを超える力がなかった、そういうことだと思う。そこで力をつけようとする人と、レベルを下げていく人とに別れるのだろう。でも基本は、失敗してもいいじゃーないかである。

 自分のこれまでの人生を振り返れば、“挫折の連続”だった。やろうとすることがことごとく大きな壁に阻まれた。でも不思議なことに、やれないとかダメだろうとか思ったことは一度もない。ただし、人を恨んだりしたことはある。妬ましく思ったこともある。どうしてと、不運を呪ったこともある。恨んだり妬ましく思ったところで、自分の人生が明るく変わるわけではない。そう気がついたらバカバカしく思えた。“人が生きるということは恥を重ねること”なのだから、恥はなるべく小さい方がいいが、無くすことは出来ない。全ては自分が選択してきた結果だ。だから、今は最高。明日はもっとよくなるだろうと思うようにしている。

 「楽天家だねぇ」とか「極楽トンボ」と言われることは私への褒め言葉だと受け止めている。首長選挙の相手から「打たれ強いね」とまで言われたことがある。皮肉を込めて言われたのだろうけれど、私はいい褒め言葉だと理解した。悔しい思いやこんなはずではなかったと思うことは度々あるけれど、まだまだ器が小さいゾと思うようにしている。それでも、自分が期待していたことが出来なかったりするとかなり落ち込む。それが天候のせいであったり、自分の力ではどうしようもない事情であったとしても、運がないと嘆いてしまう。

 よく「運も実力のうち」と言うけれど、実はそのとおりだろう。運がよければ、自分は凄いと褒めてやればいいし、運がなければ次は必ずいいことがあるはずだと思えばいい。「人生は屁のようなものだ」と言う。一瞬をおろそかにせず、懸命であれば必ずよいこともあるだろう。鳥も花も虫も同じことを繰り返してばかりいるけれど、与えられた生命を懸命に生きている。それでいいじゃーないかと思う。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 長寿の男性は凝り性だって | トップ | 大阪特捜検事の逮捕 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事